第19話-魔法の境界線
監理班区画の認証扉が開くと同時に、新人職員が飛び込んできた。
「大変です!!」
室内にいた職員たちが、一斉に顔を上げる。
各班から届いた報告書。
進行中の作戦記録。
惑星間紛争の介入審査。
神性存在の観測資料。
それらを扱う監理局の中枢へ、ひどく切迫した声が響いた。
最寄りの席にいた監理班職員が、端末から目を離した。
「どうしました」
「レトさんとロジーさんが、エルさんに対して幸せという単語を口にしました!!」
新人職員は息を継ぐ。
「エルさんの魔法アイテムの機能拡張を願っていました! きらきらを食べるんです! 局長も食べられてしまうんです!」
監理班職員は一度だけ瞬きをした。
「局長は現在、執務室にいます」
「今はです!」
「なるほど」
「レトさんは発言を撤回しました! でも、もうエルさんに言ってしまったんです! 監理局では押さえきれない災害が起きるっ……起きるかもしれません!!」
最後はほとんど悲鳴だった。
監理班職員は周囲を見た。
緊急警報は鳴っていない。
旧世代反応の自動警戒表示も平常。
休憩室周辺から、異常な魔力変動の報告も届いていなかった。
「座ってください」
「でも!」
「立ったままでは、呼吸が整いません」
静かな声だった。
新人職員は反射的に空いている椅子へ座る。
監理班職員は卓上の給水器から水を注ぎ、差し出した。
「事実を順番に確認します。エルさんは、きらきらを捕食する生命体を作りましたか」
「作っていません」
「二人は他にも言及していましたか」
「していました。喋る、増える…レトさんが溶ける……座ってる場合じゃない!溶けてしまいます!!!」
「落ち着きなさい」
「…はい」
「レトさんが溶けましたか」
「溶けていません」
「では、現時点で発生している事象は」
新人職員は水の入ったコップを握った。
「……小さな星が、音を鳴らして、光を散らしながら跳ねています」
「それは、最初からあった魔法アイテムの機能ですか」
「途中で追加されました。レトさんとロジーさんが、音と光をつけたらかわいいと言って、エルさんが変えました」
「捕食、増殖、言語能力の付与については」
「要求しただけです」
「エルさんは、それを実行すると答えましたか」
新人職員は、休憩室での会話を思い返した。
「……いいね、とは言いました。でも、何も起きませんでした」
「分かりました」
監理班職員は端末へ簡潔に記録を入れた。
新人職員は身を乗り出す。
「分かったんですか?」
「少なくとも、緊急封鎖を発令する状況ではありません」
「でも、研修では――」
「研修内容は正しいです」
監理班職員は遮らずに答えた。
「人間がエルさんへ同じ言葉を向けた場合、あなたの警戒は適切です。幸福を安易に口にしない。願望を伝えない。魔法を肯定しない。自分の冗談がどのように解釈されるか、勝手に判断しない」
「では、どうしてレトさんとロジーさんは……」
「二人が箱庭の娘たちだからです」
新人職員は、力なく瞬いた。
「箱庭の娘たちだから、大丈夫なんですか?」
「大丈夫、とは言っていません」
監理班職員は即座に訂正した。
「人間と同じではない、という話です」
少し離れた席で、別の職員が端末を操作していた。
誰も慌てていない。
新人職員だけが、まだコップを強く握っている。
「硝子玉の宇宙は、エルさんの内側に存在しています。その世界から生まれた箱庭の娘たちを、エルさんが完全な他者として認識しているのか。それとも、自分に連なる存在として認識しているのか」
監理班職員は、そこで一度言葉を切った。
「エルさん自身にも、分かりません」
「本人にも?」
「はい。レトさんとロジーさんを自分と同一視しているわけではありません。二人を好きになり、別々の意思を持つ相手として接しています。しかし、魔法が反応する対象として見た時、その境界は人間ほど明確ではない」
新人職員の指から、少しだけ力が抜けた。
「監理局は、エルさんにも言語化できない無意識の問いが関係していると推測しています。二人は他者なのか。自分から生まれたものなのか。その答えが定まらないため、レトさんとロジーさんの願いは、人間の願望と同じ形では魔法へ届きにくい」
「届かない、ではないんですね」
「断定できるほど理解できていません」
きっぱりとした返答だった。
安全だと断言する者はいない。
危険だからと、何もさせない者もいない。
新人職員はコップの水を一口飲んだ。
「そんな重要なこと、どうして研修で説明しないんですか」
「先に教えれば、抜け道だと考える者が出るからです」
「抜け道?」
「レトさんやロジーさんと同じように話せば、自分の願望も安全に伝えられる。二人に代わりに言わせれば、エルさんの魔法を利用できる。そう考える職員が出る可能性があります」
新人職員の顔が引きつった。
「そんなことを試す職員が、監理局に?」
「それだけ魔法という力が魅力的に見えるということです。エルさんに願うだけで、叶うわけですから」
「個人による世界の改変など、我々は絶対に看過しませんがね」
穏やかに話す監理班の職員が、少しだけ刺のある言い方をした。
新人は小さく肩をすぼめた。
「それに、試そうとした時点で、監理局職員として不適格です」
穏やかな口調に戻ったが、監理班職員の冷たい雰囲気はそのまま維持されたように感じた。
「好奇心でも、善意でも同じです。制御できない旧世代の能力を、自分の願望を通すために利用しようとする者へ、監理局の権限は預けられません」
天井近くを、一粒の光が横切った。
塵よりも小さな監視用ナノドローン。
新人職員がエルの行動範囲へ入ってから、発言、視線、生体反応、接触距離を継続して記録している。
研修を終えた直後の職員は、全員が監視対象だった。
規則を知った上で、それでも試そうとする者を見分けるために。
宇宙を維持する責務は、個人の尊厳よりも重い。
危険因子を排除するための、新人に対する一時的な処置。
監理班職員はもちろん、そんなことを口にはしなかった。
「では、あの三人を止めなくていいんですか?」
「必要なら止めます」
「必要でなければ?」
「遊ばせます」
新人職員は理解できないものを見る顔になった。
監理班職員は、ごく簡潔に続ける。
「エルさんは、人間の比喩や冗談を十分には理解できません。人間相手のエルさんは、発言者の言葉が幸せに繋がるかどうか判断しようとしてしまいます」
「本能ですね、彼女の」
「言葉の意味だけでなく、実際には望んでいないことを大げさに言う理由も、感情のままに現実ではあり得ない案を出すような場面も、学ぶ必要があります」
レトとロジーは、思いついたことを口にする。
溶ける。
食べる。
増える。
局長がきらきらしている。
どれも額面通りに受け取れば、危険な言葉だった。
「二人はエルさんへ、人間の言葉が必ずしも事実や命令や願望だけではないと教えています。エルさんは二人へ問い返し、意味を確かめる。監理局は、あのやり取りを必要な訓練と見なしています」
「訓練……」
「完全に抑制すれば、エルさんは人間の言葉を、触れてはいけない危険語の一覧としてしか学べません」
新人職員は、しばらく何も言わなかった。
張り詰めていた肩が落ちる。
納得したというより、緊張を維持する力がなくなったような顔だった。
監理班職員は続ける
「ああそうだ、先ほど箱庭の娘たちだから魔法に結び付かないと言いましたが」
「もう一つ、実際のやり取りを支えている大きな理由があります」
「え…?」
新人の脳は既に限界を迎えかけていたのに、また新しい情報が増える。
「あの三人が、仲良しだからです」
「はい?」
もう、理解をしようとするだけで限界だった。
世界の危機も、人間の尊厳も崖っぷちで耐えているようにしか見えないというのに。
平穏が維持される大切な理由が―――
「仲良しだからです」
「いま、エルさんは人間全体の傾向よりも、個人を見ることに重きを置いています。我々がそう教育しました」
「エルさんは、あの二人がどんな時に本気で、どんな時に思いつきを口にしているのか。エルさんは、これまでの経験から判断しようとします。分からなければ、二人へ確かめることも覚えています」
「あなたが見たものは、あの子たちがただ遊んでいただけの光景ということになります。と、判断していいでしょう」
新人は、疲れ果てた脳から、やっと言葉が絞り出せた。
「つまり……」
声にも勢いがない。
「人間と生きるための練習をしているってことですか……?」
「端的に言えば」
新人職員は両手で顔を覆った。
「……心臓に、悪すぎますよ」
「その感想は正常です」
監理班職員は淡々と答えた。
「慣れない方がいいでしょう。危険なものを危険だと思わなくなれば、別の問題が起きます」
新人職員は指の間から顔を上げる。
「私、勘違いして、こんなところまで駆け込んできたんですが」
「何はともあれ、あなたは組織の職員として信頼できます」
「……え?」
「異常の可能性を疑い、自分で判断を完結させず、監理班へ報告した。それ以上エルさんへ近づき、反応を確かめようともしなかった」
監理班職員は新人の報告記録を保存する。
「内容は支離滅裂でしたが、行動は正しい」
「支離滅裂……」
「局長が食べられるという部分は、特に」
新人職員は視線を逸らした。
「その時は、本当にそう思ったんです」
「報告時に推測と事実を分ける訓練は必要ですね」
「はい……」
「ただし、知らない事態を、知っているふりをしなかった。それで十分です」
新人職員は、ようやくコップを机へ置いた。
全身から力が抜けている。
監理班職員は新しい記録様式を一枚開き、新人の前へ表示した。
「では、報告書を作成してください」
「やっぱり書くんですか?」
「正式に報告された以上、記録は必要です」
「件名は……」
「『休憩室内魔法アイテム機能拡張に関する確認報告』」
「局長捕食未遂事案、ではだめですか」
「あなた、意外と図太いんじゃないですか?」
監理班職員の端末の隅では、新人から見えない角度で、休憩室の映像が流れていた。
レトが硝子の虫取り網を振る。
ロジーが跳ねる星を追いながら撮影する。
エルが星を見失い、反対側を探している。
星がソファへ落ちた。
ぱふっ。
金色の星屑が散る。
三人が笑った。
監理班職員は映像を確認し、静かに閉じた。
新人職員は報告書の一行目を入力しながら、もう一度胸元を押さえた。
「……やっぱり、心臓に悪いです」
「正常な職員の反応です」




