第24話 二十年ぶりの高校生活と、幼馴染の質問攻め
翌朝、目覚まし時計の音で目を覚ました俺――皆川隼人は、しばらく天井を見つめていた。
異世界で暮らしていた二十年間、朝を知らせてくれるのは鳥の鳴き声や仲間の声だった。魔王討伐へ向かっていた頃など、野営中に敵の気配を感じて飛び起きることも珍しくなかった。
それが今では、枕元の小さな機械が決まった時間に起こしてくれる。
「……平和だな」
思わず呟いてから身体を起こす。窓の外には見慣れた住宅街が広がり、通勤途中の車が道路を走っていた。
今日は高校へ行く日だ。
家族にとっては昨日まで普通に通っていた学校でも、俺にとっては二十年ぶりの登校になる。
制服に着替えて一階へ降りると、キッチンから味噌汁の香りが漂ってきた。
母さんの知子が朝食を用意しており、父さんの亮太は食卓でタブレットを確認している。妹の祥子は眠そうにパンを食べ、姉の祐美子は身支度を済ませていた。
そして、その中にシルフィアがいた。
俺に気づいたシルフィアは、嬉しそうに微笑んだ。
「おはようございます、隼人」
「おはよう、シルフィア。早いな」
「知子お母様に朝食の作り方を教えていただいていました」
シルフィアの前には綺麗に焼かれた卵焼きが置かれている。向こうの世界でも料理はできたが、日本の調味料や調理器具にはまだ慣れていないらしい。
母さんが笑いながら説明してくれた。
「シルフィアちゃん、覚えるのが早いのよ。包丁の扱いも上手だし」
「剣を扱うよりは簡単ですから」
「比較対象がおかしいと思うぞ」
俺が苦笑すると、シルフィアも楽しそうに笑った。
食卓につき、久しぶりの日本の朝食を味わう。焼き魚に味噌汁、卵焼き。異世界でも米に似た穀物は食べられたが、やはり母さんの料理は懐かしい。
食事を終える頃、父さんがタブレットを置いた。
「隼人、学校ではあまり無茶をするなよ」
「何の心配だよ」
「二十年分の経験があるんだろう? 体育の授業で本気を出したりするなよ」
「分かってるって」
母さんまで頷いている。
「それと、学校で異世界の話をする時は気をつけてね」
「普通は信じないと思うけどな」
すると祥子が顔を上げた。
「でも、お兄ちゃんの配信、もう話題になってるよ!」
「……え?」
嫌な予感がした。
祥子がスマートフォンを見せてくる。画面には昨夜の配信について書き込まれた掲示板が表示されていた。
『Lv3初心者なのに剣の動きがおかしいミナト』
『アシストOFFであの戦闘は反則級』
『シルフィーとの夫婦連携が凄すぎる』
『ユウキちゃんの成長を見守るスレ』
俺は思わず額を押さえた。
「……なんでこんなことに」
姉ちゃんが楽しそうに笑う。
「有名人になっちゃったわね」
「勘弁してくれ……」
朝から疲れた気分になった俺は、鞄を持って玄関へ向かった。
シルフィアが見送りに来てくれる。
「行ってらっしゃいませ、隼人」
「ああ。行ってくる」
自然に交わした言葉だったが、ふと胸が温かくなった。
異世界では、俺が冒険へ出る時も、シルフィアが先に出る時も、必ず互いの無事を願っていた。
今はただ学校へ行くだけだ。
それでも、妻に見送られる朝は嬉しいものだった。
家を出て通学路を歩いていると、後ろから聞き慣れた声がした。
「隼人ー!」
振り返ると、制服姿の敷谷優花が走ってきた。
「おはよう、優花」
「おはよう! 昨日は楽しかったね!」
優花は俺の隣へ並ぶと、満面の笑みを浮かべた。
「私たち、Lv3になったんだよね!」
「ああ。次は装備やスキルも確認したいな」
「それもだけど、配信のこと!」
優花がスマートフォンを取り出す。
「昨日の配信、切り抜き動画が上がってるんだよ!」
「切り抜き?」
「面白い場面だけ短くまとめた動画だよ。ミナトとシルフィーの連携とか、私が初めて上手く魔法を当てたところとか!」
画面を覗くと、確かに昨日の戦闘が映っていた。
俺がワイルドドッグの攻撃を受け流し、シルフィーが魔法を放つ。その直後、優花の《ホーリーライト》が敵へ命中する。
見慣れた戦闘なのに、映像で見ると少し不思議だった。
「へえ。こんなふうに見えるのか」
「感想それだけ!?」
「いや、よく撮れてるなって」
優花は呆れたように笑った。
そのまま学校へ到着すると、教室は朝から賑やかだった。
久しぶりに見る同級生たちの顔。
俺にとっては二十年前の記憶に残る姿だが、向こうにとっては昨日も会った友人なのだろう。
自分の席へ向かおうとした時、一人の男子生徒が声をかけてきた。
「おい、隼人!」
「ん?」
「お前、昨日VRMMOやってただろ!」
思わず足が止まった。
「……なんで知ってる?」
「配信見たんだよ! ミナトってお前だろ?」
周囲の生徒たちが一斉に振り向いた。
「えっ、あのミナト?」
「昨日の初心者配信の?」
「剣の動きがすごかった人?」
まずい。
予想していなかった方向から質問が飛んできた。
男子生徒は興奮した様子で続ける。
「なあ、あの動きどうやってるんだ? アシストOFFなんだろ?」
「普通に身体を動かしてるだけだぞ」
「それが普通じゃないんだって!」
そう言われても困る。
俺にとっては二十年間繰り返してきた動作だ。特別なことをしているつもりはない。
さらに別の女子生徒が近づいてきた。
「それより、シルフィーって人! 本当に奥さんなの?」
教室が一瞬静かになった。
優花が隣で苦笑している。
「……本当だよ」
「えええっ!?」
予想通りの反応だった。
「隼人って十六歳だよね!?」
「結婚ってどういうこと!?」
「相手の人、すごく綺麗だったよね!」
質問が次々と飛んでくる。
俺はどう説明したものか迷った。
異世界へ召喚され、二十年間冒険し、第二王女と結婚して魔王を倒した。
その後、日本へ帰ってきた。
そんな話をそのまましても、信じてもらえるとは思えない。
助け舟を出してくれたのは優花だった。
「はいはい、質問はそこまで! もうすぐ先生来るよ!」
その言葉に、生徒たちが慌てて席へ戻っていく。
俺はようやく息を吐いた。
「助かった、優花」
「どういたしまして。でも、しばらく大変そうだね」
「……そうだな」
やがて担任教師が教室へ入り、朝のホームルームが始まった。
久しぶりの授業。
黒板に書かれる文字。
教科書をめくる音。
窓から差し込む日差し。
どれも懐かしかった。
異世界で二十年間生きた俺にとって、学校生活はもう戻れないものだと思っていた。
それが今、こうして当たり前のように続いている。
俺は教科書へ目を落としながら、小さく笑った。
魔王を倒すことより、数学の公式を思い出す方が難しいかもしれない。
そんなことを考えている頃、アストラル・リンクの運営監視室では、昨夜から続く調査の結果が報告されていた。
木田は大型モニターに表示された北東森林深部の地図を見つめていた。
「魔力濃度の上昇は続いています。ただし、ゲームシステムそのものに異常は確認されていません」
美波が報告すると、田仲が腕を組んだ。
「つまり、世界内部の仕組みに従って起きている現象ということか」
「現時点では、その可能性が高いです」
木田は地図上の一点を拡大した。
そこには、まだ誰も訪れたことのない森林の奥地が表示されている。
「なら、無理に止めるべきではありませんね。ただし、初心者区域への影響は監視を続けましょう」
宇喜多も頷いた。
「ええ。プレイヤーが安全に楽しめる環境は守らないとね」
その時、別の画面に新しい通知が表示された。
『《緊急討伐:東草原ゴブリン拠点》』
『参加者募集状況:必要人数に到達』
『冒険者ギルドによる編成確認中』
木田は通知を確認すると、静かに呟いた。
「いよいよ、最初の大規模討伐が始まりそうですね」
その頃の俺は、そんなことなど知らず、久しぶりの授業に苦戦していた。
剣も魔法も本物を知っている。
魔王とも戦った。
だが、目の前の数学の問題だけは別だった。
「……二十年ぶりの数学、手強すぎるだろ」
小さく呟いた俺の声を聞き、隣の優花が笑いをこらえていた。
どうやら帰還勇者の高校生活は、ゲーム以上に前途多難らしい。




