第52話 百七十三番目の世界
――静かだった。
あまりにも。
静かすぎた。
俺たちは。
黒い大地の上に立っていた。
空は暗い。
太陽はない。
月もない。
星すらない。
ただ。
どこまでも広がる。
灰色の雲。
そして。
遠くに見える。
巨大な世界樹。
「……ここが」
「百七十三番目の世界」
ユナが。
小さな声で呟いた。
「ああ」
俺は。
周囲を見渡す。
「……変だな」
「何が?」
アリアが。
尋ねる。
「静かすぎる」
「……」
「生き物の気配が」
「ほとんどない」
セレナが。
魔力を探る。
「確かに」
「生命反応が」
「極端に少ないです」
ノアも。
杖を握る。
「街とか」
「ないのかな?」
「たぶん」
ユナが。
答える。
「昔は」
「たくさんあったよ」
「昔?」
「うん」
ユナは。
遠くを見つめる。
「この世界にも」
「たくさんの人がいた」
「でも」
「お兄ちゃんが」
「世界になってから」
「少しずつ」
「減っていった」
「……」
「最初は」
「病気だった」
「次に」
「魔力が」
「使えなくなった」
「そして」
「最後には」
「生きることそのものが」
「難しくなった」
俺は。
黙って聞いていた。
「原因は」
「俺なのか?」
ユナは。
首を横に振った。
「違う」
「じゃあ」
「世界樹?」
「……それも違う」
「なら」
「何だ?」
ユナは。
少し迷ってから。
答えた。
「お兄ちゃんが」
「全部」
「背負ったから」
「……」
「この世界の」
「悲しみも」
「苦しみも」
「誰かの願いも」
「全部」
「一人で」
「引き受けた」
「だから」
「世界から」
「何も」
「残らなくなった」
俺は。
拳を握った。
「……」
「俺が」
「百七十二の世界を」
「救ったやり方と」
「同じだ」
セリアが。
静かに言った。
「一人に」
「力を集中させる」
「そうすると」
「世界そのものが」
「その人に依存する」
俺は。
頷いた。
「原初が」
「言っていた」
「世界を一人で支配してはいけない」
「願いを」
「みんなで持つべきだ」
「……」
俺は。
目の前の世界樹を見る。
「でも」
「ここの俺は」
「それを」
「できなかった」
「うん」
ユナが。
頷く。
「だから」
「助けてほしい」
「……分かった」
俺は。
歩き出した。
「まず」
「世界樹へ行こう」
「そこに」
「もう一人の俺がいる」
「うん」
ユナも。
歩き出す。
しかし。
数歩進んだところで。
突然。
――ドンッ!!
地面が。
大きく揺れた。
「っ!?」
「何!?」
カインが。
剣を抜く。
大地に。
亀裂が走る。
その亀裂の中から。
黒い腕が。
一本。
伸びてきた。
「……!」
続いて。
二本。
三本。
十本。
無数の腕が。
地面から。
這い出してくる。
「魔物か!」
エリスが。
魔法を放つ。
――ドォォォン!!
黒い腕が。
吹き飛ぶ。
しかし。
すぐに。
再生する。
「再生する!?」
「こいつら」
「普通の魔物じゃない!」
セレナが。
叫ぶ。
俺は。
腕の一本を。
剣で切り裂いた。
――ザンッ!
黒い液体が。
飛び散る。
だが。
その中から。
声が聞こえた。
『……寒い』
「……?」
『助けて』
『苦しい』
『誰か』
『助けて』
俺の動きが。
止まった。
「……この声」
ユナが。
叫ぶ。
「ダメ!」
「お兄ちゃん!」
「そいつらの声を」
「聞いちゃダメ!」
「どうして?」
「全部」
「この世界で」
「死んだ人たちだから!」
「……!」
俺は。
黒い腕を見る。
ただの魔物じゃない。
これは。
この世界に残った。
人々の。
願い。
「……」
『助けて』
『痛い』
『死にたくない』
『お母さん』
『お兄ちゃん』
無数の声が。
響く。
俺の胸に。
突き刺さる。
「……」
まただ。
また。
誰かが。
助けを求めている。
俺は。
剣を。
ゆっくり。
下ろした。
アリアが。
俺を見る。
「レオン?」
「……こいつらを」
「殺せない」
「でも」
「放っておいたら」
「襲ってくるよ」
「分かってる」
俺は。
黒い腕へ。
手を伸ばした。
「だから」
「今度は」
「殺すんじゃない」
「……」
「救う」
十個の鍵が。
輝く。
――パァァァァッ!!
黒い霧が。
光へ。
変わっていく。
「……!」
一人。
また一人。
人の姿が。
浮かび上がる。
老人。
子供。
兵士。
母親。
農民。
商人。
数え切れない。
この世界で。
生きていた人々。
そして。
全員が。
俺を見る。
「……」
一人の少女が。
泣きながら。
言った。
『ありがとう』
「……」
『やっと』
『眠れる』
光になって。
消えていく。
次々に。
人々が。
消えていく。
ユナが。
泣いている。
「……みんな」
俺は。
何も言えなかった。
ただ。
一人ずつ。
光を。
見送った。
やがて。
最後の一人が。
消える。
静寂。
今度は。
本当の静寂だった。
「……」
ユナが。
俺を見る。
「ありがとう」
「……」
「ずっと」
「誰にも」
「助けてもらえなかったから」
「……そうか」
俺は。
ユナの頭を。
撫でた。
「じゃあ」
「次は」
「お前の兄ちゃんだな」
「うん」
ユナが。
笑った。
---
世界樹の根元。
そこには。
巨大な扉があった。
黒い。
巨大な扉。
その表面には。
無数の文字。
願い。
祈り。
後悔。
そして。
名前。
「……」
俺は。
扉に触れる。
すると。
扉の向こうから。
声がした。
『来るな』
「……」
『帰れ』
「嫌だ」
『俺は』
『もう』
『助けられない』
「それでも」
『お前が来れば』
『お前まで』
『この世界に』
『取り込まれる』
「……」
『だから』
『帰れ』
俺は。
扉へ。
手を当てた。
「なあ」
『……』
「お前」
「本当は」
「助けてほしいんだろ?」
長い沈黙。
『……違う』
「嘘だ」
『……』
「お前は」
「俺だから」
「分かる」
『……』
「一人で」
「全部背負って」
「誰にも」
「助けてって言えなくなった」
『……』
「でも」
「俺は」
「お前を」
「置いていかない」
『……どうして』
「簡単だ」
俺は。
笑った。
「俺だったら」
「誰かに」
「そう言ってほしいからだ」
扉の向こうから。
小さな声。
『……レオン』
「何?」
『お前は』
『変わったな』
「……そうか?」
『昔のお前なら』
『世界を救おうとして』
『自分一人で』
『全部やろうとした』
「……」
『でも今は』
『違う』
『仲間に頼っている』
「まあな」
『……羨ましいよ』
「なら」
「こっちに来い」
『できない』
「どうして?」
『俺は』
『もう』
『この世界そのものだから』
「……」
『俺が動けば』
『世界が壊れる』
『俺が死ねば』
『この世界も死ぬ』
『だから』
『俺は』
『ここに』
『縛られている』
「……」
俺は。
しばらく。
考えた。
そして。
セリアを見る。
「セリア」
「何?」
「世界選択の鍵」
「うん」
「まだ使えるか?」
セリアは。
鍵を見る。
「……たぶん」
「じゃあ」
俺は。
扉を見る。
「世界を」
「分離する」
「……!」
セレナが。
驚く。
「レオン」
「それをやったら」
「世界そのものが」
「崩壊する可能性がある」
「分かってる」
「じゃあ」
「どうするの?」
俺は。
笑う。
「分離するんじゃない」
「……?」
「共有する」
「……」
「世界と」
「こいつを」
「別々にするんじゃない」
「二つで」
「一つの世界として」
「生きられるようにする」
セリアが。
目を見開く。
「そんなこと」
「できるの?」
「分からない」
「……」
「でも」
「やってみる」
俺は。
扉へ。
手を当てる。
「お前も」
「一緒にやれ」
『……俺が?』
「ああ」
『俺に』
『そんな力は』
「ある」
『……』
「だって」
「お前も」
「俺だから」
「……」
『……分かった』
その瞬間。
扉が。
大きく。
震えた。
――ゴゴゴゴゴゴ……。
黒い扉が。
ゆっくり。
開いていく。
その向こう。
世界樹の中心に。
一人の男が。
立っていた。
俺と。
同じ顔。
ただ。
その身体は。
世界樹と。
完全に融合している。
右腕が。
巨大な枝。
左足が。
根。
胸には。
世界樹の核。
そして。
その目だけが。
人間だった。
「……」
もう一人の俺が。
こちらを見る。
「……久しぶりだな」
俺は。
息を吐く。
「初対面だけどな」
「そうだった」
もう一人の俺が。
笑う。
「お前のことは」
「ずっと」
「見ていた」
「……」
「百七十二の世界」
「全部」
「見ていた」
「だから」
「分かる」
「お前が」
「どれだけ」
「変わったのか」
「……」
「俺には」
「できなかった」
「何が?」
「誰かに」
「助けを求めること」
俺は。
一歩。
近づく。
「だったら」
「今」
「頼めばいい」
「……」
もう一人の俺は。
目を伏せる。
そして。
初めて。
言った。
「――助けてくれ」
その瞬間。
世界樹が。
大きく。
揺れた。
空が。
割れる。
世界そのものが。
悲鳴を上げる。
『警告』
どこからか。
機械のような声が。
響いた。
『世界核の分離を確認』
『世界崩壊まで』
『残り――』
「……!」
数字が。
空に。
浮かぶ。
72:00:00
「七十二時間……?」
セレナが。
呟く。
『世界核を分離する場合』
『七十二時間以内に』
『新たな世界核を』
『作成してください』
「新たな世界核?」
『必要条件』
『二人以上の生命』
『共有された願い』
『犠牲――』
そこで。
声が。
途切れた。
俺は。
息を呑む。
「……犠牲は?」
『必要ありません』
「……!」
『ただし』
『一つの条件があります』
「何だ?」
『世界核となる者は』
『自分自身の願いを』
『捨てなければならない』
「……」
もう一人の俺が。
笑った。
「……なるほど」
「何?」
「俺の願いを」
「捨てればいいんだな」
「待て」
俺は。
すぐに。
首を振った。
「それは」
「お前が」
「自分を犠牲にするってことだろ」
「違う」
もう一人の俺は。
静かに。
笑った。
「俺は」
「もう」
「十分」
「この世界を」
「守った」
「だから」
「次は」
「お前の番だ」
「……違う」
俺は。
拳を握る。
「それじゃ」
「百七十二回目までと」
「何も変わらない」
「……」
「また」
「誰か一人が」
「犠牲になる」
俺は。
空に浮かぶ。
残り時間を見る。
71:59:42
時間は。
止まらない。
「……」
俺は。
剣を抜いた。
そして。
世界樹の核へ。
向ける。
「だったら」
「二人とも」
「願いを捨てない方法を」
「探す」
もう一人の俺が。
笑う。
「やっぱり」
「お前は」
「無茶苦茶だな」
「ああ」
「よく言われる」
「……」
そして。
二人のレオンが。
初めて。
同じ方向を。
向いた。
七十二時間。
世界を救うための。
新しい戦いが。
始まった。




