第20話 緊急討伐の裏で、初心者は初心者の仕事をする
《緊急討伐準備:東草原ゴブリン集団》。
始まりの街全体へ告知されたその情報は、俺――《ミナト》が思っていた以上の速さでプレイヤーたちへ広がっていた。
ギルドマスター《ジェイド》の執務室を出て一階へ戻ると、冒険者ギルドの雰囲気は先ほどまでとは明らかに違っている。
依頼掲示板の前には大勢のプレイヤーが集まり、誰もが新しく表示された情報について話していた。
男性戦士「参加条件、まだ出てないのか?」
女性剣士「準備中だって」
男性魔法使い「ゴブリン二十体以上なんだろ? 絶対レイドじゃん」
女性僧侶「回復役も募集されるかな?」
男性剣士「大型個体がいるらしいぞ」
祭りの前のような熱気だ。
俺には、その感覚が少し不思議だった。
向こうの世界なら、魔物の集団が街の近くに拠点を作ったと聞けば、最初に考えるのは被害だ。
近くに村はあるか。
街道を利用する商人はいるか。
討伐に何人必要か。
死者を出さずに済むか。
負傷者を運ぶ方法はあるか。
撤退経路は確保できるか。
そういうことばかり考えていた。
でも。
これはゲームだ。
プレイヤーたちにとって《緊急討伐》は危機であると同時に、大きなイベントでもある。
その違いに、俺はまだ慣れていない。
ユウキ「すごい人だね」
ミナト「ああ」
シルフィー「皆さん、楽しそうです」
ミナト「そうだな」
シルフィーも俺と同じことを感じているのだろう。
向こうでは、討伐前にこんな顔をする者は少なかった。
怖い。
帰りたい。
死にたくない。
それでも行かなければならない。
それが俺たちの知っている討伐だった。
だけど、ここでは違う。
死んでも現実で死ぬわけではない。
装備や条件を整え、仲間と一緒に強敵へ挑む。
それそのものを楽しめる。
だったら。
俺たちも、その感覚を覚えればいい。
ユウキ「ミナト?」
ミナト「ん?」
ユウキ「また難しい顔してた」
ミナト「ちょっと昔を思い出してた」
ユウキ「二十年前?」
ミナト「俺にとってはそんなに昔じゃない」
ユウキ「あ、そっか」
ユウキはもう俺の事情を知っている。
だから、こういう話も普通にできる。
もっとも。
『現在の視聴者数:1,126』
今は千人以上が聞いているわけだが。
ミナト「……まだ配信してたな」
ユウキ「忘れないでよ!」
女性視聴者『また忘れてたの?』
男性視聴者『配信者の自覚ゼロ』
男性剣士『それが面白い』
女性魔法使い『シルフィーちゃんは?』
シルフィー「私は覚えておりましたよ」
ミナト「教えてくれ」
シルフィー「楽しそうでしたので」
ミナト「シルフィー……」
昔からこういうところがある。
俺が困ると分かっていて、たまに黙って見ている。
王女だった頃はもっとお淑やかだった気がするのだが。
いや。
出会ってしばらくした頃から、こんな感じだったか。
結婚してからは完全に遠慮がなくなった。
ユウキ「仲いいよね、本当に」
シルフィー「夫婦ですので」
ユウキ「それは知ってる」
ユウキが苦笑する。
コメント欄がまた妙に盛り上がり始めたので、俺は話題を変えることにした。
ミナト「それより次の依頼を探そう」
ユウキ「まだやるの?」
ミナト「疲れたか?」
ユウキ「ううん。まだ大丈夫」
シルフィー「私も問題ありません」
なら続けよう。
ジェイドから言われたばかりだ。
初心者には初心者の仕事がある。
緊急討伐へ参加する上級プレイヤーたちが大きな仕事をするなら、俺たちは俺たちにできる仕事をすればいい。
依頼掲示板へ近づく。
ただし。
ミナト「東側は避けよう」
ユウキ「ゴブリンがいるから?」
ミナト「ああ。林だけじゃなくて、東草原外縁部の依頼にも影響が出るかもしれない」
シルフィー「では別の方面へ向かいましょう」
掲示板を見る。
南。
北。
西。
いくつか初心者向け依頼が残っている。
その中で。
ユウキ「これ、どうかな?」
ユウキが指した。
『《薬草畑を荒らす角ネズミ》』
依頼主は街の薬師。
西門近くにある薬草畑へ《ホーンラット》が入り込み、薬草を食い荒らしているらしい。
討伐目標は八体。
推奨Lv2。
推奨人数二~四人。
ミナト「薬草畑か」
シルフィー「回復薬の材料でしょうか?」
ミナト「たぶんな」
ユウキ「ゴブリン討伐とは全然違うね」
ミナト「こういう依頼も大事だぞ」
ユウキ「そうなの?」
ミナト「薬草がなくなったらポーションを作れないだろ」
ユウキ「あ」
討伐隊が出る。
怪我人が出る。
回復薬が必要になる。
薬草畑が荒らされれば、その供給が減る。
大規模な討伐が始まるからこそ。
こういう小さな仕事が重要になる。
向こうの世界でも同じだった。
ミナト「これにしよう」
ユウキ「うん」
シルフィー「賛成です」
依頼票へ触れる。
『《薬草畑を荒らす角ネズミ》を受注しました』
目的地は西門近く。
俺たちはそのままギルドを出た。
大通りを西へ。
東側とは逆方向なので、街の空気も少し違う。
緊急討伐の話をしているプレイヤーは多いが、NPCたちは普段通り生活している。
露店。
商店。
荷車。
食堂。
鍛冶場。
子供たち。
ゲームだと分かっていても。
こうして歩いていると、本物の街にしか思えない。
ユウキ「そういえば」
ミナト「ん?」
ユウキ「ミナトって、こういう依頼も向こうでやってたの?」
ミナト「やったぞ」
ユウキ「魔王を倒した勇者が?」
ミナト「最初から勇者だったわけじゃないからな」
女神から力はもらった。
確かに、最初から普通の人間より強かった。
魔法も使えた。
成長も早かった。
だが。
王都近くの森へ転移して。
冒険者ギルドへ行って。
登録して。
俺が最初に受けた仕事は。
世界を救うような依頼ではなかった。
ミナト「薬草を採ったり、小型の魔物を倒したり、荷物を運んだり。最初はそんなものだった」
ユウキ「意外」
ミナト「普通だろ」
ユウキ「だって異世界召喚されたら、すぐ王様に呼ばれて『勇者よ、魔王を倒してくれ』みたいになると思ってた」
ミナト「ならなかったな」
シルフィー「ミナトが父上に呼ばれたのも、しばらく冒険者として活動した後でしたね」
ミナト「ああ」
王都で少しずつ依頼をこなし。
名前が知られ。
実績が積み重なって。
ようやく王家の目に留まった。
そして。
そこでシルフィアと出会った。
シルフィー「私はその時、ビビッときました」
ミナト「また言うのか」
ユウキ「シルフィー、それ気に入ってるでしょ」
シルフィー「事実ですから」
嬉しそうに笑う妻。
俺は苦笑するしかない。
コメント欄も。
女性視聴者『ビビッときた王女様』
男性視聴者『設定がどんどん補強されていく』
女性魔法使い『この夫婦好き』
男性剣士『ところで本当にLv2初心者配信だよな?』
ミナト「Lv2だぞ」
男性視聴者『そこだけは事実』
そんな話をしているうちに西門へ到着した。
門を抜けて少し歩く。
街道脇。
木製の柵に囲まれた畑が見えてきた。
普通の農地とは違う。
植えられているのは野菜ではなく。
見覚えのある葉。
ミナト「ヒール草か」
ユウキ「分かるの?」
ミナト「このゲームのならな」
以前採取した。
ゲーム内の《ヒール草》。
それが畑一面に栽培されている。
畑の前には一人の男性NPCがいた。
腰に薬草袋。
年齢は五十前後。
俺たちを見ると、ほっとしたように近づいてくる。
薬師「冒険者さんか?」
ミナト「ああ。《薬草畑を荒らす角ネズミ》の依頼を受けてきた」
薬師「助かった。あいつら、朝から何度追い払っても戻ってくるんだ」
ユウキ「角ネズミって、どんな魔物なんですか?」
薬師「見ればすぐ分かる。普通のネズミより大きくて、額に小さな角がある」
そのままだ。
薬師「一匹一匹は大したことないんだが、とにかく数が多い。畑を荒らされると薬を作れなくなる」
ミナト「巣の場所は?」
薬師「え?」
ミナト「追い払っても戻ってくるなら、近くに巣があるんじゃないか?」
薬師が少し考える。
薬師「西側の土手から来ることが多いな」
ミナト「分かった」
ユウキ「ミナト、巣まで探すの?」
ミナト「依頼は八体討伐だから、まずそれを優先する」
勝手に依頼内容を広げない。
ただ。
情報は覚えておく。
俺たちは畑へ入った。
すぐには敵が見えない。
ヒール草。
畝。
ところどころ。
葉が食われている。
ミナト「ユウキ」
ユウキ「はい、先生」
ミナト「先生はやめろって」
ユウキ「じゃあ何?」
ミナト「普通に名前でいい」
ユウキが笑う。
ミナト「痕跡を探してみろ」
ユウキ「また?」
ミナト「練習」
ユウキ「分かった」
ユウキがしゃがむ。
今度は前回より迷わない。
食べられた葉。
土。
畝の間。
ユウキ「あ」
ミナト「見つけた?」
ユウキ「これ」
小さな足跡。
俺も確認する。
ミナト「正解」
ユウキ「やった」
さらに。
ユウキ「こっちにもある」
シルフィー「複数ですね」
小さな足跡が重なっている。
西側。
やはり土手の方へ続いている。
ミナト「行こう」
俺たちは足跡を追う。
畑の端。
ヒール草が揺れた。
ユウキ「いた!」
今度は俺より先だった。
『《ホーンラット Lv2》』
一匹。
いや。
シルフィー「奥にもおります」
葉の間。
二匹。
三匹。
さらに。
ミナト「五匹か」
ユウキ「多いね」
普通のネズミより大きい。
猫ほどある。
額から短い角。
素早そうだ。
ミナト「畑の中で魔法を使うときは気をつけろ」
シルフィー「薬草を傷つけないように、ですね」
ミナト「ああ」
特に火。
《ファイアボール》は使わない方がいい。
薬草畑を守るための依頼で薬草を焼いたら意味がない。
ユウキ「じゃあ私も?」
ミナト「ホーリーライトなら大丈夫だと思う。ただ、外したときに何へ当たるかは考えて」
ユウキ「分かった」
ホーンラットが動く。
一匹。
こちらへ。
速い。
地面すれすれ。
小さい分。
ワイルドドッグより狙いにくい。
ミナト「来るぞ!」
角を前へ。
突進。
俺は横へ避ける。
剣。
だが。
振らない。
足元にはヒール草。
ここで大きく振れば薬草を切る。
代わりに。
剣先を下げる。
小さく。
突く。
『HIT』
ホーンラットが跳ねる。
まだ倒れない。
ミナト「思ったより硬いな」
身体が小さい代わりに。
角と皮膚が少し硬いらしい。
別の二匹が走る。
シルフィー「《ウォーターボール》!」
水弾。
一匹へ命中。
『HIT』
吹き飛ばす。
薬草には当てない。
見事だ。
ユウキ「私も!」
杖を向ける。
だが。
撃たない。
待つ。
ホーンラットが左右へ走る。
小さい。
速い。
狙いづらい。
それでも。
ユウキは追わない。
目だけで見る。
進行方向。
畝。
障害物。
そして。
ユウキ「そこ!」
杖。
ユウキ「《ホーリーライト》!」
光。
ホーンラットの少し前。
敵が自分から入る。
『CRITICAL』
ユウキ「当たった!」
ミナト「次!」
ユウキ「うん!」
喜ぶのは後。
まだ四匹。
俺は一匹を引きつける。
シルフィーが二匹。
ユウキが一匹。
そして。
俺が気づく。
ミナト「シルフィー」
シルフィー「はい」
それだけ。
シルフィーが位置を変える。
俺も動く。
ホーンラット二匹。
互いに。
近づく。
シルフィーが杖を向ける。
シルフィー「《ウィンドカッター》!」
風の刃。
一匹。
『HIT』
避けたもう一匹。
俺の前。
剣を返す。
『CRITICAL』
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:1/8』
さらに。
ユウキ「ミナト、後ろ!」
声。
振り向かない。
前へ踏み込む。
背後から来たホーンラットの突進が空振る。
着地音。
そこで。
振り返る。
剣。
『CRITICAL』
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:2/8』
男性剣士『後ろ見てないのに避けた』
女性視聴者『ユウキの声だけで?』
男性戦士『反応早すぎ』
ミナト「教えてくれたからな」
ユウキ「でも私、後ろって言っただけだよ?」
ミナト「十分だ」
どこから。
どれくらいの速さで。
どんな攻撃。
それを全部説明していたら間に合わない。
戦闘中。
仲間からの一言を信じて動く。
それも大事だ。
ユウキが。
少し嬉しそうに笑う。
残り三匹。
今度は。
ホーンラットたちが一斉に動いた。
ユウキ「三匹来る!」
ミナト「シルフィー!」
シルフィー「承知しました!」
シルフィーが俺の意図を読む。
火ではない。
土でもない。
薬草への被害を抑える。
シルフィー「《ウォーターボール》!」
一匹を弾く。
俺が二匹の間へ入る。
一匹目。
角。
剣の腹で受け流す。
二匹目。
足元。
跳ぶ。
最低限。
薬草を踏まない。
着地。
剣。
『HIT』
ユウキ「《ホーリーライト》!」
俺が弾いた一匹へ。
『CRITICAL』
倒れる。
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:3/8』
シルフィー「《ウィンドカッター》!」
『CRITICAL』
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:4/8』
最後。
俺の前。
ホーンラットが突進。
角。
横へ。
避ける。
剣を下から。
小さく。
一閃。
『CRITICAL』
『《ホーンラット》を討伐しました』
『クエスト進行:5/8』
静かになる。
ユウキ「五匹!」
ミナト「あと三匹だな」
シルフィー「畑への被害もありません」
周囲を見る。
確かに。
戦闘で踏み荒らした場所はほとんどない。
薬草も無事。
これなら依頼主に怒られずに済む。
だが。
ミナト「……」
俺は畑の端を見る。
ユウキ「どうしたの?」
ミナト「足跡」
五匹分。
その痕跡。
西側。
土手。
さらに奥。
俺はしゃがむ。
見る。
ユウキも隣へ。
ユウキ「……いっぱいある?」
ミナト「ああ」
八匹。
そんな数ではない。
もっと。
何度も往復している。
シルフィー「巣でしょうか?」
ミナト「可能性は高いな」
依頼目標は残り三匹。
だが。
畑を荒らす原因を考えれば。
土手の向こうを確認した方がいい。
俺は立ち上がる。
ミナト「無理はしない」
ユウキ「うん」
ミナト「巣があって、数が多すぎたら戻る」
シルフィー「ギルドへ報告ですね」
ミナト「ああ」
俺たちは土手へ向かった。
配信コメント。
男性視聴者『また調査始まった』
男性剣士『この三人こういうの好きだな』
女性視聴者『ゴブリンの時もこんな感じだった』
女性僧侶『無理しないって毎回言ってるの安心する』
土手。
登る。
向こう側。
小さな林。
岩。
地面。
そして。
ユウキ「あれ……」
土に。
穴。
一つ。
二つ。
三つ。
さらに。
その周囲。
赤い目。
一つ。
二つ。
三つ。
五つ。
八つ。
十。
ミナト「……多いな」
穴から。
次々と。
《ホーンラット》が顔を出す。
十匹以上。
さらに奥。
他より一回り大きな影。
『《ホーンラット Lv2》』
『《ホーンラット Lv2》』
『《ホーンラット Lv2》』
そして。
『《ホーンラットリーダー Lv4》』
ユウキ「Lv4……」
シルフィー「どうしますか?」
俺は。
一秒も迷わなかった。
ミナト「戻る」
ユウキ「やっぱり?」
ミナト「ああ」
戦えば。
たぶん。
三人なら何匹かは倒せる。
工夫すれば。
リーダーにも勝てる可能性はある。
だが。
必要がない。
依頼は畑を荒らすホーンラット八体の討伐。
そして。
俺たちは今。
その原因になっている巣を発見した。
なら。
やるべきことは一つ。
ミナト「場所を覚える。ギルドに報告して、必要なら正式な討伐依頼を出してもらう」
ユウキ「了解!」
シルフィー「参りましょう」
俺たちは静かに後退する。
まだ。
敵はこちらへ気づいていない。
無駄に戦わない。
無駄に危険を増やさない。
情報を持ち帰る。
その様子を。
千人以上の視聴者が見ていた。
男性視聴者『また撤退』
男性剣士『でもこれ正解だろ』
女性視聴者『Lv4いるし』
男性戦士『Lv2三人で十匹以上は危ない』
女性僧侶『ユウキちゃん死んだら困る』
ユウキ「なんで私だけ!?」
思わず。
俺とシルフィーが笑った。
緊急討伐へは参加できない。
大きなゴブリンの拠点を攻略することもできない。
今の俺たちは。
ただのLv2初心者。
それでいい。
薬草畑を守り。
小さな魔物を倒し。
危険を見つけたら持ち帰る。
そうやって。
一つずつ。
経験を積んでいけばいい。
そして。
このときの俺は。
まだ知らなかった。
俺たちが持ち帰ることになる二つ目の魔物の巣の情報が。
冒険者ギルドの中で。
別の意味を持ち始めることを。
ゴブリン。
ホーンラット。
普段なら、初心者でも対処できる魔物たち。
その魔物たちが。
同じ日に。
それぞれ群れを作り。
上位個体を生み始めている。
それがただの偶然なのか。
それとも。
このゲーム世界のどこかで。
何かが動き始めているのか。
俺たちがそれを知るのは。
もう少し先のことだった。




