第119話 忘れていた約束
「――やっと」
「会えたね」
その声を。
俺は。
知っている。
でも。
知らない。
そんな。
不思議な感覚だった。
扉の向こう。
そこにいるのは。
幼い頃の俺。
そして。
その隣にいる。
銀色の髪の少女。
赤い瞳。
まだ。
名前を持っていない少女。
「……ルナ」
俺が。
名前を呼ぶ。
少女は。
首を傾げた。
「ルナ?」
「……」
「ああ」
「それは」
「私の名前?」
俺は。
言葉を失った。
違う。
この時の彼女には。
まだ。
名前がない。
俺が。
後から。
彼女に。
「ルナ」という名前を。
渡した。
そう思っていた。
でも。
違った。
名前を。
渡したのではない。
彼女が。
自分で。
選んだ。
そして。
俺は。
ただ。
その選択を。
聞いた。
「……」
幼い俺が。
少女に。
何かを話している。
声は。
聞こえない。
でも。
口の動きが。
分かる。
『名前は?』
そう。
言っている。
少女は。
少し。
考えて。
空を指差した。
『月』
幼い俺が。
笑う。
『じゃあ、ルナ?』
少女も。
笑った。
『うん』
「……」
俺は。
胸に。
手を当てた。
そうだった。
ルナは。
誰かに。
名前を与えられたんじゃない。
自分で。
選んでいた。
俺は。
それを。
一緒に。
喜んだだけだった。
「……」
アリアが。
静かに。
俺の隣に立つ。
「覚えてる?」
「いや」
俺は。
首を振る。
「覚えてなかった」
「でも」
「知ってる」
「……」
不思議なことだった。
記憶としては。
ない。
なのに。
心が。
知っている。
「これは」
「失った記憶じゃない」
時間の外側の少女が。
言った。
「……」
「忘れていた」
「それだけ」
「どういうこと?」
「記憶は」
「全部」
「失われるわけじゃない」
彼女は。
世界樹を見る。
「時々」
「大切すぎるものは」
「言葉になる前に」
「心の奥へ」
「しまわれる」
「……」
「だから」
「思い出せなくても」
「消えたわけじゃない」
俺は。
幼い俺を見る。
その姿は。
あまりにも。
懐かしかった。
そして。
少しだけ。
寂しかった。
「……あいつ」
「笑ってるな」
アリアが。
微笑む。
「うん」
「俺」
「昔は」
「もっと」
「簡単だったんだな」
「何が?」
「誰かと一緒にいること」
俺は。
苦笑する。
「難しく考えてなかった」
「ただ」
「一緒にいたかった」
「それだけ」
アリアが。
俺の手を。
握った。
「今も」
「同じじゃない?」
「……」
「ただ」
「たくさんのことを」
「知りすぎただけ」
「……」
その言葉に。
俺は。
笑った。
「そうかもな」
――。
映像が。
動く。
幼い俺と。
まだ名前のないルナ。
二人は。
白い草原を。
歩いている。
世界は。
まだ。
完成していない。
山も。
海も。
空も。
形がない。
それでも。
二人は。
楽しそうだった。
やがて。
一つの。
小さな光が。
落ちてくる。
幼い俺が。
拾う。
『これ、何だろう?』
少女が。
覗き込む。
『分からない』
『名前をつけようか』
『いいね』
二人は。
光を見る。
しばらく。
考える。
そして。
幼い俺が。
言った。
『アサ』
少女が。
笑う。
『朝?』
『うん』
『どうして?』
幼い俺は。
空を見る。
まだ。
朝も夜もない。
それでも。
いつか。
光が昇ることを。
信じていた。
『だって』
『これから』
『朝が来るかもしれないから』
――。
俺は。
息を呑んだ。
「アサ……」
最初の世界で。
生まれた。
小さな光。
新しい世界の。
最初の声。
アサ。
あれも。
俺たちが。
名前を選んだ。
最初の一つだった。
「……」
でも。
映像は。
そこで終わらない。
幼い俺が。
光に。
手を差し出す。
『一緒に行こう』
アサが。
小さく。
輝く。
その隣で。
ルナが。
笑う。
『また増えたね』
『うん』
『もっと増えるかな?』
『きっと』
『じゃあ』
ルナが。
言った。
『全部』
『一緒にいられたらいいね』
――。
俺は。
目を閉じた。
「……」
この言葉。
何度も。
聞いた。
ずっと。
俺の言葉だと。
思っていた。
でも。
違った。
最初に。
その言葉を。
口にしたのは。
俺だけじゃない。
俺と。
ルナ。
二人だった。
「……」
そして。
その時。
初めて。
分かった。
俺が。
ずっと。
「自分一人で」
世界を。
救おうとしていた理由。
それは。
俺自身が。
最初の約束を。
一人分のものに。
変えてしまっていたからだ。
最初は。
二人だった。
その後。
三人。
四人。
五人。
六人。
もっと。
もっと。
増えていった。
なのに。
俺は。
いつからか。
「俺が守る」
と言うようになった。
「俺が選ぶ」
と言うようになった。
「俺が犠牲になる」
と言うようになった。
――。
いつから。
「一緒に選ぶ」
ではなくなったんだろう。
「……」
俺は。
扉の中へ。
一歩。
入った。
アリアも。
隣に来る。
その瞬間。
映像が。
消えた。
幼い俺も。
ルナも。
アサも。
全部。
消える。
残ったのは。
真っ白な空間。
そして。
中央に。
一つの。
椅子。
「また」
俺は。
苦笑する。
「椅子か」
その椅子には。
文字が。
刻まれていた。
「最初に選ぶ者」
「……」
俺は。
近づかない。
もう。
この椅子が。
何を意味するのか。
分かっている。
中心。
代表。
選択者。
世界の意思を。
一人に。
集めるためのもの。
「これは」
アリアが。
言う。
「壊す?」
「……」
俺は。
少し。
考えた。
「いや」
「え?」
「今回は」
俺は。
椅子の前に。
立った。
「壊さない」
「……」
「これも」
「最初の日の一部だから」
「じゃあ」
「どうするの?」
俺は。
椅子を。
見る。
「選ばない」
「……」
「この椅子が」
「存在すること自体は」
「悪くない」
「でも」
「座るかどうかは」
「俺が決める」
アリアが。
頷く。
「うん」
俺は。
椅子の横を。
通り過ぎた。
――。
何も起きない。
椅子は。
そこにある。
ただ。
誰も。
座らない。
「……」
すると。
椅子の文字が。
変わった。
「選択者――不在」
そして。
その下に。
新しい文字。
「選択――継続中」
「……」
俺は。
思わず。
笑った。
「悪くないな」
アリアも。
笑う。
「うん」
その瞬間。
世界が。
大きく。
揺れた。
――ゴォォォン!
扉が。
消える。
俺たちは。
元の世界へ。
戻された。
「レオン!」
ユウトが。
駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「ああ」
「何があった?」
「最初の日を」
「見てきた」
「……」
「それから」
俺は。
少し。
笑った。
「俺が」
「何を忘れてたのかも」
「分かった」
ユウトが。
首を傾げる。
「何を?」
「最初の約束」
「……?」
「また会おう」
「それだけじゃない」
「一緒に選ぼう」
「……」
ユウトは。
しばらく。
黙っていた。
そして。
笑った。
「兄貴らしいな」
「そうか?」
「うん」
「昔から」
「一人で抱えすぎなんだよ」
「……」
痛いところを。
突かれた。
「だから」
ユウトは。
俺の肩を。
叩く。
「これからは」
「一緒に選べばいい」
俺は。
頷いた。
「そうする」
――。
その日の夜。
俺は。
一人で。
世界樹の下に。
座っていた。
空には。
星。
静かな夜。
風。
葉の音。
「……」
俺は。
手の中の。
透明な石を見る。
「また会おう」
小さく。
呟く。
すると。
石が。
淡く。
光った。
『――うん』
「……!」
声。
でも。
今回は。
聞き覚えがあった。
「ルナ?」
『違うよ』
「……」
『まだ』
『私は』
『そこにいない』
「じゃあ」
『私は』
『君が』
『会いたいと』
『思った場所にいる』
「……」
「どういう意味だ?」
『会いたいと思った時』
『そこが』
『再会の始まりだから』
「……」
俺は。
空を見る。
「ルナ」
『うん』
「また」
「会えるよな」
『うん』
「約束?」
少し。
間があって。
声が。
笑った。
『約束じゃないよ』
「……え?」
『選択』
「……」
『また会いたいなら』
『その時』
『また選ぼう』
俺は。
笑った。
「ああ」
――。
その時だった。
世界樹の上から。
一枚の葉が。
落ちてきた。
俺の手の中へ。
葉には。
見覚えのない文字が。
書かれている。
「第三十原則――選び直す者を、待つ自由。」
「……」
そして。
葉の裏側。
そこに。
小さな文字。
俺だけに。
読めるように。
書かれていた。
「レオン。」
「……?」
「君が最初に忘れた者は、まだ一人ではない。」
俺の手が。
止まる。
「……一人じゃない?」
葉の文字が。
さらに。
浮かび上がる。
「忘れられた者たちは、君が捨てたのではない。」
「君が選ぶ前に、先に選ばれてしまった者たちだ。」
「……!」
その瞬間。
世界樹の向こう。
夜空に。
無数の光が。
灯った。
一つ。
二つ。
十。
百。
千。
数え切れない。
光。
その全てが。
こちらを。
見ている。
そして。
同時に。
声がした。
『レオン』
『次は』
『僕たちの番だよ』
「……」
俺は。
立ち上がった。
胸の奥が。
熱くなる。
懐かしい。
でも。
知らない。
そんな声たち。
そして。
最後に。
一つだけ。
他とは違う声が。
聞こえた。
『レオン』
『僕は』
『君に』
『選ばれたくない』
「……」
『僕自身で』
『ここに来たい』
俺は。
静かに。
頷いた。
「分かった」
「待ってる」
すると。
夜空の光が。
一つ。
また一つ。
消えていった。
まるで。
それぞれが。
自分の道を。
選ぶように。
――。
俺は。
その夜。
初めて。
「待つ」ということを。
怖いと思わなかった。
誰かを。
無理に。
連れてこなくてもいい。
誰かに。
選ばせなくてもいい。
誰かが。
自分で。
ここへ来る日まで。
待てばいい。
それも。
一つの。
選択だから。
そして。
朝。
世界樹の時計が。
静かに。
一日進んだ。
第二日目。
その数字の下には。
新しい文字。
「次の再会まで――残り一日。」
「……」
俺は。
その文字を見て。
少しだけ。
笑った。
再会する相手は。
まだ。
分からない。
でも。
今度は。
焦らない。
俺たちは。
一緒に。
その日を。
迎えればいい。




