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硝子玉の宇宙、箱庭の娘たち【新版】  作者: 硝子玉の宇宙
わたしたちじゃない箱庭の娘たち

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第49話-枯れない花の記録

三人が女子会空間で手をつなぎ、調査結果を待っていた頃、惑星監理局の第七会議室は完全に閉じられていた。


遮音術式は四重に展開され、記録制限、外部干渉遮断、魔力残滓の自動分解が有効化されている。室内通信も、局長権限を除いてすべて停止していた。惑星監理局の中でも、ここまで厳重に閉ざされる会議は多くない。


会議卓の中央には、花畑の惑星から回収された古い記録端末が置かれていた。


外装にはひびが走り、端子は錆び、内部の記録媒体も半分以上が劣化している。施設を放棄する際、何者かが意図的に破壊した痕跡も残されていた。それでも情報班と技術班は、欠損していた映像をつなぎ、崩れた音声を拾い、削除された記録の残骸から時系列を組み直した。


復旧してしまった。


ジェレミー・クリエットは、会議卓の中央席に座っていた。正面の壁面投影には、何も映っていない黒い画面があり、その左右には副長、調査班長、情報班主任、医療班主任、精神保護室長、倫理監査主任、魔術制御部長が並んでいる。


誰も口を開かなかった。


やがて情報班主任が、確認するように言った。


「再生前に、もう一度報告します。これは現地地下施設から回収された記録端末内の映像です。時系列は一部欠損。音声にも復元不能部分があります。ただし、捕獲から施設放棄までの主要記録は復元できています」


ジェレミーは短く答えた。


「再生しろ」


情報班主任は一瞬だけ目を伏せ、それから再生を開始した。


黒い画面に、光が入る。


最初に映ったのは、花畑だった。


小さな白い花と淡い紫の花。綿毛のように空へ舞う草花の種。薄い青空の下には丸い丘が連なり、風が吹くたび、色の違う花が同じ方向へ揺れていた。


レトたちが訪れた場所と同じ花畑だった。


その中心に、一人の少女が座っている。


レトより小さく、ロジーよりは少し大きい。映像から判断できる背丈は、その程度だった。髪の色は淡く、日の光を受けるたびに違う色へ揺れて見える。大きな瞳と幼い顔立ちを持ち、身体は人間の少女によく似ていた。


少女は足元へ落ちた花びらを両手ですくい、風に舞い上がったそれを見上げて笑った。音声は少し割れていたが、その笑い声だけは妙にはっきりと残されていた。


会議室の誰も動かなかった。


映像の中で、少女は一本の花を摘んだ。茎を折らないように指先でそっと持ち上げ、胸元へ運び、嬉しそうに眺めながら何かを話している。言葉は復元できていない。


やがて画面の端に、複数の影が入った。


全身装甲を着た人間たちだった。黒に近い灰色の外装。頭部を覆う密閉兜。肩から背にかけて取りつけられた魔術増幅器。腕部には、拘束術式を射出するための装置がある。胸部には所属紋章らしきものが刻まれていたが、映像の欠損と汚損が重なり、識別できなかった。


少女は人影を見た。


警戒していない。逃げようともしていない。知らない人間が花畑へ来たのだと思ったのか、摘んだ花を持ったまま立ち上がり、笑った。


そして、人間たちの方へ一歩近づいた。


次の瞬間、少女の周囲で魔力が動いた。


装甲の人間たちが反応するよりも速かった。


魔術増幅器が一斉に起動し、拘束具を構えていた者が腕を上げる。後方の二人は反射的に攻撃術式の照準を少女へ合わせ、前列の一人は防護障壁を展開しかけた。


最大警戒。


未知の魔力生命体が、予備動作もなく魔術を発動した。それだけを見れば、反応としては間違っていなかった。


けれど、少女の魔術が起こしたのは攻撃ではなかった。


花畑から巻き上がった色とりどりの花びらが、人間たちの周囲をくるりと巡る。赤、白、淡い紫の花が細い輪へつながり、灰色の装甲の首元へ花のネックレスをかけた。


別の花びらは兜の上へ集まり、小さな花束になってちょこんと載った。


肩の魔術増幅器には白い花が一輪ずつ咲き、拘束具を構えた腕にも、細い花の輪が巻きついていた。


少女は人間たちを見上げていた。


驚かせてしまったと思ったのか、少しだけ首を傾げる。それから自分の胸元にある花を指し、装甲についた花を指して、もう一度笑った。


歓迎しているように見えた。


花畑に来た人間たちを、自分と同じように花で飾っただけだった。


攻撃術式を構えた人間たちは動かなかった。


兜の上に小さな花束を載せたまま、少女を見ている。


短い沈黙があった。


誰かが攻撃術式を解除した。別の一人が、装甲の首元にかけられた花の輪を片手で払い落とす。


前列の人間が腕を上げた。


音声が乱れる。


次の瞬間、拘束術式が展開された。


白い輪が少女の手首、足首、胴体へ走り、最後に首元を閉じる。少女の身体は花畑へ倒れ、握っていた花が手から離れかけた。


何が起きたのか理解できていないまま、少女は拘束された手を動かそうとした。起き上がろうとし、声を上げる。術式の輪が締まり、少女の表情から笑顔が消えた。


青空と花畑は、白いノイズに変わった。


◇


次の映像には、窓のない小さな部屋が映っていた。


灰色の壁と継ぎ目のない床。壁面と床には、内側から魔術を展開できないよう、複数の妨害術式が埋め込まれている。


少女は部屋の隅に座り、膝を抱えていた。手足に拘束具は見えない。それでも、部屋そのものが檻だった。


両手には、花畑で摘んだ一輪の花がある。少女はそれを潰さないように包み、胸元へ抱えていた。


画面の外から、感情の薄い男の声が入る。


『対象、覚醒。拘束後十八時間経過』


続いて、別の声が記録を読み上げた。


『魔力核を確認。人型肉体を形成した魔力生命体と判定。血液、呼吸器官、消化器官あり。生命循環は人間型肉体に準拠』


少女が何かを言った。


小さな声だった。音声は潰れており、言葉として復元することはできない。泣いていることだけは分かった。


『発声反応あり。既知人間言語との一致なし』


『情緒反応を確認。恐怖、警戒、逃避要求に相当』


『花弁を保持。対象物への愛着反応を確認』


少女は花を抱いたまま、さらに部屋の隅へ身体を寄せた。


扉が開く。白い研究衣を着た人間たちが入ってきた。少女は立ち上がろうとしたが、背中が壁に当たる。逃げる場所はなかった。


そこで映像が切り替わった。


◇


それ以降の記録には、二つの研究計画が並行して残されていた。


第一研究系統は、中枢術式の構造解析だった。


魔力生命体の中枢術式は、魔力核が形成した術式を基礎とし、固有魔力特性、肉体、生命循環、魔力循環と接続することで、個体固有の機能として成立する。


人間は、そうした機能を観測し、人間が扱える術式へ置き換えることで、幾度も技術を発展させてきた。遠隔地を結ぶ星間通信、広大な宇宙を渡る航行補助、都市の環境制御。魔力を利用する小さな生活用品にも、起源をたどれば魔力生命体の中枢術式へ行き着く技術がある。


端末に残された研究計画には、簡潔な目的が記されていた。


個体固有中枢術式の抽出。


人間術式への変換。


外部機器への実装。


少女が持つ中枢術式の詳細は、初期記録では判別できていなかった。ただ、花を手にしている時だけ、花の生命循環に微弱な変化が起きている。


茎は折れず、花弁は落ちず、通常なら短時間で失われる水分と魔力が保たれていた。研究者たちは、その現象を中枢術式の一部と推測した。


第二研究系統は、対象個体の分類調査だった。


捕獲から数日後の記録には、次の追記が残されている。


人間と同等に近い肉体構造。


血液、内臓、呼吸、睡眠、食事を確認。


幼体外形を維持。


自発的な対人接触。


高度な情緒反応。


他者への愛着形成。


人間模倣行動を確認。


知識、言語、情緒の発達に非同期性あり。


箱庭の娘分類候補。


箱庭の娘たちを他の魔力生命体から分ける最大の特徴は、人間に限りなく近い肉体と精神を持つことにある。


人間と同じように食事をし、眠り、疲れ、傷つけば痛みを感じる。恐怖や喜び、愛着を持ち、周囲の人間から言葉や振る舞いを学ぶ。幼い少女の姿をしているだけではない。身体の構造も、感情の動きも、人間の少女とほとんど変わらない。


その一方で、外見は成長せず、知識、能力、情緒の発達は人間の年齢段階と一致しない。


研究者たちは、少女が箱庭の娘である可能性に気づいていた。


それでも、保護機関へ報告しなかった。


希少な中枢術式を持つ可能性。


人間に限りなく近い肉体と精神を形成した魔力生命体であること。


幼い外見のまま完成した肉体。


人間の言葉や行動を学び、接触した相手へ感情を向ける性質。


そのすべてを、研究価値として記録した。


研究者たちは、中枢術式だけではなく、少女そのものを研究対象にした。


◇


映像は断片的に切り替わっていく。


術式陣の中央に座らされる少女。魔力核から全身へ伸びる魔力経路を測定される少女。人間の食事を与えられ、食べ方を観察される少女。


研究者がコップを持ち上げると、少女は少し遅れて同じ動きをした。簡単な言葉を聞かされると、唇の動きを真似ようとする。


白い服の人間が部屋へ入るたび、少女は花を胸元へ隠した。別の研究者が優しい声を使うと、迷いながら顔を上げる。だが、その直後に拘束術式が展開されると、再び人間から距離を取るようになった。


記録者の声は、どの場面でも変わらない。


『対人接触後、人間模倣反応の増加を確認』


『発声形式、対象職員の口唇運動を模倣』


『笑顔に類似する表情変化あり』


『食事摂取、睡眠、疲労、痛覚を確認』


『個体外見、変化なし』


『情緒反応と中枢術式出力に相関の可能性』


『対象物への愛着を利用し、出力変動を観測する』


『花を隔離』


映像の中で、研究者が少女の手から花を取り上げた。


少女は一瞬、動かなかった。


次の瞬間、研究者へ手を伸ばした。椅子から転げ落ち、床へ膝をついても、花の方へ手を伸ばし続ける。声を上げ、泣き、拘束術式に肩と腕を床へ押さえつけられても、手を伸ばすことをやめなかった。


『情緒反応、急激に増大』


『魔力循環加速』


『中枢術式反応を確認』


透明な保管箱の中で、しおれかけていた花が僅かに持ち直した。


少女の周囲ではなく、花だけに変化が現れている。


『作用対象は、対象個体が愛着を形成した生命体、または有機物である可能性』


『出力は極めて低い』


『条件を再現する』


花が返されると、少女は両手で抱き締めた。泣きながら花びらへ頬を寄せ、少しずつ呼吸を落ち着かせていく。その反応も、数字として記録された。


◇


研究は続いた。


情緒刺激、人間模倣反応、言語学習、愛着形成、恐怖条件、隔離条件、魔力循環の変化、中枢術式の発動条件。加えて、中枢術式を魔力核から分離し、人間用の術式構造へ置き換えるための解析。


どの記録にも、少女の名前はなかった。


対象。


個体。


検体。


研究者は、その三つの言葉だけを使った。


少女は、最初の頃には泣いていた。次第に泣く時間が短くなったが、慣れたわけではない。泣く力がなくなっていった。


研究者が部屋へ入っても、顔を上げなくなる。呼びかけにも反応しない。それでも花を取り上げようとした時だけ、弱く抵抗した。


花だけは、いつも抱えていた。


小さな白い花。


花びらはしおれていたが、完全には枯れていなかった。


◇


映像が切り替わる。


少女は寝台の上に横たわっていた。


片腕が、肩から先を失っている。


会議室の空気が止まった。


映像は処置そのものを残していない。映っているのは、既に終わったあとの少女だけだった。残った手には、花が握られている。


記録者の声が流れる。


『四肢欠損に対する肉体修復反応を観測』


『細胞組織の再生、開始せず』


『魔力核から損傷部位への魔力経路形成を確認できない』


別の研究者が答える。


『魔力生命体なら、魔力による再構築が起きるはずだ』


『個体差の可能性。この個体の肉体は、人間型生命循環への依存が強い』


『魔力生命体だから再生するという前提が、誤りだった可能性は』


短い沈黙のあと、声が続いた。


『実験を継続する』


次の記録では、少女の片目が覆われていた。


『感覚器官損傷後の魔力循環変化を確認』


『視覚入力の欠損により、人間模倣反応が低下』


『中枢術式出力にも低下を確認』


魔術制御部長が、初めて僅かに目を伏せた。


中枢術式は、魔力核の内部だけに独立して存在する機械部品ではない。肉体、感覚、生命循環、魔力循環、経験。その個体が獲得したすべてと接続して成立する。


身体を壊し、感覚を奪い、生命循環を乱せば、研究対象である中枢術式そのものも損なわれる。


端末の中の研究者たちは、少女を壊しながら、その事実へ近づいていった。


画面が切り替わる。


少女は寝台の上で、以前よりも小さく見えた。体格が変化したわけではない。呼吸は浅く、残った手にも力がない。


花は胸元に置かれている。


『魔力循環、全体的に低下』


『損傷部位だけでなく、残存器官との接続にも乱れを確認』


『中枢術式の再現性、著しく低下』


別の声が言う。


『必要な構造資料は取れた』


少しの沈黙。


『魔力核の分離へ移る』


そこで映像が途切れた。


黒い画面にノイズが走り、次に表示された表題は短かった。


最終解析記録。


魔力核分離および中枢術式抽出。


情報班主任の指が動きかけた。再生を止めようとしたのだ。


ジェレミーが言った。


「続けろ」


情報班主任は画面を見たまま答える。


「局長」


「続けろ」


声は荒れていなかった。


再生が続く。


照明。中央の台座。白い布。器具の音。術式陣へ魔力が流れる低い駆動音。


映像の詳細は、破損と意図的な秘匿処理によってほとんど失われていた。少女の声は、もう聞こえない。


記録者の声だけが残っている。


『魔力核と肉体組織の分離を開始』


『生命循環、急速低下』


『魔力循環の維持に失敗』


『中枢術式構造、崩壊開始』


別の研究者が声を上げる。


『術式だけを固定しろ』


『不可能です。魔力核単独では構造を維持できない』


『転写術式へ接続』


『反応なし』


『固有魔力特性、肉体構造、生命循環との接続を失っています』


『再結合できないのか』


『肉体側の生命活動が停止します』


警告音が鳴る。


誰かが、平坦な声で告げた。


『対象、生命活動停止』


続いて別の声。


『魔力循環、消失』


『中枢術式、抽出失敗』


少女を殺して得られた結論は、既に魔力生命体を一個の生命として見ていれば分かったことだった。


中枢術式は、少女の中に入っていた部品ではない。少女が生きていたから、そこにあった。


画面が切り替わる。


最初に少女が縮こまっていた小さな部屋。


灰色の床と壁の隅に、一輪の花が置かれていた。少女が最後まで抱えていた花だった。


花びらは乾き、茎は細く、色も失われかけている。それでも、完全には枯れていなかった。


記録者の声が入る。


『対象消失後も、花の完全枯死を確認できず』


『微弱な中枢術式反応が残留』


『魔力核は』


『反応なし。個体の生命活動とは別に、作用だけが残っている』


『保存対象か』


『解析価値は低い。施設放棄準備を優先する』


映像の奥で警報音が鳴り、それまで一定だった記録者たちの声が初めて乱れた。


遠くで衝撃音が響き、走る足音と叫び声が重なる。


『侵入だ!』


『所属は!?』


『識別できない!』


『記録を消せ!』


『研究資料とサンプルを持ち出せ!』


『撤退しろ!』


カメラが傾いた。


白い研究衣を着た人間たちが廊下を走り、機材を倒し、記録媒体を引き抜き、術式を焼却していく。


最後に、小さな部屋が一瞬だけ映った。


部屋の隅に残された一輪の花。


その花へ、何者かの影が差す。


次の瞬間、映像は切れた。


黒。


再生終了。


◇


第七会議室は静まり返っていた。


古い端末の駆動音だけが、会議卓の上で低く鳴っている。


情報班主任は、再生終了画面を見つめたまま動かなかった。医療班主任は卓上へ置いた手を強く握り、精神保護室長は目を閉じている。倫理監査主任の顔からは血の気が引き、副長は笑っていなかった。


ジェレミーは、黒い画面を見ていた。


そこにはもう、花畑も、少女も、研究者たちも映っていない。薄く反射しているのは、自分の顔だけだった。


「冒頭を出せ」


情報班主任が顔を上げる。


「花畑の映像ですか」


「ああ」


画面が戻る。


風に揺れる花畑。空を漂う綿毛。少女は花びらをすくい、笑っている。


捕らえられる前。


人間を見て、まだ笑うことができた頃。


ジェレミーは映像を見たまま尋ねた。


「箱庭の娘であることは確定できるか」


調査班長が答える。


「現在の分類基準では、ほぼ確定です」


「根拠は」


「人間とほぼ同一の肉体構造を持ち、食事、睡眠、痛覚、疲労を確認できること。人間と同等に近い情緒、愛着、社会性を持つこと。加えて、幼体外形が固定され、知識、能力、精神の発達が外見年齢と一致しない点です」


情報班主任が補足する。


「研究者側も途中で同じ推定へ到達しています。その上で、希少性を理由に、中枢術式以外の研究も拡大しました」


ジェレミーの視線は、少女から動かなかった。


「捕獲時、敵対行動は」


「ありません」


「攻撃は」


「確認されていません」


「最初の魔術は」


魔術制御部長が答えた。


「装備へ花を付着させただけです。攻撃性はなく、拘束、妨害、損傷のいずれも確認できません」


「接触者へ笑いかけている」


「はい」


「拘束の理由は」


「研究対象として確保するため。それ以外の記録はありません」


会議室に短い沈黙が落ちた。


ジェレミーが言った。


「装甲部隊の所属照合を続けろ」


「はい」


「研究組織、生存者、資金経路、輸送記録。施設を襲撃した組織も含め、すべて洗え」


副長が答える。


「既に調査範囲を拡張しています」


「花は」


調査班長が資料を開いた。


「現地で保全中です。魔力核も生命循環も存在しません。微弱な中枢術式反応だけが残っています」


「移送するな」


「監理局へ持ち帰らない、ということですか」


「ああ。環境ごと保全しろ。解析は最低限にする」


調査班長が頷く。


「承知しました」


「標本にするな。破壊するな。花畑も荒らすな」


副長が処置内容を記録した。


「小屋と地下施設は封鎖。花畑を含め、監理局管理下の保護区域へ移行します」


「地図には出すな」


「はい」


ジェレミーは、画面の中の少女を見る。


「この個体を、検体番号で呼ぶな」


情報班主任が静かに尋ねた。


「記録上の呼称は、どうしますか」


名前は残っていなかった。


少女が自分を何と呼んでいたのか。花畑で何を話していたのか。どのような言葉で花を好きだと言ったのか。それを記録した者はいない。


「未命名箱庭個体」


ジェレミーは言った。


「仮称はつけるな。勝手に名付けるな。だが、検体とは呼ぶな」


「はい」


情報班主任の声は僅かに震えていた。


「未命名箱庭個体として登録します」


「死因は」


倫理監査主任が記録欄を開いた。


「研究行為中の生命活動停止と――」


「殺害だ」


ジェレミーの声が、その言葉を遮った。


倫理監査主任が顔を上げる。


「捕獲され、拘束され、身体を損なわれ、最後に魔力核を分離された。研究過程で停止したのではない。殺害された。曖昧に記録するな」


「承知しました」


副長も短く頷いた。


「そのように処理します」


ジェレミーは映像を停止した。


少女の笑顔が画面に固定される。


「この記録は最上位封鎖。複製禁止。引用禁止。教育資料への転用も禁止する」


倫理監査主任が答える。


「即時処理します」


「三人には見せない」


副長がジェレミーを見る。


「ロジーが自力で到達する可能性があります」


「だからお願いした」


「約束を守り続けること自体が、彼女には負荷になります」


ジェレミーは情報班主任へ視線を向けた。


「ロジーのそばにいろ。監視ではない。見ない選択を支えろ」


「承知しました」


「エルには、死亡確認と調査継続だけを伝える。魔法行使は禁止のままだ」


精神保護室長が頷く。


「映像内容は伏せます」


「レトには、私から話す」


副長が、少しだけ間を置いた。


「局長ご自身は」


「問題ない」


副長は、それ以上聞かなかった。


ジェレミーの言葉が、傷ついていないという意味ではないことを知っていた。倒れないという意味だった。


◇


会議が終わったあとも、ジェレミーは第七会議室に残った。


他の職員は退室した。副長だけが最後まで残り、ジェレミーが目で促すと、何も言わずに部屋を出た。


遮音された室内に、ジェレミー一人が残る。


卓上の記録端末。


停止された映像。


花畑で笑う少女。


ジェレミーは、冒頭の映像をもう一度だけ再生した。


風が吹く。綿毛が浮く。少女が花びらをすくい、笑う。


灰色の装甲が現れる。


少女が立ち上がり、人間へ向かって笑う。


花びらが舞い、無骨な装備へ花の首飾りがかかる。密閉兜の上には、小さな花束が載っている。


人間たちが少女を拘束する前に、再生を止めた。


画面の中で、少女はまだ笑っている。


人間を怖がっていない。


知らない相手を、自分の好きな花で飾ろうとしている。


ジェレミーは画面を閉じた。


完全な黒が戻る。


記録端末を封鎖ケースへ収め、物理ロックと魔術封印を施し、局長認証を通す。最後に、手動の封印札を貼った。


箱庭関連記録・最上位封鎖。


ジェレミーは札を確認し、会議室を出た。


◇


廊下には、いつもの監理局があった。


遠くで職員が書類を運び、食堂の方からは食器の音が聞こえる。誰かが小さく笑い、訓練室の振動が床をかすかに震わせていた。


その日常の中に、レトがいた。


廊下の端で、生活班の職員に付き添われながらジェレミーを待っている。淡緑の髪。左側のワンサイドテール。黒いリボンについた二つの青いキューブ。


レトはジェレミーを見つけると、駆け寄りかけた。


けれど、数歩進んだところで止まった。


「お兄さん」


「レト」


「お仕事、終わった?」


「一つ終わった」


レトはジェレミーの顔を見上げた。


「……こわいお仕事だった?」


ジェレミーは答えなかった。


答えないことが、答えになった。


レトは視線を落とす。


「わたし、聞かない方がいい?」


「今はな」


レトは服の裾を握った。


「ロジーも、見ないって約束してる」


「ああ」


「エルも、魔法を使わないで待ってる」


「ああ」


レトは小さく頷いた。


「じゃあ、聞かない」


ジェレミーは僅かに目を伏せた。


「助かる」


会議室では、レトへ自分から話すと言った。


少女が箱庭の娘であったこと。ずっと一人でいたこと。人間を怖がらず、花で迎えようとしたこと。そして、もう会うことができないこと。


伝えるべき事実は分かっていた。


けれど、不安そうに自分を見上げるレトを前にした時、ジェレミーには何も言うことができなかった。


言葉が見つからなかったのではない。


どの言葉も知っていた。


ただ、それを口にすれば、レトが花畑へ向けていた希望を、今ここで自分の手で終わらせることになる。


「でも」


レトが顔を上げる。


エメラルドグリーンの瞳が揺れていた。


「お兄さんは、大丈夫?」


ジェレミーは、すぐには答えなかった。


レトは小さな手を伸ばし、ジェレミーの袖を掴む。


「わたし、聞かない。でも、お兄さんがこわいなら、ここにいる」


ジェレミーはレトの前へ膝をついた。


「怖くはない」


「ほんと?」


「怒っている」


レトは瞬きした。


ジェレミーの声はいつもと変わらない。大きな声を出すことも、表情を崩すこともない。


それでもレトには分かった。


お兄さんは、すごく怒っている。


レトは少し迷い、ジェレミーへ抱きついた。


「お兄さん」


「なんだ」


「ぎゅってしていい?」


「もうしている」


「うん」


レトは、もっと強く腕を回した。


ジェレミーも、小さな背へ腕を回す。


温かい身体。


心臓が動いている。


浅く震えながらも、しっかりと抱きついてくる。


ジェレミーは静かに目を閉じた。


話すと決めていた。


だが、その時のジェレミーには、何も言えなかった。


レトも何も聞かなかった。


惑星監理局の廊下で、二人はしばらくそのままでいた。


◇


封鎖された第七会議室では、古い記録端末が黒いケースの中で沈黙していた。


花畑の笑い声も、小さな部屋の泣き声も、研究者たちの平坦な声も、侵入者を知らせる警報も、すべてが最上位封鎖の向こうへ収められている。


遠い惑星では、古びた小屋の地下へ続く蓋が閉じられ、その周囲に監理局の封鎖術式が展開されていた。


地上の花畑には、変わらず風が吹いている。


白い花。淡い紫の花。薄い黄色の花。


その一角、保全結界の内側には、一輪のしなびた花が置かれていた。


もう、誰も握っていない。


それでも花は、完全には枯れていなかった。



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