第16話-お外みたいなところ
中庭の芝生は、午後の光を吸って、ふかふかに温まっていた。
惑星監理局の中庭。
職員たちが休憩に使い、レトたちが「お外みたいなところ」と呼んでいる場所である。
本物の惑星の空ではない。
空の色も、風の強さも、気温も、魔術によって管理されている。
それでも、見上げれば空は青い。
頬を撫でる風がある。
芝生は柔らかく、花壇では小さな花が揺れている。
その真ん中で、レトが仰向けに転がっていた。
午前中の戦闘訓練を終え、昼食を食べ、中庭へ来てからほとんど動いていない。
淡緑色の長い髪が芝生に広がり、左側のワンサイドテールが、ぽふんと枕のように潰れている。
エメラルドグリーンの瞳は半分とろんとしていた。
「……わたし、いま、すごくだらだらしてる」
隣では、ロジーがうつ伏せになっていた。
ピンク色のツインおさげを芝生へ投げ出し、頭上のデバイスだけが律儀に記録画面を浮かべている。
「うん。かなりだらだらしてる」
ロジーは画面へ文字を入力した。
「監理局中庭だらだら記録、午後の部。対象、レト。状態、訓練後の完全脱力。備考、かわいい」
「午後の部ってなに?」
「午前の部がなかったから、いま作った」
「ロジー、すぐ作る」
「記録は作った瞬間から存在するのです!」
ロジーは得意げに言い、芝生の上でころんと横向きになった。
そして二人の間に、エルが座っていた。
白髪の毛先に混じる淡いピンクが、風に揺れている。
膝の上には、小さな布袋。
袋の口には、技術班の確認札が結ばれていた。
休憩時間・中庭限定使用。
エルは札を二人へ見せた。
「今日は、使っていい」
「わあああ!」
レトが勢いよく起き上がろうとする。
両肩が芝生から離れたところで力尽き、また沈んだ。
「……見たい。でも起きたくない」
「分かる。すごく分かる」
ロジーも片腕だけを伸ばした。
「エル、こっちに出して。私たちは今、重力に負けてる」
「重力、つよい?」
「つよい。今日の重力は悪いやつ」
「そっか」
エルは頷き、袋から小さな硝子の鳥を取り出した。
胴体はビー玉ほどの大きさ。
薄い硝子の翼が午後の光を反射し、芝生の上に青や桃色の光を散らしている。
「これは?」
レトが寝転がったまま、首だけを向ける。
「なまけ鳥」
「なまけどり」
ロジーが即座に復唱した。
「鳴くと、近くの人がちょっとだけ、もっとだらだらしたくなる」
「危険物じゃん」
「危険?」
「業務時間に使ったらだめなやつ」
「うん。だから休憩時間」
エルは鳥の頭を、指先でちょんと撫でた。
硝子の鳥は小さく羽ばたき、三人の真ん中へ降り立つ。
薄い胸を反らし、
「ぴよぉ……」
ものすごく気の抜けた声で鳴いた。
その瞬間、レトの身体から、すとんと力が抜けた。
「ふあ……」
ロジーの記録画面も、少しだけ傾いた。
「これは……だめ……」
「だめ?」
「気持ちよすぎてだめ」
ロジーは両腕を芝生へ投げ出した。
「記録、一回休み……」
レトが目を丸くする。
「ロジーが記録を休んだ!」
「大事件だけど、いま驚く元気がない」
「分かる」
エルはなまけ鳥を見つめた。
「成功」
なまけ鳥は、もう一度胸を張った。
エルが次に取り出したのは、手のひらほどの小さな雲だった。
白くて丸く、綿菓子のようにふわふわしている。
下には、小さな金色の鈴が一つ。
「ころころ雲」
エルが空中へ放ると、ころころ雲は三人の周囲をゆっくり漂い、ロジーの頭へ乗った。
「わ。ひんやりする」
「暑そうだったから」
雲は鈴を鳴らし、今度はレトの胸元へ降りる。
ぽふ。
レトは両腕で抱きしめ、目を細めた。
「……これ、好き」
「乗ったところを、ちょうどよくする」
エルは雲を撫でた。
「暑かったら涼しくする。寒かったらあったかくする。寂しかったら、少しくっつく」
「レトに、すっごくちょうどいい」
レトは頬を雲へ埋めた。
「これ、連れて帰っていい?」
「いいよ。でも、夜になると冷蔵庫へ行く」
「なんで?」
「昼に集めた熱を、冷たいところで外に出すから。そうすると、またふわふわになる」
「じゃあ、冷蔵庫で寝るんだ」
ロジーが言った。
「夜になったら、わたしが連れていってあげる」
「自分で行くよ」
「でも、一緒の方が寂しくないもん」
ころころ雲が、返事をするように鈴を鳴らした。
ちりん。
「記録。ころころ雲、夜間は冷蔵庫で休息。レトによる送迎予定」
「かわいいも書いて」
「書いた。最重要備考、かわいい」
ころころ雲はレトの腕を抜け、三人の間へぽふんと収まった。
エルは最後に、小さな硝子の皿を取り出した。
皿の上には、何も乗っていない。
「これは、おやつ皿」
「おやつ!」
レトが反射的に上半身を起こした。
なまけ鳥が鳴く。
「ぴよぉ……」
レトは、また芝生へ倒れた。
「おやつなのに……身体が……」
「なまけ鳥、強い」
ロジーも震える声で言った。
「おやつ皿は、見てる人が、いま一番食べたいものを出す」
エルは皿を芝生の上へ置いた。
最初にレトが見る。
ぽん。
小さなプリンが現れた。
つるりとした表面の上で、カラメルが午後の光を反射している。
「プリン!」
レトが手を伸ばす。
あと十センチ。
届かない。
「プリン……遠い……」
ロジーが横からスプーンを渡した。
「頑張れ、レト。いまのレトにとっては宇宙の果てだけど、あと十センチ」
午前には硝子の短剣を何十本も操っていた腕が、プリンを前にぷるぷる震えている。
ようやくスプーンが届いた。
一口すくい、口へ運ぶ。
「……おいしい」
レトの頬が、プリンと同じくらい緩んだ。
ロジーのデバイスが即座にレトへ向く。
「記録しました」
「かわいく撮れた?」
「ものすごくかわいく撮れた」
「じゃあいいよ」
次にロジーが皿を見る。
ぽん。
虹色のゼリーが山盛りになった。
星型、花型、ハート型。
どれも透明で、内側に小さな光を閉じ込めている。
「かわいい!」
ロジーが完全に起き上がった。
「食べる前に撮る! 全景! 斜め上! 光の反射!」
なまけ鳥の声より速く、デバイスの撮影機能が動き出す。
ロジーは星型の一つを摘まみ、レトの口元へ差し出した。
「ひとつあげる」
「いいの?」
「私はかわいいものを共有できる女だから」
レトは星をぱくりと食べた。
「きらきらの味がする」
「味覚分類、きらきら。記録しました」
最後に、エルが皿を見る。
ぽん。
皿の上へ、白くて丸い菓子が三つ現れた。
薄い光を帯びた、小さな餅のようなもの。
レトとロジーが、同時に覗き込む。
「なにこれ?」
「お餅みたい」
エルは一つを摘まみ、じっと見た。
「みんなが食べてるの、楽しそうだったから」
ロジーが、皿とエルを交互に見る。
「三つあるね」
「うん」
「どうして?」
エルは少し考えた。
「一人で食べるもの、思いつかなかった」
レトとロジーが、同時にエルを見た。
「ぴよぉ……」
なまけ鳥が鳴き、二人の身体が芝生へ沈む。
それでもレトは腕を伸ばし、ロジーも反対側から身体を寄せた。
普段なら一瞬で届く距離を、二人はもぞもぞと進む。
「エル……」
「なに?」
「三人で食べたいって思ってくれたから」
レトがエルの右側へ辿り着く。
「私たちも、いまエルにくっつきたい」
ロジーが左側へ辿り着く。
そして二人は、左右からエルへ抱きついた。
「ぎゅーっ!」
「ぎゅー!」
なまけ鳥のせいで、腕にはほとんど力が入っていない。
それでも、離れないように精いっぱい抱きしめている。
淡緑色の髪が、エルの肩へかかる。
ピンク色のツインおさげが、反対側の頬へ触れる。
ころころ雲は三人の隙間へ入り込もうとして、行き場をなくしたように頭上を回った。
エルは、白い菓子を持ったまま、しばらく動かなかった。
右側にはレト。
左側にはロジー。
二人とも、自分でここまで来た。
「エル、大好き」
レトが言った。
「私も。三人で食べようね」
エルは何度か瞬きをした。
それから、二人の背中へゆっくり腕を回す。
「うん」
小さな腕で、二人を抱き返した。
「三人で食べる」
ころころ雲が、ようやく隙間を見つけたように、三人の頭の上へ乗った。
ちりん。
金色の鈴が鳴る。
三人は、しばらくそのままでいた。
やがて、なまけ鳥の効果が少し弱まり、エルを真ん中にして座り直す。
白い菓子を一つずつ持ち、同時に口へ入れた。
ほんのり甘い。
少しだけ冷たい。
噛むたび、口の中で小さな音がした。
ぱち。
ぱちぱち。
星が弾けるような、遠くで硝子鈴が鳴るような音。
「口の中で小規模天体観測が起きてる」
ロジーが目を輝かせる。
レトは両頬を押さえた。
「わたしの口の中、宇宙だ」
エルは目を半分閉じ、口の中の音へ耳を澄ませていた。
「エル、かわいい!」
レトが言う。
エルは瞬きをした。
「かわいい?」
「うん。すごくかわいい」
「同意。ぱちぱちを真剣に聞いてるエル、かなりかわいい」
「そっか」
エルは手に残った白い粉を見る。
「じゃあ、これは、かわいいおやつ」
「名前決定!」
ロジーがデバイスへ入力した。
「かわいいおやつ。効果、口の中でぱちぱちする。副作用、三人がちょっと嬉しい」
「いい副作用?」
「いい副作用」
「じゃあ、いっぱいあってもいいね」
「うん」
エルも頷いた。
それから、三人は何もせずにごろごろした。
なまけ鳥が、時々「ぴよぉ」と鳴く。
ころころ雲は、三人の間をぽふぽふと移動する。
おやつ皿は、誰かが見つめるたび、小さなおやつを出した。
途中で、休憩中の戦闘班職員が一人、中庭の横を通りかかった。
なまけ鳥が鳴く。
「ぴよぉ……」
職員は足を止め、自分の端末を確認した。
残り四分。
何も言わず、中庭の端にあるベンチへ座る。
ころころ雲が飛んでいき、職員の頭へ乗った。
職員は抵抗しなかった。
「参加者、増えた」
ロジーが言う。
「だれにでも、ちょうどいい」
エルが答えた。
職員は目を閉じたまま、小さく頷いた。
やがて、レトの瞼が完全に閉じた。
ころころ雲を抱きしめ、穏やかな呼吸を立て始める。
ロジーも半分眠った目で記録を続けていた。
「中庭……だらだら……三人……かわいい……」
そこで指が止まる。
デバイスが記録を自動保存し、画面を閉じた。
ロジーも芝生へ頬をつける。
休憩を終えた職員が、ころころ雲をそっとエルへ返し、静かに中庭を出ていった。
エルは、眠った二人の間に座っていた。
ころころ雲が、レトとロジーの上へ半分ずつかかる。
なまけ鳥は硝子の足で芝生を歩き、エルの膝へ戻ってきた。
「だらだら、いいね」
返事はない。
レトもロジーも眠っている。
エルは少し考えて、もう一度だけ言った。
「また、何もしないのしたい」
エルの手の中で、なまけ鳥が胸を張った。
「ぴよぉ……」




