第106話 名前のない隣人
「やっと」
「会えたね」
その子供は。
そう言った。
俺は。
動けなかった。
目の前にいる。
小さな子供。
黒い髪。
白い服。
赤い瞳。
その姿は。
俺に似ている。
けれど。
俺ではない。
「……誰だ?」
俺が。
ようやく聞く。
子供は。
笑った。
「それ」
「ずっと」
「聞きたかった」
「……?」
「僕は」
「誰?」
「……」
質問に。
質問で返された。
俺は。
少し困る。
「それを」
「俺に聞いてるのか?」
「うん」
「……」
子供は。
手に持っていた。
小さな枝を見る。
「僕には」
「まだ」
「名前がない」
「……」
「だから」
「僕が誰なのか」
「僕自身も」
「知らない」
その言葉。
どこかで。
聞いたことがある。
ソア。
ハネ。
カナ。
ミライ。
そして。
五人目。
みんな。
最初は。
同じ言葉を。
口にした。
――私は何者?
――僕は何者?
「……」
俺は。
子供の前に。
しゃがむ。
「じゃあ」
「今から」
「探せばいい」
「……?」
「お前が」
「何者なのか」
「自分で」
「見つければいい」
子供は。
少し。
目を丸くする。
「僕が?」
「ああ」
「……誰かが」
「教えてくれるんじゃなくて?」
「自分で決めるんだ」
「……」
子供は。
黙った。
そして。
小さく。
笑った。
「それ」
「君が」
「昔」
「僕に言った」
「……!」
俺の胸が。
跳ねた。
「昔?」
「うん」
「ずっと」
「昔」
「世界が」
「まだ」
「何もなかった頃」
俺は。
息を呑む。
「お前は」
「俺と」
「会ったことがあるのか?」
「あるよ」
「何度も」
「……」
「でも」
「君は」
「いつも」
「僕を」
「忘れた」
胸の奥が。
痛む。
「……ごめん」
俺が。
そう言うと。
子供は。
首を振った。
「謝らなくていい」
「……」
「だって」
「忘れたのは」
「君だけじゃない」
「……?」
子供は。
後ろを振り返る。
そこには。
真っ白な空間。
何もない。
でも。
よく見ると。
白の中に。
いくつもの。
小さな点がある。
「これは?」
「記憶」
「……」
「まだ」
「誰にも」
「選ばれていない」
「記憶?」
「うん」
子供は。
一つの光に。
触れる。
すると。
映像が。
浮かんだ。
俺。
ルナ。
ユウト。
イオ。
そして。
五人目。
まだ。
誰も。
名前を持っていない。
みんなで。
小さな世界樹の芽を。
囲んでいる。
「……」
その光景。
俺は。
見たことがある。
零日目。
でも。
少し。
違う。
人数が。
多い。
「……五人目だけじゃない」
俺は。
呟く。
「もっと」
「いた」
「うん」
子供が。
頷く。
「世界が」
「一つに」
「なる前は」
「たくさんの」
「可能性が」
「一緒に」
「いた」
「……」
「君は」
「全部を」
「残したかった」
「でも」
「できなかった」
俺は。
黙る。
「……だから」
「俺は」
「世界を」
「一つにした」
「うん」
「そして」
「残せなかったものを」
「捨てた」
子供は。
首を振った。
「違う」
「……?」
「捨てたんじゃない」
「君は」
「預けた」
「預けた?」
「うん」
子供は。
小さな枝を。
俺に見せる。
「これ」
「……枝?」
「世界樹の」
「最初の枝」
「……!」
俺は。
目を見開く。
その枝には。
小さな芽が。
一つ。
ついている。
「この芽は」
「まだ」
「どこにも」
「属していない」
「……」
「君が」
「選ばなかった」
「全部の可能性を」
「ここに」
「預けた」
「……」
俺は。
言葉を失った。
「じゃあ」
「今まで」
「俺たちが」
「出会った存在は……」
「全部」
「そこから」
「生まれた可能性」
子供は。
頷いた。
「だから」
「選ばれなかった未来は」
「消えなかった」
「……」
「ずっと」
「眠っていた」
「世界樹の」
「根っこの下で」
俺は。
胸に。
手を当てる。
今まで。
何度も。
不思議な存在たちと。
出会ってきた。
そのたびに。
俺は。
思っていた。
どうして。
こんなにも。
俺たちの世界には。
「選ばれなかった存在」が。
集まってくるのか。
偶然では。
なかった。
全部。
最初から。
繋がっていた。
「……」
俺は。
子供を見る。
「お前も」
「その一人なのか?」
「違う」
「……?」
子供は。
少し。
悲しそうに。
笑った。
「僕は」
「可能性じゃない」
「じゃあ」
「何なんだ?」
「……」
子供は。
枝を。
胸に当てる。
すると。
小さな光が。
灯った。
「僕は」
「選ぶ前の」
「君」
「……!」
「正確には」
「君が」
「選択を」
「始める前に」
「存在していた」
「もう一人の」
「君」
「……」
俺は。
言葉を失った。
以前。
俺は。
「もう一人の俺」と。
会った。
でも。
あいつとは。
違う。
あいつは。
俺が。
世界を一つにした後。
選ばれなかった可能性。
目の前の子供は。
もっと前。
選ぶという行為そのものが。
始まる前の俺。
「……」
子供が。
笑う。
「だから」
「君と」
「同じじゃない」
「でも」
「君でもある」
「……」
「僕は」
「君が」
「最初に」
「捨てた可能性じゃない」
「……?」
「君が」
「最初に」
「持っていた」
「可能性」
「……」
その瞬間。
世界が。
静かになった。
子供の声が。
響く。
「――何も選ばないという可能性」
「……!」
何も。
選ばない。
それは。
第十五原則。
選ばない自由。
でも。
俺たちが。
ずっと。
後から。
見つけた考え。
違う。
最初から。
存在していた。
「……」
子供は。
続ける。
「君は」
「最初」
「何も」
「選びたくなかった」
「……」
「ただ」
「みんなと」
「一緒に」
「いたかった」
「……ああ」
「それだけで」
「よかった」
「……」
「でも」
「世界が」
「始まるためには」
「何かを」
「選ばなければ」
「ならなかった」
「……」
「だから」
「君は」
「選んだ」
俺は。
目を閉じる。
そうだ。
俺は。
世界を作りたかったわけじゃない。
支配したかったわけでも。
中心になりたかったわけでもない。
ただ。
一人が。
嫌だった。
みんなと。
一緒に。
いたかった。
そのために。
「選んだ」。
そして。
その選択が。
世界を。
始めた。
「……」
子供が。
言う。
「でも」
「君が」
「選んだ瞬間」
「僕は」
「いなくなった」
「……」
「選ばない可能性は」
「必要なくなったから」
「……」
「でも」
「消えなかった」
「……」
「ずっと」
「君の中に」
「残っていた」
俺は。
胸に。
手を当てる。
たくさんの。
光。
可能性。
記憶。
そして。
まだ。
眠っているもの。
「……だから」
「俺は」
「何度も」
「迷ったのか?」
子供は。
笑った。
「うん」
「……」
「君は」
「本当は」
「ずっと」
「分かっていた」
「何を?」
「一つに」
「決めることが」
「怖かった」
「……」
その通りだった。
俺は。
何度も。
一つを。
選ぶたびに。
何かを。
失ってきた。
だから。
世界を。
やり直した。
何度も。
何度も。
「……」
俺は。
子供に。
聞く。
「じゃあ」
「お前は」
「俺に」
「何を」
「望む?」
子供は。
すぐには。
答えなかった。
そして。
俺の手を。
見た。
「その手」
「……?」
「僕にも」
「貸して」
俺は。
手を。
差し出した。
子供が。
小さな手を。
重ねる。
――。
その瞬間。
世界が。
光に包まれた。
「……!」
音が。
消える。
時間が。
消える。
世界が。
消える。
俺たち二人だけが。
白い空間に。
残った。
そして。
子供が。
言った。
「選んで」
「……」
「僕を」
「どうする?」
「……?」
「消す?」
「残す?」
「それとも」
「どちらでもない?」
俺は。
黙った。
これは。
試験なのか。
最初の選択を。
もう一度。
繰り返せというのか。
でも。
俺は。
すぐに。
気づいた。
「……」
これは。
違う。
俺が。
一人で。
決める必要はない。
「俺は」
「お前を」
「消さない」
子供が。
少し。
目を見開く。
「……」
「でも」
「残すとも」
「決めない」
「……?」
「お前が」
「自分で」
「決めればいい」
子供は。
驚いた顔をする。
「僕が?」
「ああ」
「僕自身で?」
「ああ」
「……」
「俺は」
「もう」
「お前の未来を」
「決めない」
その言葉を。
聞いた瞬間。
子供の目から。
涙が。
一粒。
落ちた。
「……」
「ずっと」
「それを」
「待ってた」
「……」
「僕を」
「選ばないで」
「僕に」
「選ばせて」
「……ああ」
俺は。
頷く。
「それが」
「今の俺たちの」
「選択だ」
すると。
子供の胸から。
小さな光が。
生まれた。
白。
青。
赤。
金。
いろいろな色が。
混ざっていく。
「……」
子供は。
それを。
見つめる。
そして。
初めて。
自分の口で。
言った。
「じゃあ」
「僕は」
「自分を」
「選ぶ」
――。
世界が。
大きく。
揺れた。
地面が。
生まれる。
空が。
生まれる。
風が。
吹く。
遠くで。
世界樹が。
巨大な枝を。
伸ばす。
そして。
子供の手に。
持っていた。
小さな枝が。
一本の。
木になる。
「……」
その木の根元に。
文字が。
浮かんだ。
第二十一原則――自分で選ぶ権利は、選択される前から存在する。
俺は。
その文字を。
見つめる。
「……」
新しい原則。
でも。
これは。
新しいというより。
最初から。
そこにあったもの。
俺たちが。
ようやく。
見つけただけ。
子供は。
木を。
見上げる。
「……」
「名前」
俺が。
言う。
「決める?」
子供は。
首を振った。
「まだ」
「……」
「もう少し」
「待ちたい」
俺は。
笑った。
「分かった」
「……」
「じゃあ」
「名前が」
「決まるまで」
「俺が」
「何て呼べばいい?」
子供は。
少し。
考えて。
答えた。
「……隣」
「隣?」
「うん」
「名前じゃないけど」
「僕は」
「君の隣にいたから」
「……」
俺は。
笑った。
「じゃあ」
「今は」
「隣でいい」
「うん」
――。
その瞬間。
遠くで。
時計が。
鳴った。
カチ。
カチ。
カチ。
止まっていた。
時間が。
再び。
動き始める。
俺は。
目を閉じる。
そして。
気づいた。
俺たちは。
「最初の選択」を。
やり直したんじゃない。
最初の選択を。
「一人で決める」という。
古い形そのものを。
変えたのだ。
「……」
扉の向こうから。
現実の世界が。
戻ってくる。
アリアの声。
ユウトの声。
ノアの笑い声。
みんなの声。
「……」
俺は。
振り返る。
隣には。
あの子供。
まだ。
名前はない。
でも。
もう。
一人ではない。
「帰ろう」
俺が。
言う。
「……うん」
二人で。
歩く。
扉を。
抜ける。
――。
世界樹の下。
俺たちが。
戻ってきた瞬間。
全員が。
こちらを見る。
「レオン!」
アリアが。
駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「ああ」
「その子は……?」
「……」
俺は。
隣を見る。
子供は。
少し。
恥ずかしそうに。
している。
「まだ」
「名前はない」
「……」
アリアは。
笑った。
「そっか」
「うん」
「じゃあ」
「待とう」
「……ありがとう」
ノアが。
子供の前に。
走ってくる。
「ねえ!」
「何?」
「お腹すいた?」
「……」
子供は。
困った顔をする。
「……分からない」
ノアが。
真剣な顔で。
言う。
「じゃあ」
「食べてみよう!」
「……」
俺は。
思わず。
笑ってしまった。
「それでいい」
ノアは。
子供の手を。
引っ張る。
「こっち!」
「……」
子供は。
俺を見る。
俺は。
頷く。
「行ってこい」
「うん」
二人が。
走っていく。
その姿を。
見ながら。
俺は。
胸の中で。
思った。
最初の世界。
あの時。
俺は。
一人で。
全部を。
決めようとした。
でも。
今は。
違う。
誰かが。
誰かを。
連れていく。
誰かが。
誰かを。
待つ。
誰かが。
誰かの。
隣にいる。
それだけで。
世界は。
少しずつ。
変わっていく。
――。
その夜。
世界樹の葉に。
新しい文字が。
浮かんだ。
第二十一原則。
そして。
その下に。
もう一行。
誰が書いたのか。
分からない言葉が。
刻まれていた。
「最初の選択を終わらせるには、最後の選択を誰か一人にさせてはいけない。」
俺は。
その文字を。
見つめた。
「……最後の選択」
その言葉だけが。
妙に。
胸に残った。
すると。
世界樹の一番上。
あの。
名前のない光が。
突然。
強く輝いた。
そして。
遠く。
世界の果てから。
声がした。
『最後の選択が』
『近づいている』
「……!」
俺は。
空を見上げる。
星が。
一つ。
また一つ。
消えていく。
その先に。
巨大な。
黒い扉が。
浮かび上がった。
扉には。
今まで。
見たことのない文字。
「最後の日」
俺は。
息を呑んだ。
――まだ。
俺たちは。
最後の日を。
選んでいない。
なのに。
その扉は。
もう。
開き始めていた。




