第20話-あたしの魔法、あたしの名前
ここまで、の訓練
惑星監理局、戦闘班第一訓練場。
厚い防護壁に囲まれた区画の内側へ、三街区分の模擬市街が組み上げられていた。
開始警報と同時に、空が赤黒く明滅した。
魔力災害を再現する濁流が高架を食い、建物の輪郭を泥のように崩す。
路面は持ち上がり、窓は内側から砕け、遠くで塔が一階ずつ沈んだ。
崩壊域には、異なる地点へ取り残された模擬市民が六名。
出動するのは、レト一人だった。
『制限時間、九分。市民の死亡判定一名につき即時失格。広域殲滅魔術は禁止』
「了解! 全員つれて帰る!」
二度目の警報が鳴る前に、レトの姿が消えた。
青白い尾が、折れた街路を斜めに貫く。
瓦礫の陰から、四脚型の敵性魔力生命体が三体、同時に飛び出した。
レトの周囲へ、硝子の短剣が七本ひらく。
先頭の一体には二本。脚の関節だけを貫き、転倒させる。
二体目には一本。放射寸前の顎を打ち上げ、魔力光を無人の上空へ逸らす。
三体目の爪を、残る四本が交差して受けた。
仕留めない。
その一瞬で、右手の集合住宅が大きく傾いた。
一階に二名。上階から落ちた梁が、退路を塞いでいる。
レトは空中で身体を捻り、短剣の一本を窓へ投げた。
硝子面に室内が映り、二つの座標が固定される。
空間がわずかにずれ、落下した梁の端だけが壁際へ滑った。
粉塵の中から模擬市民が這い出す。
「二人、こっち! 光ってる道から出て!」
足元へ薄い硝子板が連なり、安全な街路まで青白く伸びた。
残り四名。
地下通路から救助信号が上がる。
同時に、背後で倒した三体が自己修復を始めた。
レトは振り返らず、指を一度だけ弾いた。
関節に残していた短剣が砕け、熱と光が再生部位だけを焼いた。
爆風は建物と市民を避け、狭い路地の奥へ抜ける。
地下では、模擬市民二名が歪んだ防火扉に挟まれていた。
「いま開ける! 走れる?」
『一名、脚部損傷。自力移動不能』
その瞬間、交差点の地面が裂けた。
五人目の市民が、傾いた路面ごと亀裂へ落ちる。
レトは防火扉へ短剣を差し込んだまま、反対の手を亀裂へ伸ばした。
全員をまとめて転移させる余裕はない。
だから、落ちる一人の真下だけ、空間を一枚折った。
身体が横へ滑り、硝子の足場へ叩きつけられる。
レトは負傷者を背負い、もう一人の手を引いて地下から飛び出した。
五人目を途中で拾い、安全域へ三人まとめて押し込む。
最後の一名は、沈み続ける塔の最上階。
上空には飛行型の敵性個体。路上には再生を終えた四脚型が群れていた。
面で焼けば早い。けれど、塔の中には市民がいる。
レトは十一本の短剣をばらばらの高度へ放ち、空中へ折れ曲がる誘導線を引いた。
短剣は敵を追わず、翼、脚、射線、進路だけを次々と断つ。
塔の崩落まで、猶予は僅かだった。レトは硝子の足場を蹴って最上階へ飛び込んだ。
終了音が鳴った時、六人目はレトの両腕に抱えられ、安全線の内側へ転がり込んでいた。
訓練場の端で、エルは救われた六人ではなく、レトが最後まで「ここまで」で力を止めた瞬間を見ていた。
エルは考えた。
自分ならどうしたか。
人間が助けてほしいと思っている、怖くて幸せじゃなくなった街。
あたしなら……街を作り直して、人間の怪我と怖い気持ちを無くして、敵はおもちゃやお菓子に変えて終わらせる。
でも、作り直した街はエルが想像した街。どんな街だったかは知らない。
怪我と怖い気持ちをなくすのは、良いことだと思う。
違う。怖くない気持ちに変えることでも、勝手に変えるのは良くないと、みんなが言う。
敵は……敵でも勝手に変えると良くない。
人間は、その力が自分に向くことを恐れる。もしかしたら、魔法を怖がってあたしも恐怖の対象にするかもしれない。
幸せにしたかった魔法が、頭のなかで幸せな結果にならなかった。
昔なら、こんなことは考えなかった。
長く人間と一緒にいたら、いろんな結末が頭に浮かぶようになった。
でも、どうすれば良いのかはわからなかった。
◇
局長室には、紙をめくる音だけが続いていた。
ジェレミー・クリエットは執務机に向かい、各班から届いた書類を処理している。
外縁航路の再編申請。
神性存在の観測報告。
魔術災害指定の更新。
戦闘班の訓練結果。
署名。
承認。
差し戻し。
次の一枚。
七枚目を処理し終え、ジェレミーはふと顔を上げた。
部屋の奥にあるソファへ、エルが座っていた。
両手を膝に置き、床へ届かない足をわずかに揺らしている。
扉が開いた音はなかった。
認証装置も作動していない。
警戒術式に異常はなく、室内には新しい魔力反応も残っていない。
それ以前に、ジェレミー自身が気づかなかった。
「ノックをして、ドアから入りなさい」
エルが瞬きをする。
「いつもはする」
「今回はしていない」
「うん」
「どうやって入った」
エルは少し考えた。
「ここに来た」
「それは分かっている」
ジェレミーは入退室記録を開いた。
最後に扉を使ったのは、三十分前に退室した副長だった。
「いつからいた」
エルは、机上の処理済み書類を指差した。
「七枚前」
ジェレミーの視線が、積み重ねた紙へ落ちる。
正確だった。
「次からは扉を使え」
「うん」
素直に頷いたが、エルは立ち上がらなかった。
ジェレミーは未処理の書類から手を離した。
「用件は」
エルはソファの上で少しだけ前へ寄った。
「ジェレミー、あたし訓練したい」
「何の訓練だ」
「魔法」
ジェレミーはしばらくエルを見た。
「理由は」
「レトの訓練、見た」
「そうか」
「街、壊れてた。敵もいた。人間、六人いた」
エルは自分の両手を見下ろす。
「でもレト、全部なくさなかった」
「救助訓練だからだ」
「人間も変えなかった」
「当然だ」
「必要なところだけ、した」
エルは顔を上げた。
「あたしも、魔法をここまでにしたい」
ジェレミーは机の下の保管庫を開いた。
取り出したのは、厚い書類綴りだった。
表紙には、簡潔な題名が記されている。
旧世代能力・意図行使訓練草案
何度も開かれた跡がある。
訓練場の候補。
監視体制。
中止条件。
禁止事項。
エルへ指示を伝えるための文案。
複数の部署による修正と差し戻し。
改訂日だけが増え、実施日の欄は空白のままだった。
エルの魔法を意図的に行使させる。
その草案は以前から存在していた。
だが、実行には移されなかった。
言葉の少ないエルに、人間の想定する結果を正確に伝えることは難しい。
人間にとっての「守る」と、エルにとっての「幸せにする」は同じではない。
わずかな解釈の違いが、現実そのものを変える。
「まず、魔法は使わない」
ジェレミーが言った。
エルは首を傾げる。
「魔法の訓練なのに?」
「使う前の訓練だ」
ジェレミーは草案の末尾から白紙を一枚抜き、短い文章を書いた。
助けを呼びながら、泣いている人間がいる。
紙をエルの前へ置く。
「どうする」
エルは文字を読んだ。
「泣かない、はしない」
答えは早かった。
「では、どうする」
「近くに行く」
「それから」
「なんで泣いたか聞く」
「人間は答えた。飼っていた犬が死んだからだ」
エルの指が、紙の端へ近づく。
触れる直前で止まった。
「……死んだら、生き返らせない」
「なぜだ」
「昔、ジェレミーが駄目って言った」
「それだけか」
エルは少し考える。
「昔の職員さんたちも、怖い顔をした」
「他にはあるか」
沈黙が落ちた。
エルは白紙を見つめている。
そこには泣く人間しか書かれていない。
もう会えない犬は、どこにもいない。
「……ほんとは、死んでないことにしたい」
「どうしてだ」
「死んだら、会えない」
エルは胸元へ手を当てた。
「それは幸せじゃないから」
「誰にとって」
「みんな?」
「死者が蘇ることを恐れる人間は多い」
エルの眉が、わずかに動いた。
「どうして?」
「一度生き返れば、次に死んだ時も生き返ることを望む」
「また生き返らせる」
「その次は」
「また」
「いつまで続ける」
エルは答えなかった。
「いつか蘇らせられない時が来れば、その者は同じ喪失をもう一度味わう」
「二回、会えなくなる?」
「そうだ」
「それは、もっと悲しい」
「死に慣れる者も出る」
エルが首を傾げた。
「慣れたら、悲しくない?」
「命を軽く扱う」
ジェレミーは白紙の横へ、新しい紙を置いた。
「生き返ると分かっていれば、人間は軽率に死に始めるぞ」
「どうして?」
「危険なことをしても戻れると考える。自分の命だけではない。他人を殺しても、後で戻せばいいと考える者が出る」
「戻せるなら、戻した方がいい」
「生きているものが増え続ける」
ジェレミーは紙へ、小さな丸を幾つも描いた。
「食料が要る。住む場所が要る。働く者が要る。子供も生まれる。死者が戻り続ける社会を、誰が維持する」
エルは丸の増えた紙を見た。
「広くする」
「どこを」
「惑星」
「誰が作る」
「あたし」
「永遠にか」
エルの指先が止まった。
「一人を蘇らせれば、他の死者を蘇らせない理由が必要になる」
「みんな生き返らせる」
「そうすれば、お前は永久に世界を広げ、食料を作り、社会を維持し続けることになる」
「あたし、できると思う」
「できるかどうかではない」
ジェレミーの声は変わらない。
「お前以外の誰も、その世界を支えられなくなる」
エルは黙った。
目の前の一人を笑わせる。
失った犬を戻す。
その瞬間だけなら、幸せに見える。
けれど、その先にも時間は続く。
「犬、生き返らせないなら」
エルは白紙へ目を戻した。
「泣いてる人に、何をする?」
「それを考えろ」
エルは長い間、何も言わなかった。
やがて、小さく口を開く。
「そばにいる」
「それから」
「犬の話、聞く」
「それから」
「一緒に悲しむ」
「お前は、その犬を知らない」
「うん」
「同じようには悲しめない」
「でも、会えないのが悲しいは、少し分かる」
ジェレミーは否定しなかった。
エルは、紙に書かれた人間の隣へ指を置いた。
何も作らない。
死を消さない。
泣くことも止めない。
ただ、隣にいる場所を示すように。
「生き返らせない」
エルは言った。
「泣かないようにもしない」
指先は、白紙へ触れないままだった。
「でも、一人で泣かせない」
ジェレミーは訓練記録へ、その回答を書き込んだ。
ペン先が止まる。
「では、その人間が、生き返ってほしいと願ったら」
エルが顔を上げた。
「エル。お前はどうする」
室内が静まり返った。
エルは、今まで聞いた話を理解している。
同じ喪失が繰り返されること。
命が軽くなること。
生きる者が増え続けること。
一人を選べば、選ばれなかった者が生まれること。
それでも、紙から目を離せなかった。
「……したい」
「何を」
「生き返らせたい」
声は小さい。
だが、嘘ではなかった。
「幸せにしたい」
ジェレミーは記録へ視線を落とした。
社会的影響への理解を確認。
そこまで書き、次の一文を加える。
願望呼応の抑制には至らず。
エルは、ジェレミーの手元を見ていた。
「だめだった?」
「違う」
ジェレミーは草案を閉じなかった。
「だから訓練する」
エルは白紙から指を離した。
「うん」
ジェレミーは通信端末を起動した。
「副長。第七会議室を確保しろ」
『承知しました。議題は』
「エルの魔法制御訓練草案。実施準備へ移行する」
通信の向こうで、短い沈黙があった。
『状況に変化がありましたか』
ジェレミーは、ソファに座るエルを見る。
「本人が、訓練を求めた」
『関係部署を招集します』
通信が切れる。
局長室の外で、会議招集を知らせる音が鳴った。
まだ、魔法は一度も使われていない。
それでも、長く止まっていた訓練は、確かに始まっていた。




