第76話 終わりの名前
『――私にも』
『名前を』
『ください』
世界が。
静まり返った。
さっきまで。
風が吹いていた。
海が揺れていた。
世界樹の葉が。
音を立てていた。
けれど。
今は。
何も聞こえない。
ただ。
空に開いた巨大な瞳だけが。
俺たちを見ている。
「……」
俺は。
ノアを抱いたまま。
空を見上げた。
「お前は」
『はい』
「本当に」
「終わりなのか?」
『はい』
即答だった。
「何を終わらせる?」
『分かりません』
「……え?」
『私は』
『終わりです』
『だから』
『何かが始まれば』
『いつか』
『私が来ます』
「……」
『でも』
『あなたたちが』
『私を』
『怖がるから』
『私は』
『ずっと』
『一人でした』
その言葉に。
俺は。
胸を締め付けられた。
「……一人?」
『はい』
『始まりには』
『誰かがいます』
『命が生まれます』
『世界が生まれます』
『未来が生まれます』
『でも』
『終わりには』
『誰も』
『いません』
「……」
ルナが。
静かに。
前へ出る。
「それは」
「寂しいね」
『……』
巨大な瞳が。
ルナを見る。
『あなたは』
『私を』
『怖くないの?』
ルナは。
少しだけ。
考えた。
そして。
首を横に振った。
「怖いよ」
『……』
「だって」
「終わりって」
「大切なものが」
「なくなることだから」
『……』
「でも」
ルナは。
笑った。
「怖いからって」
「一人にするのは」
「もっと嫌」
『……』
巨大な瞳が。
揺れた。
空が。
少しだけ。
明るくなる。
「ルナ」
俺が。
呼ぶ。
「どうする?」
ルナは。
俺を見る。
「名前を」
「つけてあげたい」
「……」
俺は。
空を見上げる。
終わり。
始まり。
未来。
可能性。
そして。
名前。
この世界では。
名前は。
存在を認めることだった。
選択することだった。
でも。
終わりに。
名前を与えるということは。
終わりそのものを。
この世界の一部として。
認めるということなのかもしれない。
「……」
俺は。
少しだけ。
笑った。
「名前」
巨大な瞳が。
こちらを見る。
「欲しい?」
『はい』
「じゃあ」
「自分で」
「選んでみたら?」
『……私が?』
「ああ」
『私には』
『名前を考えたことが』
『ありません』
「だったら」
「みんなで考えよう」
俺が。
そう言うと。
カインが。
すぐに。
手を上げた。
「はい!」
「学校じゃないぞ」
「分かってる!」
「じゃあ何だよ」
「終わりだから」
カインは。
空を見上げた。
「……エンド」
「却下」
ノアが。
即答する。
「なんでだよ!」
「そのまますぎる」
「じゃあノアは?」
「俺?」
「うん」
「……」
ノアは。
少し考え。
空を見る。
「ユラ」
「ユラ?」
「揺れるから」
「何が?」
「世界」
ノアは。
静かに。
続けた。
「終わりって」
「全部を消すだけじゃない」
「今まであったものを」
「次の何かへ」
「揺らすものだと思う」
「……」
俺は。
その名前を。
心の中で。
繰り返した。
ユラ。
悪くない。
「どう?」
俺が。
尋ねる。
巨大な瞳が。
少しだけ。
細くなる。
『ユラ……』
『私は』
『ユラ?』
「うん」
『……』
長い沈黙。
そして。
空に。
小さな光が。
一つ。
灯った。
『好き』
その瞬間。
巨大な瞳が。
ゆっくりと。
閉じた。
そして。
その姿が。
変わり始める。
黒い空。
巨大な瞳。
その輪郭が。
少しずつ。
小さくなっていく。
闇が。
人の形へ。
髪。
顔。
身体。
やがて。
俺たちの前に。
一人の少女が。
立っていた。
年齢は。
ルナやエレナと。
同じくらい。
黒い髪。
黒い瞳。
白い服。
その姿は。
どこか。
夜のようだった。
少女は。
自分の手を見る。
「……」
そして。
小さく。
笑った。
「私」
「ユラ」
「うん」
俺は。
頷いた。
「よろしく」
ユラは。
俺を見る。
「レオン」
「ん?」
「私」
「ここにいてもいい?」
俺は。
少し。
驚いた。
けれど。
すぐに。
答えた。
「ああ」
「もちろん」
「……」
ユラは。
目を閉じる。
「……ありがとう」
その瞬間。
世界樹の枝に。
黒い葉が。
一枚。
生まれた。
「……!」
エレナが。
目を見開く。
「新しい属性……?」
原初が。
木を見上げる。
「いや」
「これは」
「属性ではない」
「じゃあ」
「何?」
原初は。
しばらく。
黙った。
「終わりを」
「世界が」
「受け入れたんだ」
俺は。
その言葉を。
聞いて。
空を見上げた。
すると。
世界の端にあった。
黒い亀裂が。
少しずつ。
消えていく。
「……」
終わりが。
消えた。
わけではない。
違う。
終わりが。
世界の外側から。
こちらを見ている存在ではなくなった。
世界の中に。
居場所を持った。
それだけだった。
「……これで」
「世界は」
「完成した?」
エレナが。
尋ねる。
原初は。
首を横に振った。
「まだだ」
「……」
「終わりを受け入れたことで」
「ようやく」
「始まりと終わりが」
「同じ世界に」
「存在できるようになった」
「じゃあ」
俺は。
ノアを見る。
「次は?」
原初が。
答える。
「生きることだ」
「……」
「始まりと」
「終わりの間を」
「生きる」
「それが」
「世界になる」
俺は。
ノアを。
見つめた。
ノアは。
俺の胸に。
顔を寄せている。
まだ。
生まれたばかり。
なのに。
もう。
この世界の一部だ。
「……」
すると。
ノアが。
突然。
顔を上げた。
『お兄ちゃん』
「どうした?」
『お腹』
「お腹?」
『すいた』
「……」
一瞬。
みんなが。
固まった。
そして。
アリアが。
吹き出した。
「ふふっ」
「……」
ユウトも。
笑う。
「生まれたばっかりなのに」
「もう腹減るのか」
『うん』
「そりゃ」
俺も。
笑ってしまう。
「生きてるな」
ノアは。
嬉しそうに。
笑った。
『生きてる』
その言葉。
それだけで。
胸が。
いっぱいになった。
「じゃあ」
俺は。
立ち上がる。
「まず」
「ご飯だ」
カインが。
拳を上げる。
「賛成!」
「お前も?」
「もちろん!」
ミアも。
笑う。
「何を食べる?」
「この世界には」
「まだ食べ物がないぞ」
セリアが。
指摘する。
「……」
全員が。
黙った。
カインが。
小さく。
呟く。
「……作ろう」
「そうだな」
俺は。
頷く。
世界は。
まだ。
始まったばかり。
だから。
食べ物も。
家も。
町も。
道路も。
何もない。
なら。
一つずつ。
作ればいい。
誰か一人が。
全部作るんじゃない。
みんなで。
必要なものを。
作っていく。
それが。
この世界の。
最初の暮らしになる。
「まず」
アリアが。
言った。
「家」
「うん」
「次に」
セリア。
「畑」
「水も必要」
ユナ。
「森」
ハル。
「遊ぶ場所!」
ミライ。
「学校」
エレナ。
「知識を残す場所」
ルナ。
「お祭り!」
「……」
みんなが。
次々と。
言っていく。
俺は。
笑った。
「じゃあ」
「全部作ろう」
その時。
ユラが。
不思議そうに。
尋ねた。
「私も?」
「ああ」
「何を作ればいい?」
俺は。
少し。
考えた。
「終わりを」
「……?」
「ちゃんと」
「終われる場所」
ユラは。
首を傾げる。
「終われる場所?」
「ああ」
「死んだら」
「そこへ行く?」
「……」
難しい。
言葉だった。
けれど。
俺は。
続ける。
「終わりを」
「怖いだけのものに」
「したくない」
「……」
「だから」
「最後に」
「帰れる場所が」
「ある世界にしたい」
ユラは。
しばらく。
黙っていた。
そして。
笑った。
「分かった」
「じゃあ」
「私は」
「帰る場所を作る」
「うん」
ユラの黒い光が。
大地へ。
落ちる。
すると。
世界の果てに。
小さな丘が。
生まれた。
その丘には。
白い花が。
一輪。
咲いた。
「……」
ユラは。
その花を見る。
「ここ」
「私の場所」
「いいな」
俺は。
笑った。
「いつか」
「みんなが」
「ここへ来るかもしれない」
「うん」
「でも」
ユラは。
少しだけ。
寂しそうに。
言った。
「私は」
「一人で」
「待つの?」
「……」
俺は。
すぐに。
答えた。
「いや」
「みんなで」
「来る」
「……」
「終わりは」
「一人で迎えるものじゃない」
「……」
ユラの目から。
一粒。
涙が。
落ちた。
「……うん」
「それがいい」
その時。
世界樹が。
また。
光った。
――ドクン。
今度は。
新しい文字。
『第五原則――終焉』
その下に。
もう一行。
『終わりは、存在の否定ではない』
「……」
俺は。
その言葉を。
ゆっくり。
読んだ。
終わること。
それは。
消えることではない。
生きたこと。
愛したこと。
誰かと過ごしたこと。
それらを。
無かったことには。
しない。
終わりは。
その人生が。
存在した証でもある。
「……」
俺は。
ノアを。
抱き直す。
「なあ」
ノアが。
俺を見る。
「いつか」
「この世界も」
「終わる」
『うん』
「俺たちも」
「いつか」
「終わる」
『……』
「でも」
俺は。
笑った。
「だからこそ」
「今」
「生きよう」
『うん』
ノアが。
小さな手を。
俺の指に。
絡める。
「……」
その瞬間。
遠くから。
声がした。
『レオン』
「……?」
振り返る。
世界樹の下。
一人の少年が。
立っていた。
黒い髪。
赤い瞳。
十歳くらい。
見覚えがある。
「……お前」
少年は。
笑う。
「久しぶり」
俺の胸の中で。
何かが。
大きく。
揺れた。
「……ユウト?」
ユウトが。
俺の隣で。
息を呑む。
「兄ちゃん……?」
少年は。
首を横に振った。
「違う」
「……」
「僕は」
「ユウトじゃない」
「じゃあ」
「誰?」
少年は。
少し。
困ったように。
笑った。
「まだ」
「名前がない」
「……」
「でも」
少年は。
俺たちを。
見渡した。
「僕も」
「この世界で」
「生きてみたい」
俺は。
驚いた。
「……」
また。
新しい命。
また。
名前を持たない存在。
けれど。
今度は。
一つだけ。
違った。
その少年は。
俺を見ると。
こう言った。
「僕は」
「君の」
「最初の敵になる」
「……!」
空気が。
凍った。
アリアが。
剣に手をかける。
観測者が。
目を細める。
原初が。
顔を上げる。
「……ありえない」
「何が?」
俺が。
聞く。
原初は。
少年を見つめる。
「この世界には」
「敵という概念を」
「まだ」
「作っていない」
「……」
少年が。
笑う。
「だから」
「僕が」
「最初になる」
そして。
少年の胸から。
真っ黒な光が。
溢れ出した。
世界樹が。
激しく揺れる。
「レオン!」
アリアが。
叫ぶ。
俺は。
ノアを。
抱いたまま。
少年を見る。
「お前」
「何者だ?」
少年は。
笑った。
「まだ」
「決まってないよ」
そして。
一歩。
前へ出る。
「だから」
「僕の名前も」
「僕の未来も」
「君たちが」
「決めて」
「……」
その言葉に。
俺は。
気づいた。
この世界には。
まだ。
「敵」という未来すら。
決まっていない。
だったら。
目の前の少年が。
本当に敵になるのか。
それとも。
別の未来を。
選ぶのか。
それすら。
まだ。
分からない。
少年は。
俺に手を差し出す。
「さあ」
「レオン」
「僕を」
「どうする?」
俺は。
その手を見る。
そして。
ゆっくり。
笑った。
「……それを」
「お前自身が」
「選ぶんだよ」
少年の目が。
大きく開いた。
「……え?」
「敵になるか」
「仲間になるか」
「それとも」
「そのどちらでもないか」
俺は。
手を伸ばす。
「お前が」
「決めろ」
少年の手と。
俺の手が。
触れる。
その瞬間。
世界樹の上空に。
新しい文字が。
浮かび上がった。
『第六原則――他者選択の禁止』
そして。
その下に。
さらに。
一行。
『他者の未来を、本人の意思なく決定してはならない』
少年は。
その文字を。
見上げる。
「……」
そして。
初めて。
泣いた。
「……そんな世界」
「本当に」
「作れるの?」
俺は。
頷いた。
「ああ」
「一緒に」
「作ろう」
少年は。
涙を拭う。
そして。
小さく。
笑った。
「……うん」
けれど。
その瞬間。
世界の外側で。
誰かが。
呟いた。
『――違う』
「……?」
誰も。
気づかなかった。
俺たちを。
世界の外から。
見つめる。
巨大な何か。
それは。
まだ。
名前を持たない。
姿も。
ない。
ただ。
一つの意思だけが。
あった。
『選ばない世界など』
『認めない』
『世界とは』
『必ず』
『誰かが』
『誰かを』
『選ぶものだ』
そして。
その存在が。
初めて。
こちらへ。
手を伸ばした。
『ならば』
『この世界で』
『最初に』
『選ばれるのは』
『――私だ』
世界の外側から。
巨大な亀裂が。
開く。
俺たちの知らないところで。
新たな「選択」が。
始まろうとしていた。




