元事務員の証言
グエンが証言を終えたあと、検察官は鋭い視線を弁護人に向けた。
弁護人は手元の資料を優然と見ている。
「以上です!」
検察官は、勢いよく着席した。
「弁護人、何かありますか。」
「グエン証人にはありませんな。グエン証人の証言にも関係してくるので、次の証人をお呼びしたいですわ。」
「分かりました。証人は退廷してください。」
グエンが、通訳の言葉をきいてから、一呼吸遅れて頭を下げた。
「さようならです。」
グエンが去った法廷は、次の証人を待っていた。
「証人は入廷してください。」
廷吏に連れられて、中年の女性が入ってくる。法廷中から集まる視線を避けるように、伏目がちに、素早く証言台に立った。
「氏名をお願いします。」
「村島佳代です。」
「年齢は。」
「46歳です。」
「職業は。」
「専業主婦です。」
「弁護人、はじめてください。」
弁護人は静かに立ち上がり、証人のもとに歩み寄った。
「今日は、ありがとうございますな。」
「彼女がかわいそうで、来ちゃいました。」
「彼女とは、被告人のことですな。」
「はい。名前を言うなって言われたから、彼女って言えば良いんですよね?」
「はい、彼女で。」
「彼女ね、働きーー」
「村島さん、質問されたことだけに答えてくださいな。」
「ああ、そうでしたね。つい。年とるとダメねぇ、この前ーー」
「村島さん、あなたは、株式会社大吉で、以前に事務員をなさってましたな。」
「はい。そうです。そこでーー」
「社長との関係は恋人ですか。」
「やですよ、あんな男。」
「でも、キスはなさってた。」
「なさってたってか、されてたんですよ。無理やり。」
傍聴席に少しだけざわめきが起こる。
裁判長は、チラッと傍聴席を見ただけだった。
「ほら、社長ってあんなんじゃないですか。昔の人って、キスくらい良いって勘違いしてるんですよね。それでーー」
「彼女もされてましたか。」
「彼女?ああ、彼女もされてましたよ。かわいそうにね。彼女って静かでしょ?黙ってされてるの見て、声かけたんですよ。そしたらねーー」
「質問は以上です。」
弁護人は話を打ち切った。
裁判長が静かに話しはじめる。
「そしたら、どうされたのですか。」
「え?ああ、そしたらね、彼女、何も言わずに、少しだけ笑いました。それがすごく不憫でねーー」
「検察官、反対尋問をはじめてください。」
検察官はゆっくりと立ち上がり、証言台に歩み寄ると、少しだけ証人と近い距離まで、顔を近づけた。
「色々と証言をありがとうございます。」
村島証人は、一度目を伏せてから、少しだけ上目遣いに検察官に視線を向けた。
「いえ、彼女がかわいそうで。」
「あなたは、とても優しいのですね。それに正義感もお強い。」
「そ、そんなことないですよ。」
「そんなあなたは、なぜ彼女をお助けにならなかったのですか。」
「助けましたよぉ。」
「ほう?どのように?」
「社長にはっきり言ってやればいいんだって、教えてあげました。」
「異議ですな。本件とは無関係な質問ですわ。」
「異議を却下します。検察官は続けてください。」
「彼女はなんと答えましたか。」
「何も言いませんでした。ぎこちない顔で笑うだけなんです。それが不憫でねぇ。」
「あなたはお辛い気持ちになった訳だ。」
「そうなんですよ。だから、彼女には言ったんですけどねぇ……」
「何をですか。」
「え?ああ、『私はピーナッツパン食べて来てるのよ』ってね。言ったんだけどなぁ……」
少しの間のあと、法廷には不穏な空気が流れる。
検察官は聞き返した。
「……ピーナッツパン?」
「あ、これ、言っちゃいけないやつでしたっけ?」
村島は弁護人の方を振り返った。
弁護人は視線を合わせずに、水を飲んでいる。
「村島さん、今は、私が質問しています。あなたは、知っていること、感じていることを、自由に言うことができます。こちらを見て答えてください。」
「はい。」
「『ピーナッツパンを食べて来てる』と、あなたは被告人に言ったのですね。」
「はい。言いました。」
「なぜ食べて来ているのか、理由もおっしゃりましたか。」
「はい。社長はピーナッツアレルギーだから、ピーナッツパンを食べて来たら、キスされないよって言いました。私もね、ピーナッツパン食べて来て、社長に言ったんですよ。『社長、私ピーナッツパン食べてますからね。キスしたら死にますよ』って。」
「そうしたら、社長は何と言っておられましたか。」
「『おお怖』って言って、それから私にはキスしなくなりました。こりゃラッキーって思いましてね。彼女にも教えてあげたんですよ。」
村島は満面の笑顔を見せる。
検察官も村島に満面の笑顔を見せた。
「貴重な証言をありがとうございました。」
「いえいえ、それよりもーー」
「以上です。」
「弁護人は何かありますか。」
「ありません。」
「証人は退廷してください。」
話足りない村島は、不満げな顔をしながら、廷吏に促されて法廷を後にした。
弁護人は、ずっと水を飲んでいた。




