第68話 選ばれなかった命
――ギィィィ……。
第二の門が。
ゆっくりと開いていく。
その向こうから。
聞こえてくる。
赤ん坊の泣き声。
「……」
俺は。
思わず息を止めた。
小さな声。
けれど。
確かに聞こえる。
――オギャア。
――オギャア。
「赤ちゃん……?」
ミアが。
小さく呟いた。
ユナも。
不安そうに門を見る。
「こんな場所に……?」
「いや」
原初が。
静かに答える。
「ここは」
「場所という概念すら」
「曖昧な場所だ」
「だったら」
俺は。
門の向こうを見る。
「誰がいる?」
返事はない。
ただ。
赤ん坊の泣き声だけが。
続いている。
――オギャア。
――オギャア。
俺は。
一歩。
門の中へ入った。
「レオン」
アリアが。
すぐに続く。
ユウト。
セリア。
カイン。
ノア。
リナ。
セレナ。
ミア。
ユナ。
エレナ。
観測者。
原初。
そして。
ルナ。
全員が。
俺の後ろへ続いた。
門をくぐった瞬間。
空気が変わった。
「……?」
暖かい。
さっきの白い空間とは。
まったく違う。
土の匂い。
草の匂い。
そして。
どこか懐かしい。
「ここ……」
俺は。
周囲を見る。
森。
小さな川。
丘。
遠くには。
家々。
「……村?」
セリアが。
驚いた声を上げる。
「普通の村に見える」
「でも」
観測者が。
周囲を見渡す。
「人間が」
「一人もいない」
「……」
確かに。
家はある。
畑もある。
道もある。
けれど。
誰もいない。
生活の跡だけが。
残っている。
「どうして?」
リナが。
辺りを見回す。
「誰もいないじゃん」
――オギャア。
赤ん坊の声が。
また聞こえた。
俺は。
走り出した。
「レオン!」
アリアたちも。
続く。
声のする方向。
森の奥。
小さな家が一軒。
そこだけ。
明かりが灯っている。
「……」
俺は。
扉の前に立つ。
ノックをする。
コンコン。
返事はない。
もう一度。
コンコン。
すると。
中から。
声がした。
「……入って」
「!」
女の子の声。
幼い。
十歳くらい。
俺は。
扉を開けた。
中には。
一人の少女がいた。
黒い髪。
赤い瞳。
そして。
腕の中には。
赤ん坊。
少女は。
俺を見る。
そして。
驚いた顔をした。
「……来た」
「君は?」
少女は。
赤ん坊を抱いたまま。
答えた。
「私は」
「この子のお姉ちゃん」
「名前は?」
「ない」
「……」
また。
名前のない子。
俺は。
少女を見る。
「この子は?」
少女は。
赤ん坊を見る。
「この子も」
「名前がない」
「どうして?」
少女は。
俯いた。
「誰も」
「名前をつけてくれなかったから」
「……」
「この世界には」
「名前をつける人が」
「いないの」
俺は。
周囲を見る。
「お父さんや」
「お母さんは?」
少女は。
黙った。
そして。
小さく。
首を振った。
「いない」
「……」
「最初から?」
「うん」
「君は」
「どうして一人で?」
少女は。
赤ん坊を抱き直した。
「この子が」
「泣いていたから」
「……」
「だから」
「私が」
「守ってる」
俺は。
赤ん坊を見る。
まだ。
生まれて間もない。
小さな手。
小さな指。
小さな身体。
そして。
必死に。
泣いている。
「……」
ユウトが。
俺の横に立つ。
「兄ちゃん」
「ああ」
「この子」
「何か」
「変だ」
「分かるのか?」
「うん」
ユウトが。
赤ん坊を見る。
「生まれたばかりなのに」
「すごく」
「強い願いを持ってる」
俺も。
感じていた。
この赤ん坊から。
微かな光が。
出ている。
それは。
俺の胸の光と。
よく似ていた。
「……願い」
原初が。
呟く。
「違う」
俺は。
首を横に振る。
「これは」
「もっと前だ」
「もっと前?」
「願いになる前の」
「……」
俺は。
赤ん坊へ。
手を伸ばした。
その瞬間。
赤ん坊が。
泣き止んだ。
「……」
小さな目が。
俺を見る。
そして。
笑った。
「……!」
アリアが。
驚く。
「笑った……」
赤ん坊は。
俺の指を。
小さな手で。
握った。
その瞬間。
――ドクン。
俺の胸が。
強く鳴った。
「……っ」
光が。
広がる。
目の前の景色が。
一瞬。
変わった。
俺は。
見た。
この村が。
生まれる前。
何もない大地。
そこに。
一つの光が。
浮かんでいる。
その光から。
家が生まれ。
森が生まれ。
川が生まれ。
人が生まれていく。
そして。
最後に。
赤ん坊が。
生まれた。
けれど。
赤ん坊が生まれた瞬間。
世界が。
止まった。
「……」
俺は。
その光景を。
見つめる。
誰も。
赤ん坊を抱かない。
誰も。
名前をつけない。
誰も。
祝わない。
赤ん坊は。
ただ。
泣いている。
そして。
世界が。
こう言った。
『この命は』
『選択されませんでした』
「……!」
俺は。
目を開けた。
元の部屋。
赤ん坊。
少女。
みんな。
そこにいる。
「……選択されなかった?」
俺が。
呟く。
少女が。
頷いた。
「この世界では」
「誰も」
「この子を」
「選ばなかった」
「……」
「だから」
「この子は」
「世界から」
「存在しないものにされた」
「……!」
アリアが。
息を呑む。
「そんな……」
「でも」
少女は。
赤ん坊を見る。
「私は」
「この子を」
「選んだ」
「……」
「だから」
「この子は」
「まだ」
「ここにいる」
俺は。
少女を見つめた。
「君は」
「この子を」
「守りたい?」
「うん」
「どうして?」
少女は。
当たり前のように。
答えた。
「だって」
「この子は」
「一人だから」
「……」
その答えに。
俺は。
胸が熱くなった。
それは。
かつての俺と。
同じだった。
誰かを。
失いたくない。
誰かを。
一人にしたくない。
ただ。
それだけ。
「君」
俺は。
少女を見る。
「本当は」
「名前」
「欲しいんじゃないか?」
少女が。
目を見開く。
「……」
「この子にも」
「名前をつけたいんじゃないか?」
少女は。
赤ん坊を見る。
そして。
小さく。
頷いた。
「……うん」
「じゃあ」
俺は。
笑った。
「自分で」
「決めればいい」
「……私が?」
「ああ」
「誰かが決めるんじゃなくて」
「君自身が」
「この子の未来を」
「選ぶんだ」
少女は。
しばらく。
考えていた。
そして。
赤ん坊を見つめる。
「……ソラ」
「ソラ?」
「うん」
少女は。
笑った。
「この子」
「いつも」
「空を見てるから」
俺は。
窓の外を見る。
青い空。
「いい名前だ」
少女は。
初めて。
嬉しそうに笑った。
「……ありがとう」
その瞬間。
赤ん坊――ソラの身体から。
光が溢れた。
「――!」
光は。
家の外へ。
村全体へ。
広がっていく。
誰もいなかった村に。
一人。
また一人。
人影が。
現れ始めた。
「……!」
リナが。
驚く。
「人が!」
家の中から。
人々が。
出てくる。
老人。
子供。
大人。
女性。
男性。
みんな。
ぼんやりしている。
「これは……」
観測者が。
目を見開く。
「存在していなかった人々だ」
「どういうこと?」
「この世界は」
観測者が。
静かに答える。
「選ばれなかった可能性を」
「すべて」
「消していた」
「……」
「だが」
観測者が。
ソラを見る。
「今」
「一人が」
「自分で」
「誰かを選んだ」
「それによって」
「消された未来が」
「戻ってきている」
俺は。
息を呑んだ。
「……」
ソラの小さな手が。
俺の指を。
まだ握っている。
そして。
胸の光が。
強く輝く。
『――選択』
どこからか。
声が響いた。
『一人が』
『誰かを選ぶ』
『その瞬間』
『未来は』
『存在する』
「……」
『だから』
『この世界は』
『選ばれなかった命を』
『消さない』
『すべての未来を』
『可能性として』
『残す』
俺は。
その言葉を聞きながら。
少女を見る。
「君」
「……?」
「この世界で」
「一番最初に」
「誰かを選んだんだな」
少女は。
首を傾げる。
「分からない」
「でも」
「この子を」
「一人にしたくなかった」
「……」
「だから」
俺は。
笑った。
「それが」
「選択なんだよ」
少女は。
少しだけ。
笑った。
その時。
空が。
大きく。
揺れた。
――ゴゴゴゴゴ……。
「……?」
人々が。
空を見る。
青空に。
巨大な文字が浮かぶ。
『第二の門――選択を確認』
その下に。
さらに。
文字が続く。
『未選択未来――解放』
俺は。
目を見開いた。
「……解放?」
次の瞬間。
世界中から。
光が。
空へ昇っていった。
村。
森。
海。
山。
すべての場所から。
無数の光。
その一つ一つが。
誰かの未来だった。
「綺麗……」
セリアが。
呟く。
光は。
世界の外へ。
飛んでいく。
そして。
無数の世界へ。
戻っていく。
俺は。
それを。
ただ。
見つめていた。
自分たちが。
選ばなかった未来。
捨てたと思っていた可能性。
それらは。
消えていなかった。
ずっと。
どこかで。
生きていた。
そして。
今。
帰っていく。
「……」
ユウトが。
笑う。
「兄ちゃん」
「ん?」
「よかったね」
「ああ」
「何が?」
「……」
俺は。
空を見る。
「何も」
「捨てなくてよかった」
その瞬間。
俺の胸の二つの光が。
強く輝いた。
しかし。
次の瞬間。
――ドクン。
もう一つ。
光が。
生まれた。
「……!」
三つ目の光。
俺は。
胸を押さえる。
「何だ……?」
原初が。
驚いた顔をする。
「新しい核ではない」
「じゃあ?」
「これは」
原初が。
静かに。
言った。
「――帰還した未来だ」
「……」
「お前が」
「選ばなかった」
「だが」
「消さなかった未来」
「それが」
「お前の中へ」
「戻ってきた」
俺は。
胸の中の光を見る。
そこには。
一つの光景が。
浮かんでいた。
小さな家。
俺。
ユウト。
アリア。
みんながいる。
そして。
その家の庭で。
一人の少女が。
笑っている。
「……」
俺は。
その少女を見た。
どこか。
見覚えがある。
でも。
誰なのか。
分からない。
すると。
少女が。
こちらを向いた。
『レオン』
「……!」
『また』
『未来で』
『会おうね』
光が。
消える。
「……誰だ?」
俺は。
呟いた。
その瞬間。
背後から。
声がした。
「私だよ」
「……!」
振り返る。
そこに。
一人の少女が。
立っていた。
黒い髪。
赤い瞳。
さっき。
門の向こうで見た少女。
だが。
今は。
笑っている。
「……君」
「うん」
「名前は?」
少女は。
少し考えて。
答えた。
「まだ」
「ない」
「……」
「でも」
少女は。
俺を見る。
「いつか」
「自分で」
「決める」
俺は。
笑った。
「ああ」
「待ってる」
少女も。
笑った。
「うん」
その瞬間。
彼女の姿が。
光へ変わっていく。
「待って」
「大丈夫」
「私は」
「消えない」
「……」
「ただ」
「まだ」
「この世界に」
「居場所がないだけ」
「じゃあ」
俺は。
手を伸ばす。
「居場所を」
「作ればいい」
少女は。
驚いた。
「……いいの?」
「ああ」
「俺たちの世界は」
「誰か一人を」
「排除する世界じゃない」
「……」
「帰る場所がないなら」
「一緒に作ろう」
少女の瞳から。
涙が。
一滴。
落ちた。
「……ありがとう」
光が。
消える。
そして。
最後に。
一つの声が。
聞こえた。
『第三の門』
『準備完了』
「……?」
空間が。
再び。
割れる。
今度は。
世界樹の根元ではない。
村の中心。
そこに。
巨大な門が。
現れた。
門の上には。
文字。
『第三の門――帰る場所』
「……帰る場所?」
俺が。
呟く。
すると。
門の向こうから。
声が聞こえた。
今度は。
赤ん坊ではない。
少女でもない。
聞き覚えのある声。
何度も。
何度も。
聞いた声。
「……」
ユウトが。
俺を見る。
アリアも。
息を呑む。
門の向こうから。
その声が。
もう一度。
聞こえる。
『レオン』
俺は。
動けなかった。
『――今度は』
『俺の番だ』
「……」
それは。
確かに。
聞き覚えのある。
俺自身の声だった。
そして。
門が。
ゆっくり。
開き始めた。




