第69話 帰る場所
『レオン』
その声を。
俺は知っている。
何度も聞いた。
何度も。
何度も。
自分自身の声として。
「……俺?」
門の向こうから聞こえた声は。
確かに。
俺の声だった。
けれど。
違う。
俺が今まで知っている。
どの「俺」とも。
少し違っていた。
もっと。
静かで。
疲れていて。
それでも。
どこか優しい。
そんな声だった。
『――今度は』
『俺の番だ』
門が。
ゆっくり開く。
ギィィ……。
その向こうに。
一人の少年が立っていた。
年齢は。
十歳くらい。
黒い髪。
少し長めの前髪。
そして。
俺と同じ目。
「……」
俺は。
言葉を失った。
少年も。
俺を見る。
しばらく。
お互いに。
何も言わなかった。
やがて。
少年が。
笑った。
「久しぶり」
「……」
「兄ちゃん」
「……ユウト?」
俺の口から。
その名前が出た。
少年は。
首を横に振る。
「違うよ」
「……」
「俺は」
「ユウトじゃない」
「じゃあ」
「誰だ?」
少年は。
少しだけ。
困った顔をした。
「俺にも」
「分からない」
「……」
「ただ」
少年は。
自分の胸に手を当てる。
「ずっと」
「ここにいた」
「ここ?」
「うん」
「レオンの」
「心の中」
俺の胸が。
ドクンと鳴る。
「……」
少年の姿が。
一瞬だけ。
揺らいだ。
「俺は」
「お前が」
「何度も」
「捨てようとしたもの」
「……?」
「でも」
少年は。
笑った。
「捨てられなかったもの」
俺は。
その言葉を聞いて。
胸が痛くなった。
「……何なんだ?」
「それは」
少年が。
周囲を見る。
新しい世界。
新しい人々。
ソラ。
少女。
仲間たち。
そして。
俺。
「帰る場所」
「……」
「お前が」
「ずっと探してたもの」
俺は。
何も言えなかった。
「俺は」
「世界を救いたかった」
「……」
「みんなを救いたかった」
「……」
「ユウトを助けたかった」
「……」
「でも」
少年が。
笑う。
「本当は」
「それだけじゃなかった」
「……」
「お前は」
「帰りたかったんだ」
「どこへ?」
少年は。
俺を見る。
「最初に」
「笑えた場所へ」
「……」
「最初に」
「誰かと」
「一緒に食べた場所へ」
「……」
「最初に」
「安心して眠れた場所へ」
俺は。
ゆっくり。
目を閉じた。
思い出す。
小さな家。
古い食卓。
ユウトと食べた夕飯。
母さん。
父さん。
そして。
何気ない日々。
特別じゃない。
何も起こらない。
ただ。
普通の毎日。
俺が。
ずっと欲しかったもの。
「……普通に」
俺は。
呟く。
「生きたかった」
少年が。
頷いた。
「うん」
「それが」
「お前の本当の願い」
俺は。
苦笑する。
「……今さら」
「でも」
少年が。
笑う。
「今だから」
「分かったんだよ」
「……」
その瞬間。
背後から。
アリアの声がした。
「レオン」
振り返る。
アリアが。
立っている。
その隣には。
ユウト。
セリア。
カイン。
ノア。
リナ。
セレナ。
ミア。
ユナ。
エレナ。
観測者。
原初。
そして。
ルナ。
みんなが。
俺を見ている。
アリアが。
優しく笑った。
「帰ろう」
「……」
「レオン」
「どこへ?」
アリアは。
少しだけ。
考えて。
答えた。
「私たちが」
「これから」
「帰る場所へ」
「……」
俺の胸が。
熱くなる。
少年が。
俺の前へ。
歩いてくる。
「これで」
「いいんだよ」
「何が?」
「俺は」
「もう」
「必要ない」
「……」
「だって」
少年は。
笑った。
「お前は」
「もう」
「帰る場所を」
「見つけたから」
俺は。
首を横に振った。
「違う」
「……?」
「お前も」
「一緒に来る」
少年が。
目を見開く。
「え?」
「帰る場所を」
「見つけたなら」
「そこに」
「一緒に帰ればいい」
「……」
「俺だけの場所じゃない」
「みんなの場所だ」
少年は。
しばらく。
俺を見ていた。
そして。
泣いた。
「……ずるいよ」
「何が?」
「俺は」
「ずっと」
「それを」
「言ってほしかった」
「……」
「ずっと」
「待ってた」
俺は。
少年の肩に。
手を置いた。
「ごめん」
「……」
「遅くなった」
「ううん」
少年は。
涙を拭った。
「今なら」
「間に合う」
その瞬間。
第三の門が。
大きく輝いた。
『第三の門――成立』
そして。
世界中へ。
光が走った。
新しい世界の。
すべての住人が。
一斉に。
空を見上げる。
その光は。
世界の外へ。
さらに。
遠くへ。
無数の世界へ。
広がっていった。
「……」
観測者が。
空を見る。
「これは」
「どうした?」
「世界同士が」
「帰る場所を」
「共有し始めている」
「共有?」
「どの世界にも」
「帰る場所がある」
「そう認識され始めた」
俺は。
空を見る。
「……」
それは。
不思議な感覚だった。
今まで。
俺たちは。
世界を救おうとしていた。
でも。
今は。
世界そのものが。
誰かの帰る場所を。
守ろうとしている。
その時。
少年が。
俺の隣に立った。
「ねえ」
「ん?」
「俺」
「名前」
「まだないんだ」
「……」
「何て呼べばいい?」
俺は。
少し考えた。
「俺と同じ名前じゃ」
「分かりにくいな」
「うん」
「だったら」
少年は。
笑った。
「自分で決めていい?」
「ああ」
少年は。
空を見上げた。
そして。
少しだけ。
考えて。
「……ハル」
「ハル?」
「うん」
「春みたいに」
「新しい始まりだから」
俺は。
笑った。
「いい名前だ」
「じゃあ」
少年――ハルは。
胸を張った。
「今日から」
「俺は」
「ハル」
「よろしく」
「ああ」
俺は。
その手を握った。
その瞬間。
俺の胸にあった。
三つの光が。
一つ。
強く輝いた。
「……!」
ハルの身体からも。
光が生まれる。
二つの光が。
繋がった。
そして。
その間に。
新しい光が。
浮かぶ。
「これは……」
エレナが。
呟いた。
原初が。
静かに答える。
「新しい概念だ」
「概念?」
「おそらく」
原初は。
光を見る。
「帰還」
「……」
「どこかへ帰るという意味ではない」
「じゃあ?」
「自分が」
「自分でいられる場所へ」
俺は。
ハルを見る。
「……」
それなら。
確かに。
俺たちは。
今まで。
ずっと探していたのかもしれない。
世界。
未来。
願い。
自由。
可能性。
約束。
そして。
帰る場所。
すべて。
繋がっていた。
その時だった。
――ドンッ。
突然。
大地が揺れた。
「……!」
俺たちは。
一斉に。
振り返る。
遠く。
世界樹の向こう。
空が。
真っ黒に染まっている。
「何だ……?」
観測者が。
顔を強張らせる。
「……これは」
「知ってるのか?」
「いや」
観測者は。
首を横に振る。
「知らない」
「だが」
「見たことはある」
「どこで?」
「……」
観測者が。
黙る。
そして。
ゆっくり。
言った。
「私が」
「観測者になる前」
「……?」
「まだ」
「私が」
「ただの存在だった頃」
空に。
巨大な亀裂が。
走った。
――バキッ。
その向こうから。
黒い腕が。
一本。
現れた。
「……!」
さらに。
もう一本。
さらに。
もう一本。
無数の腕が。
世界の外側から。
伸びてくる。
「敵……?」
アリアが。
剣を構える。
だが。
観測者が。
叫んだ。
「違う!」
「え?」
「攻撃ではない!」
「じゃあ何?」
観測者が。
震える声で。
答える。
「――探している」
「何を?」
観測者は。
俺を見る。
「帰る場所を」
「……」
その瞬間。
黒い腕の一本が。
世界樹へ。
伸びてきた。
俺は。
剣を抜く。
「止める!」
だが。
ハルが。
俺の腕を掴んだ。
「待って」
「ハル?」
「この腕」
「……」
「俺」
「知ってる」
「どこで?」
ハルの顔が。
青ざめる。
「ずっと」
「俺の」
「後ろにいた」
「……!」
俺は。
振り返る。
何もない。
でも。
確かに。
感じる。
誰かが。
ずっと。
俺たちを。
見ていた。
そして。
黒い腕の奥から。
声が響いた。
『――帰ろう』
「……」
『レオン』
『ハル』
『ユウト』
『ルナ』
『みんな』
名前を。
全部。
知っている。
『帰ろう』
『本当の場所へ』
「……本当の場所?」
『そう』
声が。
笑う。
『お前たちが』
『世界と呼んでいるものより』
『もっと前』
『もっと深い場所』
『そこがお前たちの』
『本当の帰る場所だ』
俺は。
剣を構える。
「……違う」
『何が?』
「俺たちの帰る場所は」
俺は。
みんなを見る。
アリア。
ユウト。
セリア。
仲間たち。
そして。
ハル。
ルナ。
ソラ。
「俺たちが」
「自分で選ぶ」
『……』
「誰かに」
「決められた場所じゃない」
『……』
「それが」
「俺たちの」
「答えだ」
沈黙。
そして。
黒い腕が。
止まった。
次の瞬間。
世界中に。
一つの声が響いた。
『――ならば』
『選べ』
『本当の帰る場所を』
「……!」
空に。
無数の門が。
一斉に。
現れる。
第一の門。
第二の門。
第三の門。
そして。
まだ存在しなかった。
第四。
第五。
第六。
……。
数え切れないほどの門。
それぞれの門の向こうに。
違う未来が。
見えている。
「……」
アリアが。
息を呑む。
「多すぎる……」
原初が。
呟く。
「世界そのものが」
「選択を」
「迫っている」
観測者が。
首を振る。
「違う」
「……?」
「選択を迫っているのは」
観測者が。
空を見上げる。
「世界ではない」
「では」
俺が。
問いかける。
「誰だ?」
その瞬間。
すべての門が。
同時に。
開いた。
そして。
無数の声が。
一斉に。
響いた。
『――私たちだ』
「……!」
無数の世界。
無数の未来。
無数の命。
そのすべてが。
俺たちに。
問いかけている。
『どこへ帰る?』
『誰と生きる?』
『何を選ぶ?』
『何を望む?』
『そして――』
最後の声だけが。
すべての声を。
掻き消すほど。
大きく響いた。
『――本当に』
『お前は』
『自分の未来を』
『選べるのか?』
俺は。
剣を握り直した。
そして。
ゆっくり。
笑った。
「……選ぶさ」
「俺だけじゃない」
俺は。
みんなを見る。
「みんなで」
「自分たちの未来を」
「選ぶ」
その瞬間。
無数の門の中から。
一つだけ。
光り輝く門が。
現れた。
門に刻まれた文字。
『最初の家』
俺の胸が。
大きく鳴った。
「……」
ユウトが。
俺を見る。
「兄ちゃん」
「ああ」
「帰ろう」
「……」
俺は。
頷いた。
「うん」
だが。
門の向こうに。
見えたものを見て。
俺は。
息を止めた。
そこには。
俺たちの家があった。
昔の家。
懐かしい家。
その玄関の前に。
一人の女性が。
立っている。
「……」
俺は。
その姿を。
見つめる。
忘れるはずがない。
ずっと。
心の奥に。
残っていた。
声。
笑顔。
温もり。
そして。
もう。
会えないと思っていた人。
その女性が。
ゆっくり。
こちらを向いた。
そして。
笑った。
『おかえり』
俺の目から。
涙が。
落ちた。
「……ただいま」




