第33話-レトのたからもの
上位委員会へ提出された報告書は、通常の訪問記録よりも厚くなった。
彗星の魔力変動。
エルが行った接触手順。
降下前後の外層温度。
レト周辺に発生した局所安定。
七分間の滞在記録。
帰還後の急加速。
そして、観測艦へ接触した青い硝子片。
ロジーが整理した観測資料には、推測と確認済みの事実が明確に分けられていた。エルの発言も記録されていたが、正式見解ではなく、旧世代による感覚的所見として扱われている。
最後には、レト本人の短い感想文が添付されていた。
『すいせいにあいました。
こわかったけど、あったかかったです。
わたしは、うまれてよかったです。
また行きたいです。
こんどは、すいせいにもプリンのことを教えます。
レト。』
議長は、その一枚を長い間見ていた。
隣に座る委員が、報告書を閉じる。
「次回訪問の申請も、いずれ提出されるでしょうか」
「来るだろうな」
「許可しますか」
議長はレトの感想文を机へ戻した。
「条件を満たせば」
それから、誰へ言うでもなく続ける。
「守るとは、閉じ込めることではない」
◇
彗星から届いた硝子片は、技術班と調査班、そしてエルの立ち会いのもとで検査された。
親指の先より、わずかに大きい。
表面には自然に割れた鋭さが残り、内部には青白い光の線が一本だけ閉じ込められていた。隔離ケースの外から角度を変えるたび、光が細く揺れる。
魔術機材整備士が、手袋越しにケースを覗き込んだ。
「綺麗なもんだな」
隣では、武装開発担当が複数の測定値を確認している。
「高密度魔力反応はある。だが、攻撃性はない。外部刺激へ反応して出力を上げる様子も見られない」
「妙におとなしいな」
「従順な彗星の欠片」
ロジーが即座に記録する。
ジェレミーが言った。
「記録文言としては却下だ」
「かわいいのに」
「かわいさは安定性の評価基準ではない」
「でも、安定しててかわいい」
「却下だ」
レトは隔離ケースの前へ立ち、中の欠片をじっと見ていた。
触りたそうに指を動かしかけているが、両手を背中へ回して我慢している。
「これ、わたしの……?」
ジェレミーは検査結果へ目を通してから答えた。
「状況から、君へ渡されたものである可能性が高い。最終的な安全確認が終われば、君の保有を認める方向で調整する」
「ほんと!?」
「ああ」
レトの顔が明るくなる。
「じゃあ、だいじにする!」
エルはケースの横へ回り、青い欠片を別の角度から見た。
「整えたら、もっときれいになるよ」
「ととのえる?」
「角を危なくないようにして、レトが身につけられるようにする」
ロジーが身を乗り出す。
「いいじゃん! 隔離ケースに入れたまま保管するより、レトが持ち歩ける方が絶対いい!」
「持ち歩く……!」
レトは自分の服や手首を見回したあと、ジェレミーへ向き直った。
「お兄さん、わたし、これつけたい」
「用途は」
「えっと……」
レトは少し考え、自分の左側のワンサイドテールへ触れた。
そこには、黒いリボンだけが結ばれている。
「髪飾り!」
黒いリボンを、ぴこんと持ち上げる。
「ここにつける!」
エルは頷いた。
「いいと思う」
「似合う。絶対似合う」
ロジーもすぐに賛成した。
「青いの、レトの魔力の色にも似てるし、彗星から来たってすぐ分かる」
ジェレミーはケースの中の欠片と、レトの淡緑の髪を交互に見た。
「安全加工が前提だ」
「やったあ!」
レトはその場で跳ね、すぐに隔離ケースへぶつかりそうになって止まった。
「……安全」
「理解しているなら、最初から跳ぶな」
「うん!」
◇
加工は、技術班を中心にした小さな共同作業になった。
基礎の整形は技術班が担当し、エルは素材の安定を補助する。ロジーは作業記録を取りながら何度も形へ意見を出し、レトは見学位置から一度も離れなかった。
「まだ!?」
「まだだ」
「もうちょっと!?」
「もうちょっとだ」
「近くで見ていい!?」
「いま見ているだろう」
魔術機材整備士が苦笑しながら答える。
隣の作業台では、武装開発担当が青い欠片の固定方法を検討していた。普段扱うのは兵装部品や防護具であり、少女の髪へ結ぶ小さな装身具ではない。
「なぜ私が、兵装ではなく髪飾りを加工しているんだ」
設備技師が笑う。
「いいじゃないか。たまには平和なものを作れ」
「素材は高密度魔力体由来だ。平和かどうかは、最終検査まで分からない」
「でも、綺麗ですよね」
近くで補助していた職員が言うと、武装開発担当は一瞬黙った。
「素材の輝度は悪くない」
ロジーがすぐに振り返る。
「いまの、“かわいい”の遠回し表現?」
「違う」
作業を進めていた技術班員が、レトへ声をかけた。
「一つ、確認があります」
「なあに?」
「この欠片を二つに分けてもよろしいですか」
レトの目が丸くなった。
「ふたつにするの?」
「一つのままだと、髪飾りとしては少し重くなります。小さなキューブを二つ作り、黒いリボンへ並べて固定する方が、髪と首への負担も少なく、安全です」
レトは隔離作業台の上へ置かれた欠片を見た。
「ふたつになっても、彗星がくれたもの?」
「同じ欠片から作る」
ジェレミーが答えた。
「形が変わっても、どこから来たものかは変わらない」
レトは自分の黒いリボンへ触れた。
少し考えたあと、しっかり頷く。
「じゃあ、ふたつにする。ずっとつけられる方がいい」
「承知しました」
技術班は、欠片の内部を流れる魔力線を傷つけない位置を選び、慎重に二つへ分けた。
切断面が生じた瞬間、青白い光が一度だけ強くなる。
観測値が安定していることを確認してから、エルが二つの硝子片を手の中へ包んだ。
「あたしが形を決めないようにするね」
エルは隣の技術班員を見た。
「人間が作って。あたしは、壊れないようにする」
「お願いします」
「レトが痛くないようにしてね」
エルの手の中で、光がやわらかく落ち着いた。
技術班の工具が、不規則だった二つの欠片を少しずつ削り、角を整えていく。完全な立方体ではない。小さく、角がわずかに丸い二つのキューブ。
それぞれの内部には、彗星の尾を思わせる青白い光が残っていた。
二つを並べると、一本だった光が、別々の場所で同じ方向へ流れている。
「できた」
完成した黒いリボンが、小さな台の上へ置かれた。
二つの青いキューブが並び、作業室の照明を受けて揺れている。
レトは息を呑んだ。
「……わあ」
それ以上の言葉が出てこない。
エルがリボンを手に取った。
「つけよう」
レトは何度も頷いた。
黒いリボンが一度ほどかれ、淡緑の長い髪が左側で結び直される。二つの青いキューブは、ワンサイドテールの根元で並んで揺れた。
「待って、動かないで! 最初の一枚!」
ロジーのデバイスが、レトの周囲を飛び回る。
「正面、斜め、後ろ! 光が入る角度もいる! エル、ちょっと右!」
「レトを撮るのに、あたしも動くの?」
「キューブにエルの白い服が映り込んでる!」
「それも、かわいいと思う」
「採用!」
周囲の職員も作業の手を止め、完成した髪飾りを見ていた。
レトは自分の髪へ触れかけ、固定具を緩めないよう途中で手を止める。それから、少し緊張した顔でジェレミーの前へ歩いた。
「……お兄さん」
「なんだ」
「どう?」
ジェレミーはレトを見る。
淡緑の髪。
左側のワンサイドテール。
黒いリボン。
そこへ並んだ、二つの青いキューブ。
レトの魔力にも、遠い硝子の彗星にも似た青だった。
「似合っている」
レトの顔が、一気に明るくなる。
「ほんと!?」
「ああ」
「かわいい!?」
ジェレミーは、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「かわいい」
レトはその場で跳ねた。
「やったあ!!」
ロジーが笑いながら記録画面を広げる。
「局長から“かわいい”を取得。重要記録!」
「記録しなくていい」
「する!」
エルは下から青いキューブを覗き込んだ。
「彗星、うれしいと思う」
レトは、今度こそ落とさないように気をつけながら、青いキューブへ指先を触れた。
「これ、彗星がくれたんだよね」
誰も、軽々しく断定はしなかった。
けれど、否定する者もいなかった。
レトは指を離し、嬉しそうに笑う。
「じゃあ、ずっとつける」
「任務中も?」
ロジーが尋ねる。
「うん!」
ジェレミーが口を挟む。
「戦闘時の装着は、固定強度と防護処理の確認後に判断する」
「うっ」
「激しく動いても外れないようにする必要がある」
レトは少しだけしょんぼりしたあと、すぐに頷いた。
「……うん。ちゃんと調べてもらう!」
◇
その日の夜。
局長室のソファで、レトは手鏡を何度も覗いていた。
顔を少し右へ向けると、二つの青いキューブが揺れる。左へ傾けると、内部の光が細く流れる。
鏡を下ろして三秒も経たないうちに、また持ち上げる。
「きれい……」
ジェレミーは執務机で書類を読みながら言った。
「気に入ったようだな」
「うん!」
レトは満面の笑みで頷いた。
「わたしのはじまりが、ここにあるみたい」
青いキューブへ、そっと触れる。
「会いに行ったのも、彗星が光ったのも、プレゼントくれたのも、ぜんぶほんとだったんだなあって思うの」
「そうか」
「お兄さん」
「なんだ」
「これ、宝物」
「そうか」
「わたし、だいじにする」
「そうするといい」
レトは鏡を膝へ置き、少し照れた顔でジェレミーを見た。
「……お兄さんにも、見えるところにつける」
「もう十分見えている」
「いっぱい見て」
「業務に支障がない範囲でな」
「えへへ」
レトはもう一度鏡を持ち上げた。
二つの青いキューブが、局長室の灯りの中で小さく揺れた。
◇
レトが上位委員会への手紙を書いたのは、数日後のことだった。
今日はソファではなく、局長室の小さな机へ座っている。白い便箋を前に、レトは真剣な顔でペンを握っていた。
左側のワンサイドテールには、青いキューブが二つ並んでいる。
「お兄さん」
「なんだ」
「“ありがとう”って、何回書いたらいい?」
ジェレミーは書類から顔を上げた。
「一度で伝わる」
「でも、いっぱいありがとうだよ?」
「なら、理由を書きなさい」
「理由!」
レトは便箋へ向き直り、しばらく唸った。
やがて、一文字ずつ確かめるように書き始める。
『上位委員会の議員さんたちへ
レトです。
わたしの彗星を守ってくれて、ありがとうございます。
わたしは彗星に会いに行けました。
こわかったけど、あったかかったです。
彗星は、わたしに青い硝子をくれました。
髪飾りになりました。
すごくきれいです。
見せたいです。
ありがとうございました。
レト』
書き終えると、レトは便箋を両手で持ち上げた。
「お兄さん、見て!」
ジェレミーは受け取り、最初から最後まで目を通した。
少し形の違う文字はある。文章も、上位委員会へ提出する正式文書とは比べられないほど幼い。
けれど、レトが伝えたいことはすべて書かれていた。
「よく書けている」
「ほんと!?」
「ああ」
「じゃあ、これ持っていく!」
ジェレミーの手が止まった。
「送付するのではないのか」
レトはきょとんとした。
「髪飾り、見せたいもん」
左側のワンサイドテールを指さす。
「議員さんたちが彗星を守ってくれたから、わたし、会いに行けたんだよ。彗星がプレゼントくれたんだよ。だから、ちゃんと見せたい」
「……なるほど」
「だめ?」
上位委員会の宇宙ステーションは、政治と監査と責任判断の場である。監理局の食堂や局長室のように、レトが自由に出入りする場所ではない。
だが、保護指定案件の当事者が謝意を伝えるための訪問なら、正式な理由になる。
「レト」
「なあに?」
「議会施設では走らないこと」
「うっ」
「大声で作戦名を叫ばない」
「ううっ」
「議場の椅子へ勝手に座らない」
「すわってみたい……」
「だめだ」
「はーい……」
ジェレミーは静かに息を吐いた。
「正式に訪問申請を提出する。許可が下りれば、私も同行する」
レトの顔が明るくなる。
「お兄さんも一緒!?」
「当然だ」
「やったあ!」
その場で跳ねかけたレトは、ジェレミーの視線に気づき、両足を床へ押しつけた。
「……議会施設で走らない練習」
「今は局長室だ」
「じゃあ、跳ねていい?」
「ほどほどにしなさい」
レトは小さく一度だけ跳ねた。
◇
訪問当日。
上位委員会の宇宙ステーションは、監理局よりも静かだった。
巨大な輪状構造の中央に議会塔が伸び、白銀の外壁が星明かりを反射している。内部の廊下は広く、人の声や足音まで遠くへ吸い込まれていくようだった。
レトはジェレミーの隣を歩きながら、何度も髪飾りへ手を伸ばしかけている。
「レト」
「はい!」
「触りすぎると、固定具が緩む」
「はい……」
手を下ろす。
三秒後、また触ろうとする。
ジェレミーが見る。
レトの指が途中で止まる。
後ろを歩いていたロジーが、肩を震わせた。
「レト、完全に遠足前の子じゃん」
「遠足じゃないもん! お礼任務だもん!」
「お礼任務」
ロジーのデバイスが記録音を鳴らす。
「作戦名は?」
「ありがとう届ける作戦!」
ジェレミーが前を向いたまま言う。
「議場内で叫ばないように」
「いま小さく言ったもん!」
「今の声量は小さくない」
エルはレトの横を歩きながら、二つの青いキューブを見ている。
「今日も光ってる」
「うん!」
「彗星も、ついてきてるみたい」
レトは少し照れたように笑った。
「えへへ……そうかな」
前を歩く上位委員会の連絡官が、わずかに表情を崩しかける。すぐに職務中の顔へ戻し、廊下の先にある扉を示した。
「こちらです。議員の皆様は、小会議室にてお待ちです」
「小会議室?」
レトは首を傾げる。
「議場じゃないの?」
「本日は公式審議ではなく、謝意表明のための面会です。議場よりも、落ち着いてお話ししやすい部屋をご用意しました」
「そっか!」
レトは連絡官へ笑いかける。
「ありがとう!」
連絡官は一瞬、返答を忘れた。
「……恐れ入ります」
後ろでロジーが小声を出す。
「一撃入ったね」
ジェレミーは聞こえないふりをした。
◇
小会議室には、硝子彗星の保護指定と訪問計画の審議に関わった議員たちが集まっていた。
議長。
監査系の委員。
外務担当の委員。
普段は資料を前に厳しい判断を下し、監理局の報告へ容赦なく質問を重ねる者たちである。
全員が、入室してきたレトを見た。
淡緑の長い髪。
左側のワンサイドテール。
黒いリボンに並ぶ、二つの青いキューブ。
議長が最初に口を開いた。
「レト職員。よく来ました」
レトは緊張して背筋を伸ばした。
「はい! レトです!」
ジェレミーが小さく言う。
「声量」
「はい、レトです……!」
少しだけ小さくなった。
議員の何人かが、手元の資料で口元を隠す。
レトは両手で封筒を持ち、議長の前へ歩いていった。そこで足を揃え、ぺこりと頭を下げる。
「お手紙、書きました」
議長は両手で受け取った。
「ありがとう。読ませてもらいます」
「はい!」
レトはすぐに下がらず、その場でもじもじと指を動かした。
「あの」
「どうしました」
「髪飾り、見てもらってもいいですか」
議長はレトの左側へ視線を向ける。
「もちろん」
レトは顔を上げ、ワンサイドテールを少しだけ持ち上げた。
二つの青いキューブが、会議室の白い照明を受けて揺れる。中に閉じ込められた青白い線が、遠い彗星の尾のように光った。
「これ、彗星がくれました」
会議室が静かになる。
レトは少し誇らしそうに、けれど壊さないよう髪を持つ手へ力を入れずに続けた。
「観測艦に、こつんって当たったんです。青い欠片でした。エルがプレゼントだって言って、技術班のみんなが調べて、整えてくれて、髪飾りになりました」
青いキューブを持ち上げる指が、少しだけ震える。
「議員さんたちが、わたしの彗星を守ってくれたから、わたし、会いに行けました。だから、これ、見せたかったです」
監査系の委員が、ゆっくり息を吐いた。
「……そうですか」
外務担当の委員が言う。
「よく似合っています」
レトの瞳が輝く。
「ほんと!?」
ジェレミーが横で小さく咳払いをした。
レトは慌てて姿勢を正す。
「ありがとうございます!」
議長は受け取った手紙を机へ置き、青い髪飾りを見た。
「レト職員」
「はい!」
「その髪飾りは、あなたのものです」
レトが瞬きをする。
「わたしの?」
「ええ。研究のために誰かが取り上げたり、彗星由来の試料として勝手に保管したりすることは認めません。保護指定対象からあなたへ渡された物品として、所有を正式に認める議事補足を残します」
レトは、まだ少し分からない顔をしていた。
ロジーが後ろから小声で言う。
「正式に、“レトの宝物です”って記録してくれるってこと」
レトの顔が、みるみる明るくなる。
「わたしの宝物って、議会で決めてくれるの!?」
議長は真面目に頷いた。
「必要なら」
「すごい!」
ジェレミーが言う。
「声量」
「すごいです……!」
今度はきちんと小さくした。
議員たちは、もう資料で口元を隠さずに微笑んでいた。
本来なら、監理局長と上位委員会議員が向き合う場には、責任と権限と監査の言葉が並ぶ。けれど今日は、テーブルの中央にレトの手紙が置かれ、議員たちは小さな髪飾りについて質問していた。
「重さはありますか」
「ちょっとだけ!」
「日常生活で魔力反応が強くなることは?」
「技術班の職員さんが、だいじょうぶって言いました!」
「戦闘時も装着するのですか」
レトは、きゅっと眉を寄せた。
「できれば、つけたいです」
ジェレミーが補足する。
「固定具と防護処理の検証後に判断する」
議長は頷いた。
「妥当です」
レトは少しだけ肩を落としたものの、すぐに髪飾りへ触れない程度に手を近づけて笑った。
「でも、ふだんはずっと一緒です」
監査系の委員が、青いキューブを見ながら言う。
「その欠片は、あなたが彗星に受け入れられた証のようにも見えますね」
「うけいれられた?」
「少なくとも、拒まれなかった。あなたが帰る時、彗星は何かを残した。記録上も、非常に重要な出来事です」
ロジーが頷く。
「私の記録でも、すっごく重要」
「ロジー、なんでも重要って言うもん」
「これは本当に重要!」
エルが、淡々と言った。
「彗星、レトが好きなんだと思う」
議員たちの視線が、一斉にエルへ集まる。
エルは青いキューブを指さした。
「好きじゃなかったら、くれない」
旧世代であるエルの感覚を、どこまで正式な見解として扱うべきか。議員たちが判断に迷う中、ロジーがすぐに記録画面へ文字を打った。
「公式記録では、“友好的反応の可能性”にしておきまーす」
ジェレミーが頷く。
「それが適切だ」
レトだけは嬉しそうに笑っていた。
「好きだったら、うれしいなあ」
議長は、レトの顔と、その髪に揺れる二つの青いキューブを見た。
議会決定。
保護指定。
危険評価。
倫理規定。
紙の上で重ねてきた判断が、今は小さな髪飾りになって目の前にある。
「レト職員」
「はい」
「こちらこそ、来てくれてありがとう」
レトは目を丸くした。
「議員さんが、ありがとう?」
「ええ」
「なんで?」
議長は少し考えた。
「我々の決定が、書類の上だけのものではなかったと分かったからです」
レトは首を傾げる。
議長は言葉を変えた。
「あなたが髪飾りを見せに来てくれたことで、我々が何を守ったのか、よく分かりました」
レトは、青いキューブへそっと手を添えた。
「何を……」
「あなたのはじまりと、あなたがそれに会いに行く権利です」
議長は続ける。
「守れてよかった」
レトの目が潤んだ。
それでも、今日はすぐに泣かないよう、唇へ少し力を入れた。
「わたしも」
声が小さくなる。
「守ってもらえて、よかったです」
会議室では、誰も次の言葉を急がなかった。
レトの返事が最後まで届くのを、静かに待っていた。
◇
面会が終わったあと、レトたちは展望回廊へ案内された。
透明な強化窓の向こうに、星の海が広がっている。遠くのどこかを、あの硝子の彗星も飛んでいるのだろう。
レトは窓際に立ち、髪を少し揺らした。二つの青いキューブが、星明かりを受けて光る。
「議員さんたち、こわくなかった」
ロジーが笑う。
「普段は結構こわいよ」
「そうなの?」
「局長が答弁してる時とか、空気ぴりぴり」
ジェレミーは否定しなかった。
「職務上、必要な緊張だ」
エルは窓の外を見ながら言う。
「でも今日は、やわらかかった」
「うん!」
レトは嬉しそうに頷いた。
「みんな、髪飾り見てくれた。似合うって言ってくれた。宝物って決めてくれるって」
「正確には、所有権と保護扱いの議事補足だ」
「たからもの!」
ジェレミーは一度だけレトを見てから、訂正をやめた。
「……そうだな」
レトは窓に映る自分の姿を見る。
淡緑の髪。
左側のワンサイドテール。
黒いリボン。
二つの青いキューブ。
少し前まではなかったものが、もう最初からそこにあったように見える。
「お兄さん」
「なんだ」
「わたし、今日ちゃんとありがとう言えた?」
「ああ」
「手紙も渡せた?」
「ああ」
「髪飾りも見せられた?」
「ああ」
「声、大きすぎなかった?」
ジェレミーは少しだけ間を置いた。
「概ね許容範囲だ」
「おおむね?」
ロジーが横から答える。
「まあまあセーフってこと」
「やった!」
レトは跳ねかけ、ここが上位委員会の宇宙ステーションであることを思い出して、両足を床へ戻した。
「……走らない」
ジェレミーが頷く。
「よろしい」
エルが小さく拍手する。
「えらい」
ロジーも拍手した。
「議会施設適応レト、記録」
「えへへ!」
その時、窓の外を小さな青白い光が流れた。
遠い流星なのか、本当に硝子の彗星なのか、観測値を確認しなければ分からない。
けれど、レトは迷わず窓へ手を振った。
「見せてきたよー!」
明るい声が、展望回廊へ響く。
ジェレミーが横を見る。
「レト」
「今のは彗星に言ったから、だいじょうぶ!」
「理由になっていない」
ロジーがけらけら笑い、エルも窓の向こうへ手を振った。
レトは二つの青いキューブがついた黒いリボンを、両手で大切そうに包んだ。
「ありがとうって、ちゃんと言えた」
窓の外を流れた青白い光は、もう見えなくなっていた。
それでもレトは、しばらく同じ場所へ手を振り続けていた。




