第34話-父の日作戦!
惑星監理局の生活区画に、父の日の案内が貼り出されていた。
各惑星の文化から採用された記念日の一つで、育ててくれた父親へ、日頃の感謝を伝える日だという。
レトは説明を最後まで読み終えるなり、ぱっと顔を上げた。
「お兄さんの日だ!」
静かな廊下に、明るい声が響いた。
少し前、レトはジェレミーを初めて「ぱぱ」と呼んだ。
普段の呼び方は、今まで通りお兄さん。それでも、そう呼びたくなった時には呼んでいいと、ジェレミーは受け入れてくれた。
ならば、父の日に感謝を伝える相手は決まっている。
レトは胸の前で両手を握りしめた。
「父の日作戦、開始!」
まず必要なのは、贈り物だった。
食べ物は、食べればなくなる。花も、いつかは枯れてしまう。
それなら、自分にしか作れないものがよかった。
レトは自室へ戻ると、机の上に置かれていた菓子の包みや訓練資料を端へ寄せ、作業場所を確保した。
椅子へ座り、両手を机の上へ差し出す。
掌の間に集まった青白い光が、透明な硝子へ変わっていく。
最初に形作ったのは、レトが生まれた硝子の彗星だった。
実物と比べれば、指先ほどの大きさしかない。細長い尾の内部へ青白い光を封じ込め、触れても傷つかないよう、表面を丸く滑らかに整える。
その下には、局長室、食堂、訓練室、中庭を寄せ集めた、小さな惑星監理局を作った。
正確な模型ではない。レトが大切だと思う場所だけが、実際よりも少し近く並んでいる。
局長室の窓には、黒い人影を一つ置いた。
その手前の廊下には、淡緑色の小さな点を添える。
ジェレミーのところへ向かう、自分だった。
食堂だけは、ほかの区画より少し大きくなった。
レトは小さな監理局を持ち上げ、いろいろな角度から眺めた。訓練室よりも大きい。局長室と比べても、あまり変わらない。
直そうとして、やめた。
「……大事な場所だから、いいよね」
食堂は何も答えなかったが、レトはそのまま作業を続けた。
最後に、透明な台座の正面へ文字を刻む。
硝子で作った細い針を持ち、一文字ずつ慎重に削っていった。戦闘中なら高速で動く敵へ短剣を正確に当てられるのに、今は少し力を入れるだけで線が曲がりそうになる。
『お兄さんへ。わたしを見つけてくれてありがとう』
正面の文字を刻み終えたあと、レトはしばらく台座を見つめていた。
それだけでも、伝えたいことは間違っていない。
けれど今日は、父の日だった。
レトは台座を裏返し、正面よりも小さな文字を刻んだ。
書き終えると、誰も見ていないのに頬が熱くなった。慌てて台座を元へ戻し、彗星の向きを整える。
「できた……!」
達成感と緊張が同時に押し寄せ、レトは硝子細工を両手で持ち上げた。
その時、開いた扉から声がした。
「何ができたの?」
レトは椅子の上で飛び上がった。
「ロジー!?」
昼食へ誘いに来たロジーとエルが、扉の前に立っていた。
ロジーのピンク色のツインおさげが揺れ、頭上のデバイスには撮影用の画面が浮かびかけている。レトが硝子細工を胸元へ隠すと、ロジーはすぐに画面を閉じた。
「まだ撮ってないよ!」
「ほんと?」
「ほんと! 何作ったの?」
レトは隠したまま、二人の顔を見比べた。
最初は、ジェレミーへ渡すまで誰にも見せないつもりだった。
しかし、一人で作っている間にも、喜んでもらえるのか、迷惑にならないかという不安は少しずつ膨らんでいた。
レトは迷った末、硝子細工を机へ戻した。
「父の日の贈り物」
ロジーの目が輝く。
「局長に?」
「うん。お兄さんに」
二人は机へ近づき、彗星と監理局を覗き込んだ。
ロジーはすぐに局長室の黒い点と、その手前に置かれた淡緑色の点を見つけた。
「これ、局長とレト?」
「そう。お兄さんはここで、わたしはこっち」
レトが指差すと、エルも小さな局長室の窓を覗き込んだ。
「レト、ジェレミーのところに行ってる」
「うん!」
「いつも通りだね」
「いつも走ってるみたいに言わないで」
「早く歩いてる?」
「そう!」
ロジーが笑いを堪えるように口元を押さえた。
レトは硝子細工を抱え直す。
「喜んでくれるかな」
「喜ぶよ」
ロジーは迷わず答えた。
「局長、レトが作ったものを捨てたことないでしょ」
レトは記憶をたどった。
練習で作った歪な硝子の花。
初めて短剣以外を作れた日に渡した、形の分からない丸いもの。
小さすぎて何に使うのか分からない硝子の器。
ジェレミーはどれも受け取った。すぐに机の上から移されたものはあったが、捨てられたものは一つもない。
「……ない」
「じゃあ大丈夫」
エルも硝子の彗星を見ながら頷く。
「ジェレミー、たぶん静かに喜ぶ」
「静かに?」
「顔は、あまり変わらないと思う」
「でも、喜んでる?」
「目が少し変わる」
エルは確信しているようだった。
レトは二人の言葉を聞き、胸元の不安を少しだけ緩めた。
「局長室で渡したら、お仕事の邪魔かな」
「じゃあ、近くの応接室を借りよう」
ロジーは頭上のデバイスへ共用区画の予定を表示した。
そのまま勝手に予約しようとはせず、三人で監理班区画へ向かう。
副長は執務机で複数の報告書を確認していた。三人が机の前へ並ぶと、作業を止めて顔を上げる。
「どうしました」
レトは淡い青色の包みを胸の前に持ち、元気よく手を上げた。
「業務が終わったあと、応接室を借りたいです!」
「用途は」
「父の日作戦!」
副長の視線が、レトの抱える包みへ移った。
「局長への贈り物ですか」
「うん!」
副長は予定を確認すると、業務終了後の一時間だけ応接室を押さえた。
設備への魔術的な変更は禁止。撮影は参加者全員の同意を得ること。
二つの注意に、エルとロジーはそろって頷いた。
「局長には、内容を伏せたまま来るよう伝えておきます」
「ありがとう、副長!」
「どういたしまして。作戦の成功を祈ります」
業務終了後、三人は応接室の準備を始めた。
生活班から借りた青と黒の布を壁際へ飾り、中央には小さな机を一つだけ残す。
エルは白い紙を折り、星の飾りを作った。
どれも形が揃っていない。四つ角のものもあれば、ほとんど丸に近いものもある。
それでもレトは、一つも作り直させなかった。
「エルの星だから、これでいいの」
エルは完成した飾りを見上げ、少し満足そうに頷いた。
ロジーは部屋の隅で、複数の撮影画面を出しかけていた。
正面から贈り物を撮る画面。
ジェレミーの反応を撮る画面。
レトの表情を撮る画面。
部屋全体を記録する画面。
けれど、包みを抱えたレトの顔を見ると、ロジーは手を止めた。
「渡すところ、撮る?」
「……お兄さんだけ見たい」
ロジーは少しだけ黙り、開いていた画面を一つずつ閉じた。
「分かった。最後に一枚だけね」
「うん!」
準備を終えた応接室は、華やかな式典会場にはならなかった。
青と黒の布。
形の揃わない白い星。
小さな机と、レトの贈り物。
それで十分だった。
予定の時刻が近づくと、レトは何度も包みのリボンへ触れた。
「曲がってない?」
「大丈夫。レト、深呼吸」
ロジーに言われ、レトは大きく息を吸った。
吐き終える前に、廊下から足音が聞こえる。
レトは包みを抱え直し、背筋を伸ばした。
扉が開き、ジェレミーが入ってきた。
室内を一度見回したあと、中央で包みを抱えるレトへ視線を止める。
「父の日だと聞いた」
「うん」
レトはジェレミーの前へ進んだ。
準備していた言葉はある。
何度も頭の中で繰り返した。
けれど、いざ目の前に立つと、胸が大きく鳴って、覚えていた順番が分からなくなる。
ジェレミーは急かさず、レトが話し始めるのを待っていた。
「お兄さん。今日は、ぱぱにありがとうする日なんだって」
ジェレミーは何も言わず、続きを待つ。
レトは包みを両手で差し出した。
「だから、お兄さんに。わたしを見つけて、育ててくれてありがとう」
ジェレミーは両手で包みを受け取った。
「開けてもいいか」
「うん!」
黒いリボンがほどかれ、淡い青色の包み紙が開かれる。
中から、青白い彗星と小さな惑星監理局が現れた。
局長室の窓には黒い点が一つ。その手前の廊下には、そこへ向かう淡緑色の点がある。
台座の正面には、細い文字が刻まれていた。
『お兄さんへ。わたしを見つけてくれてありがとう』
ジェレミーは何も言わず、しばらく硝子細工を見ていた。
沈黙が長くなるにつれ、レトは作っている時には気にならなかった部分を思い出した。
食堂が大きすぎる。
彗星の尾も、本物とは少し形が違う。
文字も、よく見れば真っ直ぐではない。
「食堂、大きくなっちゃった」
ジェレミーは小さな監理局を見下ろした。
「君が作った監理局なら、正確だろう」
レトは一瞬きょとんとしてから、少し笑った。
「局長室に置く?」
「置く。私からも、君からも見える場所にな」
レトの目が輝いた。
ジェレミーは硝子細工をゆっくり回した。
台座の裏側に、正面より小さな文字がある。
『わたしのぱぱへ』
ジェレミーの指が、その文字の近くで止まった。
レトは急に恥ずかしくなり、両手を胸の前で握った。
「そっちは……今日だけ、ぱぱだから」
ジェレミーは裏側の文字をもう一度見たあと、硝子細工を机へ置いた。
そして、レトと目線を合わせるように膝を折る。
「レト」
「なに?」
「私も、君の父親になれたことを嬉しく思う」
レトは目を見開いた。
言葉の意味が届くまで、ほんの少し時間がかかった。
次の瞬間、ジェレミーの胸へ飛び込む。
「ぱぱ……!」
ジェレミーは体勢を崩さず受け止め、片腕でレトの背を支えた。もう片方の手が、淡緑の髪へ静かに置かれる。
レトは胸元へ顔を押しつけたまま、ジェレミーの服を強く握った。
「わたしも、お兄さんの娘でうれしい」
「ああ」
ジェレミーの腕に、僅かに力が加わった。
ロジーはデバイスへ手を伸ばさなかった。
エルも、形の揃わない紙の星の下で静かに二人を見ていた。
しばらくして、レトがようやく顔を上げた。
目を潤ませながらも、嬉しそうに笑っている。
「ロジー」
「なに?」
「写真、一枚撮って」
ロジーのデバイスが勢いよく起動した。
「一枚に全部入れるから、みんな寄って!」
四人で肩を寄せ、デバイスの撮影音を待つ。
音が鳴った瞬間、ジェレミーの口元はほんの僅かに緩んでいた。
翌朝。
局長室へ入ったレトは、執務机の上に青白い彗星を見つけた。
「お兄さん、おはよう!」
「おはよう、レト。廊下は走らなかったか」
「早く歩いただけ!」
答えながら、レトは机へ近づく。
書類や通信端末の邪魔にならず、執務席からも入口からもよく見える場所。そのために、机の上の資料が少しだけ移動されていた。
正面の文字は入口へ、裏面の文字はジェレミーの席へ向けられている。
「お兄さん」
「何だ」
「裏も見える?」
「仕事中も見える」
レトは満面の笑みを浮かべ、それ以上は何も聞かなかった。
いつもの席へ向かうレトの背後で、小さな彗星が青白い光を受けていた。




