第118話 最初の約束
「最初の約束を――」
黒い扉の向こうから。
声が聞こえた。
「捨てた?」
俺は。
その言葉を。
何度も頭の中で繰り返した。
「……俺が?」
扉は。
答えない。
ただ。
静かに。
そこに立っている。
アリアが。
俺の隣に来た。
「最初の約束って」
「何だろう?」
「……」
俺は。
目を閉じた。
記憶を探す。
最初の日。
零日目。
その前。
さらに。
その前。
ルナ。
小さな光。
何もない世界。
そして。
俺が言った言葉。
『全部、一緒にいられたらいいな』
『選ばなければいい』
――。
「それじゃない」
アリアが。
首を傾げる。
「違うの?」
「たぶん」
「じゃあ」
俺は。
扉を見る。
「もっと前だ」
「もっと?」
「ああ」
その瞬間。
扉が。
ゆっくりと。
開いた。
――。
中には。
何もなかった。
いや。
正確には。
一つだけ。
古いベンチが。
置かれていた。
その上に。
小さな箱。
木でできた。
古い箱だった。
「……」
俺は。
近づく。
箱には。
文字が刻まれている。
『二人で開けること』
「二人?」
アリアが。
俺を見る。
「私と?」
「……たぶん」
俺は。
箱に手を伸ばす。
でも。
触れる前に。
手が止まった。
「どうしたの?」
「怖い」
「……」
「何が入ってるか」
「分からない」
アリアは。
笑った。
「じゃあ」
「一緒に開けよう」
俺は。
頷いた。
二人で。
箱に手を置く。
――カチ。
蓋が。
開いた。
中にあったのは。
一枚の紙。
そして。
小さな石。
透明な石だった。
紙には。
短い文章が。
書かれていた。
『いつか、離れてしまっても。』
「……」
その続きを。
読む。
『また会おう。』
俺の胸が。
強く鳴った。
「……」
アリアが。
紙を見る。
「また会おう」
「これが」
「最初の約束?」
俺は。
頷いた。
「ああ」
でも。
何かが。
おかしい。
「……」
「どうしたの?」
「この字」
「知ってる」
「誰の?」
「俺の字だ」
「……」
俺は。
紙を。
裏返した。
何もない。
表だけ。
たった二行。
『いつか、離れてしまっても。』
『また会おう。』
「……」
俺は。
思い出した。
ずっと昔。
世界が。
まだ。
世界ですらなかった頃。
俺と。
ルナ。
まだ。
名前すらなかった二人。
別れる直前。
俺は。
ルナに。
言った。
――また会おう。
「……」
でも。
俺は。
首を振った。
「違う」
「え?」
「これは」
「ルナとの約束じゃない」
「じゃあ」
俺は。
紙を。
もう一度。
見る。
その瞬間。
文字が。
変わった。
『誰とでもいい。』
「……!」
さらに。
文字が。
浮かぶ。
『誰か一人を選ぶ約束ではない。』
『全員と、また会うための約束。』
「……」
俺は。
息を呑んだ。
「これ」
「俺が」
「忘れてたんじゃない」
アリアが。
静かに。
続ける。
「捨てたわけでもない」
「……」
「ただ」
「一人を救うことに」
「必死になりすぎて」
「忘れていた」
「……ああ」
俺は。
頷いた。
最初の約束。
それは。
誰か一人を。
永遠に守ることではない。
誰か一人を。
選ぶことでもない。
――。
「また会おう」
それは。
離れても。
終わっても。
別々の道を。
歩いても。
いつか。
もう一度。
会えると信じること。
「……」
俺は。
小さな石を。
手に取った。
その瞬間。
光が。
溢れた。
「――っ!」
視界が。
真っ白になる。
そして。
声が聞こえた。
『レオン』
「……!」
『約束は』
『守るものではない』
「……?」
『選び続けるものだ』
「選び続ける?」
『一度』
『また会おうと決めても』
『その後』
『会いたくない日が来るかもしれない』
『別れたい日が来るかもしれない』
『怒る日も』
『嫌いになる日も』
『あるかもしれない』
「……」
『それでも』
『また会いたいと思った時』
『もう一度』
『選べばいい』
俺は。
黙って聞いていた。
「……」
それは。
これまでの俺が。
最も苦手だったことだった。
俺は。
失うことが怖かった。
だから。
失わない世界を。
作ろうとした。
誰も離れない世界。
誰も死なない世界。
誰も別れない世界。
でも。
そんな世界では。
「また会おう」
という言葉は。
必要ない。
別れがないなら。
再会もない。
「……」
俺は。
小さく。
笑った。
「そういうことか」
アリアが。
俺を見る。
「分かった?」
「ああ」
俺は。
石を。
握りしめる。
「俺は」
「みんなと」
「ずっと一緒にいる世界を」
「作ろうとしてた」
「……」
「でも」
「本当に欲しかったのは」
「違った」
「何?」
「離れても」
「また会えること」
アリアが。
微笑んだ。
「うん」
「だから」
俺は。
扉の外を見る。
「ルナとも」
「また会える」
「……」
「ユナとも」
「ソウマとも」
「ハジメとも」
「みんな」
「いつか」
「別々の道を」
「歩いても」
「また会える」
アリアが。
俺の手を。
握った。
「私とも?」
俺は。
一瞬。
言葉を失った。
そして。
笑う。
「もちろん」
「約束?」
「ああ」
「じゃあ」
アリアも。
笑った。
「また会おう」
「……今、一緒にいるけどな」
「それでも」
「うん」
「また会おう」
俺は。
頷いた。
「また会おう」
――。
その瞬間。
世界樹の方角から。
大きな音がした。
――ゴォォォン!
「……!」
俺たちは。
扉の外へ。
走る。
世界樹が。
光っている。
葉が。
一枚。
また一枚。
空へ。
舞い上がっていく。
そして。
それぞれの葉に。
違う景色が。
映し出される。
「……これ」
アリアが。
呟いた。
「未来?」
「ああ」
でも。
今回は。
未来だけではなかった。
過去。
現在。
まだ存在しない未来。
失われた可能性。
選ばれなかった世界。
全部。
一つの葉に。
同時に。
映っている。
「時間が」
時間の外側の少女が。
呟く。
「混ざってる」
「……」
「違う」
彼女は。
首を振る。
「混ざってるんじゃない」
「じゃあ?」
「並んでる」
「……?」
「過去も」
「現在も」
「未来も」
「選ばれなかった可能性も」
「全部」
「同じ場所に」
「並んでる」
「……」
世界樹の根元。
そこに。
一本の道が。
現れた。
道の両側に。
無数の扉。
それぞれに。
名前が書かれている。
「ユウト」
「アリア」
「セリア」
「セレナ」
「ノア」
「ハル」
「ミライ」
「ソウマ」
「ハジメ」
「ミナ」
「ルナ」
「……」
そして。
最後の扉。
そこには。
名前がなかった。
ただ。
こう書かれている。
『まだ会っていない者』
「……」
俺は。
その扉を見る。
「誰だ?」
誰も。
答えない。
俺が。
扉に近づく。
すると。
扉の向こうから。
小さな声。
「……レオン」
俺は。
固まった。
その声は。
聞いたことがある。
でも。
誰の声なのか。
分からない。
「誰だ?」
返事。
「……」
もう一度。
「誰だ?」
すると。
扉の向こうから。
笑い声がした。
「まだ」
「名前がない」
「……」
その声に。
妙な懐かしさを。
感じる。
そして。
声が。
続ける。
「でも」
「君は」
「僕を」
「知ってる」
「……?」
俺は。
扉に。
手を置いた。
すると。
胸の中の光が。
一つ。
強く輝いた。
見覚えのある光。
最初の五つ。
六つ。
それとは違う。
もっと。
小さい。
もっと。
遠い。
そして。
俺は。
気づいた。
「……まさか」
扉の向こうから。
声。
「気づいた?」
「……」
「僕は」
「君が」
「最初に」
「選ばなかった」
「可能性」
「……」
俺の呼吸が。
止まる。
「選ばなかった?」
「うん」
「でも」
「消えなかった」
「……」
「だって」
「君が」
「最初に」
「こう言ったから」
声が。
笑う。
『また会おう』
「……!」
俺は。
扉から。
手を離した。
「お前は」
「誰なんだ?」
しばらく。
沈黙。
そして。
扉の向こうから。
一言。
「――君が」
「一番最初に」
「忘れた僕」
「……」
世界樹の葉が。
一斉に。
落ちた。
そして。
すべての葉に。
同じ文字が。
浮かんだ。
「第二十九原則――再会する自由。」
俺は。
その言葉を。
見つめた。
再会。
それは。
必ず起きる未来じゃない。
約束された運命でもない。
ただ。
もう一度。
会いたいと。
自分で選ぶこと。
「……」
俺は。
黒い扉を見る。
「なら」
俺は。
取っ手を。
握った。
「お前にも」
「また会おう」
扉の向こうで。
誰かが。
泣いた。
「……うん」
そして。
扉が。
ゆっくり。
開き始めた。
その隙間から。
見えたのは――。
幼い頃の。
俺だった。
ただし。
その少年は。
一人ではない。
隣に。
誰かがいる。
銀色の髪。
赤い瞳。
そして。
その少女は。
まだ。
名前を持っていなかった。
「……」
俺は。
息を呑んだ。
「ルナ……?」
少女が。
振り向く。
でも。
その顔は。
俺の知っているルナとは。
少し違っていた。
少女は。
俺を見て。
静かに。
笑った。
そして。
口を動かす。
「――やっと」
「会えたね」
俺は。
その瞬間。
気づいた。
最初の約束は。
「また会おう」ではなかった。
その前に。
もう一つ。
約束があった。
――。
「いつか、ちゃんと自分で選べるようになろう」
その言葉を。
俺は。
忘れていた。
そして。
今。
ようやく。
思い出した。




