第21話 二つ目の巣と、ゲーム世界の異変
西門近くの薬草畑。そのさらに西側にある土手の向こうで、《ホーンラット》十匹以上と《ホーンラットリーダー Lv4》を確認した俺――《ミナト》たちは、戦闘を避けて静かに後退していた。
倒せるかもしれない。
だが、倒せるかどうかと、戦う必要があるかどうかは別の話だ。
俺たちが受けた《薬草畑を荒らす角ネズミ》の討伐目標は八体。そのうち五体はすでに倒している。わざわざ十匹以上いる巣へ突っ込み、Lv4のリーダーまで相手にする必要はない。
何より、俺たちはまだLv2だ。
先ほどギルドマスターのジェイドから、ゴブリンの緊急討伐へ参加させないと言われたばかりなのだから、ここで別のLv4へ突っ込んだら何をしているのか分からない。
ユウキ「追ってきてない?」
ミナト「ああ。大丈夫そうだ」
土手を越え、薬草畑が見えるところまで戻ってから一度立ち止まる。
耳を澄ませる。
草が風に揺れる音。
遠くから聞こえる街の喧騒。
小型魔物の鳴き声。
俺たちを追ってくる気配はない。
シルフィー「気づかれずに離れられたようですね」
ミナト「ならいい」
剣の柄から手を離す。
隣ではユウキもほっと息を吐いた。
ユウキ「でも、あんなにいるとは思わなかった」
ミナト「俺もだ」
ユウキ「十匹以上だよね?」
ミナト「ああ。それに、穴の中にもいるかもしれない」
ユウキ「もっといるの?」
ミナト「可能性はある」
見えた数だけを総数だと思わない。
これはゴブリンの時と同じだ。
穴が巣なら、中に何匹いるのか分からない。子供や非戦闘個体という概念までこのゲームにあるのかは知らないが、少なくとも外から見えた十数匹だけで全てだと決めつける理由はない。
『現在の視聴者数:1,194』
男性視聴者『また見えた数だけじゃないって言ってる』
女性視聴者『ゴブリンの時と同じだ』
男性剣士『慎重だな』
男性戦士『普通はLv4リーダー見たらボスだって突っ込みたくなる』
女性僧侶『撤退判断早いの安心する』
男性視聴者『配信映えより生存優先』
ミナト「死なない方が大事だろ」
ユウキ「ゲームだけどね」
ミナト「ゲームでも一時間弱体化するんだろ?」
ユウキ「そうだけど」
ミナト「なら死なない方がいい」
それに。
頭ではゲームだと分かっている。
HPがゼロになっても現実の俺が死ぬわけではない。
それでも、二十年間染みついた感覚は簡単には消えない。
無意味に命を賭けない。
勝てないなら逃げる。
必要がなければ戦わない。
危険を見つけたら仲間へ伝える。
俺にとっては当たり前のことだ。
シルフィー「ミナトは昔から変わりませんね」
ミナト「そうか?」
シルフィー「はい。強くなってからも、必要のない戦いは避けておりました」
ユウキ「魔王を倒せるくらい強くなっても?」
シルフィー「むしろ、強くなってからの方が慎重でしたよ」
ユウキ「そうなの?」
シルフィーが俺を見る。
シルフィー「守らなければならない方が増えましたから」
その一言で。
少しだけ昔を思い出した。
最初は自分だけだった。
異世界へ放り出され。
生き残る。
それだけでよかった。
でも、仲間が増えた。
シルフィアと出会った。
守りたい人が増えた。
結婚した。
王国の人々にも顔を知られるようになった。
俺が無茶をすれば、自分だけでは済まなくなった。
だから。
強くなるほど。
撤退の判断は早くなった気がする。
ミナト「まあ、逃げるのも冒険者の仕事だからな」
男性剣士『名言っぽい』
女性視聴者『ミナト先生の冒険者講座』
ミナト「だから先生じゃない」
ユウキ「もう諦めたら?」
嫌だ。
俺は教師になった覚えはない。
そんな話をしながら薬草畑へ戻ると、依頼主の薬師がこちらへ駆け寄ってきた。
薬師「冒険者さん、どうだった?」
ミナト「まず五体倒した」
薬師「おお!」
薬師の表情が明るくなる。
だが。
ミナト「それと、西側の土手の向こうに巣らしいものがある」
薬師「……巣?」
ミナト「ああ。穴が複数。外にいたのは十匹以上」
薬師の顔色が変わる。
ミナト「それから、《ホーンラットリーダー》っていうLv4の個体も確認した」
薬師「リーダーまで……」
ユウキ「知ってるんですか?」
薬師「ああ。普通の角ネズミより大きくて、群れを率いる個体だ。滅多に畑の近くまで出てくる魔物じゃない」
俺とシルフィーが顔を見合わせる。
やはり。
少し変だ。
シルフィー「普段はどちらに?」
薬師「もっと西だ。林や丘陵地の奥に巣を作ることはあるが、こんな街の近くで大きな群れを作るなんて……」
ミナト「最近、急に増えた?」
薬師「そうだな……」
薬師が考える。
薬師「数日前までは一匹、二匹を見かける程度だった。畑へ入ってきても追い払えば戻ってこなかった。それが今日は朝から何度も来る」
急に。
か。
ゴブリンも。
ホーンラットも。
初心者エリアにいる魔物。
それが同じ日に群れを作っている。
偶然。
もちろん、その可能性はある。
ゲームなのだから、そういうイベントが同時に発生することだってあるだろう。
俺にはこのゲームの仕様が分からない。
だから決めつけない。
ミナト「残り三体はどうする?」
依頼そのものは八体討伐だ。
薬師「無理をする必要はない。巣のことをギルドへ報告してくれ。畑の周りに残っている奴がいれば討伐してもらえると助かる」
ミナト「分かった」
まず依頼を終わらせる。
それからギルドへ報告。
俺たちは再び畑へ入った。
今度は土手へ近づかない。
畑の中。
荒らされた場所を中心に探す。
すると。
ユウキ「ミナト」
小声。
俺は止まる。
ユウキが指差した。
ヒール草の向こう。
小さな角。
一匹。
さらに奥。
もう一匹。
ミナト「二匹だな」
ユウキ「うん」
今度はユウキが俺より早かった。
俺は少し嬉しくなる。
ミナト「どうする?」
ユウキ「また私?」
ミナト「見つけたのはユウキだからな」
ユウキが敵を見る。
周囲。
薬草。
距離。
少し考え。
ユウキ「シルフィーが奥の一匹。私が手前」
ミナト「俺は?」
ユウキ「逃げた方を止めて」
ミナト「了解」
悪くない。
俺が前に出る必要はない。
むしろ小さくて素早い敵が散った場合、俺が自由に動ける方が対応しやすい。
シルフィー「ユウキ、合図をお願いいたします」
ユウキ「私が?」
シルフィー「はい」
ユウキが少し緊張する。
杖を握る。
シルフィーも構えた。
俺は剣へ手を添えるだけ。
ユウキが息を整える。
ユウキ「……三、二、一」
ホーンラットが顔を上げる。
ユウキ「今!」
シルフィー「《ウォーターボール》!」
ユウキ「《ホーリーライト》!」
二つの魔法。
ほぼ同時。
水弾が奥の個体へ。
光が手前へ。
『HIT』
『CRITICAL』
一匹が倒れる。
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:6/8』
もう一匹。
シルフィーの水弾を受けた個体が横へ逃げる。
俺の方。
ミナト「来たな」
剣を抜く。
大きく振らない。
足元は薬草。
敵が角を向ける。
突進。
半歩。
外す。
剣先だけを動かす。
『CRITICAL』
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:7/8』
ユウキ「あと一匹!」
その声に反応したかのように。
別の場所。
ガサッ。
草が動く。
俺たちが振り向く。
最後の一匹。
こちらへ突っ込んでくる。
だが。
俺は動かなかった。
ミナト「ユウキ」
ユウキ「分かってる!」
杖。
敵。
速い。
小さい。
一直線ではない。
左右へ揺れながら近づく。
以前のユウキなら。
慌てて撃っていただろう。
でも。
今は待つ。
目で追う。
ホーンラット。
右。
左。
右。
そして。
畝と畝の間。
通れる場所が狭くなる。
ユウキ「そこ!」
光。
ユウキ「《ホーリーライト》!」
ホーンラットが。
自分から光へ飛び込む。
『CRITICAL』
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:8/8』
『《薬草畑を荒らす角ネズミ》達成条件を満たしました』
ユウキ「やった!」
ユウキが杖を握ったまま喜ぶ。
シルフィー「お見事です」
ユウキ「今のちゃんと狙えたよね?」
ミナト「ああ」
ユウキ「やった!」
嬉しそうだ。
最初は本当に何も分からなかった。
敵を見つけるのも。
攻撃を避けるのも。
魔法を当てるのも。
全部。
でも。
少しずつ。
できることが増えている。
『現在の視聴者数:1,283』
女性僧侶『ユウキちゃんうまくなってる!』
男性僧侶『今の誘導して狙った?』
女性視聴者『成長早い』
男性剣士『教え方もいいんだろうな』
男性視聴者『ミナト先生』
ミナト「……」
ユウキ「先生?」
ミナト「帰るぞ」
ユウキ「逃げた」
俺は聞こえないふりをした。
依頼主へ討伐完了を伝え。
俺たちは始まりの街へ戻る。
目的は二つ。
依頼報告。
そして。
ホーンラットの巣についての報告。
西門から街へ。
大通り。
冒険者ギルド。
中へ入ると。
東草原のゴブリン討伐準備で、先ほど以上に混雑していた。
受付。
リーナを探す。
いた。
リーナ「お帰りなさいませ」
ユウキ「ただいま!」
リーナ「依頼は無事に?」
ミナト「ああ。八体倒した」
ギルドカードを渡す。
確認。
リーナ「《薬草畑を荒らす角ネズミ》、討伐数八体。達成を確認いたしました」
『QUEST CLEAR』
『報酬を獲得しました』
『経験値を獲得しました』
その瞬間。
身体の内側。
前にも感じた感覚。
ミナト「……ん?」
力。
軽さ。
感覚。
わずかに。
変わる。
『LEVEL UP』
『ミナト Lv2 → Lv3』
隣。
ユウキ「あ!」
『ユウキ Lv2 → Lv3』
シルフィー「上がりましたね」
『シルフィー Lv2 → Lv3』
三人。
同時。
Lv3。
ユウキ「やったー!」
思わずユウキが跳ねる。
俺は軽く手を握る。
Lv2になった時より。
また少し。
身体が動かしやすい。
筋力。
速度。
精密さ。
急激ではない。
でも確かに違う。
シルフィー「MPも増えております」
ユウキ「私も!」
ミナト「これでLv3か」
男性視聴者『レベルアップ!』
女性視聴者『三人ともLv3おめ』
男性剣士『ついにLv3』
女性魔法使い『シルフィーちゃんおめ!』
女性僧侶『ユウキちゃんおめでとう!』
素直に。
嬉しい。
向こうの世界で強くなるのとは違う。
命を削って得た強さでもない。
仲間と依頼を受け。
魔物を倒し。
報告して。
少しずつ成長する。
ゲーム。
楽しいな。
そう思った。
だが。
報告はまだ終わっていない。
ミナト「リーナ。もう一つある」
リーナ「はい?」
ミナト「薬草畑の西側に、ホーンラットの巣らしい場所があった」
リーナの表情が変わる。
リーナ「巣、ですか?」
ミナト「ああ。穴が複数。外にいたのは十匹以上」
リーナ「十匹以上……」
ミナト「それと、《ホーンラットリーダー Lv4》を一体確認した」
リーナが少し黙る。
リーナ「場所を教えていただけますか?」
ミナト「ああ」
簡易地図。
今度は覚えた。
表示。
西門。
薬草畑。
土手。
林。
ミナト「ここ」
位置を示す。
リーナが記録する。
リーナ「ありがとうございます。すぐに調査依頼を出します」
ユウキ「また調査?」
リーナ「はい。通常、ホーンラットが街の近くでそれほど大きな群れを形成することは多くありません」
やはり。
ミナト「ゴブリンと関係は?」
リーナ「現時点では分かりません」
正しい答えだ。
分からないなら。
分からない。
決めつけない。
ただ。
調べる。
リーナが情報を入力する。
その数分後。
冒険者ギルドの内部。
別室。
ギルドマスター《ジェイド》の机へ。
二つ目の報告書が届いた。
ジェイド「……また、あの三人か」
シエナ「はい」
ジェイドが書類を見る。
東。
ゴブリン。
西。
ホーンラット。
どちらも。
街の近く。
どちらも。
通常より大きな群れ。
どちらにも。
上位個体。
ジェイド「偶然か?」
シエナ「可能性はございます」
ジェイド「そうだな」
偶然。
まだ。
それで説明できる。
だが。
ジェイド「念のためだ」
ジェイドが立ち上がる。
ジェイド「北と南の初心者区域も調べろ」
シエナ「全域をですか?」
ジェイド「ああ。討伐隊の編成は予定通り進める。ただし、東だけを見るな」
シエナ「承知しました」
同じ頃。
《株式会社アストラル・リンク》運営監視室。
美波「ホーンラットの群生を確認。通常分布から外れています」
竹田「また?」
信田「場所は西側。ゴブリン群とはかなり離れています」
宇喜多「同じ原因とは限らないわね」
田仲「ああ。偶然の同時発生もあり得る」
木田「動的生成AIのログは?」
美波「確認しています。直接的なイベント生成命令はありません」
亮太「つまり?」
木田「運営が意図的に発生させたイベントではない、ということです」
父さん――皆川亮太が画面を見る。
そこには。
東のゴブリン拠点。
西のホーンラットの巣。
そして。
配信を続けている俺たち三人。
亮太「ゲームの中で自然に起きた?」
田仲「今のところは、そう見えます」
母さん――知子が別のログを開く。
知子「でも二か所同時は少し気になるわね」
木田「俺もです」
GM《木田》。
ゲーム内では《アスト》。
その木田が。
画面を見ながら考える。
木田「北と南にも異常が出たら」
宇喜多「偶然とは考えにくくなる」
木田「はい」
そして。
まるで。
その言葉を待っていたかのように。
警告。
美波「……待ってください」
全員が振り向く。
美波「南側初心者フィールドから異常報告」
木田「内容は?」
美波「《スライム》の活動数が増加しています」
別画面。
南。
初心者用採取エリア。
普段なら数匹ずつ現れる。
低レベルのスライム。
それが。
水辺。
草原。
森の入口。
各所で。
急激に数を増やしている。
田仲「個体数は?」
美波「通常平均の……約三倍」
部屋が。
静かになる。
東。
ゴブリン。
西。
ホーンラット。
南。
スライム。
偶然。
まだ。
偶然かもしれない。
だが。
木田「北側も確認してください」
美波「はい」
画面が切り替わる。
北。
初心者用森林地帯。
しばらく。
異常なし。
誰もが。
そう思った。
その時。
美波「……反応あり」
木田「何です?」
美波「ウルフです」
森の奥。
複数。
いや。
十数。
さらに。
その中心。
通常個体より大きな反応。
美波「上位個体らしき反応を確認」
今度こそ。
誰も。
偶然とは言わなかった。
東。
西。
南。
北。
始まりの街を囲む。
四つの初心者区域。
その全てで。
魔物たちの動きが。
同時に。
変わり始めていた。




