第74話 まだ生まれていない一人
「……今度は」
「私を」
「忘れないでね」
扉の向こうから。
聞こえた声。
俺は。
しばらく。
動けなかった。
「……誰?」
ようやく。
それだけを口にする。
返事はない。
ただ。
扉の向こうから。
小さな気配がする。
生きている。
確かに。
誰かが。
そこにいる。
「レオン」
アリアが。
俺の隣に立った。
「開ける?」
「……」
俺は。
扉を見る。
そして。
小さく。
頷いた。
「うん」
手を。
ドアノブへ。
伸ばす。
その瞬間。
俺の胸の光が。
四つ。
同時に輝いた。
――ドクン。
「……!」
世界樹の葉が。
一斉に揺れる。
風なんて。
吹いていない。
なのに。
まるで。
世界そのものが。
息をしたようだった。
「レオン」
ユウトが。
少し不安そうに。
俺を見る。
「大丈夫?」
「ああ」
俺は。
笑った。
「今度こそ」
「ちゃんと」
「会いに行こう」
ドアノブを。
回す。
――カチャ。
扉が。
開いた。
「……」
そこには。
何もなかった。
「……?」
部屋。
ベッド。
机。
椅子。
窓。
普通の部屋。
けれど。
誰もいない。
「さっき」
確かに。
声がした。
ミアが。
部屋の中へ入る。
「誰もいないよ?」
「……」
俺も。
中へ入る。
部屋の奥に。
小さな揺りかごがあった。
白い布が。
かかっている。
「……」
俺の足が。
止まった。
揺りかご。
それを見た瞬間。
胸の奥が。
妙に。
温かくなった。
「赤ちゃん?」
ミアが。
近づく。
俺も。
ゆっくり。
近づいた。
布を。
少しだけ。
めくる。
――そこには。
何もなかった。
「……」
空っぽ。
ただ。
小さな毛布が。
置かれているだけ。
そして。
毛布の上に。
一枚の紙。
俺は。
それを拾う。
書かれていたのは。
一言だけ。
『まだ』
「……まだ?」
ユウトが。
覗き込む。
その時。
――ふわっ。
毛布が。
一瞬だけ。
光った。
「……!」
光の中に。
映像が浮かぶ。
小さな赤ん坊。
女の子。
白い髪。
そして。
俺と同じ赤い瞳。
「……!」
アリアが。
息を呑む。
「女の子……」
映像の中の赤ん坊は。
誰かに。
抱かれている。
その腕。
その服。
「……」
俺は。
目を見開いた。
抱いているのは。
俺だった。
「俺……?」
未来の俺。
その腕の中で。
赤ん坊が。
笑っている。
『お父さん』
小さな声。
「……!」
俺の心臓が。
大きく鳴った。
――ドクン。
映像が。
消える。
「……今の」
セリアが。
呟く。
「未来?」
俺は。
答えられなかった。
ただ。
揺りかごを。
見つめている。
「俺に」
「娘が……?」
「でも」
ユウトが。
首を傾げる。
「兄ちゃん」
「ああ」
「誰と?」
「……」
「そこ」
「重要じゃない?」
「お前な……」
思わず。
苦笑した。
でも。
確かに。
そうだ。
誰と生まれる未来なのか。
それすら。
まだ。
決まっていない。
だから。
この子も。
決まっていない。
「……」
俺は。
もう一度。
紙を見る。
『まだ』
たった二文字。
けれど。
その意味が。
少しずつ。
分かってきた。
この子は。
存在しないんじゃない。
消えたわけでもない。
まだ。
生まれる条件が。
揃っていない。
「だったら」
俺は。
紙を握る。
「どうして」
「俺を」
「知ってるんだ?」
誰も。
答えない。
その時。
部屋の奥から。
声がした。
「未来だから」
「……!」
振り返る。
そこに。
ミライが立っていた。
「ミライ?」
ミライは。
揺りかごを見る。
「未来は」
「まだ起きていないことを」
「知ってるわけじゃない」
「……」
「ただ」
「可能性として」
「存在している」
「じゃあ」
俺は。
尋ねる。
「この子も?」
「うん」
「この子は」
「今」
「何?」
ミライは。
少しだけ。
考えた。
「可能性」
「……」
「でも」
「普通の可能性とは」
「違う」
「何が?」
ミライは。
俺を見る。
「この子には」
「もう」
「未来がある」
「……?」
「生まれる前から」
「帰る場所が」
「決まってる」
俺は。
驚いた。
「どこ?」
ミライは。
静かに。
答えた。
「あなたたちのところ」
「……」
「だから」
「この子は」
「ずっと」
「ここで」
「待ってる」
俺は。
揺りかごを見る。
「……」
誰もいない。
なのに。
なぜか。
そこに。
誰かがいる気がする。
小さな命。
まだ。
形になっていない命。
俺は。
手を伸ばす。
揺りかごに。
触れた。
――トクン。
小さな鼓動。
「……!」
確かに。
聞こえた。
一度。
二度。
三度。
「いる」
俺は。
呟く。
「この子」
「いる」
ユウトも。
揺りかごへ。
手を置く。
「うん」
「いるね」
その瞬間。
世界樹が。
大きく揺れた。
――ゴォォォ……。
窓の外を見る。
空に。
新しい文字が浮かぶ。
『未誕生――確認』
そして。
その下に。
もう一つ。
『条件――未成立』
「条件?」
エレナが。
空を見上げる。
「何の条件?」
文字が。
さらに。
変化する。
『三つの条件が必要です』
「三つ……」
一つ目。
文字が浮かぶ。
『命を迎える場所』
二つ目。
『その命を望む者』
三つ目。
『その命自身の選択』
「……」
俺は。
しばらく。
何も言えなかった。
「一つ目は」
アリアが。
言う。
「ここじゃない?」
俺は。
頷く。
「この世界が」
「その子の」
「帰る場所になる」
「二つ目は」
ユウトが。
俺を見る。
「兄ちゃんと」
「……」
アリアが。
少しだけ。
顔を赤くする。
「……そういうこと?」
俺も。
顔が熱くなる。
「いや」
「まだ決まってないだろ」
「ふふっ」
アリアが。
笑う。
「そうだね」
三つ目。
俺たちは。
揺りかごを見る。
「その子自身の」
「選択……」
俺は。
呟いた。
すると。
部屋の奥から。
小さな声。
『……私』
「……!」
また。
声がした。
今度は。
はっきり。
『私が』
『選ぶの?』
俺は。
揺りかごを見る。
「うん」
『何を?』
「生まれるかどうか」
『……』
沈黙。
『怖い』
「……」
『生まれたら』
『嬉しいこともある?』
「ああ」
『悲しいことも?』
「ああ」
『痛いことも?』
「ある」
『寂しいことも?』
「……ある」
『じゃあ』
声が。
少し。
震える。
『どうして』
『生まれるの?』
俺は。
すぐに。
答えられなかった。
簡単な答えなんて。
ない。
生きれば。
傷つく。
失う。
悲しむ。
それでも。
生きているから。
出会える。
笑える。
誰かを好きになれる。
そして。
明日を。
選べる。
「……分からない」
俺は。
正直に。
答えた。
『……』
「俺も」
「生きてきたけど」
「今でも」
「分からない」
『じゃあ』
「うん」
『生まれない方が』
『いいの?』
俺は。
首を横に振った。
「それも」
「君が決めることだ」
『……』
「俺たちが」
「生まれてほしいと」
「思うことはできる」
「でも」
「決めるのは」
「君自身だ」
長い沈黙。
そして。
小さな声。
『……』
『私』
『生まれてみたい』
「……!」
アリアが。
息を呑む。
『怖いけど』
『知らないこと』
『いっぱいあるけど』
『みんなと』
『会ってみたい』
俺は。
目を閉じた。
「うん」
「待ってる」
『……』
「でも」
「急がなくていい」
「君が」
「生まれる準備ができたら」
「その時でいい」
『……うん』
すると。
揺りかごの中に。
小さな光が。
生まれた。
それは。
まだ。
赤ん坊の形ではない。
ただ。
小さな光。
けれど。
確かに。
命の光だった。
そして。
その光が。
世界樹へ。
吸い込まれていく。
――ドクン。
世界樹の枝に。
新しい実が。
一つ。
生まれた。
「……」
その実は。
今までのものとは。
違っていた。
黒くもない。
白くもない。
七色に。
淡く。
輝いている。
「……果実」
ユナが。
呟く。
原初が。
静かに。
言った。
「これは」
「命の実だ」
「……」
「この実が」
「熟した時」
「一つの命が」
「生まれる」
「じゃあ」
俺は。
木を見る。
「それまで」
「待てばいいんだな」
「そう」
原初が。
頷く。
「だが」
その声が。
少し。
重くなる。
「問題がある」
「何?」
原初が。
空を指す。
そこに。
一つの亀裂。
黒い亀裂が。
浮かんでいた。
「この世界は」
「まだ」
「完全ではない」
「……」
「命が」
「生まれる前に」
「外部から」
「干渉される可能性がある」
観測者が。
顔を強張らせる。
「まさか」
「また?」
俺は。
拳を握る。
「誰かが」
「この世界を」
「狙ってる?」
原初は。
答えない。
代わりに。
亀裂の向こうから。
声がした。
『――その通り』
「……!」
全員が。
振り返る。
亀裂が。
ゆっくり。
開く。
そこから。
一人の男が。
姿を現した。
白い服。
銀色の髪。
赤い瞳。
見覚えのある姿。
「……!」
あの。
第67話で現れた。
謎の男。
だが。
今は。
表情が違う。
笑っている。
「久しぶりだね」
俺は。
剣を抜いた。
「お前」
「何者なんだ?」
男は。
俺を見る。
「ようやく」
「そこまで来たか」
「……」
「なら」
男は。
世界樹の実を見る。
「説明しよう」
「何を?」
「君たちが」
「今」
「作っている世界が」
「なぜ」
「これほど危険なのか」
男は。
空を見上げる。
「この世界には」
「一つだけ」
「足りないものがある」
「……」
「何だ?」
男が。
笑った。
「終わりだよ」
「……終わり?」
「始まりだけがあり」
「未来だけがあり」
「可能性だけがある」
男は。
俺を見る。
「そんな世界は」
「永遠に」
「完成しない」
「……」
「だから」
男が。
指を鳴らす。
世界の彼方で。
巨大な鐘の音が。
響いた。
――ゴォォォン。
「今から」
男は。
告げる。
「この世界に」
「初めての」
「終わりを」
「与える」
「やめろ!」
俺は。
走り出した。
だが。
遅かった。
世界樹の実が。
一瞬。
黒く染まる。
「――っ!」
俺の胸が。
激しく痛む。
『レオン……』
まだ生まれていない。
小さな命の声が。
聞こえる。
『怖い……』
「大丈夫だ!」
俺は。
世界樹へ。
手を伸ばす。
「絶対に」
「守る!」
だが。
男が。
静かに。
笑った。
「守る?」
「……」
「違う」
「この子を」
「守ることができるのは」
「君じゃない」
「……何?」
男が。
実を指差す。
「この子自身だ」
その瞬間。
実の中から。
小さな声が。
響いた。
『……私』
『自分で』
『選ぶ』
黒い亀裂が。
一気に。
広がった。
世界全体が。
闇に包まれる。
そして。
世界樹の実から。
一筋の光が。
空へ。
伸びていく。
俺は。
その光を。
見つめた。
「……」
そこに。
一つの姿が。
浮かび上がった。
まだ。
生まれていない。
まだ。
名前すらない。
それでも。
確かに。
笑っている。
そして。
俺たちへ。
小さな手を伸ばした。
『――お兄ちゃん』
「……!」
俺は。
息を呑んだ。
その声は。
確かに。
俺を。
「お兄ちゃん」と呼んだ。
けれど。
次の瞬間。
男が。
静かに。
告げる。
「その未来を」
「選ぶなら」
「君たちは」
「一つだけ」
「失うことになる」
「……」
「さあ」
男が。
手を差し出す。
「今度こそ」
「選んでみろ」
「この子を」
「生まれさせる未来か」
「それとも――」
男の背後に。
もう一つの門が。
開く。
そこには。
何もない。
完全な無。
「――この世界そのものを」
「完成させる未来か」
俺は。
拳を握った。
また。
二つ。
また。
選択を迫られる。
けれど。
俺は。
知っている。
もう。
昔の俺じゃない。
俺は。
ゆっくり。
笑った。
「……悪いな」
男の目が。
細くなる。
「何?」
俺は。
世界樹を見る。
みんなを見る。
そして。
まだ生まれていない。
小さな命を見る。
「その二つ」
「どっちも」
「選ばない」
男が。
初めて。
驚いた顔をした。
「……何?」
俺は。
一歩。
前へ出る。
「世界が」
「完成する未来も」
「この子が」
「生まれる未来も」
「――両方作る」
世界樹が。
光り輝く。
そして。
実の中から。
小さな声が。
響いた。
『うん』
『私も』
『一緒に』
その瞬間。
世界の空に。
新しい文字が。
浮かび上がった。
『第零の選択――第四段階』
『未来を一つにしない』
――そして。
世界樹の実が。
ゆっくりと。
割れ始めた。




