第121話 帰ってくる者
「帰ってくる者」
世界樹の最上部に。
そう刻まれた文字を。
俺は。
ずっと見上げていた。
「……帰ってくる」
その言葉を。
口にする。
不思議だった。
「選ばれる者」なら。
分かる。
誰かに選ばれる。
誰かに決められる。
誰かに必要とされる。
でも。
「帰ってくる者」。
それは。
自分の意思で。
どこかへ行き。
自分の意思で。
戻ってくる者。
「……」
今の俺たちに。
ぴったりな言葉だった。
――。
朝。
目を覚ますと。
家の前が。
騒がしかった。
「レオン!」
ユウトの声。
「起きろ!」
「……」
眠い目を擦りながら。
外へ出る。
「どうした?」
「これ」
ユウトが。
世界樹を指差す。
「……」
世界樹の時計。
昨日まで。
第三日目だった。
その数字が。
消えている。
代わりに。
一つの文字だけ。
表示されていた。
「帰還」
「……帰還?」
「そう」
ユウトが。
頷く。
「時間じゃない」
「場所でもない」
「名前もない」
「ただ」
「帰還」
「……」
俺は。
世界樹の根元へ。
歩く。
そこには。
昨日来た者たちが。
集まっていた。
ユイ。
名前のない少女。
ハジメ。
ソウマ。
そして。
アリアたち。
みんな。
世界樹を。
見上げている。
「何か」
「起きるの?」
ユイが。
聞く。
「分からない」
俺が。
答える。
「……」
ユイは。
少し。
笑った。
「レオン」
「ん?」
「分からないって」
「ちゃんと言えるようになったね」
「……」
俺は。
苦笑する。
「昔は」
「分からないって言うのが」
「怖かったんだよ」
「どうして?」
「分からないなら」
「守れないと思ってた」
「……」
「未来を」
「全部知って」
「全部決めて」
「全部守らなきゃ」
「そう思ってた」
ユイが。
首を傾げる。
「でも」
「今は?」
俺は。
世界樹を見る。
「分からないからこそ」
「一緒に」
「探せるんだと思う」
「……」
ユイは。
小さく。
頷いた。
「いいね」
――。
その瞬間。
世界樹の根元が。
光った。
「……!」
地面に。
円が。
浮かび上がる。
その中央に。
一つの扉。
でも。
今までの扉とは。
違った。
白くも。
黒くもない。
木でできた。
普通の扉。
古い。
小さな。
家の扉。
「……」
ハルが。
前へ出る。
「これ」
「見覚えある?」
俺が。
聞く。
ハルは。
首を振る。
「ない」
「でも」
「なんとなく」
「知ってる」
「……」
ハルが。
扉に。
近づく。
取っ手に。
手を置く。
その瞬間。
扉の向こうから。
声がした。
「……ただいま」
「……!」
ハルの目が。
大きく開く。
「この声……」
「誰?」
俺が。
聞く。
ハルは。
答えない。
ただ。
扉を。
見つめている。
「……」
そして。
小さく。
呟いた。
「父さん?」
――。
俺たちは。
息を呑んだ。
ハルには。
帰る場所という概念がある。
けれど。
彼の過去に。
父親がいたという話は。
聞いたことがない。
いや。
正確には。
彼が。
自分の過去を。
ほとんど。
語っていない。
「ハル」
俺が。
呼ぶ。
ハルは。
扉の前から。
動かない。
「開ける?」
「……」
長い沈黙。
「怖い」
「……」
「もし」
「違ったら?」
俺は。
ハルの隣に。
立つ。
「違ってても」
「いい」
「……」
「開けたくなければ」
「開けなくてもいい」
ハルは。
俺を見る。
「レオンは?」
「俺?」
「開けてほしい?」
俺は。
正直に。
答える。
「知りたい」
「……」
「でも」
「それは」
「俺の気持ちだ」
「……」
「お前が」
「どうしたいかの方が」
「大事だ」
ハルは。
しばらく。
考えた。
そして。
取っ手から。
手を離した。
「……今日は」
「開けない」
「分かった」
「ありがとう」
「何で?」
「待ってくれるから」
俺は。
笑った。
「ああ」
「いくらでも待つ」
――。
その瞬間。
扉の向こうから。
声がした。
「……そうか」
ハルが。
振り向く。
「父さん?」
声は。
優しかった。
でも。
扉は。
開かない。
「帰ってきてくれたんだな」
「……」
ハルの目から。
涙が。
一粒。
落ちた。
「僕」
「帰ってきたの?」
「……」
俺たちは。
誰も。
口を挟まなかった。
声の主が。
誰なのか。
まだ。
分からない。
それでも。
ハルにとって。
その言葉は。
十分だった。
「うん」
ハルが。
扉に。
向かって。
答える。
「ただいま」
扉は。
開かない。
でも。
向こうから。
返事があった。
「おかえり」
――。
その二つの言葉だけで。
ハルは。
泣いた。
声を上げず。
ただ。
静かに。
涙を流した。
アリアが。
そっと。
ハルの肩に。
手を置く。
「……」
俺は。
思った。
帰る場所は。
必ずしも。
扉の向こうに。
あるわけじゃない。
「おかえり」と。
言ってくれる場所。
それだけでも。
いいのかもしれない。
――。
昼。
ハルは。
いつもより。
よく食べた。
「パン」
「もう一個」
「いいぞ」
「スープも」
「どうぞ」
「魚」
「……」
ノアが。
横から。
言う。
「魚は」
「僕の!」
「なんでだよ」
「今日」
「僕が最初に見つけた!」
「食卓に出したのは俺だぞ」
「じゃあ」
「半分こ!」
「……」
ハルが。
笑った。
「半分こなら」
「いいよ」
ノアが。
頷く。
「うん!」
二人で。
魚を。
分ける。
「……」
俺は。
その光景を。
見ていた。
昨日まで。
ハルは。
自分の帰る場所を。
探していた。
今。
彼は。
誰かと。
食卓を。
囲んでいる。
それも。
一つの。
帰還なのかもしれない。
――。
夕方。
ユイが。
俺のところへ。
来た。
「レオン」
「ん?」
「私」
「名前」
「決めようかな」
「……」
俺は。
笑った。
「もう?」
「うん」
「昨日は」
「いらないって」
「言ってたけど」
「必要になった」
「そうか」
「自分で」
「そう思ったから」
「……」
「それなら」
「いい名前を」
「探そう」
ユイは。
空を見上げる。
「私」
「『カエデ』がいい」
「カエデ?」
「うん」
「どうして?」
少し。
考えて。
答える。
「葉っぱ」
「……」
「世界樹の葉が」
「風に飛んで」
「どこかへ行って」
「それでも」
「また」
「ここへ戻ってくるみたいだから」
「……」
俺は。
微笑んだ。
「いい名前だ」
「ありがとう」
「カエデ」
「うん」
「よろしく」
「よろしく」
世界樹が。
静かに。
光る。
そして。
新しい文字。
「第三十三原則――帰る場所を自分で選ぶ自由。」
俺は。
その文字を。
見て。
少し。
笑った。
ハルの時にも。
似た言葉だった。
でも。
今度は。
少し。
違う。
帰る場所は。
一つじゃない。
帰りたいと思う場所が。
自分にとっての。
帰る場所になる。
――。
夜。
みんなが。
眠ったあと。
俺は。
世界樹の下で。
一人。
座っていた。
カエデ。
ユイ。
ハル。
ソウマ。
ハジメ。
みんな。
少しずつ。
自分の場所を。
見つけている。
俺も。
そうなのかもしれない。
「……」
俺は。
目を閉じる。
その時。
遠くから。
声がした。
「レオン」
「……?」
「久しぶり」
俺は。
目を開けた。
そこに。
一人の女性が。
立っていた。
長い。
銀色の髪。
赤い瞳。
白い服。
「……」
見覚えがある。
でも。
すぐには。
思い出せない。
女性は。
笑っている。
「分からない?」
「……」
俺は。
立ち上がる。
「誰だ?」
女性は。
少し。
寂しそうに。
笑った。
「やっぱり」
「忘れてる」
「……」
「でも」
彼女は。
一歩。
近づく。
「それでいい」
「……何?」
「私を」
「思い出す必要はない」
「……」
「あなたが」
「私を」
「知ろうとする必要もない」
「じゃあ」
「何しに来た?」
女性は。
空を見る。
「帰ってきたの」
「……」
「どこから?」
「ずっと」
「外にいた」
「……」
俺は。
息を呑んだ。
その声。
その雰囲気。
何か。
知っている。
でも。
名前が。
出てこない。
女性は。
俺の前で。
立ち止まった。
「私は」
「ずっと」
「あなたたちの」
「外側にいた」
「……」
「選ばれなかった」
「でも」
「消えなかった」
俺の胸が。
ざわつく。
「お前も」
「忘れられた者なのか?」
女性は。
首を振った。
「違う」
「……?」
「私は」
「忘れられたんじゃない」
「自分で」
「離れた」
「……」
「あなたが」
「世界を作り始めた時」
「私は」
「そこから」
「出たの」
「どうして?」
女性は。
笑った。
「あなたが」
「幸せになれるなら」
「私が」
「いなくてもいいと思ったから」
「……!」
その言葉を。
聞いた瞬間。
俺の胸の奥に。
何かが。
弾けた。
「……まさか」
女性は。
何も言わない。
ただ。
俺を見る。
そして。
小さく。
微笑む。
「レオン」
「……」
「あなたは」
「まだ」
「私の名前を」
「思い出せない」
「……」
「だから」
「今は」
「名乗らない」
「……」
「いつか」
「あなた自身が」
「思い出した時」
「その時に」
「自分で」
「呼んでほしい」
俺は。
何も。
言えなかった。
女性は。
背を向ける。
「待って」
「……」
「どこへ?」
女性は。
振り返らず。
答える。
「帰るの」
「どこに?」
少し。
間があった。
そして。
彼女は。
言った。
「あなたたちが」
「帰る場所へ」
「……」
女性の姿が。
光に。
溶けていく。
消える直前。
彼女は。
一言だけ。
残した。
「次に会った時」
「私は」
「あなたに」
「名前を」
「選んでもらう」
――。
その瞬間。
世界樹の時計が。
鳴った。
――カン。
第四日目。
そして。
文字盤に。
新しい文字が。
浮かんだ。
「再会者――一名。」
俺は。
息を呑む。
「……」
一名。
さっきの女性。
なら。
再会したということは。
俺は。
あの人を。
知っている。
昔。
一緒にいた。
そして。
失った。
いや。
違う。
失ったんじゃない。
――。
俺が、忘れていた。
俺は。
世界樹を見上げる。
すると。
最上部。
「帰ってくる者」の文字の隣に。
新しい文字が。
現れた。
「次の帰還――ルナ。」
「……!」
ルナ。
その名前を見た瞬間。
胸の奥の光が。
強く輝いた。
そして。
世界樹の遥か彼方。
別の世界。
アカツキで。
一人の少女が。
空を見上げた。
白い髪。
白い服。
小さな身体。
彼女も。
同時に。
こちらを見ていた。
「……レオン」
ルナは。
小さく。
笑った。
「もうすぐ」
「会いに行くね」
その瞬間。
アカツキの空に。
一つの。
新しい扉が。
開いた。




