第51話 新たな世界と、知らない妹
「――私を、助けて」
その声が。
耳から離れなかった。
朝になっても。
目を覚ましても。
胸の奥に。
ずっと残っている。
「……」
俺は。
ベッドの上で。
しばらく天井を見つめていた。
隣では。
アリアが。
まだ眠っている。
穏やかな寝息。
昨日までの戦いが。
嘘みたいだった。
原初との戦い。
百七十二の世界。
失われた可能性。
そして。
最後の願い。
全部。
終わったはずだった。
「……なのに」
あの少女。
知らない少女。
俺を。
「お兄ちゃん」と呼んだ。
「……誰なんだ」
俺は。
胸に手を当てる。
十個の鍵。
もう。
以前のような激しい力は感じない。
静かに。
眠っている。
「……」
――ドクン。
一度だけ。
鼓動した。
「……またか」
俺は。
ベッドから降りた。
窓を開ける。
朝の風が。
部屋へ入ってくる。
「……平和だな」
街は。
いつも通り。
人々が。
歩いている。
店が。
開いている。
子供たちが。
走っている。
戦争もない。
魔物もいない。
少なくとも。
今のところは。
「……」
俺は。
小さく笑った。
「これでいい」
そう。
これでいい。
俺が。
ずっと望んでいた世界。
誰か一人が。
世界を支配することもない。
原初が。
世界を作り直すこともない。
人々が。
自分で。
未来を選ぶ。
それで。
十分だった。
「レオン?」
後ろから。
声がした。
「……アリア」
「もう起きてたの?」
「ああ」
「珍しいわね」
「ちょっと」
俺は。
言葉を濁す。
「変な夢を見た」
「夢?」
「ああ」
「どんな?」
「……」
言うべきか。
迷った。
だが。
隠しても。
仕方がない。
「女の子が」
「俺を」
「お兄ちゃんって呼んだ」
「……」
アリアが。
黙る。
「それだけ?」
「それだけだ」
「顔は?」
「……覚えてない」
「名前は?」
「分からない」
アリアは。
少し考えてから。
笑った。
「きっと」
「戦いが終わったばかりだから」
「頭が疲れてるのよ」
「そうかな」
「そうよ」
アリアが。
俺の肩を叩く。
「今日は」
「ゆっくり休みましょう」
「……ああ」
俺は。
頷いた。
この時。
俺は。
本当に。
ただの夢だと。
思っていた。
――その日の昼までは。
---
「レオン!」
街の中央広場。
セレナが。
こちらへ。
走ってくる。
「どうした?」
「大変です!」
「何が?」
「ミアが!」
「ミア?」
振り返る。
そこには。
ミアが。
立っていた。
ただ。
様子がおかしい。
顔が。
真っ青だ。
「ミア?」
俺が。
声をかける。
ミアは。
俺を見る。
そして。
震える声で。
言った。
「……世界樹が」
「どうした?」
「根っこの奥から」
「知らない世界が」
「見えます」
「……!」
セリアも。
駆けつける。
「私も感じた」
「何を?」
「世界樹の下に」
「もう一つ」
「世界がある」
「……」
俺は。
空を見上げる。
世界樹。
かつて。
原初の力の中心だった存在。
今では。
静かに。
大地へ根を張っている。
「世界樹の下に」
「世界?」
「うん」
セリアが。
頷く。
「それも」
「この世界とは」
「違う世界」
「……」
カインが。
剣を抜く。
「敵か?」
「分からない」
エリスが。
答える。
「ただ」
「妙なんだ」
「何が?」
「世界樹が」
「その世界を」
「守っている」
「……!」
守っている。
その言葉が。
引っかかった。
「じゃあ」
「敵じゃない?」
「それも分からない」
セリアが。
目を閉じる。
「でも」
「一つだけ」
「分かる」
「何?」
セリアが。
目を開く。
俺を見る。
「その世界から」
「ずっと」
「誰かが」
「呼んでる」
「……」
俺の胸が。
痛んだ。
「誰が?」
セリアが。
答える前に。
世界樹が。
輝いた。
――パァァァァッ!!
「――っ!」
大地が。
揺れる。
世界樹の根元に。
巨大な穴が。
開いた。
「全員!」
俺は。
叫ぶ。
「警戒!」
仲間たちが。
武器を構える。
穴の中から。
光が。
溢れ出す。
そして。
一人の少女が。
ゆっくりと。
姿を現した。
「……!」
少女。
十歳くらい。
銀色の髪。
青い瞳。
白い服。
その姿を見た瞬間。
俺の心臓が。
大きく。
跳ねた。
――ドクン!!
「……」
少女が。
俺を見る。
そして。
目を見開く。
「……お兄ちゃん?」
「……!」
夢と。
同じ声。
同じ言葉。
「……お前」
少女が。
泣きそうな顔で。
俺へ。
駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん!」
「待て!」
アリアが。
前へ出る。
しかし。
少女は。
止まらない。
俺の目の前まで来ると。
小さな手で。
俺の服を。
ぎゅっと。
掴んだ。
「……やっと」
「やっと会えた」
「……」
「お兄ちゃん」
俺は。
動けなかった。
「……誰なんだ」
少女は。
涙を拭う。
そして。
答えた。
「私は」
「ユナ」
「お兄ちゃんの」
「妹だよ」
「……」
世界が。
止まったような。
気がした。
「……妹?」
俺には。
妹なんて。
いない。
少なくとも。
今までの記憶には。
存在しない。
ユウト。
セリア。
そして。
俺。
家族は。
それだけだった。
「俺に」
「妹はいない」
「……」
少女の顔が。
曇る。
「……やっぱり」
「覚えてないんだ」
「何を?」
「私のこと」
「……」
ユナは。
胸元から。
小さな黒い石を。
取り出した。
それを見た瞬間。
俺は。
息を呑んだ。
「……それ」
見覚えがある。
百七十二番目の世界で。
俺が見つけた。
最初の願いの石。
だが。
今。
ユナが持っているものは。
少し違う。
中央に。
小さな。
銀色の光が。
浮かんでいる。
「これは」
「お兄ちゃんが」
「私にくれたもの」
「……俺が?」
「うん」
「いつ?」
「ずっと昔」
「どれくらい?」
ユナは。
少し考えて。
答えた。
「……百七十三回」
「……!」
全員が。
息を呑む。
セリアが。
震える。
「百七十三回……?」
ユナは。
頷く。
「私は」
「百七十三番目の世界から」
「来たの」
「……」
「でも」
「この世界とは」
「少し違う」
「どういう意味?」
「お兄ちゃんが」
「最後に」
「世界を一つにした時」
「全部の世界が」
「完全に消えたわけじゃなかったの」
「……」
「一つだけ」
「残った」
「それが」
「私の世界」
俺は。
言葉を失う。
「じゃあ」
「その世界には」
「誰がいる?」
ユナは。
俺を見る。
そして。
静かに。
答えた。
「……お兄ちゃんがいる」
「……!」
「もう一人の」
「お兄ちゃん」
俺の背筋に。
冷たいものが。
走った。
「俺が」
「もう一人?」
「うん」
「どんな奴だ?」
ユナは。
少しだけ。
悲しそうに。
笑った。
「優しいよ」
「……」
「すごく」
「優しい」
「でも」
「その人は」
「もう」
「人間じゃない」
「……何?」
ユナが。
黒い石を。
握りしめる。
「世界そのものになった」
「……!」
「お兄ちゃんが」
「百七十二の世界を」
「救ったあと」
「一つだけ」
「救えなかった世界があったの」
「……」
「そこに」
「もう一人のお兄ちゃんが」
「残った」
「そして」
「その人は」
「ずっと」
「私たちの世界を」
「守ってくれてる」
「……」
俺は。
世界樹を見る。
「じゃあ」
「お前は」
「その世界から来たのか?」
「うん」
「何のために?」
ユナは。
俺の目を。
まっすぐ見る。
そして。
言った。
「助けてほしいの」
「……誰を?」
ユナの目から。
涙が。
一粒。
落ちる。
「――もう一人のお兄ちゃんを」
「……」
「このままだと」
「お兄ちゃんが」
「世界そのものに」
「食べられちゃう」
「……!」
「だから」
「お願い」
ユナが。
俺の手を。
握った。
「今度は」
「私を」
「助けて」
「……」
俺は。
しばらく。
何も言えなかった。
原初との戦いは。
終わった。
世界は。
救われた。
俺たちは。
ようやく。
普通の生活を。
始められるはずだった。
なのに。
また。
新しい世界が。
現れた。
また。
俺と同じ存在が。
いる。
そして。
また。
誰かが。
俺に。
助けを求めている。
俺は。
小さく。
息を吐いた。
「……分かった」
アリアが。
俺を見る。
「レオン……」
「行く」
「でも」
セレナが。
言う。
「今度は」
「一人じゃないですよね?」
俺は。
仲間を見る。
そして。
笑った。
「ああ」
「今度も」
「みんなで行く」
ユナが。
目を輝かせる。
「……本当?」
「ああ」
「約束してくれる?」
「約束する」
俺は。
ユナの頭に。
手を置いた。
その瞬間。
胸の奥で。
十個の鍵が。
一斉に。
輝いた。
――ドクン!!
世界樹の根元に。
新しい扉が。
開く。
だが。
その扉は。
今までのものとは。
明らかに違っていた。
扉の向こうから。
聞こえてくる。
無数の声。
泣き声。
笑い声。
怒り。
悲しみ。
そして。
最後に。
一つの声。
俺自身の声が。
響いた。
『――来るな』
「……!」
『レオン』
『この世界には』
『もう』
『お前が』
『救えるものなんて』
『残っていない』
扉が。
ゆっくり。
開いていく。
その向こう側。
そこには。
漆黒の世界が。
広がっていた。
そして。
その中心に。
巨大な世界樹が。
立っている。
その根元には。
一人の男。
俺と。
同じ顔。
けれど。
身体の半分が。
世界樹と。
融合している。
その男が。
こちらを見る。
そして。
悲しそうに。
笑った。
『――だから』
『今度は』
『俺を』
『救わないでくれ』
扉が。
完全に。
開いた。
俺は。
剣を握る。
「……悪いな」
「それは」
「無理だ」
一歩。
前へ。
踏み出す。
「俺はもう」
「誰かに」
「助けを求められて」
「見捨てるほど」
「器用じゃないんだ」
アリアたちも。
俺の後ろへ。
続く。
そして。
ユナが。
俺の手を。
ぎゅっと握った。
「行こう」
「うん」
「お兄ちゃん」
俺たちは。
新しい世界へ。
足を踏み入れた。
その瞬間。
背後で。
扉が。
閉じた。
――そして。
俺たちはまだ知らなかった。
この世界こそが。
原初が最後まで。
俺たちに隠していた。
「百七十三番目の世界」の
本当の意味を。




