第131話 置いていかないで
「ねえ」
「僕を」
「置いていかないで」
その言葉が。
胸の奥に。
突き刺さった。
「……」
黒い扉の向こう。
そこにいる少年は。
まだ。
何者でもなかった。
名前もない。
役割もない。
世界もない。
ただ。
一人の少年として。
そこに立っている。
俺は。
動けなかった。
「……お前」
少年は。
俺を見る。
その目は。
あまりにも。
幼い。
けれど。
俺は知っている。
この目を。
何度も。
見た。
泣いている時。
怒っている時。
誰かを守ろうとしている時。
自分を犠牲にしようとしている時。
全部。
この目だった。
「……俺」
少年が。
呟く。
「そうだ」
「君は」
「僕」
「……」
俺は。
一歩。
近づいた。
少年は。
一歩。
下がった。
「……怖い?」
俺が聞く。
少年は。
首を振る。
「怖くない」
「じゃあ」
「どうして下がる?」
「……」
少年は。
少し。
考えて。
答えた。
「君が」
「いつも」
「先に行くから」
「……」
胸が。
痛んだ。
「僕は」
「いつも」
「後ろにいる」
「……」
「君が」
「誰かを助けるときも」
「誰かを守るときも」
「世界を作るときも」
「僕は」
「後ろ」
「そして」
少年は。
自分の胸に。
手を当てた。
「君が」
「自分を捨てるときも」
「僕は」
「ここに置いていかれた」
「……」
俺は。
何も。
言えなかった。
――。
アリアが。
俺の後ろから。
小さく。
呼ぶ。
「レオン……」
俺は。
振り返らない。
ただ。
少年を見る。
「お前は」
「何をしてほしい?」
少年は。
しばらく。
考えた。
「……」
そして。
言った。
「何もしなくていい」
「……え?」
「ただ」
「一緒にいて」
「……」
「僕を」
「連れていって」
「どこへ?」
「分からない」
少年は。
首を振る。
「でも」
「置いていかないで」
「……」
俺は。
ゆっくり。
息を吐いた。
「分かった」
少年が。
目を見開く。
「本当に?」
「ああ」
「……」
「でも」
俺は。
続ける。
「一つだけ」
「なに?」
「俺が」
「お前の代わりに」
「未来を決めることは」
「しない」
少年は。
少し。
考えた。
「……うん」
「お前が」
「自分で選ぶ」
「うん」
「俺は」
「隣にいる」
「……」
少年は。
初めて。
笑った。
「それなら」
「いい」
――。
その瞬間。
黒い扉が。
消えた。
まるで。
最初から。
存在していなかったように。
「……」
代わりに。
少年が。
こちら側へ。
歩いてくる。
一歩。
また。
一歩。
そして。
俺の隣に。
立った。
「……」
俺と。
同じ顔。
でも。
少しだけ。
違う。
俺が。
忘れていた。
何か。
それを。
持っている。
「名前」
俺が。
聞く。
少年は。
首を振った。
「まだ」
「決めてない」
「そうか」
「……」
少年は。
俺を見る。
「でも」
「いつか」
「自分で」
「決めたい」
「分かった」
俺は。
頷いた。
「待ってる」
――。
その時。
新しいハジメが。
少年を。
じっと見ていた。
「……君」
「なに?」
「僕と」
「似てるね」
「そう?」
「うん」
ハジメは。
笑った。
「僕も」
「生まれなかった」
「君も?」
「僕は」
「生まれる前に」
「置いていかれた」
「……」
少年は。
少し。
考える。
「じゃあ」
「僕たち」
「似てるね」
「うん」
二人は。
並んで。
立った。
同じ名前。
違う始まり。
どちらも。
選ばれなかった。
けれど。
今は。
ここにいる。
俺は。
その光景を。
見つめていた。
――。
すると。
ゼロが。
突然。
俺の服を。
掴んだ。
「……ゼロ?」
『レオン』
「どうした?」
『この子は』
『僕とは』
『違う』
「……?」
『この子は』
『君の中から』
『出てきた』
「……」
俺は。
少年を見る。
『僕は』
『君が』
『最初に』
『何もない場所で』
『残したもの』
『でも』
『この子は』
『君が』
『自分を』
『置いていったもの』
「……」
意味が。
分からない。
「俺が」
「自分を?」
『うん』
『君は』
『誰かを守るたび』
『自分の一部を』
『置いていった』
『悲しみ』
『恐怖』
『弱さ』
『寂しさ』
『助けてほしいという気持ち』
『全部』
「……」
『そして』
『最後に』
『それを』
『一人の少年として』
『置いていった』
「……」
俺は。
少年を見る。
「じゃあ」
「お前は」
「俺の」
「弱さなのか?」
少年は。
首を振った。
「違う」
「……」
「僕は」
「僕」
「……」
「君から」
「生まれたのかもしれない」
「でも」
「君の一部じゃない」
「……」
少年は。
俺の目を見る。
「僕は」
「僕自身だよ」
「……」
その言葉に。
胸の奥が。
震えた。
「そうだな」
俺は。
笑う。
「お前は」
「お前だ」
「うん」
――。
世界樹が。
静かに。
光った。
その光は。
今までとは。
違った。
強くもない。
大きくもない。
ただ。
優しい。
一つの。
小さな光。
そして。
空に。
文字が。
浮かんだ。
「第38原則――自分の弱さを、他者に預ける自由。」
「……」
俺は。
その文字を見る。
「弱さを」
「預ける……」
アリアが。
小さく。
呟く。
「それって」
「悪いことじゃないんだね」
俺は。
首を振る。
「たぶん」
「むしろ」
「必要なんだ」
俺は。
少年を見る。
「俺は」
「ずっと」
「弱くならないように」
「してた」
「……」
「怖くても」
「大丈夫って言った」
「苦しくても」
「俺がやるって言った」
「誰かに」
「助けてって」
「言えなかった」
少年が。
静かに。
頷く。
「だから」
「僕を」
「置いていった」
「……ああ」
「でも」
少年は。
笑う。
「今は」
「連れてきてくれた」
「……」
「それなら」
「もう」
「大丈夫」
俺は。
少年の頭に。
手を置いた。
「……ありがとう」
――。
その瞬間。
世界樹の時計が。
動いた。
十三日目。
残り。
五。
四。
三。
「……!」
未来の俺が。
顔を上げる。
「もう」
「こんなに」
「進んだのか」
「早いな」
「うん」
ミナが。
言う。
「選択が」
「続いているから」
「……」
俺は。
時計を見る。
「あと三つ」
「何が?」
「選択」
「……」
ミナは。
静かに。
答える。
「三つじゃないよ」
「え?」
「最後の日を」
「始めるための」
「最後の三つ」
「……」
「この三つは」
「これまでの」
「どの選択より」
「重い」
――。
時計が。
また。
鳴る。
「第三の選択。」
空が。
真っ白になる。
そこに。
一つの問いが。
浮かんだ。
「あなたは、何を忘れる?」
「……」
俺は。
眉を寄せる。
「何を」
「忘れる?」
未来の俺が。
小さく。
呟く。
「これか……」
「知ってるのか?」
「千年前にも」
「この質問は」
「あった」
「……」
「僕は」
「答えられなかった」
「どうして?」
未来の俺は。
笑わない。
「何かを忘れることが」
「怖かったから」
「……」
「忘れたら」
「その人が」
「いなかったことになる」
「……」
俺は。
黙る。
その気持ちは。
分かる。
俺も。
何度も。
そう思った。
だから。
全部。
覚えようとした。
全部。
抱えようとした。
でも。
その結果。
俺は。
何度も。
自分を。
壊した。
「……」
すると。
隣の少年が。
言った。
「忘れるって」
「なくすこと?」
「……」
「僕」
「まだ」
「何も」
「覚えてない」
「だから」
「忘れるって」
「よく分からない」
「……」
俺は。
少し。
笑った。
「そうだな」
「でも」
「忘れることは」
「全部なくすことじゃない」
「じゃあ」
「何?」
俺は。
考える。
「たぶん」
「握っていた手を」
「開くこと」
「……」
「手を開いても」
「その人が」
「いなかったことには」
「ならない」
「ただ」
「もう」
「握りしめなくていい」
少年が。
自分の手を見る。
ゆっくり。
開く。
「……」
その瞬間。
空の文字が。
変わった。
「第三の選択――回答者を限定しない。」
「……?」
俺は。
空を見る。
質問が。
変わっている。
「忘れたいものがある者は、忘れていい。」
「忘れたくない者は、忘れなくていい。」
「他者に、忘れることを強制してはならない。」
「……」
俺は。
思わず。
笑った。
「また」
「一人で決めなくていい」
ルナが。
頷く。
「そうだね」
――。
一人。
また一人。
それぞれが。
自分の答えを。
選んでいく。
ユウトは。
「昔の自分を」
「忘れない」
と言った。
アリアは。
「悲しかったことを」
「忘れない」
と言った。
ハルは。
「怖かったことを」
「忘れなくていいと思う」
と言った。
カエデは。
「でも」
「忘れたことを」
「無理に思い出さなくてもいい」
と言った。
ミライは。
「私は」
「まだ」
「決めない」
と言った。
ゼロは。
『僕は』
『第零日目を』
『忘れない』
と言った。
ルナは。
少し。
黙った。
そして。
「私は」
「-二日目を」
「忘れない」
「……」
俺は。
その言葉を。
聞いて。
少しだけ。
胸が痛んだ。
最初の別れ。
ルナが。
思い出したくなかった日。
でも。
今は。
彼女自身が。
覚えていることを。
選んだ。
「俺も」
「忘れない」
「……」
「でも」
「それだけに」
「縛られない」
ルナが。
笑う。
「うん」
――。
最後に。
未来の俺が。
答えた。
「僕は」
「千年間の」
「すべてを」
「忘れない」
「……」
「でも」
「これから先は」
「全部覚えていなくても」
「いいと思う」
「……」
「新しい人に」
「新しい場所を」
「残したいから」
その瞬間。
世界樹が。
光った。
「第三の選択――承認。」
時計が。
また。
動く。
残り。
二。
俺は。
息を呑む。
「あと二つ……」
すると。
時計の横に。
一つの。
新しい文字が。
浮かんだ。
「第四の選択――過去から来る者。」
「……」
誰が。
来る?
全員が。
空を見る。
すると。
未来の街の向こうから。
一人の人影が。
歩いてくる。
ゆっくり。
ゆっくり。
近づいてくる。
白い髪。
赤い瞳。
小さな体。
俺は。
その姿を。
知っている。
「……ユナ?」
でも。
違う。
ユナより。
少し。
大きい。
それに。
顔が。
違う。
けれど。
その声は。
確かに。
聞き覚えがあった。
「……レオン」
「……」
「久しぶり」
「誰だ?」
少女は。
笑った。
「私」
「あなたが」
「まだ」
「名前を」
「知らなかった頃から」
「ずっと」
「見てた」
「……」
俺の胸の奥。
一つの光が。
大きく。
震える。
少女が。
胸に。
手を当てる。
「私の名前は」
「まだ」
「決めてない」
「……」
「でも」
「今日は」
「あなたに」
「会いに来た」
「なぜ?」
少女は。
空を見上げる。
そして。
静かに。
言った。
「第四の選択は」
「私が」
「選ぶから」




