第10話-『轢殺の神性存在』
産業惑星オルド・レーンには、地平線まで続く輸送路があった。
巨大工場群を結ぶ軍需輸送路。
鉱石。
燃料。
兵装部品。
重機。
廃材。
そして、人間。
無数の線路が惑星表面を黒い血管のように走り、昼も夜も止まることなく物資を運び続けている。
かつて、その線路では何度も同じ言葉が叫ばれた。
進め。
止まるな。
遅れるな。
積め。
運べ。
踏み潰してでも進め。
工場の納期。
軍需輸送の命令。
避難民を置き去りにした列車。
退避勧告より優先された貨物。
故障して倒れた作業員を避けることなく、次の工程へ進んだ搬送機。
線路上で助けを求めた声を、煙と警笛が塗り潰した記録。
言葉を発した者がいなくなっても。
命令が過去のものになっても。
そこで生まれた焦燥や恐怖まで、消えるわけではない。
止まれば見捨てられる。
遅れれば価値を失う。
誰かを踏み潰してでも、前へ進まなければならない。
人間の感情から生じた微弱な魔力が、長い時間をかけて線路の下へ染み込んだ。
工場の壁へ。
廃棄された車両へ。
擦り減った車輪へ。
やがて、それらは一つの存在として閉じた。
神性存在。
最初に観測されたのは、黒い煙だった。
地平線の向こうへ立ち昇り、工場の排気塔が吐き出す煙と見分けがつかなかった。
次に地鳴り。
その次に、線路そのものが震えた。
輸送路の鉄骨が地面から浮き上がる。
舗装道路に銀色の溝が走る。
避難用の広場が中央から裂け、二本の軌条を持つ一直線の経路へ変質した。
建物も、道路も、工場設備も区別しない。
進行方向にある地形が、走行に適した線路へ作り替えられていく。
そして、それが煙の中から姿を現した。
巨大な車輪。
獣の前脚。
列車の装甲。
煙突のように長く伸びた喉。
全身の関節で回転する大小無数の車輪。
背骨に沿って並ぶ鉄色の連結器。
胸部装甲の隙間で、赤白く燃える炉が脈打っている。
口のように裂けた前面装甲から、黒煙が噴き出した。
『――進め』
音ではなかった。
蒸気の唸り。
車軸の悲鳴。
鉄が軋み、石が砕け、何かが轢き潰される音。
それらが重なり、意味になっていた。
『――止まるな』
巨大な前輪が地面を噛んだ。
速度が上がる。
線路沿いに展開されていた防護壁が、接触するより先に明滅した。
障害物として認識された瞬間、防護術式の強度が落ちた。
光を失った壁を、前輪が轢き砕く。
止まらない車輪は、そのまま第二居住区へ向けて加速を始めた。
オルド・レーン惑星政府が惑星監理局へ正式な救助要請を送信したのは、その三分後だった。
◇
惑星監理局、中央指令室。
巨大な立体地図の上で、オルド・レーンの工業地帯が赤く染まっていた。
赤い線は既存の輸送網ではない。
神性存在が新たに作り続けている進路だった。
「現在速度、時速二百四十七」
情報班職員が報告する。
「なお上昇中。進行方向、第二居住区」
作戦統括官が地図を睨んだ。
第二居住区の地下には、工場勤務者とその家族を収容する避難用搬送路がある。
だが、神性存在の権能によって地上設備が線路化し、緊急隔壁の制御機構が破損していた。
惑星政府から通信が入る。
『地上居住区、退避率六十八パーセント。地下搬送路に二百二十名が残されています』
「救出に必要な時間は」
『最短で四分』
「対象到達予測」
『四分二十秒』
中央指令室が静まった。
作戦統括官は、観測記録を巻き戻した。
止まらない車輪が防護壁へ接触する直前。
壁を覆う術式が急激に弱体化している。
「進路上の構造物を障害物として認識し、防御能力を低下させている」
戦闘班長が現地通信から答える。
『正面停止は不可能か』
「不可能と判断する。防護を固めるほど、障害物として強く認識される可能性がある」
別の観測画面が開いた。
速度上昇に合わせ、神性存在の外殻魔力密度が増加している。
「速度が上がるほど外殻が硬化する。正面からの制圧は、対象をさらに強化するだけだ」
「では、減速させるか」
「それも危険だ」
作戦統括官は、線路化現象の推移を拡大した。
止まらない車輪が低速だった時、前方の地形は比較的短い範囲で変質している。
速度が上がるにつれ、線路化はより遠くへ、より長く伸びていた。
だが、その形には一つの特徴がある。
直前まで走っていた軌道と、必ず滑らかに繋がっている。
「線路は作れる。だが、高速になるほど急な角度では作れない」
戦闘班長が理解した。
『速度を維持するため、連続した軌道が必要になる』
「そうだ。速くなるほど硬くなる。その代わり、曲がれなくなる」
作戦統括官は、第二居住区の北東にある廃棄炉跡を表示した。
かつて工場群の排熱と廃材を処理していた巨大な空洞地帯。
現在は閉鎖され、居住者はいない。
そこへ続く第四支線には、大型輸送列車を減速させるための長い曲線が残されていた。
「停止作戦を破棄する」
作戦統括官は、神性存在の進路から第四支線へ一本の曲線を引いた。
「止められないなら、止めない。廃棄炉跡へ転轍し、曲がりきれない速度まで加速させて脱輪させる」
『転轍に必要な偏向角は』
「現状で六・二度」
決して小さな角度ではない。
だが、巨大な神性存在を横から吹き飛ばす必要はない。
地面を踏む位置を。
車輪が回る速度を。
接地する高さを。
僅かずつずらせばいい。
作戦統括官は指示を送った。
「重装隊員は進路偏向。正面で受け止めるな。盾を斜面として使い、外側へ滑らせろ」
『了解』
「魔術砲撃担当は左右車輪群に回転差を作れ。外殻破壊を狙うな」
『了解』
「近接戦闘員は軌条へ干渉。可動部の観測も担当」
『了解』
「遊撃補佐員は全員の撤退座標を更新。特にレトの帰還経路を切らすな」
『了解』
「レトを先行観測へ。空間占有範囲と、転轍可能座標を測定させる」
戦闘班長が最後に確認した。
『作戦目標は』
「第二居住区への到達阻止。民間人全員の保護。戦闘班全員の帰還」
作戦統括官は、低く言った。
「討伐は、その後だ」




