新人事務員の証言
村島が退廷した後で裁判長は時間を確認した。
「本日の審理はここまでにしたいと思うのですが、いかがでしょうか。」
検察官、弁護人、双方共に頷く。
「では、本日の審理はここまでにいたします。なお、予定されていた証人尋問は全て終わりましたので、次回公判は証拠の検証のみ行ないます。よろしいですか。」
検察官、弁護人、双方共に頷く。
第3回公判
「えー、本日の公判では、証拠の検証のみを予定しておりましたが、検察官、弁護人、共に新たな証人の申請がありましたので、証人尋問から行ないたいと思います。よろしいですか。」
検察官と弁護人はお互いに視線を交わした。
「然るべく。」
「では、まず検察側証人から尋問を行ないたいと思います。よろしいですね。」
弁護人は黙って頷いた。
「証人は入廷してください。」
法廷に入ってきたのは、小柄な女性だった。
怯えたように、証言台に向かって進んでいく。
「証人、氏名をお願いいたします。」
「木暮真奈です。」
「年齢をお願いします。」
「19歳です。」
「職業は何ですか。」
「株式会社大吉で事務員をしています。」
「検察官、はじめてください。」
検察官はゆっくり立ち上がり、その場から話しはじめた。
「あなたは、被害者からセクハラをされましたか。」
木暮は言い淀んでいた。
「お辛い心中お察しします。真実を明らかにするため、お話し下さい。」
「……わたし、社長にキスされました。」
木暮は堰が切れたように、裁判長に向かって話しはじめた。
「私、はじめてだったんですよ。分かりますか、私の気持ち。あんな会社だって知ってたら入社しなかったですよ。お給料良いし、休みももらえるのに、人気なくて、変だなぁって思ったんですけど……」
木暮は言葉を一瞬だけ飲み込む。
「……私高卒だし……他に行くとこもないし……」
木暮はすがるような目で、裁判長を見つめた。
「……分かります?私の気持ち?」
裁判長は静かに話しかけた。
「あなたが受難された被害に関して、後ほど詳細にお聞きいたします。今は被告人の審理を行なっています。質問されたことにのみ、お答えいただけますか。」
「……分かりました。」
「検察官は続けてください。」
「あなたがキスされたのを、誰かに目撃されましたか。」
「彼女です。」
「彼女とは被告人のことですか。」
「そうです。」
それまで、手元の資料を見ていた弁護人の視線が証人に向けられた。
「大事なことですので、もう一度だけお聞かせ下さい。あなたがキスされたのを、被告人に目撃されたんですね。」
「そうですって言ってるでしょ。」
「以上です。」
「弁護人、反対尋問をはじめてください。」
弁護人は少しの間、立ち上がらなかった。
「弁護人、はじめてください。」
「すいませんな、年なものでね。よっこらせっと。」
弁護人は、ゆっくりと立ち上がり、机に両手を置きながら、軽くストレッチする。
「ずっと座ってると、腰にきますな。」
弁護人はしばらくストレッチする。
裁判長が口を開きかけた途端に、弁護人は話しはじめる。
「木暮さんとおっしゃいましたかな?」
「はい。」
「真奈さん?」
「はい。」
「19歳?」
「はい。」
「高卒?」
「異議を申し立てます。弁護人は明らかに時間を引き延ばしています。」
「異議を認めます。弁護人は不必要な質問を避けてください。」
「すいませんな。年をとると、つい慎重になりましてな。」
「木暮さん。いや、真奈さんとお呼びした方がいいですかな?どちらがよろしいですかな?」
「どっちでもいいですよ。何なんですか、さっきから!」
木暮証人は声を荒げる。
「ピーナッツパン。」
弁護人は不意に言葉を発した。
その言葉に、木暮は明らかにビクッとした。
「あなた、ピーナッツパン食べましたかな。」
木暮が、どんどんと動揺していくのは明らかだった。
「異議を申し立てます。ピーナッツパンは本件とは関係ありません。」
検察官は自分で言ってから、自分の言葉の矛盾に気がついた。
「異議を却下します。」
当然、異議は却下される。
「あなたも、食べたんじゃありません?ピーナッツパン。」
木暮の肩が小刻みに震え出す。
「私は、弁護するためにここにいるんですわ。」
木暮は泣きそうな顔で、弁護人を見つめた。
「私は、ずっと言ってます。『彼女はあの日の朝、ピーナッツパンを食べていました。』ただ、それだけだと。」
木暮は小さく頷いた。
「……ピーナッツパン。食べれば良いって、村島さんに聞いたんです。」
「でも、キスされたんですな?」
木暮は小さく頷いた。
「私、ちゃんと社長に言ったんです。『ピーナッツパン食べてますよ』って。」
「でも、キスされた。」
木暮は小さく頷いた。
「あの日、彼女と一緒に朝の掃除したんです。そのあと、私は来客担当で店舗の方にいました。そしたら、社長がやってきて、キスしようとしたんです。だから言いました、『ピーナッツパン食べてますよ』って。」
「駄目だった訳ですな。」
木暮は小さく頷いた。
「悔しくて泣いちゃいました。洗面所で顔洗って、いつもみたいにお茶を淹れて、社長室に持って行ったんです。そしたら、社長が倒れてました。私、驚いちゃって、すぐに警察に連絡しました。ちゃんと言わなくちゃって、私、ちゃんと電話で言ったんです。『ピーナッツパン、ピーナッツパンです。』って。私のピーナッツパンのせいだって思いました。」
木暮は、肩を落とした。
「あなたではなく、彼女が逮捕されて、どう思いましたかな。」
「最初はびっくりしました。ちゃんと言わなくちゃって何度も思いました。でも、ニュース見ているうちに、彼女も色々とやってたって知りました。なんだ、私じゃなかったんだって思いました。」
「そうでしたか。それなら、今回裁判に呼ばれて、さぞかし驚いたことでしょうな。」
木暮は小さく頷いた。
「やっぱり、私が悪いんですか?私のピーナッツパンのせいなんですか?私、無理やりキスされただけなんですよ?でも、彼女もきっとそうなのに、裁判されてるし、なんでなんですか?」
「なんででしょうな。」
木暮の目から一筋の涙が流れた。
「私は弁護人ですからな。あなたたちは、ピーナッツパンを食べていただけだ。私はそう言い切りますわ。」
その言葉を聞いた途端、木暮は大粒の涙をこぼして泣きじゃくった。
「弁護人からは以上ですな。」
「検察官、何かありますか。」
検察官は何かを言いかけたが、口を閉じて、少しだけ黙ってから、ゆっくりと首を横に振った。
「証人は退廷してください。」
木暮は、女性の廷吏に支えられながら、法廷をあとにした。
「ひとつだけよろしいでしょうか。」
木暮が法廷から完全に姿を消したあとで、検察官が口を開いた。
「何ですか。」
「木暮証人の前で、述べることは憚られたので、あらためてみなさんにお伝えしたい。木暮証人と、被告人の立場は、完全に違うと、検察官は考えております。」
「被告人は、被害者からのキスを望んでいました。検察官はそう考えています。そんな被告人が、木暮証人と被害者のキスを目撃したら、どう思うでしょうか。神田証人の証言を思い出してください。被告人には、被害者への、普通ではない感情を抱いている可能性があります。」
「検察官は、木暮証人の証言で、その点が裏付けられたと思っております。」
法廷は揺さぶられた。
木暮と、被告人。
被害者か、加害者か。
法廷には、エアコンの音だけが聞こえていた。




