第23話 父さんの会社で起きている異変
夕食を終えた俺――皆川隼人は、リビングのソファに座りながら、今日一日の出来事を振り返っていた。
まさか、ゲームを始めたその日に千五百人以上の視聴者が集まるとは思わなかった。そもそも俺は配信というものをよく理解していない。ユウキがいなければ、配信を始めることさえできなかっただろう。
隣ではシルフィアが、祥子からスマートフォンの使い方を教わっていた。
祥子「ここを押すと動画が見られるんだよ!」
シルフィア「まあ。先ほどの私たちの冒険も見られるのですか?」
祥子「録画が残ってれば見られるよ!」
シルフィアは感心したように画面を覗き込んでいる。
異世界では遠くの景色を映し出す魔法も存在したが、誰でも簡単に扱えるものではなかった。それを小さな機械一つで実現するのだから、現代の技術は大したものだ。
そんな二人を眺めていると、父さんのスマートフォンが鳴った。
亮太「……会社からか」
画面を確認した父さんの表情が、わずかに険しくなる。
知子「どうしたの?」
亮太「ゲーム内の魔物分布について、追加の解析結果が出たらしい」
母さんもすぐに表情を変えた。
知子「四方向の異常?」
亮太「ああ。木田君からだ」
俺は思わず顔を上げた。
隼人「父さん、あのゲームで何かあったのか?」
父さんがこちらを見る。
亮太「隼人たちも見ただろう? 始まりの街周辺で魔物が増えている件だ」
隼人「ああ。東にゴブリン、西にホーンラット、南にスライム、北にウルフだろ?」
亮太「そうだ」
俺は少し考えた。
隼人「あれって、父さんたちが用意したイベントじゃないのか?」
亮太「少なくとも、運営が直接発生させたものではない」
隼人「へえ……」
それは少し意外だった。
ゲームなのだから、魔物が増えるのも運営の予定通りだと思っていた。
亮太「このゲームでは、魔物やNPCが周囲の環境に応じて行動する仕組みを採用している。ただ、今回は変化が急すぎるんだ」
隼人「なるほど」
向こうの世界でも、魔物が突然移動を始めることはあった。
餌がなくなった場合もあれば、強力な魔物に縄張りを追われた場合もある。魔力の異常や、魔王軍の活動が原因だったこともあった。
だから、俺は自然と口を開いていた。
隼人「魔物が増えたんじゃなくて、別の場所から移動してきた可能性は?」
父さんの手が止まる。
亮太「……移動?」
隼人「ああ。例えば森の奥に何か強い魔物が現れて、弱い魔物が追い出されたとか」
母さんもこちらを見る。
知子「どうしてそう思ったの?」
隼人「昔、似たようなことがあったから」
俺にとっての昔とは、もちろん異世界で過ごした二十年間のことだ。
隼人「魔物は理由もなく群れを作るとは限らない。餌場を求めたり、危険な場所から逃げたりすることもある」
父さんはしばらく黙っていたが、やがてスマートフォンを操作した。
亮太「木田君に伝えてみよう」
隼人「ただの可能性だぞ?」
亮太「それでも調べる価値はある」
そう言って父さんは席を立った。
母さんも一緒に書斎へ向かう。
どうやら会社の仕事が始まったらしい。
その背中を見送っていると、シルフィアが隣へ座った。
シルフィア「隼人、少し気になりますね」
隼人「ああ。でも、まだ何も分からない」
シルフィア「そうですね。ゲームの世界と私たちのいた世界が同じ仕組みとは限りませんから」
俺は頷いた。
経験は役に立つ。
だが、経験だけで全てを判断してはいけない。
それも二十年間で学んだことだった。
その頃、《株式会社アストラル・リンク》の運営監視室では、木田を中心に追加解析が進められていた。
美波「社長から連絡です。魔物が別の場所から移動してきた可能性を調べてほしいそうです」
竹田「移動?」
信田「通常の出現数だけじゃなく、個体の移動履歴を追うってことか」
木田「面白いですね。確認しましょう」
木田はすぐに調査対象を変更した。
これまで運営が注目していたのは、初心者区域における魔物の増加だった。しかし、増えたのではなく集まってきたのだとすれば、調べるべき場所は違う。
宇喜多「まず北側のウルフから確認しましょう」
大型モニターへ地図が表示される。
北の森林地帯。
複数のウルフの行動履歴。
その移動経路を遡っていく。
美波「……あれ?」
田仲「どうした?」
美波「ウルフの一部が、通常の生息区域から南へ移動しています」
木田「移動開始地点は?」
美波「北の森の深部です」
別の画面。
西のホーンラット。
こちらも一部の個体が、普段の生息地から街に近い場所へ移動していた。
信田「偶然じゃなさそうですね」
竹田「でも東と南は?」
美波「確認します」
解析が続く。
やがて、東のゴブリンにも同じ傾向が見つかった。
さらに南のスライムは、普段より広い範囲から水辺へ集まっていた。
木田「……なるほど」
木田が腕を組む。
木田「少なくとも、全部がその場で突然増えたわけじゃない」
宇喜多「何かから逃げている可能性があるわね」
田仲「ただし、移動の理由までは分からない」
その時、別の警告が表示された。
『未探索区域における魔力環境変動を検出』
美波「北東の森林深部で魔力濃度が上昇しています」
木田「北東?」
木田が地図を拡大する。
始まりの街から離れた未探索区域。
まだプレイヤーが到達していない場所だった。
竹田「これが原因ですか?」
木田「断定はできません。ただ、魔物の移動が始まった時期と近い」
木田はしばらく画面を見つめた。
木田「ゲームの世界が、自分で何かを起こしている……ということですかね」
宇喜多「そうだとしても、私たちがすることは変わらないわ。まず不具合かどうか確認すること」
木田「はい。プレイヤーへの影響も継続して監視します」
運営はゲームの攻略へ直接介入しない。
それが基本方針だ。
ただし、不具合や想定外の危険が発生しているなら話は別である。
木田は解析結果を社長へ報告するよう指示した。
一方、その頃の俺は、自室で明日の学校の準備をしていた。
制服。
教科書。
筆記用具。
どれも懐かしい。
異世界では剣や魔法の道具を準備していた俺が、今は時間割を確認している。
何とも不思議な気分だった。
扉が軽く叩かれる。
シルフィア「隼人、入ってもよろしいですか?」
隼人「ああ」
シルフィアが部屋へ入ってきた。
手にはスマートフォン。
シルフィア「祥子さんに、明日の予定を確認する方法を教えていただきました」
隼人「もう使えるようになったのか?」
シルフィア「まだ分からないことも多いですが、とても便利ですね」
さすがは元王女。
新しい知識を覚えるのが早い。
シルフィアは俺の隣へ座ると、机の上の教科書を見た。
シルフィア「明日から学校ですね」
隼人「ああ。俺にとっては二十年ぶりだけどな」
シルフィア「楽しみですか?」
隼人「半分くらいは」
正直、少し不安もある。
俺の身体は十六歳。
でも中身は三十六歳まで生きた人間だ。
同級生たちと以前のように接することができるだろうか。
シルフィアはそんな俺の考えを察したのか、そっと手を重ねてきた。
シルフィア「大丈夫ですよ。今度は私も一緒です」
隼人「そうだな」
俺は妻の手を握り返した。
魔王を倒すために過ごした二十年間。
その時間が消えるわけではない。
でも、今はもう戦い続ける必要はない。
学校へ通い、家族と食事をして、友達と笑う。
そして、空いた時間にはゲームで冒険する。
そんな生活を楽しめばいい。
そう思っていた時、階下から父さんの声が聞こえた。
亮太「隼人、ちょっといいか?」
俺たちは顔を見合わせ、リビングへ向かった。
そこには父さんと母さんが待っていた。
亮太「さっきの話なんだが、君の予想に近い結果が出た」
隼人「魔物の移動か?」
亮太「ああ。複数の区域で確認された」
知子「それと、北東の未探索区域で魔力環境に変化が出ているの」
隼人「北東……」
俺は少し考えた。
魔力の異常。
魔物の移動。
群れの形成。
どこかで聞いたような話だ。
いや。
経験したことがある。
だが、ここは異世界ではない。
ゲームだ。
隼人「父さん、その場所ってプレイヤーが行けるのか?」
亮太「今のところ到達した記録はない」
隼人「そうか」
亮太「気になるのか?」
隼人「少しな。でも、今の俺たちじゃ行かない方がいい」
父さんが意外そうにする。
亮太「調べに行きたいとは思わないのか?」
隼人「興味はあるよ。でも、まだLv3だから」
俺がそう答えると、母さんが小さく笑った。
知子「二十年間冒険していた人の判断ね」
隼人「無茶してたら二十年も生き残れなかったよ」
シルフィアも隣で頷いた。
父さんは少し考えたあと、安心したように笑った。
亮太「そうだな。ゲームは楽しむためのものだ」
俺も頷く。
明日は学校。
その後は、また三人で冒険するつもりだ。
緊急討伐へ参加できなくても構わない。
俺たちには俺たちの冒険がある。
ただ、その夜。
アストラル・リンクの監視室では、北東の未探索区域から新たな反応が検出されていた。
『魔力濃度上昇継続』
『周辺魔物の移動傾向に変化』
『発生源――特定できず』
木田は画面を見つめながら、静かに呟いた。
木田「……これは、単なる初心者イベントでは終わらないかもしれませんね」
始まりの街を囲む異変。
その中心に何があるのか。
まだ誰も知らなかった。




