第36話 謎の足跡と、ギルドマスターの決断
北街道の巡回調査を中断した俺――《ミナト》たちは、周囲を警戒しながら始まりの街へ戻っていた。
三つ目の巡回地点付近で発見した大きな足跡と、木の幹に残された爪痕。さらに、林の奥から聞こえてきた低い唸り声が気になっていた。
あの影が何だったのかは分からない。だが、普通のウルフより大きな魔物が潜んでいる可能性は高い。
「ねえ、ミナト。あれって、やっぱり強い魔物なのかな?」
隣を歩いていたユウキが、不安そうに尋ねてきた。
「可能性はあるな。ただ、姿を確認できていない以上、決めつけるのは早い」
俺がそう答えると、シルフィーも静かに頷いた。
「異世界でも、足跡だけで魔物を判断して失敗した冒険者がいましたね」
「ああ。似た足跡を残す魔物もいるからな」
俺たちは二十年間、さまざまな魔物と戦ってきた。その経験から分かるのは、未知の相手ほど慎重になるべきだということだ。
まして今の俺たちはLv4。どれほど戦闘技術があっても、ステータスの差を無視できるわけではない。
ユウキは俺たちの話を聞くと、納得したように頷いた。
「そっか。じゃあ、無理に調べなくて正解だったんだね」
「そういうことだ。依頼の目的は安全確認だからな」
街の北門が見えてきたところで、俺は配信を終了することにした。
「今日はここまでにします。最後の巡回地点では異常を確認したので、これからギルドへ報告してきます。詳しい調査はギルドの判断を待つつもりです」
コメント欄には、視聴者からさまざまな反応が流れた。
『お疲れさま!』
『あの影、気になるな』
『無理しない判断は大事』
『次の配信も楽しみにしてる!』
俺たちは視聴者へ挨拶し、LIVE配信を終了した。
冒険者ギルドへ到着すると、受付にはリーナがいた。
「お帰りなさい、皆さん。巡回調査はいかがでしたか?」
「二か所は確認できたんだけど、三つ目の手前で異常を見つけた。危険そうだったから、そこで引き返してきたよ」
俺がそう説明すると、リーナの表情が引き締まった。
「異常、ですか?」
「ああ。普通のウルフより大きな足跡と、高い位置についた爪痕があった。それに、林の奥で大きな影も見かけた」
俺は記録水晶を取り出し、受付へ差し出した。
リーナが水晶を専用の台座へ置くと、淡い光が広がり、記録された映像が空中に映し出された。
最初の二か所の巡回標識に続き、三つ目の地点付近で撮影した足跡と木の傷が表示される。
「これは……」
リーナは映像を確認すると、すぐに奥の職員へ声をかけた。
「申し訳ありません。少々お待ちいただけますか? ギルドマスターに確認してまいります」
「分かった」
俺たちは受付横の待合席へ移動した。
しばらくすると、リーナが戻ってきた。
「ミナトさん、皆さん。ギルドマスターがお呼びです」
案内された執務室では、ジェイドが地図を広げて待っていた。
「おう、戻ったか。報告は聞いたぞ」
ジェイドは俺たちを椅子へ座らせると、記録水晶の映像を確認し始めた。
大きな足跡が映し出されたところで、彼の表情が険しくなる。
「……こいつは普通のウルフじゃなさそうだな」
「やっぱりそう思うか?」
「ああ。ただ、足跡だけでは断定できん」
ジェイドは地図の北東側を指さした。
「この辺りでは以前からウルフが確認されていたが、ここまで大きな足跡の報告は少ない。しかも、最近は群れの移動が続いている」
俺は地図を見ながら尋ねた。
「東草原の地下通路とは関係がありそうなのか?」
「それも調査中だ。地下通路の入口付近では特殊な魔力反応が確認されているが、北街道の異変との関連は分かっていない」
ジェイドは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「いずれにしても、このまま放置するわけにはいかんな」
そう言うと、机の上に置かれた呼び鈴を鳴らした。
すぐに職員が入ってくる。
「北街道の第三巡回地点付近を、一時的な警戒区域に指定する。一般冒険者には不用意に近づかないよう通達してくれ。それから、Lv5以上の冒険者を中心に調査隊を編成したい」
「承知しました」
職員が退出すると、ジェイドは俺たちへ向き直った。
「ミナト、お前たちの判断は正しかった。もし無理に進んでいたら、危険な魔物と遭遇していたかもしれん」
「俺たちは依頼通りに動いただけだよ」
「それが大事なんだ。冒険者の中には、功績を焦って危険へ飛び込む者もいるからな」
ジェイドはそう言って笑った。
その後、彼は机の引き出しから書類を取り出した。
「今回の巡回依頼についてだが、第三地点は危険を確認したため調査中止とする。お前たちには二地点の確認と異常報告をもって、依頼達成扱いにしよう」
「いいのか?」
「ああ。危険を発見して無事に戻ることも、立派な調査結果だ」
ジェイドの言葉に、ユウキが嬉しそうに笑った。
「よかった! 失敗にならなくて安心しました!」
シルフィーも丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます。今後も安全を優先して行動いたします」
こうして俺たちは、特別依頼の報酬と経験値を受け取ることになった。
もっとも、今回はレベルアップには至らなかった。
ギルドを出ると、街には夕暮れが近づいていた。
「ねえ、ミナト。次はどうする?」
ユウキが尋ねてきた。
「今日はもう十分だろ。明日も学校があるし、そろそろログアウトしよう」
「そうだね。宿題もあるし」
ユウキは少し残念そうに笑った。
シルフィーはそんな俺たちを見て、穏やかに微笑んだ。
「では、今日は早めに休みましょう。隼人も最近、ゲームのことを考える時間が増えていますから」
「ははっ、確かにな」
俺は苦笑した。
異世界から帰還して、ようやく平穏な生活を手に入れたというのに、ゲームの中でも冒険者として活動している。
自分でも少し不思議な気分だった。
その頃、株式会社アストラル・リンクの運営監視室では、北街道で記録された映像が解析されていた。
美波が画面を拡大し、足跡の形状を確認する。
「木田さん、この足跡なんですが……」
「どうしました?」
「通常のウルフとは大きさが違います。既存の魔物データと照合したところ、近いものが見つかりました」
木田はモニターを覗き込んだ。
そこには、一体の魔物の情報が表示されていた。
『《グレイウルフ Lv6》』
「グレイウルフ……。始まりの街の周辺に出現するには、少しレベルが高いですね」
「はい。本来は北東の森林の奥に生息している魔物です」
美波は別の画面を開き、最近の魔物の移動記録を表示した。
「ただ、今回の足跡がグレイウルフのものだと確定したわけではありません。それに、移動してきた理由も不明です」
そこへ主任の宇喜多が近づいてきた。
「何か分かったの?」
「北街道で確認された大型の足跡が、グレイウルフのものに近いことが分かりました」
宇喜多は画面を確認すると、静かに頷いた。
「ゲーム内の生態系が変化している可能性があるわね。システム異常は?」
「現時点では確認されていません」
「それなら引き続き監視をお願い。プレイヤーの攻略には介入しないけれど、想定外の不具合や安全上の問題がないかは確認しておいて」
「了解しました」
美波は再びモニターへ向き直った。
北東の森林深部では、依然として魔力濃度の上昇が続いている。
そして、その周辺から通常の生息域を離れて移動する魔物の数も、少しずつ増えていた。
一方、そんな運営側の動きを知らない俺たちは、宿屋へ向かって歩いていた。
俺は空を見上げながら、ふと思う。
あの足跡の主が何だったのか、いずれ分かる日が来るだろう。
だが、それは今の俺たちが無理をして確かめることではない。
「隼人、どうかしましたか?」
シルフィーが隣から声をかけてきた。
「いや、何でもない。明日はどんな依頼を受けようかと思ってな」
俺がそう答えると、ユウキが笑顔で振り返った。
「じゃあ、次は三人でLv5を目指そうよ!」
「ああ。まずはそこからだな」
俺たちは笑い合いながら、宿屋へ向かった。
新しい魔物の存在を知らないまま、俺たちの冒険は少しずつ次の段階へ進もうとしていた。




