第11話-『轢殺の神性存在――転轢作戦』
地面が揺れていた。
巨大な何かが大地を踏むたび、惑星そのものが短く呻いている。
重装隊員は輸送路の中央に立ち、巨大な盾の固定具を確認した。
黒髪を短く刈った頭。
傷の残る精悍な横顔。
重装甲に覆われた広い背中。
盾は一枚。
それでも彼が味方の前へ立つと、そこに壁ができたように見えた。
少し離れた高架上では、魔術砲撃担当が複数の術式環を展開している。
青みがかった黒髪の間に浮かぶ光が、細い顔を照らす。
組んでいるのは、大規模破砕術式ではない。
回転する車輪の一点だけへ、同じ衝撃を繰り返し与えるための精密術式だった。
「計算上の誤差、一・二パーセント」
近接戦闘員が、高架の支柱へ魔術杭を打ち込みながら言った。
「細けえな」
赤茶色の短髪が、地鳴りに揺れる。
「今回の一パーセントは、工場一棟分の進路差になる」
「なら細けえ方がいい」
「最初からそう言っている」
遊撃補佐員は二人の会話を聞き流し、線路脇へ小型標識を撃ち込んでいた。
銀色のショートヘア。
切れ長の目。
彼女が配置しているのは、単なる目印ではない。
移動可能な座標。
撤退方向。
空間変質の予測。
レトが高速機動中に一瞬で判断できるよう、情報を色分けした帰還標識だった。
「レト」
少し先で、淡緑の髪が振り向いた。
左側のワンサイドテール。
黒いリボンにつけられた、二つの青いキューブが揺れる。
「青は安全。白は三秒以内に線路化。赤は使用禁止」
「分かった!」
レトの周囲には、半透明の硝子短剣が十六本浮いていた。
刃の内部に封じられた青白い熱が、淡く明滅している。
地平線の向こうから、黒煙が迫っていた。
その下で。
巨大な前輪が、工場群の間を進んでいる。
「わたし、行ってくるね」
戦闘班長の声が通信に入る。
『単独で止めるな、レト』
「うん」
レトは真剣に頷いた。
「止めない。道を見る」
一本の短剣を前方へ投げる。
青白い線を引いて飛んだ短剣が、百メートル先の線路脇へ突き立った。
レトの姿が消える。
直後、短剣のそばへ現れた。
空間転移。
そこから、さらに三本。
右。
左。
上。
硝子短剣が工場壁、高架下、変質した地面へ次々と刺さる。
レトは走らない。
短剣を投げ、その位置へ移り、さらに先へ刃を放つ。
飛び石のような連続転移。
淡緑の髪と青白い光だけが、線路の左右を高速で縫っていく。
調べているのは、外殻の強度ではない。
どこまでが神性存在の権能に占有されているのか。
どこなら硝子を刺せるのか。
どこまでなら空間の角度をずらせるのか。
短剣が一本、地面へ弾かれた。
「右側、硬い!」
別の短剣は、変質した舗装の奥深くへ刺さった。
「左側は薄い!」
遊撃補佐員が報告を立体地図へ反映する。
「左側の線路化密度、右より十一パーセント低い。地下配管群が権能の浸透を阻害している」
魔術砲撃担当が即座に術式を組み替えた。
「使える。左地盤を沈ませ、右側車輪の接地圧を抜く」
近接戦闘員が高架から身を乗り出す。
「廃棄炉は右だろ。左へ傾けてどうする」
「左へ傾けば、右側の車輪が浮く。その瞬間に右へ押す」
「面倒だな」
「神性存在の進路変更に簡単な方法を求めるな」
黒煙の中から、巨大な前輪が現れた。
止まらない車輪。
獣じみた前脚が地面を蹴り、列車の装甲をまとった巨体が迫ってくる。
全身の車輪が、ばらばらの速度で回っている。
だが、進行だけは一つだった。
前へ。
ただ前へ。
『――進め』
進路上にいた重装隊員の盾が、接触前から明滅した。
防護術式が剥がれていく。
一層。
二層。
三層。
神性存在は、盾を障害物として認識していた。
守るための力そのものが、轢き潰すために奪われていく。
重装隊員は盾を正面へ立てなかった。
右足を下げる。
盾の左端を前へ出す。
進路に対して斜めの面を作る。
戦闘班長が告げた。
『接触まで三秒』
一秒。
盾の固定杭が地面へ打ち込まれる。
二秒。
最後の防護術式が消える。
三秒。
衝突。
轟音が工場群を揺らした。
盾の表面が陥没する。
固定杭が一本、地面から引き抜かれる。
重装隊員の身体が数メートル押し流された。
それでも彼は、止まらない車輪を受け止めてはいない。
巨大な前輪を盾の斜面へ乗せ、そのまま外側へ滑らせる。
自分も進行方向へ動く。
後退しない。
経路から離脱しない。
止まらない車輪の権能へ逆らわず、接触角度だけを変える。
「偏向、一・七度!」
遊撃補佐員が叫ぶ。
重装隊員は固定杭を解除し、砕けかけた盾を横へ流した。
左腕の装甲が潰れている。
それでも報告は短かった。
「第一接触、完了」
魔術砲撃担当の術式環が回転する。
「右側車輪群、照準」
光が走った。
爆発ではない。
圧縮された衝撃だけが、止まらない車輪の右半身を連続して叩く。
同じ車輪。
同じ位置。
一回転するたび、寸分違わず打ち込む。
巨大な外殻を破壊する必要はない。
左右の回転へ、僅かな差を作ればいい。
止まらない車輪が咆哮した。
『――止まるな』
速度が上がる。
車輪の回転が増す。
装甲の継ぎ目が閉じ、魔力密度が跳ね上がった。
レトが放った硝子短剣が前脚の関節へ触れ、刺さることなく砕け散る。
「もっと硬くなった!」
魔術砲撃担当が計測値を見る。
「想定どおりだ。速度上昇に比例して外殻強度が増している」
「じゃあ、もっと曲がれなくなった?」
「そのはずだ」
近接戦闘員が高架から跳んだ。
狙いは神性存在の装甲ではない。
線路と前輪の接触点。
高速回転する車輪が通過する直前に、楔型の魔術杭を軌条の内側へ打ち込む。
杭が車輪に踏まれる。
一瞬で砕ける。
その一瞬だけ、前輪の高さが変わった。
「追加、零・四度!」
近接戦闘員は着地と同時に、神性存在の進行方向へ走った。
線路から離れない。
後方へ下がらない。
だが、次の杭を取り出した瞬間。
足元の軌条が大きく変質した。
離脱経路が線路へ呑み込まれる。
「右へ出るな!」
遊撃補佐員が叫んだ。
近接戦闘員の身体が、既に右へ跳びかけていた。
その瞬間。
距離が巻き戻った。
線路から離れようとした身体が、離脱前の座標へ引き戻される。
神性存在の進路上。
「っ、後退判定!」
巨大な前輪が迫る。
遊撃補佐員が帰還標識を射出した。
だが、標識は地面へ触れた瞬間、軌条の一部へ変質した。
使用不能。
「レト!」
「見えてる!」
硝子の音が鳴った。
レトが消える。
次に現れた時、彼女は近接戦闘員の真横にいた。
両手で襟を掴む。
「こっち!」
「横へ出るな! また戻される!」
レトは一瞬だけ前を見た。
進行方向。
青い帰還標識。
線路と平行に配置された安全座標。
逃げるのではない。
前へ進む。
レトは空間を繋いだ。
二人の姿が消える。
次の瞬間。
神性存在の進行方向、百メートル先へ現れた。
巨大な前輪は、なおも背後から迫っている。
遊撃補佐員が別の高架から新たな標識を撃ち込む。
「さらに前方、青!」
レトは近接戦闘員を掴んだまま、もう一度転移した。
二人が進路脇の高架へ滑り込む。
直後、巨大な車輪が真下を通過した。
圧力だけで高架の床が裂ける。
レトの頬に細い傷が走った。
近接戦闘員は床へ転がり、荒く息を吐く。
「助かった」
「襟、引っぱっちゃった」
「そこを気にするな」
遊撃補佐員が二人のもとへ着地した。
近接戦闘員の腕を掴み、立たせる。
次に、レトの頬を見る。
「負傷」
「これくらい平気」
「平気かは医療班が決める。今は動けるかだけ答えて」
レトは一度、呼吸を整えた。
「動ける」
「続行」
過保護にはしない。
戦力としての自己申告を認める。
ただし、状態確認を省くこともしない。
レトは前を向いた。
黒煙の中に、赤い文字のような光が揺れている。
進め。
遅れるな。
置いていけ。
潰せ。
止まるな。
誰か一人が発した言葉ではない。
この惑星で積み重なった無数の命令と焦燥が、神性存在の形を得て叫んでいる。
レトは顔をしかめた。
「いやな声」
戦闘班長が通信越しに言った。
『意味を追うな。感情汚染を受ける』
「うん」
レトは、左右へ並ぶ硝子短剣を見た。
「声じゃなくて、道を見る」
変質した地面。
車輪の回転。
重装隊員の位置。
魔術砲撃担当の射線。
近接戦闘員が打ち込んだ杭。
遊撃補佐員の帰還標識。
一つずつ。
全部を見る。
「第四支線まで、あと七百メートル」
遊撃補佐員が報告する。
「現在偏向、二・九度。残り三・三度」
魔術砲撃担当が術式を再計算した。
「砲撃偏差で一度。近接杭で零・五。重装隊員の第二接触は危険すぎる」
通信に、重装隊員の低い声が入った。
『やる』
「盾の防護層は失われている」
『盾は、まだある』
「腕が持たない」
『二秒あればいい』
魔術砲撃担当は何かを言いかけ、止めた。
代わりに、レトが地面へ硝子短剣を刺す。
「残りは、わたしが曲げる」
「車体そのものを転移させるのは無理だ」
「動かさないよ」
レトは短剣をもう一本作った。
「踏む場所を、ちょっとずつずらす」
短剣を投げる。
地面へ刺さる。
さらに一本。
また一本。
止まらない車輪の進路左側へ、硝子短剣が等間隔に並んでいく。
一本で動かせる距離は僅かだった。
巨大な車輪を横へ移動させるほどではない。
だが、同じ側の車輪が連続して踏めば。
半度。
次に半度。
さらに半度。
踏み込むたび、接地位置が僅かずつ横へ送られる。
レトの空間魔術は、巨大な敵を問答無用で別の場所へ移す力ではない。
位置。
角度。
距離。
軌道。
それらの一部を、一瞬だけずらす技術だった。
「転轍線、作る!」
戦闘班長が即座に命じる。
『全員、レトの座標へ合わせろ』
遊撃補佐員が、短剣の位置を立体地図へ落とし込む。
「座標同期。誤差、零・二以内。レト、四本目から右へ三センチ修正」
「三センチ!」
「そのまま三センチ」
「分かった!」
魔術砲撃担当が術式を組み替える。
「短剣が踏まれる直前、左地盤を局所軟化する。硝子の熱を地面へ逃がせ」
「うん!」
近接戦闘員は残った魔術杭を握る。
「俺は」
遊撃補佐員が第四支線の分岐点を示した。
「右軌条外側。二本。打ったら前へ抜ける。横へ逃げないで」
「今度は頭も連れてく」
「そうして」
重装隊員が、変形した盾を再び持ち上げた。
防護術式はない。
巨大な金属板として残っているだけだ。
「二秒、作る」
魔術砲撃担当が答えた。
「二秒あれば繋がる」
止まらない車輪が迫る。
『――進め』
重装隊員は進路へ踏み込んだ。
二度目の接触。
盾が神性存在の左側へ差し込まれる。
前輪が斜面へ乗り上げる。
障害物認定。
盾の材質強度が落ちる。
中央から亀裂が走った。
一秒。
重装隊員が全身で角度を維持する。
二秒。
盾が砕けた。
巨大な破片とともに、重装隊員の身体が吹き飛ばされる。
だが、彼は後方へ倒れない。
進行方向へ身体を捻り、線路と平行に転がる。
引き戻しを受けず、遊撃補佐員の標識へ滑り込んだ。
「偏向、二・一度!」
魔術砲撃担当の砲撃が重なる。
左地盤が沈む。
右側車輪へ連続衝撃。
車体が傾く。
「追加、一・一!」
近接戦闘員が高架から降下する。
右軌条へ一本目の杭。
二本目。
前輪が踏み砕く。
進路が跳ねた。
「追加、零・六!」
残り。
一・五度。
止まらない車輪が、レトの転轍線へ乗った。
一本目。
硝子が砕ける。
内部へ封じられていた青白い熱が地面へ流れ、線路表面を薄く溶かす。
車輪が滑る。
同時に、接地する空間の角度が僅かにずれた。
二本目。
三本目。
硝子短剣が次々と踏み砕かれる。
青白い閃光が、巨大な車輪の下で連続して咲いた。
レトは両手を前へ伸ばしている。
短剣一つごとの空間を維持する。
額に汗が浮かぶ。
呼吸が浅くなる。
「レト、精度低下」
遊撃補佐員の声が飛ぶ。
「まだできる!」
「あと三本。終わったら離脱」
「うん!」
三本。
二本。
最後の短剣。
止まらない車輪の前輪が、第四支線の分岐を踏んだ。
硝子が砕ける。
車体が大きく右へ流れた。
第四支線。
廃棄炉跡へ続く長い曲線へ、巨大な神性存在が入り込む。
「転轍成功!」
遊撃補佐員の声が、通信へ響いた。
だが、作戦は終わっていない。




