第7話 帰還勇者、もう一度冒険者になる
大きな両開きの扉を押し開ける。
その瞬間、いくつもの音が一斉に耳へ飛び込んできた。
冒険者たちの話し声。
受付で依頼について相談する声。
装備同士が触れ合う金属音。
掲示板の前で依頼書を確認するプレイヤーたち。
奥には酒場らしき場所まであり、料理の匂いが漂っている。
俺――《ミナト》は入口で足を止め、思わず建物の中を見回した。
ミナト「……懐かしいな」
ユウキ「ここ、初めてだよね?」
ミナト「ゲームではな」
ユウキ「ああ……」
ユウキが納得したように頷いた。
そう。
ゲームでは初めてだ。
けれど俺は、これによく似た場所を知っている。
異世界へ召喚されたばかりの頃。
リント王国で冒険者として活動を始めるため、初めて冒険者ギルドへ入った日のことを覚えている。
あの頃の俺は何も知らなかった。
魔物の恐ろしさも。
剣を持って戦う意味も。
自分の命を守る方法すら。
受付へ向かうだけで緊張していた。
それから二十年。
まさか別の世界で、もう一度冒険者登録をすることになるとは思わなかった。
シルフィー「私も少し懐かしく感じます」
ミナト「シルフィーも?」
シルフィー「はい。リント王国の冒険者ギルドとは建物の造りが違いますが、雰囲気はよく似ています」
ユウキ「二人だけ分かる話してる」
ミナト「悪い悪い」
ユウキ「私は全部初めてなんだからね」
シルフィー「では、三人で新しい冒険を始めましょう」
ユウキ「うん!」
ユウキの機嫌はすぐに直った。
俺たちは受付へ向かう。
途中、何人かのプレイヤーとすれ違った。
剣士。
戦士。
魔法使い。
僧侶。
装備を見る限り、俺たちと同じように始めたばかりのプレイヤーも多い。
その中には一人で歩いている者もいれば、すでに何人かでパーティーを組んでいる者もいた。
ユウキ「本当にゲームなんだね」
ミナト「今さら?」
ユウキ「だって、すごすぎるんだもん。人もたくさんいるし」
シルフィー「どなたが現実世界の方で、どなたがこの世界の住人なのでしょう?」
ミナト「プレイヤーとNPCってことか」
シルフィー「えぬぴーしー?」
ユウキ「ゲームの中で暮らしてる人たち、みたいな感じかな」
シルフィー「なるほど……」
シルフィーが周囲を見回す。
シルフィー「しかし、見ただけでは区別がつきませんね」
ミナト「確かに」
俺も同感だった。
受付で仕事をしている女性。
依頼書を運んでいる職員。
酒場で料理を出している店員。
表情も動きも自然だ。
少なくとも、遠目には人間とほとんど変わらない。
父さんたちの会社は、とんでもないものを作ったらしい。
やがて受付へ到着する。
受付嬢「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」
受付の女性が笑顔で迎えてくれた。
受付嬢「本日はどのようなご用件でしょうか?」
ミナト「冒険者登録をしたいんだけど」
受付嬢「新規登録ですね。三名様全員でよろしいでしょうか?」
ミナト「ああ」
シルフィー「お願いいたします」
ユウキ「お願いします!」
受付嬢「承知いたしました」
受付嬢がカウンターの下から三枚のカードを取り出す。
カードというより、金属製の薄い板に近い。
表面には冒険者ギルドの紋章が刻まれていた。
受付嬢「こちらが《ギルドカード》になります」
ユウキ「ギルドカード?」
受付嬢「はい。冒険者としての身分証明を兼ねています。依頼の受注、達成記録、パーティー情報などが登録されますので、紛失しないようお気をつけください」
俺は渡されたカードを受け取る。
するとカードの表面に淡い光が走った。
『NAME:《ミナト》』
『LEVEL:1』
『JOB:《剣士》』
『PARTY:3』
俺の情報が表示される。
ミナト「便利だな」
ユウキ「私のも出た!」
『NAME:《ユウキ》』
『LEVEL:1』
『JOB:《僧侶》』
『PARTY:3』
シルフィーも同じようにカードを確認している。
『NAME:《シルフィー》』
『LEVEL:1』
『JOB:《魔法使い》』
『PARTY:3』
シルフィー「魔道具に似ていますね」
受付嬢「魔道具?」
シルフィー「あっ……」
シルフィーが止まった。
俺は思わず笑いそうになる。
ミナト「こういう道具を見るのが初めてなんだ」
受付嬢「なるほど。初めてゲームをプレイされる方なのですね」
シルフィー「はい。そういうことになります」
嘘ではない。
ゲームをするのは本当に初めてだ。
まさか本物の魔道具を知っているとは受付嬢も思わないだろう。
受付嬢「では、簡単にギルドについてご説明いたします」
受付嬢によれば、冒険者ギルドではさまざまな依頼を受けられる。
基本となる魔物討伐。
街や村の住人からの依頼。
商人の護衛。
素材採取。
建設や運搬の手伝い。
さらにボス討伐や、大人数で挑む特殊な依頼も存在するらしい。
パーティーの編成や、さらに大きな組織であるクランの結成もギルドで行える。
ユウキ「本当に冒険者って感じするね」
ミナト「だな」
異世界の冒険者ギルドと比べても、基本的な役割はよく似ている。
違うのは、こちらがゲームだということ。
失敗しても、本当に命を失うわけではない。
それだけでも大きな違いだった。
受付嬢「依頼は、あちらの掲示板から確認できます」
受付嬢が壁際を示す。
大きな掲示板に、何十枚もの依頼書が貼られている。
受付嬢「現在の皆様でしたら、初心者向けの依頼をおすすめいたします」
ユウキ「初心者向け?」
受付嬢「街の周辺に生息する魔物の討伐や、薬草採取などですね」
なるほど。
王道だ。
俺が最初に受けた仕事も、確か似たようなものだった。
受付嬢「また、皆様はすでにパーティーを組まれておりますので、依頼を受注した場合はパーティー全体で共有できます」
ミナト「分かった」
受付嬢「ほかにご質問はございますか?」
ユウキ「死んだらどうなるんですか?」
ユウキが少し不安そうに尋ねる。
受付嬢は慣れた様子で答えた。
受付嬢「HPがゼロになった場合、最後に登録したセーブ地点へ戻されます。その後、およそ一時間、能力低下のペナルティが発生します」
ユウキ「やっぱりペナルティあるんだ……」
受付嬢「装備や状況によっては所持品などに影響する場合もございますので、無理な戦闘はおすすめいたしません」
ゲームとはいえ、死んでも何もないわけではない。
いい仕組みだと思う。
何度死んでも気にせず突撃できるなら、冒険というより作業になってしまう。
ミナト「無理なら逃げる。基本だな」
ユウキ「ミナトが言うと重いんだけど」
ミナト「二十年生き残った経験だ」
シルフィー「実際、撤退の判断は大切です」
ユウキ「シルフィーちゃんまで……」
俺とシルフィーにとっては常識だ。
勝てない敵と戦う必要はない。
目的が討伐でなければ、なおさらだ。
生きて帰る。
冒険者にとって最も重要なことだった。
登録を終えた俺たちは、依頼掲示板へ向かった。
ユウキ「いっぱいある……」
ユウキが目を丸くする。
討伐。
採取。
配達。
街の手伝い。
護衛。
初心者向けだけでもかなりの数がある。
ユウキ「どれにする?」
シルフィー「最初ですから、簡単なものがよいのではないでしょうか」
ミナト「ああ」
俺は依頼書を一枚ずつ確認していく。
報酬。
目的地。
討伐対象。
必要数。
推奨人数。
ゲームだからだろう。
異世界の依頼書よりも情報が整理されている。
その中で、一枚の依頼が目に留まった。
『初心者向け討伐依頼』
『対象:《ホーンラビット》』
『討伐数:5体』
『場所:始まりの街・東草原』
『推奨Lv:1以上』
『推奨人数:1~3名』
角の生えた兎型の魔物らしい。
ユウキ「これなら私たちでもできそう」
シルフィー「そうですね」
俺は依頼書を見る。
Lv1。
初心者向け。
推奨人数一名から三名。
初めての依頼としてはちょうどいい。
ミナト「これにするか」
ユウキ「賛成!」
シルフィー「私も異論はありません」
依頼書へ触れる。
すると目の前にウィンドウが表示された。
システム『《ホーンラビット討伐》を受注しますか?』
システム『YES/NO』
ミナト「YES」
システム『クエストを受注しました』
システム『パーティーメンバーへ共有されます』
ユウキ「出た!」
シルフィー「私にも表示されました」
これで最初の仕事が決まった。
俺たちはギルドを出る。
目指すのは街の東門。
その先に広がる草原だ。
歩きながら、ユウキが少し緊張した様子で杖を握っていた。
ミナト「緊張してる?」
ユウキ「するよ。初めて戦うんだから」
ミナト「そうだよな」
俺にもそんな時代があった。
初めて魔物を前にしたとき。
剣を持つ手が震えた。
足も動かなかった。
今となっては遠い記憶だ。
ミナト「最初からうまくやろうとしなくていい」
ユウキ「え?」
ミナト「危なくなったら俺とシルフィーが守る。まずはゲームに慣れればいい」
ユウキ「……うん」
シルフィー「私もおりますから、ご安心ください」
ユウキ「ありがとう、二人とも」
ユウキの表情から少し力が抜けた。
俺たちはそのまま東門へ向かった。
門を抜ける。
視界が一気に開けた。
広大な草原。
風に揺れる緑の草。
遠くには森。
さらにその向こうには山まで見える。
何人ものプレイヤーが草原を歩き、あちこちで魔物と戦っていた。
ユウキ「わあ……!」
ユウキが声を上げる。
シルフィー「美しい場所ですね」
ミナト「ああ」
俺も素直にそう思った。
ゲームだと分かっていても、この景色は悪くない。
そのとき。
草むらが揺れた。
ミナト「止まれ」
俺が言った瞬間。
ユウキとシルフィーが足を止める。
ユウキ「どうしたの?」
ミナト「いる」
ユウキ「え?」
視線を草むらへ向ける。
まだ姿は見えない。
だが。
草の揺れ方。
音。
移動方向。
何かがいる。
シルフィー「……右前方ですね」
ミナト「ああ」
さすがシルフィー。
彼女も気づいた。
ユウキ「私、全然分からないんだけど……」
次の瞬間。
草むらから一匹の魔物が飛び出した。
兎に似た身体。
額から伸びた一本の角。
『《ホーンラビット Lv1》』
ユウキ「出た!」
ホーンラビットが地面へ着地する。
こちらを向く。
後ろ脚へ力を込めた。
俺は腰の剣へ手をかける。
その瞬間。
時間がゆっくり流れたように感じた。
視線。
重心。
後ろ脚。
角の向き。
跳躍距離。
狙っている場所。
全部、分かる。
ミナト「……なるほど」
ゲームの魔物。
どんなものかと思ったが。
動きを読むという意味では、本物と変わらない。
ホーンラビットが地面を蹴った。
ユウキ「ミナト!」
一直線に俺の胸を狙って角が迫る。
だが。
俺は動かなかった。
ぎりぎりまで。
そして。
半歩。
身体をずらす。
角が俺の服のすぐ横を通過した。
同時に剣を抜く。
必要なのは大振りではない。
最短距離。
最小の動き。
すれ違う瞬間。
刃を走らせる。
――斬。
ホーンラビットの身体を剣が通過した。
俺はそのまま一歩進み、剣を止める。
背後でホーンラビットが地面へ落ちた。
『CRITICAL』
『WEAK POINT』
『《ホーンラビット》を討伐しました』
『クエスト進行:1/5』
静かになった。
ユウキ「…………」
シルフィー「…………」
俺は剣を見る。
ミナト「今のが戦闘か」
思ったよりも、普通に動けた。
むしろ。
想像していた以上に。
ミナト「ちゃんと斬れるんだな、このゲーム」
そう言って振り返る。
ユウキが口を開けたまま固まっていた。
ユウキ「……ミナト」
ミナト「ん?」
ユウキ「今、何したの?」
ミナト「避けて斬った」
ユウキ「それは見れば分かるよ!」
少し離れた場所で戦っていたプレイヤーたちまで、こちらを見ていた。
俺は首を傾げる。
ただ攻撃を避けて。
剣で斬っただけなのだが。
そして同じ頃。
《株式会社アストラル・リンク》運営監視室。
美波「…………」
竹田「…………」
信田「…………」
田仲「……今の、もう一回再生してくれ」
美波「はい」
映像が巻き戻される。
ホーンラビットが跳ぶ。
ミナトが半歩だけ動く。
角が空を切る。
抜剣。
一撃。
急所判定。
討伐。
竹田「スキルは?」
美波「使用していません」
木田「回避アシストは?」
美波「OFFです」
信田「攻撃補正は?」
美波「ありません」
田仲「じゃあ……」
運営室の視線が、一斉に画面の中のLv1剣士へ集まる。
美波「本人が全部、手動でやっています」
沈黙。
亮太「……隼人」
知子「やっぱり」
亮太「やっぱりって何だ?」
母さんが腕を組む。
知子「私たち、とんでもない子を実地テスターに選んだかもしれないわね」
画面の中では。
何がそんなにおかしいのか理解していない俺が、次のホーンラビットを探して周囲を見回していた。
剣士。
Lv1。
ゲームを始めて、まだほとんど時間は経っていない。
それでも。
異世界で積み重ねた二十年間は。
確かにこの仮想世界でも通用していた。




