第64話 最初の世界
――ドクン。
世界樹の頂上で。
黒い実が。
また一度。
脈打った。
「……」
俺は。
足を止めた。
「どうしたの?」
アリアが聞く。
「……今」
俺は。
振り返る。
「何か聞こえなかったか?」
「え?」
全員が。
世界樹を見上げる。
青い空。
白い雲。
揺れる葉。
そして。
その一番高い場所。
そこに。
黒い実が一つ。
実っていた。
「……あんなの」
ユナが。
首を傾げる。
「昨日はなかったよ」
「やっぱり……」
俺は。
目を細める。
エレナも。
黒い実を見ていた。
「……あれ」
「何か分かるのか?」
「分からない」
エレナは。
首を横に振る。
「でも」
「怖い」
「怖い?」
「うん」
エレナが。
胸元を押さえる。
「世界の外側にいた頃」
「私は」
「いろんなものを見てきた」
「でも」
「今のあれは」
「知らない」
「……」
その言葉に。
俺は。
剣の柄へ手を伸ばした。
だが。
原初が。
静かに言った。
「抜く必要はない」
「……どうして?」
「敵ではない」
「じゃあ何なんだ?」
原初は。
しばらく。
世界樹を見上げていた。
「――始まりだ」
「始まり?」
「ああ」
「何の?」
原初は。
俺を見る。
「お前が」
「すべてを変える前の」
「最初の世界」
「……」
俺の胸が。
ざわついた。
「最初の世界って」
「俺がユウトを助けようとした」
「そうだ」
「病院にいた頃の?」
「そうだ」
「でも」
俺は。
首を傾げる。
「あの世界は」
「もう終わったんじゃないのか?」
原初は。
答えなかった。
代わりに。
世界樹が。
大きく揺れた。
――ゴォォォ……。
枝が。
空へ伸びていく。
そして。
黒い実が。
ゆっくりと。
落ちてきた。
「危ない!」
アリアが叫ぶ。
俺は。
反射的に。
手を伸ばした。
黒い実は。
俺の手のひらへ。
静かに落ちた。
「……軽い」
見た目とは違い。
驚くほど軽かった。
まるで。
中に何も入っていないような。
「レオン」
ユウトが。
俺を見る。
「それ」
「ああ」
黒い実の表面に。
文字が浮かんだ。
――第一の世界。
俺は。
息を呑んだ。
「……」
その瞬間。
黒い実が。
割れた。
パキッ。
「――!」
中から。
光が溢れる。
眩しい。
俺は。
思わず目を閉じた。
そして。
次に目を開けた時。
そこには。
一つの風景が。
映っていた。
白い壁。
病室。
ベッド。
窓。
そして。
そのベッドに。
一人の少年が。
横たわっている。
「……ユウト」
俺は。
呟いた。
少年は。
まだ幼い。
顔も。
声も。
記憶にある。
あの日のユウト。
俺が。
最初に救いたいと思った。
弟。
「……」
ユウトが。
隣で。
息を呑んだ。
「俺……?」
「違う」
俺は。
すぐに答えた。
「これは」
「過去だ」
しかし。
原初が。
静かに否定した。
「違う」
「え?」
「これは」
「過去ではない」
原初が。
黒い実を見る。
「可能性だ」
「……」
「最初の世界が」
「別の未来を選んだ場合の世界」
「別の未来?」
「そう」
画面の中。
少年のユウトが。
目を開ける。
「……兄ちゃん」
映像の中の俺が。
ベッドの横に座っている。
幼い俺だ。
「ユウト」
「どうしたの?」
「……怖い」
「大丈夫」
幼い俺が。
笑っている。
「俺がいるから」
「……」
俺は。
その光景を。
じっと見つめていた。
懐かしい。
そして。
少しだけ。
胸が痛い。
あの頃の俺は。
何も知らなかった。
願いが。
世界を変えるなんて。
何度も。
世界が繰り返されるなんて。
自分の願いが。
誰かを傷つけるなんて。
何も。
知らなかった。
映像が。
変わる。
病室。
外。
街。
家。
学校。
春。
夏。
秋。
冬。
季節が。
流れていく。
そして。
病院のベッドにいたユウトが。
少しずつ。
元気になっていく。
「……」
ユウトが。
目を見開く。
「俺」
「生きてる」
「ああ」
「普通に?」
「ああ」
映像の中のユウトは。
笑っていた。
俺も。
笑っていた。
二人で。
帰り道を歩いている。
何もない。
普通の道。
普通の夕方。
普通の会話。
「……」
ユウトが。
俺の隣で。
小さく笑った。
「これ」
「俺が」
「欲しかった未来かもしれない」
「……」
俺は。
頷いた。
「俺も」
すると。
突然。
映像が。
止まった。
「……?」
空が。
黒くなる。
街が。
消える。
人が。
消える。
家が。
消える。
最後に。
俺とユウトだけが。
残った。
「何だ……?」
その瞬間。
映像の中の俺が。
こちらを向いた。
「――え?」
俺は。
息を呑んだ。
映像の中の俺が。
まっすぐ。
俺を見ている。
そして。
口を開いた。
『よう』
「……!」
ユウトも。
目を見開く。
『やっと来たな』
「お前……」
『俺は』
映像の中の俺が。
笑う。
『お前が選ばなかった未来だ』
「……」
『でも』
彼は。
少しだけ。
寂しそうに笑った。
『俺たちは』
『消えたわけじゃない』
『ずっと』
『ここにいた』
黒い実が。
激しく震える。
『百七十二の世界』
『百七十三番目の世界』
『そして』
『その全部から』
『選ばれなかった未来』
『それらは』
『消えるんじゃない』
『どこかに』
『残る』
「……」
俺は。
拳を握った。
「それが」
「この実なのか?」
『違う』
映像の中の俺が。
首を横に振る。
『この実は』
『入口だ』
「入口?」
『そう』
その瞬間。
病室の背景が。
崩れた。
代わりに。
真っ黒な空間が現れる。
無数の光。
無数の世界。
その中心に。
一つの巨大な扉。
「……」
俺は。
息を呑んだ。
扉には。
こう書かれている。
――第一の世界。
しかし。
その下に。
もう一つ。
文字があった。
――未完。
「未完……?」
原初が。
初めて。
明らかに動揺した。
「これは……」
「知ってるのか?」
「いや」
「だが」
原初が。
扉を見つめる。
「存在してはならない」
「……」
「最初の世界は」
「すでに」
「終わったはずだ」
「じゃあ」
俺は。
扉を見る。
「どうして」
「残ってる?」
誰も。
答えられなかった。
その時。
扉の向こうから。
音がした。
――コン。
「……」
――コン。
誰かが。
扉を叩いている。
「誰?」
俺が聞く。
返事はない。
もう一度。
――コン。
俺は。
一歩。
前へ出た。
「レオン!」
アリアが。
俺の腕を掴む。
「待って」
「……」
「それ」
「本当に」
「開けていいの?」
俺は。
答えられなかった。
確かに。
怖い。
世界の外側でさえ。
想像もしなかったもの。
それが。
目の前にある。
でも。
俺には。
分かっていた。
この扉の向こうに。
俺たちが。
まだ知らない何かがある。
そして。
おそらく。
俺が。
ずっと避けていたものが。
待っている。
俺は。
ゆっくり。
手を伸ばした。
「レオン」
ユウトが。
俺の名前を呼ぶ。
俺は。
振り返る。
「大丈夫」
「……」
「今度は」
俺は。
笑う。
「一人じゃないから」
ユウトが。
頷いた。
アリアも。
手を離さなかった。
みんなが。
後ろにいる。
俺は。
扉へ手をかける。
「開けるぞ」
「うん」
「いいよ」
「行こう」
「……」
全員の声。
それを聞いて。
俺は。
扉を開いた。
――ギィィィ……。
中は。
真っ暗だった。
一歩。
入る。
二歩。
入る。
そして。
扉が。
後ろで閉じた。
「……?」
振り返る。
扉が。
ない。
「閉じ込められた?」
カインが。
剣を抜く。
「いや」
俺は。
首を横に振る。
「違う」
「じゃあ?」
俺は。
前を見る。
暗闇の中に。
一つの光が。
浮かんでいた。
その光が。
ゆっくり。
人の形になる。
小さな身体。
黒い髪。
見覚えのある顔。
「……」
俺は。
息を止めた。
そこにいたのは。
幼い頃の。
俺だった。
いや。
違う。
俺だけじゃない。
その隣には。
幼いユウト。
二人が。
手を繋いでいる。
「……兄ちゃん」
ユウトが。
小さく呟いた。
幼い俺が。
こちらを見る。
そして。
笑った。
『遅かったね』
「……」
『ずっと』
『待ってた』
俺は。
言葉が出なかった。
『ここは』
幼い俺が。
言う。
『最初に』
『願いが生まれた場所』
『そして』
その笑顔が。
消える。
『最初に』
『願いが』
『失敗した場所』
「……」
『だから』
幼い俺が。
一歩。
後ろへ下がる。
『ここから先は』
『俺たちだけじゃ』
『進めない』
「……じゃあ」
俺は。
一歩。
前へ出る。
「誰と行くんだ?」
幼い俺は。
指を差した。
その先。
暗闇の奥。
そこには。
一人の人影が。
立っていた。
銀色の髪。
赤い瞳。
黒い服。
「……観測者?」
いや。
違う。
今の観測者は。
俺たちの後ろにいる。
振り返る。
観測者も。
驚いていた。
「……私ではない」
「じゃあ」
再び。
前を見る。
人影が。
ゆっくり。
顔を上げた。
そして。
その姿を見た瞬間。
俺の背筋が。
凍った。
そこにいたのは。
――俺だった。
ただし。
俺が知っている。
どのレオンとも。
違う。
黒い髪。
赤い瞳。
胸には。
十個の鍵。
そして。
その顔には。
一切の感情がなかった。
「……」
そいつが。
俺を見る。
そして。
静かに。
言った。
「――ようやく」
「来たか」
俺は。
剣を握る。
「お前は」
そいつは。
笑った。
「俺だよ」
「……」
「お前が」
「一番最初に」
「捨てた未来だ」
暗闇の奥で。
十個の鍵が。
一斉に。
輝いた。
そして。
世界のどこかで。
何かが。
目を覚ました。




