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元科警研解析主任

ヨレヨレの白衣を着て、黒縁眼鏡をかけ、白髪混じりのあごひげを触りながら、ひとりの男が法廷に入ってくる。証言台に着くなり、缶コーヒーのプルキャップを引き上げて、中身を一気に口にした。


「証人、飲食はしないでください。」


「おや?そんな規定ありましたっけ?」


「証人、退廷を命じますよ。」


「法廷の秩序というやつですな。ま、安心しなさい。もう飲み干しました。」


裁判長は明らかに苛立っていた。


「氏名。」


「柴崎純一郎。」


「年齢。」


「62。」


「職業。」


「画像解析。」


「宣誓をお願いします。」


裁判長は、何とか冷静さを取り戻した。


柴崎証人がぶっきらぼうに宣誓した。


「弁護人は尋問をはじめてください。」


裁判長が、努めて自分の感情が出てこないようにしているのは明らかだった。


弁護人はゆっくりと立ち上がり、柴崎証人に一礼した。


「今回は証言を引き受けていただき感謝します。」


「そんなことはいいから、さっさと映像だしてくれ、わしゃ次の映像解析があるんだよ。」


「お忙しいところ申し訳ないですが、先生の肩書きについてお聞かせ願いたい。」


「ああ、わしゃこんなんだからな、肩書きがないと証言にも価値はなくなるな。ええよ、さっさとしてくれ。」


「先生は、元々科学警察研究所の映像解析室で主任研究員でしたな。」


「ああそうだ。」


傍聴席に、ざわめきが起こった。


日本中の科学捜査研究所を束ねる科学警察研究所の人間が来たのだから当然と言えば当然だった。


柴崎証人が述べる言葉は、日本の映像捜査において、事実上の決定事項になる。それくらい重たい存在なのだ。


もちろん、彼が憶測で語らないのが前提である。


「先生はなぜ科警研をお辞めになられたのですかな。」


「辞めたってか、辞めさせられたんだよ。な?」


柴崎証人は検察官を見た。


検察官は、口を固く閉じて、証人を見ようともしなかった。


「こいつらはいつもこうだな。都合の悪いことにはだんまり。」


「なぜ免職されたのですかな。」


「わしゃが証拠映像を持ち出したからだな。」


「なぜそんなことを?」


「本物の解析をするために決まっとるわいな。」


「つまりは、先生は映像解析に人生をおかけになっておられるのですな。」


「そりゃそうだ。偽物の解析をわしゃの名前で出されるなんざ、死んでも許さん。」


「先生の信念をお聞きできて光栄です。」


弁護人は深々と礼をした。


「そんな先生に、本件当日の防犯カメラ映像の解析をお願いしました。甲第三号証の再生をお願いしたい。」


弁護人は検察官を見た。


証人も検察官を見た。


裁判長も陪席裁判官も検察官を見た。


裁判員も傍聴席も、法廷中の視線が検察官に注がれた。


検察官は下を向いていた。


「検察官は甲第三号証の再生をしてください。」


裁判長が静かに検察官に促した。


「本日は再生する予定ではありませんでしたので……」


裁判長は、検察官の机の上にある資料を指差した。


「その資料の間にあるDVDではないのですか。」


「これは、違う資料のような気がします。」


裁判長は陪席裁判官の意見を確認した。


「再生を拒否されるのであれば、甲第三号証とそれに基づく全ての証言を棄却しますがよろしいですね。」


検察官は、渋々DVDを再生した。


再生が終わると、柴崎は『ふんっ』と鼻を鳴らした。


「唇の間は最大で5cmってところだな。」


「つまりは、接触してない可能性があるわけですな。」


「ああ、あるな。ていうか、これくらい科捜研からも言われただろ?」


柴崎証人は検察官を見た。


検察官は下を向いていた。


「これだよ、これ。」


「つまりは彼女はそもそもキスしてないかもしれない訳ですな。」


「ああ、したかしてないか、この映像では断定できない。」


「ありがとうございました。以上です。」


「検察官は反対尋問をはじめてください。」


検察官は立ち上がり、意を決して証人を睨みつけた。


「接触の可能性は否定されていませんよね。」


「ああ、されてない。」


「他の証拠から接触したと推測できます。」


「それは知らん。この映像では断定できない。この映像を流して、接触があったかのような前提で進めるのが気にくわんだけだ。」


「もう少しだけ解析すれば断定できると確信しています。」


「ならやってやるよ。貸してみな。」


証人は検察官に手のひらを差し出した。


「……以上です。」


「ほらこれだよ。ちょっといいかい裁判長、映像には影響力がある。解析されていない映像をーー」


「証人は退廷してください。」


「ほらこれだよ。どいつもこいつも、役所だよ。」


柴崎は2人の廷吏に脇を挟まれて法廷を後にした。


柴崎は法廷を出るときに一度だけ振り返り、寂しそうに法廷を見渡した。

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