第71話 第零の門
――ギィィィ……。
第零の門が。
ゆっくりと。
開いていく。
けれど。
その向こうには。
何もなかった。
光もない。
闇もない。
空もない。
大地もない。
音すらない。
「……」
俺は。
門の前に立ったまま。
動けなかった。
原初が。
隣で。
息を呑む。
「あり得ない……」
「原初?」
「ここは」
原初が。
震える声で言う。
「世界が生まれるより前」
「……」
「いや」
「正確には」
原初は。
第零の門を見つめる。
「世界という概念そのものが」
「生まれる前だ」
「そんな場所が」
「まだ存在してるのか?」
「存在している」
答えたのは。
ルナだった。
俺は。
ルナを見る。
白い髪。
白い服。
小さな身体。
けれど。
その瞳には。
どこか。
遠い記憶が宿っている。
「どうして分かる?」
俺が聞く。
ルナは。
少し考えてから。
答えた。
「……懐かしいから」
「懐かしい?」
「うん」
ルナは。
門を見る。
「私は」
「ここから」
「始まったから」
「……」
俺は。
息を止めた。
「ルナが?」
「うん」
「この門の向こうから?」
「たぶん」
ルナ自身も。
自信がなさそうだった。
「まだ」
「名前もなかった頃」
「私は」
「ここにいた」
「……」
「何もなかった」
「誰もいなかった」
「だから」
「私は」
「一人だった」
俺は。
以前聞いた話を思い出した。
ルナは。
世界より前に存在した。
何もない場所で。
孤独だった。
だから。
最初の光を作った。
命を作った。
世界を作った。
そして。
最後に。
願いを作った。
「じゃあ」
俺は。
第零の門を見る。
「この向こうに」
「ルナがいた頃の世界があるのか?」
ルナは。
首を横に振った。
「違う」
「……?」
「世界ですらない」
「じゃあ」
「ここは」
ルナが。
静かに答える。
「私が」
「願いを作る前」
「その場所」
「……」
「だから」
ルナが。
俺を見る。
「レオンの」
「最初の願いより」
「もっと前」
「そして」
「私の最初の願いよりも」
「もっと前」
俺は。
門を見る。
「……何がある?」
ルナは。
答えなかった。
その代わり。
一歩。
前へ進んだ。
「ルナ」
「大丈夫」
振り返る。
「怖くないのか?」
「怖いよ」
「……」
「でも」
ルナは。
笑った。
「今は」
「一人じゃないから」
その言葉に。
俺は。
頷いた。
「行こう」
「うん」
俺たちは。
第零の門をくぐった。
――瞬間。
音が。
消えた。
「……!」
誰かが。
叫んだはずなのに。
聞こえない。
アリアが。
俺の手を握った。
その感触だけは。
ある。
ユウトも。
セリアも。
みんなも。
そこにいる。
けれど。
声がない。
視界も。
おかしい。
遠くに。
何かが見える。
小さな光。
一つだけ。
それ以外には。
何もない。
俺は。
光へ向かって。
歩いた。
一歩。
また一歩。
すると。
突然。
頭の中に。
映像が流れ込んできた。
――何もない。
本当に。
何もない。
世界も。
時間も。
命も。
存在しない。
ただ。
一つの意識だけが。
そこにいる。
孤独。
果てしない。
永遠の孤独。
そして。
その意識が。
初めて。
考えた。
『誰かと』
『一緒にいたい』
――その瞬間。
小さな光が。
生まれた。
「……」
俺は。
その光景を。
見つめていた。
光は。
少しずつ。
大きくなる。
そして。
光の中から。
小さな存在が。
生まれる。
それが。
ルナだった。
「……」
俺の隣にいる。
今のルナとは。
少し違う。
もっと。
小さくて。
もっと。
何も知らなくて。
ただ。
光を見つめている。
そして。
その光へ。
手を伸ばす。
『誰か』
『いる?』
もちろん。
返事はない。
ルナは。
泣かなかった。
ただ。
ずっと。
待っていた。
「……」
俺の胸が。
痛くなった。
やがて。
ルナは。
光を増やしていく。
一つ。
二つ。
三つ。
無数。
それぞれが。
違う色を持っている。
そして。
その光から。
世界が生まれる。
森。
海。
空。
星。
命。
人。
「……」
俺は。
気づいた。
世界を作った理由。
願いを作った理由。
全部。
同じだった。
孤独だったから。
誰かと。
一緒にいたかったから。
『一緒にいたい』
それが。
最初の願い。
俺が。
ずっと。
「自分だけの願い」だと。
思っていたもの。
実は。
もっと古い場所から。
始まっていた。
その時。
別の光が。
生まれた。
今までとは。
違う。
黒い光。
「……?」
黒い光は。
他の光から。
離れている。
まるで。
誰かが。
そこだけを。
避けているように。
ルナが。
その光を見る。
『あなたは』
『誰?』
黒い光は。
答えない。
ただ。
揺れている。
『一緒に』
『遊ぶ?』
ルナが。
手を伸ばす。
その瞬間。
黒い光が。
逃げた。
「……」
ルナは。
追わなかった。
ただ。
寂しそうに。
見つめていた。
そして。
世界が。
作られていく。
黒い光だけが。
残った。
――ずっと。
ずっと。
そのまま。
俺は。
その光景を。
見ながら。
思った。
「あれは……」
誰かが。
答えた。
『選ばれなかった』
「……!」
背後から。
声。
振り返る。
そこに。
あの黒髪の少女が。
立っていた。
「君……」
少女は。
静かに。
黒い光を見る。
「あれが」
「私」
「……!」
「正確には」
少女が。
胸に手を当てる。
「私たち」
「……?」
「あの光から」
「たくさんの未来が」
「生まれた」
「でも」
「最初の世界が」
「一つの形を選んだ時」
「他の未来は」
「捨てられた」
俺は。
黒い光を見る。
「それが」
「未選択の未来?」
「うん」
「じゃあ」
俺は。
少女を見る。
「君は」
「最初の世界が」
「選ばなかった未来の一つ?」
少女は。
首を横に振った。
「違う」
「……?」
「私は」
「もっと前」
「最初の世界が」
「生まれる前に」
「消えた未来」
「……」
「だから」
「誰にも」
「選ばれなかった」
「最初から」
「選択肢にすら」
「入らなかった」
俺は。
言葉を失った。
「そんな未来が」
「存在できるのか?」
「だから」
少女は。
笑った。
「存在できなかった」
「……」
「ずっと」
「存在しないまま」
「でも」
少女は。
俺を見る。
「レオンが」
「世界の外へ出た」
「全部の未来を」
「消さないと決めた」
「その時」
「私たちは」
「初めて」
「存在していいと」
「言われた」
「……」
俺は。
拳を握った。
「だから」
「迎えに来てって」
「言ったのか?」
「うん」
「……」
少女は。
俺の隣へ。
歩いてくる。
「私は」
「自分から」
「世界へ行けない」
「どうして?」
「存在していなかったから」
「……」
「でも」
少女は。
俺の手を見る。
「誰かが」
「私を」
「迎えに来てくれたら」
「私は」
「未来になれる」
俺は。
手を伸ばした。
少女の手を。
握る。
温かい。
確かに。
存在している。
「じゃあ」
俺は。
言った。
「もう」
「未来だ」
少女は。
驚いた顔をした。
「……え?」
「俺が」
「君を見つけた」
「……」
「君が」
「ここにいる」
「だから」
「もう」
「存在しないなんて」
「言わせない」
少女の目から。
涙が落ちた。
「……」
その瞬間。
黒い光が。
大きく輝いた。
そして。
俺たちの前に。
一つの景色が。
現れた。
病院。
白い天井。
小さなベッド。
そこに。
赤ん坊がいる。
「……」
ユウトが。
その景色を見る。
「これ……」
俺も。
見覚えがあった。
最初の世界。
俺が。
ユウトを救おうとした。
あの病院。
けれど。
そこには。
もう一人。
赤ん坊がいた。
「……誰?」
アリアが。
呟く。
赤ん坊の隣に。
小さな札がある。
そこに。
名前が書かれている。
けれど。
文字が。
読めない。
まるで。
まだ。
名前そのものが。
決まっていないように。
そして。
その赤ん坊を。
若い母さんが。
抱き上げる。
母さんが。
笑っている。
その隣には。
父さん。
そして。
まだ幼い。
俺。
さらに。
ベッドの上には。
ユウト。
「……」
俺は。
震えた。
「四人じゃない」
「……?」
「違う」
俺は。
画面を見つめる。
「五人だ」
そこには。
確かに。
もう一人。
赤ん坊がいる。
俺と。
ユウトの。
間に生まれるはずだった。
家族。
「……」
俺は。
思い出せない。
当然だ。
存在しなかった。
最初の願いより。
前に。
消えた未来。
だから。
俺の記憶には。
残っていない。
「この子……」
ユウトが。
呟く。
「俺たちの」
「妹?」
少女が。
頷く。
「そう」
「……」
「この子は」
「あなたたちの家族になるはずだった」
俺は。
映像から。
目を離せなかった。
「でも」
「なぜ」
「消えた?」
少女は。
答える。
「最初の願い」
「……」
「レオンが」
「ユウトを助けてほしいと」
「願った時」
「その願いは」
「一つの未来だけを」
「強く選んだ」
「……」
「その結果」
「他の可能性が」
「切り捨てられた」
「その中に」
「この子もいた」
俺は。
唇を噛んだ。
「……俺が」
「違う」
少女が。
首を振る。
「あなたのせいじゃない」
「……」
「最初の願いには」
「そんな仕組みなんて」
「なかった」
「……」
「願うこと自体は」
「悪くない」
「ただ」
少女は。
俺を見る。
「願いを叶える方法を」
「世界が」
「一つしか知らなかった」
俺は。
黙った。
そして。
映像の赤ん坊を見る。
小さな手。
小さな顔。
まだ。
何も知らない。
何も選べない。
それでも。
確かに。
生きていた。
「……」
俺は。
手を伸ばす。
触れられない。
映像だから。
それでも。
「ごめん」
俺は。
呟いた。
すると。
赤ん坊が。
こちらを向いた。
「……!」
笑った。
俺に。
向かって。
小さく。
手を伸ばした。
俺は。
泣いた。
「……」
ユウトが。
俺の肩に。
手を置く。
「兄ちゃん」
「ああ」
「俺」
「この子」
「会えてよかったと思う」
「……」
「だって」
「兄ちゃんが」
「見つけてくれたから」
俺は。
頷いた。
「うん」
その時。
黒い光が。
ゆっくり。
こちらへ。
近づいてきた。
そして。
俺の胸へ。
入ろうとする。
「……!」
俺は。
思わず。
身構えた。
しかし。
少女が。
首を横に振った。
「大丈夫」
「これは」
「奪うためじゃない」
「……」
「返すため」
「返す?」
「うん」
黒い光が。
俺の胸へ。
触れた。
――ドクン。
三つの光が。
揺れる。
そして。
新しい光が。
生まれた。
「……四つ目」
エレナが。
驚く。
「違う」
ルナが。
言った。
「これは」
「新しい核じゃない」
「じゃあ?」
ルナは。
微笑む。
「記憶」
「……記憶?」
「うん」
「レオンが」
「忘れていた」
「家族の記憶」
「……」
胸の中に。
映像が流れ込んだ。
幼い俺。
小さなユウト。
そして。
その間にいる。
赤ん坊。
笑う母さん。
父さん。
家族。
何も起こらない。
普通の日々。
その赤ん坊が。
俺の指を握る。
『お兄ちゃん』
俺は。
泣きながら。
笑っている。
『一緒に』
『遊ぼうね』
「……」
俺は。
目を閉じた。
その記憶を。
抱きしめる。
存在しなかった。
でも。
確かに。
あった。
「……ありがとう」
誰に言ったのか。
分からない。
けれど。
言いたかった。
その時。
第零の門が。
突然。
激しく揺れた。
――ゴゴゴゴゴ……!
「何だ!?」
観測者が。
振り返る。
門の向こう。
何もなかったはずの場所に。
巨大な亀裂が。
走る。
そして。
その亀裂から。
黒い影が。
現れた。
「……!」
少女の顔から。
血の気が引く。
「来た……」
「誰が?」
少女は。
震えながら。
答えた。
「最初の願いを」
「一つだけにした」
「存在」
「それを」
「守っていたもの」
「……?」
「名前は」
少女が。
呟く。
「選択者」
その瞬間。
黒い影の中から。
一人の男が。
姿を現した。
白い髪。
黒い瞳。
無表情。
そして。
その胸には。
無数の鍵が。
突き刺さっている。
男が。
俺を見る。
「……レオン」
「……」
「お前は」
「また」
「選ばなかったな」
俺は。
剣を構えた。
「そうだ」
男は。
首を傾げる。
「ならば」
「最後に」
「一つだけ」
「選ばせてやろう」
「……」
男の背後に。
二つの門が。
現れる。
一つには。
『すべての未来を残す』
もう一つには。
『すべての未来を一つにする』
男が。
言った。
「どちらかを選べ」
「……」
俺は。
その二つを見る。
そして。
笑った。
「――三つ目は?」
男の表情が。
初めて。
変わった。
「……何?」
俺は。
剣を下ろす。
「俺たちは」
「もう」
「知ってる」
俺の隣に。
ユウトが立つ。
アリアも。
セリアも。
ハルも。
ルナも。
みんなが。
並ぶ。
俺は。
男を見る。
「選ばない」
「……」
「いや」
「正確には」
俺は。
前へ。
一歩進む。
「その二つ以外の未来を」
「俺たちで作る」
男の瞳が。
赤く光った。
そして。
初めて。
笑った。
「……やはり」
「そう来るか」
男の胸に刺さっていた。
無数の鍵が。
一斉に。
光り始める。
「ならば」
「第零の選択を」
「始めよう」
――世界が。
揺れた。
そして。
俺たちの足元から。
新しい門が。
開いた。
その門に。
刻まれていた文字は――。
『まだ存在しない未来』




