第3話-星空は検査してから!
星屑は、惑星監理局の中庭まで続いていた。
柔らかな芝生。
低い木々と、小さな花壇。
人工的に調整された穏やかな風。
硝子越しの空が広がるその場所は、宇宙規模の危機へ対処する組織の内部とは思えないほど静かだった。
中庭の中央に、エルが座っている。
白いボブヘアーの毛先には、淡いピンク色。
芝生へ伸ばした小さな足の前には、奇妙な道具がいくつも並べられていた。
片側だけ音の鳴る鈴。
砂が下から上へ落ちる砂時計。
白い羽根の生えた小瓶。
触れていない相手へ、触られた感想を告げる布。
レトとロジーは、並んで立ち止まった。
ロジーの頭上に浮かぶデバイスから、複数の撮影装置が展開される。
「新作がいっぱい!」
「エル、これ全部作ったの?」
エルが顔を上げた。
「うん」
「あそんでいい?」
「あそぶために出した」
「遊ぶ!」
レトは即答した。
ロジーも両手を挙げる。
「全部記録する!」
エルは並べた道具の中から、透明な硝子玉を一つ持ち上げた。
細い銀色の紐がついた、小さなオーナメント。
硝子玉の中心には、白い光が浮かんでいる。
よく見ると、その周囲を細かな星屑が巡っていた。
レトがしゃがみ込む。
「これ、星?」
「たぶん」
「作ったエルが分からないの?」
「まだ振ってないから」
エルは軽く手首を動かした。
ちりん。
小さな音が鳴る。
硝子玉の中に浮かんでいた白い光が瞬いた。
次の瞬間。
玉の外へ、淡い星雲がこぼれ出した。
紫と青の光。
白い星屑。
指先ほどの、小さな銀河。
幾つもの光の渦がエルの周囲を回り、芝生の上へ星空の影を落とした。
レトは息を呑んだ。
エメラルド色の瞳いっぱいに光を映し、両手を胸元で握る。
「きれい……!」
ロジーの撮影装置が一斉に作動した。
「待って! もう一回! 正面と横と上からも撮る!」
「いいよ」
エルが再びオーナメントを振る。
ちりん。
最初よりも大きな星雲が広がった。
小さな銀河が三つ生まれ、互いの周囲を回りながら、ゆっくり薄れていく。
レトは星の下で、くるりと回った。
淡緑色の髪に、星屑の光が散る。
「エル、すごい!」
「うん。すごいの、できた」
エルは少しだけ満足そうに頷いた。
レトは消えていく星を見上げたまま、ぱっと顔を輝かせる。
「これ、お兄さんにも見せよう!」
ロジーがすぐに局長の予定表を開いた。
「次の会議まで十一分!」
「間に合う?」
「局長室訪問作戦なら余裕!」
「作戦開始!」
レトが立ち上がる。
エルもオーナメントを持ったまま立った。
「あたしも、ジェレミーに見せたい」
「お兄さん、きっと喜ぶよ!」
「どうして?」
「綺麗なものを見ると、目が少し優しくなるから!」
ロジーが首を傾げる。
「局長、いつも優しいでしょ?」
「優しいけど、仕事中はちょっと怖い顔するもん」
「分かる。すっごく分かる」
エルは二人の顔を交互に見る。
「ジェレミー、怖くて、優しい?」
「そう!」
「局長はそういう人!」
「分かった」
エルは頷いた。
完全に理解したようには見えなかった。
三人は中庭を出る。
後には消え切らなかった光の粒が、しばらく風の中を漂っていた。
◆
局長室の前で、ロジーが残り時間を確認する。
「会議まで八分!」
レトは目の前の扉を見た。
自動扉だった。
安心した。
呼び出し装置を押す。
『入れ』
ジェレミーの声と同時に扉が開いた。
「お兄さん!」
レトが最初に飛び込む。
机の向こうで、ジェレミー・クリエットが顔を上げた。
惑星監理局の局長。
黒を基調とした制服を身につけた、長身の男性。
机の脇には、いつでも手へ取れる位置にハンドガンが置かれている。
その表情は静かで、ほとんど変わらない。
しかし、飛び込んできたレトを見る瞳には、わずかな柔らかさがあった。
「どうした」
「エルが、すっごく綺麗なもの作った!」
ロジーが続いて入る。
「新作魔法アイテム! 映像記録済み! 局長にも実演します!」
最後にエルが入ってきた。
両手には、硝子玉のオーナメント。
「ジェレミー。見て」
許可を待たず、エルはオーナメントを振った。
ちりん。
白い星が瞬く。
局長室の中央に、小さな銀河が咲いた。
紫と青の星雲が、机の上を流れていく。
無数の光点が書類の間を縫い、ジェレミーの正面で小さな渦を作った。
星々は熱を持たない。
机にも書類にも触れない。
無機質だった局長室を、ほんの一瞬だけ夜空へ変える。
ジェレミーは黙って見ていた。
レトは、その横顔をじっと見上げている。
やがて星雲が薄れ始めた。
「どう?」
エルが尋ねる。
ジェレミーは、消えていく光を最後まで目で追った。
「綺麗だ」
レトの顔が、星より明るく輝く。
「でしょ!」
ロジーのデバイスへ、即座に文字が記録された。
『局長発言――綺麗だ』
「ロジー」
「はい!」
「それは必要な記録か」
「後世へ残すべき重要発言!」
「消せ」
「私的記録へ移動します!」
「消せ」
ロジーが不満そうに表示を閉じる。
ジェレミーは、エルの手元へ視線を移した。
「エル」
「なに?」
「その道具の安全検査は済んでいるのか」
局長室が静かになった。
レトの笑顔が固まる。
ロジーのデバイスも、録画中の表示を出したまま停止する。
エルは手の中の硝子玉を見た。
「まだ」
「技術班へ提出したか」
「してない」
「使用試験は」
「中庭でやった」
「正式な試験区画で?」
「中庭」
「何回使用した」
「二回」
ロジーが小さな声で訂正する。
「撮影のために、三回」
ジェレミーがロジーを見る。
「三回使わせたのか」
「必要な角度が複数あって……」
「ロジー」
「ごめんなさい」
急に敬語になった。
レトも手を挙げる。
「わたしが、お兄さんに見せようって言いました」
「そうか」
「ごめんなさい……」
「謝罪と報告は後だ」
ジェレミーは椅子から立ち上がる。
「エル。その道具を机へ置け。これ以上、振るな」
「分かった」
エルがオーナメントを置こうとする。
細い銀色の紐が、指へ引っかかった。
ちりん。
「あ」
硝子玉が、これまでより強く輝いた。
白い光が局長室を覆う。
星が増えた。
中庭へ現れた小さな銀河とは比較にならない。
天井近くまで届く巨大な星雲。
机の周囲を回る光の輪。
床一面へ広がる、淡い銀河の帯。
無数の星々が、局長室の中へ次々と生まれていく。
机の上の書類が、ふわりと浮いた。
「わっ!」
レトが反射的に手を伸ばす。
書類はその指先を避けるように軌道を変え、レトの周囲を回り始めた。
「お兄さん! 書類がわたしを中心に公転してる!」
「動くな」
「はい!」
レトは両手を上げた姿勢で固まった。
四枚の書類が、彼女の周囲を惑星のように巡っている。
ロジーのデバイスに警告が走った。
局所空間偏差。
微弱な重力方向変動。
現象、拡大傾向。
ロジーの目が輝きかける。
「局長、これ見た目だけじゃない! 室内に独立した重力圏が――」
「観察より先に技術班へ連絡しろ」
「了解!」
デバイスが緊急通信を開始する。
ジェレミーはエルを見る。
「止められるか」
エルは増え続ける星を見上げた。
「たぶん」
「確実な答えを」
しばらくして、エルは首を横へ振った。
「分からない」
ジェレミーは一秒も迷わなかった。
「全員、その場から動くな。ロジー、局長室を封鎖。影響が扉の外へ及んだ場合は、周辺区画を隔離しろ」
「了解!」
「レト。短剣も空間魔術も使用禁止だ」
「でも、わたしなら――」
「未解析の空間へ干渉した場合、どう反応するか分からない」
レトは唇を結んだ。
エルを助けたい。
だが、ジェレミーの判断が必要なものだとも理解している。
「……分かった」
命令に従い、動かない。
それでも、エルから目だけは逸らさなかった。
間もなく扉が開いた。
副長と、測定器を携えた技術班員二名が入ってくる。
副長は室内を一度見回した。
天井を覆う星空。
浮遊する書類。
レトの周囲を回る紙。
警告を表示し続けるロジーのデバイス。
オーナメントを持ったまま、星を見上げているエル。
一秒で状況を確認する。
「現状は」
ジェレミーが答える。
「未検査の魔法アイテムによる空間変動。現象は拡大中だ」
副長はエルへ視線を向けた。
「なぜ試験区画を使用しなかったのですか」
「使わないと、何が出るか分からないから」
「何が起こるか分からない物を確認するために、試験区画があります」
エルは周囲を見た。
「ここでも、分かったよ」
「ここは局長室です」
「うん」
「試験区画ではありません」
エルは少し考えた。
「たしかに」
副長の声は穏やかなままだった。
ただし、普段の薄い笑みはなかった。
「理解したのであれば、次から守ってください。今は、この現象を止めます」
技術班員が測定器を展開する。
「術式構造を検出できません。物品内部の魔力も、通常形式では解析不能です」
「外部への影響は」
「現在は局長室内に限定されています。ただし、室内の容積が本来の値と一致しません」
ロジーが数値を読み上げる。
「現在、一・六倍! まだ少しずつ増えてる!」
レトが小さく呟く。
「お兄さんのお部屋、広くなったね……」
「感想を述べる場面ではありません」
副長に言われ、レトは口を閉じた。
ジェレミーは、星空の中をエルの正面まで歩いた。
「エル。この道具は、何をするために作った」
「振ると、見たことのない空が出る」
「星が消える条件は」
エルは答えなかった。
また一つ、白い星が生まれる。
天井付近へ浮かび、他の星とともに回り始めた。
「決めてない」
「作った時、何を考えていた」
「綺麗な空を、いっぱい見たい」
「その願いが終わる時を決めたか」
エルは再び黙る。
「決めてない」
ジェレミーは星空を見上げた。
「ならば、これは今も空を増やし続けている」
エルが、自分の手にある硝子玉を見た。
「あたし、終わりを作ってない」
副長が技術班へ指示を出す。
「物品の破壊は禁止。遮断も有効性が不明です。作成者による停止を優先します」
ジェレミーはエルへ告げた。
「道具を作った時の考えを、終わらせろ」
「どうやって?」
「綺麗な空を見た。もう十分だと、自分で決めるんだ」
エルは周囲を見回した。
紫と青の星雲。
幾つもの銀河。
宙へ浮いた書類。
動かずに自分を見ているレト。
通信と観測を続けながら、何度もこちらを確認しているロジー。
警戒しつつも、逃げずに近くへ立つ職員たち。
そして、目の前にいるジェレミー。
エルはオーナメントを両手で包んだ。
「あたし、見た」
星雲の速度が、わずかに落ちる。
「綺麗だった」
「うん! すっごく綺麗だったよ!」
レトが頷く。
エルはレトを見る。
「レトも見た」
「見たよ」
「ロジーも見た」
「全部記録した!」
「ジェレミーも見た」
「ああ」
エルは目を閉じた。
「あたし、もう、いっぱい見た」
硝子玉が淡く光る。
「だから、終わり」
星々が、一斉に停止した。
天井の光が細い線へ変わり、硝子玉へ落ちていく。
銀河の渦がほどける。
星雲が縮まり、次々と玉の中へ吸い込まれる。
レトの周囲を回っていた書類が力を失った。
「わっ、待って!」
レトが両腕で受け止める。
床へ広がっていた銀河も消えた。
拡張されていた空間が縮まり、局長室の壁と天井が本来の位置へ戻る。
最後の光が硝子玉へ入った。
ちりん。
室内が静かになった。
ロジーのデバイスに結果が表示される。
空間偏差、解消。
重力方向、正常。
外部影響、検出なし。
技術班員が息を吐いた。
副長の表情にも、いつもの薄い笑みが戻る。
ジェレミーはエルからオーナメントを受け取り、技術班員へ渡した。
「隔離容器へ収容。検査終了まで使用禁止だ」
透明な容器の中へ、硝子玉が収められる。
エルはその様子をじっと見ていた。
「没収?」
「検査だ」
ジェレミーが答える。
「危険性を制御できれば返却する」
「できなかったら?」
「安全な使用方法を探す。それも不可能なら保管する」
「壊す?」
「必要がなければ壊さない」
エルは少しだけ考えた。
「そっか」
小さく頷く。
ジェレミーは、レト、ロジー、エルを順番に見た。
「今回の件について、三人とも報告書を提出しろ」
レトの目が丸くなる。
「わたしも?」
「未検査だと確認せず、使用を勧めた」
「はい……」
ロジーが手を挙げる。
「私は映像も測定値も時系列記録もあるから、添付だけでいい?」
「自分の判断について文章で書け」
「はい……」
エルも首を傾げた。
「あたしも?」
「作成者だ」
「絵でもいい?」
「文章で書け」
「絵の方が分かりやすい」
「文章だ」
「ロジーに書いてもらう」
「自分で書け」
エルがわずかに頬を膨らませた。
レトは、そっとエルの手を握る。
「一緒に書こう」
「レトも文章、得意じゃないよ」
「任務報告なら書けるもん!」
ロジーが元気を取り戻す。
「反省会兼、報告書作成女子会にしよう!」
副長が即座に答えた。
「通常の会議室を使用してください」
「お菓子は?」
「報告書を完成させた後なら許可します」
ロジーが拳を握る。
「やる気出た!」
「わたしも!」
エルも小さく手を挙げる。
「あたしも、お菓子ほしい」
ジェレミーは三人を見る。
「先に報告書だ」
「はーい……」
三人の声が揃った。
◆
三日後。
技術班の検査を終えたオーナメントは、エルの手元へ返された。
以前とは違い、銀色の紐の根元に、小型の制御具が取り付けられている。
発生する星空は、一度につき一つ。
持続時間は十秒。
追加起動は検査を終えるまで不可能。
試験区画以外で使用する場合は、責任者の許可が必要。
説明を聞き終えたエルは、制御具を指でつついた。
「いっぱい出ない」
技術班員が答える。
「いっぱい出たので制限しました」
「綺麗だったよ」
「綺麗でしたが、局長室の容積が増えました」
「広い方が便利かも」
「よくありません」
エルは少し残念そうだった。
それでも、オーナメントが戻ってきたことは嬉しいらしい。
両手で大切そうに抱え、レトとロジーとともに局長室へ向かった。
今度は、きちんと呼び出し装置を押す。
『入れ』
扉が開く。
「お兄さん!」
「局長、検査完了!」
「ジェレミー。返ってきた」
三人が並んで入ってくる。
ジェレミーは書類から顔を上げた。
エルが机の前へ立つ。
「一回だけ、ここで使っていいって」
「許可記録は」
ロジーがすぐに画面を出した。
「技術班と監理班、双方の承認済み! 使用時間十秒、空間作用なし、追加起動不能!」
ジェレミーは内容を確認した。
「よし」
エルはオーナメントを持ち上げる。
「ジェレミー」
「何だ」
「もう一回、見る?」
三日前。
局長室を埋め尽くした星。
浮遊した書類。
拡張された空間。
その後に提出された大量の報告書。
ジェレミーは、そのすべてを覚えている。
それでも。
「ああ」
ほんの少しだけ目を細めた。
「見せてくれ」
エルがオーナメントを振る。
ちりん。
今度は、一つだけ。
小さな銀河が静かに咲いた。
紫と青の星雲が、机の上をゆっくり流れる。
白い星が、決められた十秒だけ瞬く。
レトはジェレミーの隣で笑っていた。
ロジーは許可された範囲で映像を残している。
エルは自分の作った空を見上げていた。
巨大な硝子玉の内側にある、閉ざされた宇宙。
その中に建つ惑星監理局。
その小さな一室に、さらに小さな宇宙が浮かんでいる。
十秒後。
星空は、決められた通りに消えた。
増えない。
書類も浮かない。
部屋も広がらない。
ただ、星を見ていた者たちの瞳にだけ、淡い光が残っていた。
「お兄さん。綺麗だった?」
「ああ」
レトはエルへ飛びつきそうな勢いで振り返った。
「成功だって!」
エルがジェレミーを見る。
「あたし、成功?」
「今回はな」
「今回は」
エルは、その言葉を確かめるように繰り返した。
そして小さく頷く。
「次も、検査してから使う」
「そうしろ」
「使う前に、聞く」
「ああ」
エルは満足そうに、オーナメントを胸元へ抱えた。
危険だからと、すべてを遠ざけるわけではない。
何が起きたのかを確かめる。
危険な理由を伝える。
失敗したなら、次は安全に楽しめる形を探す。
人間とは異なる少女たちと、人間たちが同じ場所で暮らしていくために。
惑星監理局は、今日も一つずつ方法を増やしていく。
局長室の外では、技術班員が制御具の梱包を片づけていた。
透明な気泡の並んだ緩衝材が畳まれ、生活班へ返却する備品の籠へ収められる。
誰にも注目されない、ごく普通の梱包材だった。




