第18話-きらきらを食べる星
きらきらを食べる星
惑星監理局、午後の休憩時間。
休憩室の低いテーブルに、手のひらほどの箱が置かれていた。
乳白色の小箱。
表面には、金色の線で星と雲が描かれている。鍵も留め具もなく、蓋には小さな取っ手が一つあるだけだった。
レトは、テーブルへ両手をついて箱を覗き込んだ。
「エル、これなに?」
「遊ぶもの」
向かいに座ったエルが答える。
白髪のボブの毛先が、淡いピンク色に揺れた。
「どうやって遊ぶの?」
「開ける」
「開けたら?」
「遊べる」
説明は、それで終わった。
ロジーが椅子の上へ膝立ちになる。
「分かった! 中身を知らないまま開封する瞬間を記録するやつ!」
頭上のデバイスが素早く撮影画面を展開した。
未確認魔法アイテム開封記録
撮影者:ロジー
被験者:レト
制作者:エル
危険性:たぶん大丈夫
レトが表示を見上げる。
「たぶん?」
「エルが遊ぶものって言ったから大丈夫!」
「そっか!」
レトは納得して、小箱へ手を伸ばす。
「開けるよ!」
「どうぞ」
「記録開始!」
蓋を持ち上げた。
次の瞬間。
ぽんっ。
箱の中から、黄色い光が飛び出した。
「わっ!?」
光はレトの鼻先をかすめ、天井近くまで跳ね上がる。
星だった。
両手で包めるほどの小さな星。
丸みのある五つの角を持ち、表面は柔らかな金色に輝いている。
星は空中で一度止まった。
レトとロジーとエルが、揃って見上げる。
一秒の静止。
直後。
星は床へ落ちた。
弾んだ。
椅子の背もたれへぶつかり、もう一度跳ねる。
壁。
天井。
テーブルの脚。
ソファの肘掛け。
星は休憩室のあらゆる場所を使い、めちゃくちゃな軌道で跳ね回り始めた。
「逃げた!」
レトが叫んだ。
「逃げたね」
エルが答えた。
「追跡記録開始ーっ!」
ロジーが椅子から飛び降りる。
星は三人の頭上を跳び越え、休憩室の奥へ飛んだ。
レトが駆け出した。
「待ってーっ!」
ロジーも追う。
「待って待って! 正面から撮らせて!」
星に待つ理由はなかった。
壁を蹴り、進行方向を変え、ロジーの頭上を通過する。
ロジーが振り返った時には、星は反対側へ跳んでいた。
「速っ! 撮影対象として優秀すぎる!」
「捕まえるよ、ロジー!」
「了解!」
二人が大騒ぎで星を追いかける。
エルはしばらくソファのそばに立ち、二人を見ていた。
右から左へ走るレト。
左から右へ走るロジー。
その間を、予測不能に跳ね回る星。
レトが笑った。
ロジーも笑っている。
エルは少しだけ首を傾げた。
それから、二人の後を追い始めた。
星が右へ跳ぶ。
エルも右へ走る。
星が急に左へ折れる。
エルは足を止め、きょろきょろしたあと左へ走る。
星がエルの頭上を通過する。
エルはその場で振り返り、また反対へ向かう。
「ちょっと待って!」
ロジーが突然停止した。
「どうしたの!?」
レトも急停止する。
ロジーは星ではなく、エルへデバイスを向けていた。
「エルが走ってる!」
「走ってるね!」
「レアすぎる! これ超レア映像! エル全力疾走記録!」
「全力じゃないよ」
エルは星を目で追いながら答えた。
その間にも星は壁へぶつかり、三人の間をすり抜けていく。
レトは両手を腰へ当てた。
「このまま追いかけても、捕まえられないよ」
戦闘班員らしい判断だった。
ただし、相手は手のひらサイズの星である。
「作戦を立てます!」
レトの両手の間に、淡い青白い光が集まった。
透明な硝子質の魔力が細く伸び、滑らかな柄を作る。
先端には、大きな輪。
輪の内側へ、細い硝子の糸が編み込まれていく。
完成したのは、透明な虫取り網だった。
青白い光を内側に閉じ込めた、本格的な硝子細工である。
レトは虫取り網を掲げた。
「作戦名、きらきら星捕獲作戦!」
「そのまんま!」
ロジーが叫ぶ。
「分かりやすいでしょ!」
「採用!」
レトが正面。
ロジーが左。
エルが右。
三方向から、星を追い込む。
星は壁際へ跳ねた。
「いまだーっ!」
レトが網を振る。
星は直前で床へ落ち、硝子の輪の下をすり抜けた。
「逃げたぁ!」
「星、つよい」
エルが感心したように呟く。
ロジーは走りながら、ふと思いついた。
「ねえ、エル!」
「なに?」
「この星さ、跳ねるたびにいろんな音が鳴ったら面白くない?」
エルが星を見る。
「音?」
「そう! 毎回違うの! 何が鳴るか分からないやつ!」
「いいね」
エルがそう言った時には、もう星は変わっていた。
星が床へ落ちる。
ぽよん。
壁へぶつかる。
ちりん。
天井へ跳ねる。
ぽこん。
ソファへ落ちる。
ぷぅ。
三人が止まった。
星だけが跳ね続ける。
ぴん。
ぶぶっ。
ロジーが腹を抱えて笑い始めた。
「なに今の音! 最後の変だった!」
「もう一回! もう一回鳴らして!」
レトが星を追う。
星が壁へぶつかった。
ぱふっ。
「かわいい!」
レトは虫取り網を振り回しながら叫んだ。
「エル! 跳ねた時にさ! きらきらの光が散ったら、もっとかわいくないっ!?」
「かわいいと思う」
星が変わった。
次に床へ着地した瞬間、金色の光がぱっと弾けた。
小さな星屑。
青や桃色や白の光。
一瞬だけ空中を漂い、消えていく。
ぽよん。
きらきら。
ぷぅ。
きらきら。
休憩室が、急に騒がしく華やかな場所になった。
レトは目を輝かせている。
ロジーのデバイスには、撮影画面が五つ同時に開かれていた。
エルは跳ね回る星に翻弄され、右を見て、左を見て、星屑を追いかけるように何度も方向を変えている。
「かわいすぎる!」
ロジーが叫んだ。
「もっとかわいくできるよ!」
レトも叫ぶ。
ここからだった。
「食べられる星にしようよ!」
ロジーが提案する。
「捕まえた報酬に食べるの! 任務成功したら、ご褒美がないとだよ!」
「いいね!」
レトが虫取り網を構えたまま頷く。
「甘いのがいい! 外はぱりぱりで、中はふわふわ!」
「待って、捕まえてすぐ食べるの、ちょっとかわいそうじゃない?」
「じゃあ、いっぱい増えるようにする!」
「食べても次の星が生まれるやつ!」
「それならいいかも!」
「かわいく喋らせるのは!?」
「喋る星!」
「捕まえないでーって言うの!」
「それ、もっと食べづらくならない?」
「じゃあ、食べてーって言う!」
「それもなんかこわいよ!」
二人の提案は止まらない。
星は、その間にも休憩室を跳ね回っている。
「懐くようにしたら、かわいくない?」
「かわいい!」
「飼いたい!」
「飼おう!」
「なに食べると思う?」
ロジーが聞く。
レトは走りながら真剣に考えた。
「きらきらなら、なんでも食べる!」
「いいね、それ! 食べた分だけ、きらきらするのが増える!」
「かわいすぎない!?」
「きゅーんって鳴き声にしよ!」
「鳴かれたら、わたし幸せすぎて溶けちゃう……」
レトは両手で頬を押さえた。
虫取り網が床へ落ちる。
「エル、やって!」
ちょうどその時だった。
休憩室の前を、一人の新人職員が通りかかった。
配属から間もない職員だった。
箱庭の娘たちに関する研修は、すでに修了している。
レト。
惑星監理局戦闘班所属。
硝子質の魔力と空間魔術を扱う、単騎遊撃担当。
ロジー。
情報班所属。
頭上のデバイスによって脳活動を制御し、膨大な記録を管理する箱庭の娘。
エル。
特殊存在。
旧世代。
そして、その本質に関する説明は、他の二人とは比べものにならないほど重かった。
――エルに願うな。
――エルへ、理由のない肯定をするな。
――幸福という言葉を安易に使うな。
それは単なる言葉では終わらない。
人間の願望へ呼応し、幸福という解釈の下で、現実を書き換える可能性がある。
一度魔法が起きれば、途中で止めることも難しい。
結果だけが、世界に生まれる。
研修では、最悪の場合の対応まで説明された。
エルへ規則違反の接触を行った職員を生存させたままでは、被害の拡大を止められないと判断された場合。
当該職員に対する、殺害処分の即時発令。
新人職員は立ち止まった。
休憩室の中を見る。
レトが叫んでいる。
「きらきらならなんでも食べるの!」
ロジーも叫んでいる。
「食べた分だけ増えるの! 最終的には休憩室いっぱいになるくらい!」
「飼う!」
「増やす!」
「食べられる!」
「喋る!」
「懐く!」
「きゅーんって鳴く!」
そしてレトが、満面の笑みで言った。
「幸せすぎて溶けちゃう!」
新人職員の背中を、冷たい汗が流れた。
危険語が多すぎる。
きらきらを食べる生命体。
自己増殖。知性の付与。捕食対象の定義不明。
遊びで世界が改変される。
新人職員の脳裏に、最悪の想像が浮かんだ。
きらきらした物質を無差別に捕食する、自己増殖型の星形生命体。
監理局の照明。魔力結晶。惑星の海。恒星の光。
全部を食べる。
しかも、食べるほど増える。
おまけにレトが溶かされる。
宇宙が、きゅーんという鳴き声を発しながら消費されていく。
止めなければならない。
新人職員は休憩室へ踏み込もうとした。
「待ってくだ――」
エルが口を開いた。
「幸せ?」
新人職員の足が止まった。
遅かった。
旧世代が、問いかけた。
部屋の空気が変わったように感じた。
新人職員には、世界そのものが返答を待っているように思えた。
レトとロジーが振り向く。
そして、二人揃って叫んだ。
「しあわせ!!」
新人職員の思考が完全に停止した。
終わった。
自分は今、終焉の発端を目撃している。
エルは二人を見た。
少しだけ首を傾げる。
「そうなんだ。いいね」
それだけだった。
何も変わらない、休憩室を跳ね回っているのは、最初からいた小さな星が一つだけ。
ぽよん。
レトとロジーは、もう次の話を始めていた。
「でも、溶けたくはないかも!」
レトが言う。
ロジーが即座に反応する。
「とろとろレト、記録したいかも」
「可愛さで溶けるんだよ? ロジーのほうが溶けまくるでしょ!」
「たしかに!」
「ロジー、かわいいの大好きだもん!」
「レトもでしょ!」
「わたしは頑張ってちょっとだけしか溶けないようにする!」
「頑張って止められるわけないじゃん、絶対かわいいのに!」
新人職員は入口に立ったまま動けなかった。
人間の何気ない願いにさえ呼応し、幸せという解釈の下で世界を書き換える存在。
それが、elkore_felicoという少女である。
なのに目の前の三人はただ、話をしているだけだった。
「きらきらを食べるって、どんなの?」
エルが聞いた。
レトが両手を大きく広げる。
「きらきらは、きらきらしたものだよ!」
「説明になってない!」
ロジーが笑う。
レトは指を一本ずつ立てた。
「わたしの硝子とか、プリンとか、お兄さんとか!」
ロジーのデバイスが、ぴたりと止まった。
「レトには局長がきらきらして見えてる! 新事実!」
「お兄さんはきらきらしてるよ!」
エルは少し考えた。
「ジェレミー、黒いよ」
「それはスーツでしょ!」
レトは両手を振った。
「お兄さんはかっこよくて、やさしくて、かっこよくて、強くて、かっこよくて、頭がいいから、きらきらしてるの!」
「かっこいい三回言った!」
「大事だから!」
エルは、星を眺めながら尋ねた。
「ジェレミー、食べられる?」
レトの顔から笑みが消えた。
「だめっ!!」
休憩室中に響く声だった。
星が驚いたように天井へ跳ねる。
ぱふっ。
きらきら。
「お兄さんは食べちゃだめ!」
「でも、きらきら食べるんでしょ?」
ロジーが指摘する。
「あっ」
レトが固まった。
「プリンも、きらきら?」
エルが続ける。
「あっ!」
レトの顔が青ざめた。
「プリンも食べられちゃうんだ!」
「……やっぱり、きらきら食べるのはだめ!」
ロジーが腹を抱えて笑った。
「あはははは! レトの好きなもの、全部食べられる!」
「だめだよ! 撤回! きらきら食べる設定は撤回します!」
エルは頷いた。
「じゃあ、食べない星」
「うん!」
「普通の星に戻った!」
「よかった…お兄さん!わたし、お兄さんを助けたよ…!」
「マッチポンプすぎる!!」
三人は再び、小さな星を追いかけ始めた。
レトが硝子の虫取り網を拾う。
ロジーが撮影を再開する。
エルは、跳ねた星がどこへ行ったのか分からなくなり、きょろきょろと辺りを見回している。
ぽよん。
きらきら。
ちりん。
きらきら。
新人職員は入口に立ち尽くしていた。
「新人さん!」
ロジーが入口を指さした。
「いつからいたの!?」
新人職員は答えられない。
レトも振り向く。
「一緒に捕まえる?」
エルもこちらを見た。
「楽しいよ」
新人職員の脳内で、研修内容がもう一度駆け巡った。
そして、口を開いた
「……見学だけにします」
「いいよ!」
レトが笑った。
「捕まえたら見せてあげるね!」
ロジーも笑う。
「記録映像もあとで共有する!」
エルは小さく頷いた。
「捕まえたら、食べる?」
星が跳ねる。
三人が追う。
音が鳴る。
星屑が散る。
笑い声が重なる。
世界は、何ひとつ書き換えられていなかった。
何もかも、自分の知識と違っていた。




