第56話 第百七十三番目の選択
「――百七十三番目の選択」
その言葉が。
頭の中に。
何度も響いた。
目の前に現れた扉。
その向こうには。
何があるのか。
分からない。
ただ。
一つだけ。
確かなことがあった。
この扉は。
今までのものとは。
違う。
これまで俺たちが見てきた扉は。
過去へ繋がっていた。
願いへ。
記憶へ。
失われた世界へ。
そして。
選ばなかった可能性へ。
だが。
この扉は。
違う。
これは。
未来へ繋がっている。
「……百七十三番目」
セリアが。
小さく呟く。
「百七十二の世界の次」
「そうじゃない」
観測者が。
答えた。
「……え?」
「君たちが考えている百七十三とは」
「世界の数ではない」
男は。
扉を見る。
「選択の数だ」
「……」
「百七十二回」
「君は」
「同じ問いを繰り返した」
「世界を救うために」
「何かを選んだ」
俺は。
黙って聞いていた。
「ある時は」
「弟を」
「ある時は」
「仲間を」
「ある時は」
「世界を」
「ある時は」
「自分自身を」
「そして」
男の赤い瞳が。
俺を見る。
「何度やり直しても」
「最後には」
「誰かが犠牲になった」
「……」
「だから」
「百七十三番目」
男が。
扉に手を置く。
「今度こそ」
「別の選択をする」
「それが」
「この世界の意味だ」
俺は。
ゆっくり。
剣を下ろした。
「……つまり」
「この世界は」
「俺が」
「百七十二回目までに」
「できなかった選択をするための世界?」
「正確には」
「違う」
「何が違う?」
「選択するのは」
「君一人ではない」
「……」
「それが」
「百七十三番目の意味だ」
その瞬間。
アリアが。
一歩前に出た。
「だったら」
「この扉の向こうに」
「私たちの未来があるってこと?」
観測者は。
頷いた。
「そう」
「でも」
「一つだけ」
「条件がある」
「何?」
「扉を開けるには」
「全員が」
「同じ答えを出さなければならない」
「……」
全員が。
顔を見合わせる。
「同じ答え?」
ノアが。
眉をひそめる。
「それって」
「全員が同じ未来を選ぶってこと?」
「そう」
俺は。
首を横に振った。
「無理だ」
「……」
「俺たちは」
「それぞれ違う」
「願いも」
「考え方も」
「守りたいものも」
「全部違う」
「その通り」
観測者は。
笑った。
「だから」
「この扉は」
「簡単には開かない」
「……」
「だが」
「君たちなら」
「開けられるかもしれない」
「なぜ?」
「すでに」
「第四の鍵を」
「手にしているからだ」
俺は。
銀色の鍵を見る。
――約束。
ユウトとの約束。
みんなとの約束。
そして。
自分自身との約束。
「……」
俺は。
扉へ歩いた。
「レオン」
アリアが。
心配そうに。
呼ぶ。
「大丈夫」
俺は。
扉の前に立った。
「一度」
「試してみる」
銀色の鍵を。
鍵穴へ。
差し込む。
――カチッ。
その瞬間。
世界が。
真っ白になった。
---
気がつくと。
俺は。
知らない場所に立っていた。
「……ここは?」
辺り一面。
真っ白。
地面も。
空も。
何もない。
ただ。
遠くに。
一つの椅子がある。
そこに。
誰かが座っていた。
「……俺?」
目を疑った。
椅子に座っていたのは。
俺だった。
いや。
正確には。
俺によく似た少年。
まだ。
十歳くらい。
その少年は。
泣いていた。
「……」
俺は。
近づく。
「おい」
少年が。
顔を上げる。
「……誰?」
「俺だ」
「?」
「お前の」
「未来」
少年は。
首を傾げる。
「未来?」
「ああ」
少年は。
少し考えて。
笑った。
「じゃあ」
「教えて」
「俺」
「大人になったら」
「ユウトを助けられる?」
「……」
俺は。
答えられなかった。
「……」
「ねえ」
「助けられる?」
「……ああ」
俺は。
しゃがんだ。
「助けられる」
少年の顔が。
明るくなる。
「本当?」
「ただ」
「一つだけ」
「何?」
「ユウトを」
「助けることだけを」
「目的にしちゃいけない」
「……?」
「お前自身も」
「生きなきゃいけない」
少年は。
黙った。
そして。
小さな声で。
言った。
「でも」
「ユウトがいない世界なら」
「俺は」
「生きたくない」
胸が。
締め付けられる。
「……そうだよな」
あの頃の俺は。
そうだった。
弟が。
世界の全てだった。
「でも」
俺は。
少年の肩に。
手を置いた。
「それでも」
「生きていいんだ」
「……」
「ユウトがいなくても」
「ユウトと一緒でも」
「どっちでもいい」
「自分で」
「選んでいい」
少年が。
俺を見る。
「選んでいい?」
「ああ」
「じゃあ」
「兄ちゃんと」
「一緒にいたい」
「……」
「ユウトも」
「みんなも」
「一緒がいい」
俺は。
笑った。
「それでいい」
その瞬間。
少年の姿が。
光になった。
そして。
一つの光が。
俺の胸へ。
入ってくる。
――ドクン。
「……」
胸が。
熱い。
同時に。
声が聞こえた。
『第一の選択』
『自分自身を』
『許す』
「……」
『成功』
白い世界が。
崩れていく。
---
次に。
目を開けた時。
俺は。
森の中にいた。
「……」
木々。
風。
鳥の声。
そして。
目の前に。
アリアがいた。
「レオン!」
「アリア?」
彼女は。
俺に駆け寄ってくる。
「よかった……!」
「どうした?」
「突然」
「レオンが」
「消えたから……」
「消えた?」
「うん」
俺は。
周囲を見る。
みんながいる。
セリアも。
セレナも。
ノアも。
エリスも。
カインも。
リナも。
ミアも。
ユナも。
ユウトも。
そして。
もう一人の俺も。
全員。
無事だった。
「……」
だが。
一つだけ。
違う。
観測者が。
いない。
「……あいつは?」
俺が聞く。
セレナが。
首を振る。
「消えました」
「消えた?」
「はい」
「突然」
「まるで」
「最初から」
「存在しなかったように」
俺は。
空を見る。
すると。
雲の間から。
一枚の紙が。
落ちてきた。
俺が。
それを掴む。
そこには。
文字が。
書かれていた。
『第一の選択――完了』
そして。
その下に。
『残り六つ』
「……六つ?」
セリアが。
驚く。
「第四の鍵なのに?」
「たぶん」
俺は。
紙を見る。
「鍵の数じゃない」
「選択の数だ」
「……」
アリアが。
俺を見る。
「あと六回」
「選ばなきゃいけない?」
「ああ」
「でも」
俺は。
紙の裏を見る。
そこには。
もう一行。
文字があった。
『ただし、一つでも間違えれば、全ての選択を最初からやり直す』
「……」
「それ」
カインが。
顔をしかめる。
「かなり厄介じゃないか?」
「そうだな」
「じゃあ」
ユナが。
俺の袖を握る。
「次は?」
「……」
俺は。
前を見る。
森の奥。
そこに。
新しい扉が。
立っていた。
白い扉。
その表面には。
一つの名前。
『アリア』
「……!」
アリアが。
息を呑む。
「私?」
俺は。
扉を見る。
「どうやら」
「次は」
「お前の番らしい」
「……」
アリアは。
しばらく。
扉を見つめていた。
そして。
俺を見る。
「レオン」
「ん?」
「もし」
「私が」
「間違った答えを選んだら」
「……」
「どうする?」
俺は。
迷わず答えた。
「一緒にやり直す」
「でも」
「全て最初からになるんだよ?」
「ああ」
「世界が」
「また危険になるかもしれない」
「ああ」
「それでも?」
「それでも」
俺は。
笑った。
「お前一人に」
「答えを背負わせない」
アリアは。
目を伏せる。
そして。
小さく。
笑った。
「……ありがとう」
彼女は。
扉の前に立った。
白い扉が。
ゆっくり。
開く。
その向こうには。
美しい街が。
広がっていた。
青い空。
白い雲。
人々の笑い声。
平和な世界。
「……綺麗」
アリアが。
呟く。
だが。
俺には。
すぐに。
分かった。
あの世界は。
不自然だ。
綺麗すぎる。
平和すぎる。
何一つ。
壊れていない。
誰も。
泣いていない。
誰も。
苦しんでいない。
そして。
街の中央。
巨大な噴水の前に。
一人の女性が。
立っていた。
銀色の髪。
青い瞳。
その顔は。
アリアと。
同じだった。
「……え?」
アリアが。
固まる。
女性は。
微笑む。
「ようこそ」
「私」
「あなたが」
「選ばなかった未来」
「……!」
アリアの顔から。
血の気が引く。
「私が」
「選ばなかった?」
女性は。
頷く。
「そう」
「あなたが」
「レオンと出会わなかった世界」
「……」
「あなたが」
「戦わなかった世界」
「仲間を」
「失わなかった世界」
「そして」
女性は。
俺を見る。
「レオンが」
「苦しまなかった世界」
「……」
アリアが。
震える。
「そんな世界……」
「存在する」
「……」
「そして」
もう一人のアリアが。
静かに。
手を差し出す。
「ここなら」
「誰も」
「傷つかない」
「……」
「ここなら」
「あなたは」
「幸せになれる」
アリアの目に。
涙が。
浮かんだ。
俺は。
何も言わなかった。
これは。
アリア自身が。
選ぶことだから。
もう一人のアリアが。
言う。
「さあ」
「選んで」
「この世界で」
「永遠に幸せに生きるか」
「それとも」
「レオンと一緒に」
「苦しみのある世界へ」
「戻るか」
アリアが。
俯く。
そして。
ゆっくり。
顔を上げた。
「……」
その目に。
迷いがあった。
俺は。
ただ。
見守った。
彼女の答えを。
奪わないために。
アリアは。
一歩。
前へ。
そして。
もう一人の自分へ。
近づいていく。
「……私は」
声が。
震える。
「ずっと」
「幸せになりたいって」
「思ってた」
もう一人のアリアが。
笑う。
「なら」
「ここに」
「……でも」
アリアは。
首を横に振った。
「ここにある幸せは」
「私が」
「選んだ幸せじゃない」
「……」
「誰かが」
「用意した幸せ」
「だから」
アリアは。
涙を拭った。
「いらない」
「……!」
俺は。
息を呑む。
アリアは。
俺のところへ。
戻ってきた。
「私は」
「レオンと」
「みんなと」
「自分で」
「未来を作りたい」
もう一人のアリアが。
静かに。
目を閉じる。
「……そう」
そして。
その身体が。
光になっていく。
「なら」
「あなたは」
「正しい」
光が。
アリアの胸へ。
吸い込まれる。
同時に。
空に。
文字が浮かんだ。
『第二の選択――完了』
『残り五つ』
「……」
アリアは。
俺を見る。
「レオン」
「ん?」
「これで」
「一つ」
「前に進めたね」
「ああ」
俺は。
笑う。
「あと五つだ」
しかし。
その瞬間。
世界樹が。
大きく。
揺れた。
――ドン。
「……?」
もう一度。
――ドン。
そして。
三度目。
――ドォォォン!!
世界樹の中心から。
黒い亀裂が。
走った。
「何だ!?」
セレナが。
叫ぶ。
俺たちは。
一斉に。
世界樹を見る。
亀裂の向こう。
そこに。
何かが。
いる。
「……」
人影。
一人。
いや。
二人。
三人。
十人。
百人。
無数の人影。
そして。
その全員が。
こちらを見ている。
ユナが。
震える声で。
言った。
「……お兄ちゃん」
「何だ?」
「あれ」
「私たちが」
「選ばなかった」
「未来だよ」
「……!」
黒い亀裂の中から。
無数の声が。
響く。
『まだ』
『選んでない』
『まだ』
『終わってない』
『私たちも』
『選んで』
『私たちも』
『救って』
俺は。
剣を握る。
「……」
今まで。
選んできた世界。
選ばなかった可能性。
それら全てが。
今。
俺たちの前に。
集まっている。
そして。
その中心から。
一人の男が。
歩いてくる。
赤い瞳。
黒い服。
銀色の髪。
観測者。
「……」
だが。
今度の観測者は。
笑っていなかった。
「レオン」
「……」
「第二の選択を」
「よく越えた」
「でも」
「ここから先は」
「簡単ではない」
「……何?」
観測者が。
手を上げる。
すると。
無数の人影が。
一斉に。
こちらへ向かってきた。
「次の選択は」
「君一人ではない」
「……」
「君たち全員が」
「選ばなければならない」
そして。
空に。
新しい文字が。
浮かぶ。
『第三の選択』
『仲間の中から一人を選べ』
「……」
俺は。
言葉を失った。
また。
始まる。
犠牲を選ぶ。
あの。
最も嫌いな問いが。
今度は。
俺だけではなく。
仲間全員の前に。
突きつけられた。
アリアが。
俺の隣に立つ。
セリアも。
セレナも。
ノアも。
エリスも。
カインも。
リナも。
ミアも。
ユナも。
ユウトも。
もう一人の俺も。
全員が。
俺を見る。
俺は。
全員を見渡す。
そして。
ゆっくり。
口を開いた。
「……また」
「同じことを」
「やるつもりか」
観測者は。
答えない。
ただ。
静かに。
笑った。
「さあ」
「第百七十三番目の選択を」
「始めよう」
世界樹が。
赤く染まる。
そして。
俺たちの足元に。
十本の剣が。
突き刺さった。
一本。
一本。
それぞれの名前が。
刻まれている。
最後の一本には。
こう刻まれていた。
『レオン』
俺は。
その文字を見つめた。
そして。
気づいた。
これは。
ただの選択じゃない。
この世界は。
俺たちに。
最後まで。
同じ問いを。
繰り返させようとしている。
――誰かを犠牲にして。
未来を選ぶのか。
それとも。
その仕組みそのものを。
壊すのか。
俺は。
剣を握らなかった。
代わりに。
仲間たちへ。
手を伸ばした。
「みんな」
「……?」
「今回は」
「俺一人に」
「答えさせない」
「一緒に」
「選ぼう」
そして。
俺たちは。
全員で。
手を繋いだ。
その瞬間。
第四の鍵――約束が。
眩い光を放った。




