第122話 帰る場所の向こう側
「次の帰還――ルナ。」
その文字を。
俺は。
何度も見返した。
「……ルナ」
名前を。
口にする。
胸の奥が。
熱くなる。
懐かしい。
それだけじゃない。
もっと深い。
もっと古い。
自分でも知らない場所から。
何かが。
呼びかけてくる。
――ルナ。
「レオン」
アリアの声がした。
振り返る。
そこには。
ユウト。
セリア。
セレナ。
ノア。
ユナ。
エリス。
カイン。
リナ。
ミア。
ハジメ。
ソウマ。
ハル。
カエデ。
ミライ。
そして。
まだ名前を持たない者たち。
みんなが。
俺を見ていた。
「……」
ユウトが。
世界樹を見上げる。
「ルナが来るんだな」
「ああ」
「アカツキから?」
「たぶんな」
ユウトは。
少しだけ。
笑った。
「じゃあ」
「ちゃんと迎えないとな」
「……」
俺は。
頷いた。
「ああ」
でも。
その時。
ハジメが。
ぽつりと。
言った。
「……迎える?」
「ん?」
「ルナは」
「帰ってくるんだよね?」
「ああ」
「じゃあ」
ハジメは。
少し考えてから。
言った。
「帰ってくる場所って」
「誰かが」
「用意するものなのかな」
「……」
誰も。
答えなかった。
ハジメは。
自分で。
続ける。
「それとも」
「帰りたいって」
「思った場所が」
「帰る場所になるのかな」
「……」
俺は。
空を見る。
「たぶん」
「後者だと思う」
ハジメは。
頷いた。
「なら」
「ルナが」
「どこに帰りたいのか」
「それは」
「ルナが決めるんだね」
「ああ」
俺は。
笑った。
「だから」
「俺たちは」
「待ってるだけでいい」
「……うん」
――。
その夜。
俺は。
眠れなかった。
外へ出る。
夜空には。
無数の星。
世界樹の葉が。
風に揺れている。
「……」
俺は。
根元に。
座った。
すると。
隣に。
誰かが座った。
「眠れない?」
アリアだった。
「……ああ」
「ルナのこと?」
「それもある」
「それも?」
「……」
俺は。
空を見る。
「さっきの人」
「名前を言わなかった」
「うん」
「でも」
「俺は」
「知ってる気がする」
アリアは。
黙って。
聞いてくれている。
「何度も」
「会ってるような」
「ずっと」
「一緒にいたような」
「でも」
「思い出せない」
「……」
「俺が」
「忘れたのか」
「それとも」
「そもそも」
「思い出す必要がないのか」
アリアは。
少し。
考えて。
言った。
「レオン」
「ん?」
「思い出せないことと」
「大切じゃないことは」
「同じじゃないよ」
「……」
「あなたが」
「忘れてしまったからって」
「その人との時間まで」
「なくなったわけじゃない」
「……」
俺は。
胸に。
手を当てる。
そこには。
いくつもの光がある。
失った世界。
選ばなかった未来。
生き残った可能性。
そして。
名前のない記憶。
「……そうだな」
「うん」
アリアは。
微笑んだ。
「だから」
「焦らなくていいよ」
「思い出す時は」
「きっと」
「自分で分かるから」
「……」
俺は。
頷いた。
――。
その時だった。
胸の中の光が。
一つ。
瞬いた。
「……?」
俺は。
目を閉じる。
すると。
声が聞こえた。
『レオン』
「……!」
聞き覚えがある。
けれど。
今まで聞いたことがない。
そんな声。
『帰る場所を』
『一つにしないで』
「……誰だ?」
『一つにしたら』
『また』
『誰かが』
『そこへ戻れなくなる』
「……」
意味が。
分からない。
『帰る場所は』
『一つじゃない』
『道も』
『一つじゃない』
『だから』
『私も』
『帰れる』
そこで。
声は。
消えた。
「……」
目を開ける。
アリアが。
俺を見ている。
「どうしたの?」
「……今」
「誰かの声が」
「聞こえた」
「誰?」
「分からない」
「何て?」
俺は。
しばらく。
黙った。
そして。
答えた。
「帰る場所を」
「一つにするなって」
「……」
アリアは。
少しだけ。
笑った。
「今の私たちには」
「ぴったりだね」
「ああ」
――。
翌朝。
異変が起きた。
世界樹の周りに。
いくつもの。
小さな道が。
現れていた。
昨日まで。
なかった道。
右へ。
左へ。
森の中へ。
丘の向こうへ。
川沿いへ。
空へ続くような道まで。
「……」
カエデが。
目を丸くする。
「道」
「いっぱい」
「そうだな」
ハルが。
一つの道を。
指差した。
「あっちは」
「僕の家」
「こっちは?」
「分からない」
「じゃあ」
「行ってみる?」
ノアが。
聞く。
ハルは。
少し。
笑った。
「うん」
二人が。
走っていく。
「……」
俺は。
その後ろ姿を。
見つめた。
帰る場所が。
増えた。
でも。
どの道を。
歩くかは。
自分で決められる。
それは。
今までの世界には。
なかったものだった。
――。
昼。
俺たちは。
一番大きな道を。
歩いていた。
目的地は。
ない。
ただ。
歩いてみたかった。
途中。
ソウマが。
立ち止まる。
「……」
「どうした?」
俺が。
聞く。
「ここ」
「何か」
「知ってる」
「……?」
ソウマは。
周囲を。
見回した。
「昔」
「来たことがある」
「この世界に?」
「違う」
「もっと前」
「……」
ソウマは。
頭を押さえる。
「でも」
「思い出せない」
「無理に思い出さなくていい」
「うん」
ソウマは。
深呼吸する。
すると。
地面に。
小さな花が。
咲いた。
黒い花。
中心だけ。
青い。
「……」
俺は。
その花を。
見つめる。
すると。
ソウマが。
呟いた。
「これ」
「僕が」
「捨てた未来の花だ」
「……」
「でも」
「捨てたんじゃない」
「……?」
「僕が」
「選ぶ前に」
「誰かが」
「僕の代わりに」
「捨てたんだ」
「……」
その言葉に。
空気が。
変わった。
――。
「誰が?」
ソウマは。
首を振る。
「分からない」
「でも」
「知ってる気がする」
俺は。
花を。
見つめる。
黒い。
けれど。
枯れてはいない。
むしろ。
強く。
生きている。
「なら」
俺は。
花の横に。
しゃがむ。
「ここにいていい」
ソウマが。
俺を見る。
「……」
「捨てられた未来でも」
「選ばれなかった未来でも」
「ここにいたいなら」
「いていい」
「……」
ソウマの目に。
涙が浮かぶ。
「レオン」
「ん?」
「ありがとう」
「礼なんて」
「いらない」
「でも」
ソウマは。
笑った。
「言いたいから」
「……そっか」
「うん」
――。
その日の夕方。
世界樹の時計が。
鳴った。
――カン。
文字が。
変わる。
「第五日目」
その下。
昨日まで。
何もなかった場所に。
一つの名前が。
浮かんだ。
「ルナ」
「……!」
全員が。
息を呑む。
そして。
空が。
白く染まった。
雲が。
消える。
星も。
消える。
昼でも。
夜でもない。
不思議な空。
その中央に。
小さな扉が。
現れた。
白い扉。
でも。
誰も。
触れない。
俺は。
一歩。
前へ出る。
「……」
扉の向こうから。
声がした。
『レオン』
「……ルナ?」
『うん』
その声を聞いた瞬間。
胸の奥に。
あった光が。
一気に。
明るくなった。
「久しぶり」
『……うん』
「元気だったか?」
『元気だよ』
「アカツキは?」
『みんな元気』
「そうか」
『レオンは?』
「俺も」
「元気だ」
『……』
しばらく。
沈黙。
そして。
ルナが。
小さく。
言った。
『ねえ』
「ん?」
『扉』
「うん」
『開けて』
俺は。
取っ手に。
手を伸ばす。
でも。
止まった。
「……ルナ」
『なに?』
「この扉」
「俺が」
「開けていいのか?」
向こうから。
少しだけ。
笑う声。
『そういうところ』
『変わったね』
「……」
『昔なら』
『迷わず開けてた』
「そうかもな」
『でも』
「うん」
『今は』
『聞いてくれる』
「……」
俺は。
目を閉じる。
「開けてもいい?」
『うん』
『今度は』
『私が選んだ』
「……分かった」
俺は。
扉を。
開けた。
――。
白い光。
その向こうから。
小さな少女が。
歩いてくる。
白い髪。
白い服。
小さな身体。
「……」
ルナ。
俺は。
その姿を。
見つめた。
ルナも。
俺を。
見つめる。
しばらく。
誰も。
動かなかった。
そして。
ルナが。
一歩。
歩く。
「……ただいま」
その言葉に。
俺の胸が。
締め付けられた。
「……」
俺は。
笑う。
「おかえり」
ルナの目に。
涙が。
浮かぶ。
「……うん」
もう一歩。
歩く。
「ただいま」
「おかえり」
もう一歩。
「ただいま」
「おかえり」
その度に。
俺は。
答える。
「おかえり」
「おかえり」
「おかえり」
何度も。
何度も。
ルナは。
俺たちのところへ。
歩いてきた。
そして。
最後に。
俺の前で。
立ち止まった。
「……レオン」
「ん?」
「私」
「帰ってきた」
「ああ」
「でも」
「……」
ルナは。
俺を見上げる。
「私」
「また」
「帰るかもしれない」
「……」
「アカツキへ」
「うん」
「また」
「ここへ来るかもしれない」
「うん」
「それでも」
「いい?」
俺は。
笑った。
「ああ」
「それが」
「ルナの選択なら」
「……」
ルナは。
涙を拭う。
そして。
初めて。
昔と同じように。
笑った。
「……よかった」
その瞬間。
世界樹が。
大きく。
揺れた。
葉が。
一斉に。
空へ舞う。
そして。
一本の枝に。
新しい文字が。
刻まれた。
「第三十四原則――帰ることも、離れることも、自分で選ぶ自由。」
「……」
俺は。
その文字を。
見上げた。
ルナも。
隣で。
見上げている。
すると。
世界樹の時計が。
突然。
大きく。
逆回転を始めた。
――カチ。
――カチ。
――カチ。
時間が。
戻っていく。
第五日目。
第四日目。
第三日目。
第二日目。
そして。
第一日目。
さらに。
第零日目。
「……!」
俺は。
息を呑んだ。
時計は。
止まらない。
第零日目の。
さらに下へ。
存在しないはずの数字へ。
針が。
進んでいく。
「-一日目」
「……何だよ」
世界樹の根元。
地面が。
割れる。
そこから。
古い。
小さな階段が。
現れた。
階段の先には。
扉。
その扉には。
文字が。
刻まれていた。
「帰る前に、ここへ来た。」
「……」
ルナが。
俺の手を。
握る。
「レオン」
「ああ」
「これ」
「知ってる」
「……?」
ルナは。
扉を。
見つめていた。
「私」
「昔」
「ここに来たことがある」
「……!」
「でも」
「その時」
「あなたは」
「まだ」
「レオンじゃなかった」
「……」
俺の背筋に。
冷たいものが。
走る。
「じゃあ」
「ここは」
ルナは。
小さく。
頷いた。
「あなたが」
「レオンになる前の」
「最初の場所」
「……」
そして。
扉の向こうから。
声がした。
『やっと』
『帰ってきたね』
その声は。
俺の声だった。




