第2話 二十年分の家族会議
異世界から帰還した翌日の朝。
皆川家のリビングには、なんとも言えない空気が漂っていた。
俺――皆川隼人の隣には、異世界《リント王国》の王女にして俺の妻、シルフィアが座っている。
正面には父さんと母さん。
その隣には姉さんと祥子。
テーブルには朝食が並んだままだ。
焼き魚から立ち上っていた湯気も、いつの間にかほとんど消えている。
原因はもちろん、突然現れたシルフィアだった。
祐美子「……もう一回聞くけど」
姉さんが俺とシルフィアを交互に見る。
祐美子「この人が隼人のお嫁さん?」
隼人「ああ」
シルフィア「はい」
俺たちが同時に答える。
祐美子「…………」
姉さんは額を押さえた。
祐美子「意味が分からない」
隼人「俺も逆の立場ならそう思う」
祐美子「昨日まで十六歳だった弟が、異世界から帰ってきたと思ったら結婚してるのよ?」
隼人「今も十六歳だけどな」
祐美子「だから、そういう意味じゃないって!」
昨日から何度目か分からないやり取りだった。
ただ、姉さんの混乱も当然だと思う。
俺にとっては二十年間の出来事でも、家族にとっては一日程度の出来事なのだから。
祥子「ねえ、お兄ちゃん」
隼人「なんだ?」
祥子「王女様と結婚したってことは、お兄ちゃんって王子様なの?」
隼人「……そこに食いつくのか」
祥子「だって気になるじゃん!」
シルフィア「ふふっ」
シルフィアが口元に手を添えて笑う。
シルフィア「リント王国では、隼人様は王族に準ずる扱いを受けておりました」
祥子「やっぱり!」
隼人「まあ、形式上はな」
祐美子「待って。弟が勇者だけでも意味分からないのに、王族まで追加されたんだけど」
隼人「姉さん。落ち着け」
祐美子「原因のあんたが言わないで」
まったくもってその通りだった。
父さんはしばらく黙っていたが、やがてテーブルの上で両手を組んだ。
亮太「とりあえず、順番に話そう」
さすが会社の社長をしているだけあって、混乱していても話を整理するのは早い。
亮太「隼人」
隼人「うん」
亮太「お前が異世界へ行ったのは十六歳のとき。つまり昨日だな?」
隼人「地球側ではな」
亮太「そして向こうでは二十年間を過ごした」
隼人「ああ」
亮太「魔王を倒した」
隼人「ああ」
亮太「その間にシルフィアさんと結婚した」
隼人「ああ」
亮太「それから女神の力で、こちらではほとんど時間が経過していない状態へ戻ってきた」
隼人「そういうこと」
亮太「……うん」
父さんが大きく息を吐いた。
亮太「言葉にすると余計に現実感がなくなるな」
隼人「俺もそう思う」
知子「問題は、隼人の身体よ」
母さんが俺を見る。
知子「二十年間生活していたなら、本来は三十六歳になっているはずでしょう?」
隼人「ああ」
知子「でも、どう見ても十六歳よね」
祥子「いつものお兄ちゃんだよ?」
祐美子「顔だけならね」
隼人「顔だけってなんだよ」
祐美子「雰囲気が全然違うもの」
姉さんの言葉に、俺は少し黙った。
自覚はある。
二十年間も命懸けの生活を続ければ、十六歳だった頃と同じではいられない。
魔物を殺した。
人間とも戦った。
戦場にも立った。
仲間を失ったこともある。
自分が死にかけたことなど数え切れない。
最後には魔王と戦った。
そんな二十年を過ごしたあとで、昨日までと同じ高校生として振る舞えと言われても無理がある。
隼人「身体については、女神が召喚されたときの状態に近づけてくれたらしい」
知子「つまり若返った?」
隼人「たぶん。俺も詳しい仕組みまでは知らない」
シルフィア「女神様は、隼人様が元の生活へ戻れるよう調整すると仰っておりました」
知子「なるほど……」
母さんが考え込む。
ホワイトハッカーとして論理的な仕事をしている母さんに、女神の奇跡を理解しろという方が無茶だろう。
だが母さんは、頭から否定することもしなかった。
昨日から俺の変化を見ているからだと思う。
亮太「シルフィアさん」
シルフィア「はい」
亮太「君は隼人と、どれくらい一緒にいたんだ?」
シルフィアは少しだけ考えた。
シルフィア「隼人様がリント王国へ召喚されてから、それほど間を置かずに知り合いました。その後は長い間、同じ仲間として戦っております」
亮太「二十年近く?」
シルフィア「はい」
亮太「……なら、俺たちよりも今の隼人を知っているのかもしれないな」
その言葉に胸を突かれた。
父さんの表情には、ほんの少し寂しさがあった。
俺にとって二十年。
父さんたちにとって一日。
俺の人生の二十年分を、家族は知らない。
隼人「父さん」
亮太「気にするな」
父さんは苦笑した。
亮太「俺たちからすれば昨日まで高校生だった息子だからな。いきなり二十年分成長しましたと言われても、すぐには追いつけない」
隼人「……ごめん」
亮太「謝ることじゃないだろ」
父さんがそう言った。
亮太「帰ってきたんだから、それでいい」
その一言だけで、胸が熱くなった。
異世界に召喚された直後。
何度、家へ帰りたいと思っただろう。
魔王軍との戦争が激しくなってからは、考えないようにしていた。
帰れる保証なんてなかったからだ。
それでも俺は帰ってきた。
隼人「……ただいま、父さん」
亮太「ああ。おかえり」
今度は泣かない。
昨日、十分泣いた。
たぶん。
祥子「お兄ちゃん、目が赤いよ?」
隼人「気のせいだ」
祐美子「泣いてるじゃない」
隼人「泣いてない」
シルフィア「隼人様は昔からこういうところがあります」
隼人「シルフィア?」
シルフィア「素直に泣けばよろしいのに」
隼人「俺の味方じゃないのか?」
シルフィア「妻ですから、隼人様のことはよく存じております」
シルフィアが楽しそうに笑った。
その瞬間、母さんの表情が少し柔らかくなった。
知子「シルフィアさん」
シルフィア「はい」
知子「本当に隼人のお嫁さんなのね」
シルフィア「はい」
シルフィアは迷うことなく頷いた。
シルフィア「隼人様とは、リント王国の王家にも認めていただいた正式な夫婦です」
祐美子「正式……」
祥子「じゃあ私、お姉ちゃんが増えたの?」
シルフィアが祥子を見る。
シルフィア「よろしければ、そう呼んでください」
祥子「シルフィアお姉ちゃん?」
シルフィア「はい」
嬉しかったらしい。
シルフィアの表情が一気に明るくなった。
祥子「シルフィアお姉ちゃん!」
シルフィア「祥子さん」
祥子「さんはいらないよ!」
シルフィア「では……祥子ちゃん?」
祥子「うん!」
早い。
妹の適応能力が恐ろしい。
祐美子「ちょっと祥子。受け入れるの早すぎない?」
祥子「だってお兄ちゃんのお嫁さんなら家族でしょ?」
祐美子「そうだけど……そうなの?」
隼人「俺に聞くなよ」
俺も法律上どういう扱いになるのか分からない。
異世界の王国で成立した結婚が、日本の法律でそのまま婚姻として認められるとは思えない。
そもそもシルフィアには日本の戸籍すらない。
隼人「その辺は女神が――」
そこまで言った瞬間だった。
目の前に淡い光が現れた。
俺は反射的に身構えたが、今度はすぐに力を抜いた。
隼人「……またか」
光の中から、数枚の書類と小さな封筒が落ちてきた。
俺はそれを受け取る。
女神『ご安心ください! シルフィアさんが日本で生活するために必要なものは一通り用意しておきました!』
隼人「仕事が早いな、おい」
知子「隼人?」
隼人「女神から」
亮太「女神って書類仕事もするのか?」
隼人「俺も初めて知った」
書類へ目を通す。
どういう力を使ったのかは考えないことにした。
シルフィアが日本で生活するために必要となる身分関係について、少なくとも日常生活で困らないよう処理されているらしい。
さらに封筒の中には銀行関係の書類まで入っていた。
隼人「……ん?」
シルフィア「どうされました?」
隼人「これ……」
残高を見た。
もう一度見た。
桁を数えた。
隼人「…………」
祐美子「何?」
隼人「ちょっと待って」
もう一度数える。
やっぱり変わらない。
女神『あ、それもご褒美です!』
隼人「まだあるのかよ!」
女神『隼人さんとシルフィアさんが異世界で所有していた財産を、こちらの世界で使用できるよう日本円へ換算しておきました!』
確かに俺たちは金を持っていた。
二十年間も冒険者として活動し、魔王軍との戦争にも参加していたのだ。
高ランク魔物の素材。
ダンジョンで発見した財宝。
王国から支払われた報奨金。
魔王討伐の褒賞。
王女であるシルフィア自身の資産もある。
だが。
隼人「……換金したのか」
シルフィア「異世界の金貨をこちらで持っていても使えませんものね」
隼人「そうなんだけどさ」
亮太「いくらあるんだ?」
隼人「父さん」
亮太「なんだ?」
隼人「俺、たぶん一生働かなくても生活できる」
亮太「…………」
知子「…………」
祐美子「…………」
祥子「お兄ちゃん、お金持ち?」
隼人「ものすごく」
父さんが天井を見上げた。
亮太「息子が一日いなくなったと思ったら、二十年分年を取って、魔王倒して、王女と結婚して、大金持ちになって帰ってきた……」
隼人「言い方」
亮太「事実だろ」
隼人「否定できない」
なんという濃い一日なのだろう。
異世界で魔王と戦っていた頃でも、もう少し物事は順番に起きていた気がする。
だが、そんな中でも一つだけ決めていることがある。
隼人「父さん、母さん」
亮太「ん?」
知子「なに?」
隼人「俺、高校には戻るから」
家族が少し驚いた。
祐美子「でも隼人、中身は三十六歳みたいなものなんでしょ?」
隼人「経験だけならな」
祐美子「高校の授業、受けるの?」
隼人「受ける」
祥子「なんで?」
俺は少し考えてから答えた。
隼人「俺は二十年間、戦ってきたからな」
剣を握った。
魔物を倒した。
仲間を守った。
戦争をした。
魔王を倒した。
だからこそ。
隼人「今度は普通に生きてみたい」
高校へ行く。
友達と話す。
家族と飯を食う。
くだらないことで笑う。
十六歳だった俺が失ったはずの日常。
奇跡的に、それが残っている。
なら取り戻したかった。
知子「……そう」
母さんが優しく笑った。
知子「なら、お母さんは賛成」
亮太「俺もだ」
祐美子「私も」
祥子「私も!」
隼人「ありがとう」
隣を見る。
シルフィアも微笑んでいた。
シルフィア「隼人様が望まれるのでしたら、私もこの世界での生活を学びます」
隼人「ああ。一緒に覚えていこう」
シルフィア「はい」
考えてみれば、俺も二十年ぶりの日本だ。
スマートフォンの使い方だって、少し忘れている。
シルフィアだけではない。
俺自身も、この世界へ帰ってきたばかりなのだ。
その後、ようやく止まっていた朝食を再開した。
シルフィアは箸に苦戦し、祥子が使い方を教え、姉さんはまだ何か納得できない顔をしながら俺たちを見ていた。
久しぶりの家族との食事。
そこへ新しく加わった妻。
俺にとっての新しい日常は、こうして始まった。
そして朝食が終わった頃。
父さんが、ふと思い出したように俺へ声をかけた。
亮太「そうだ、隼人」
隼人「ん?」
亮太「お前への誕生日プレゼントがある」
隼人「誕生日プレゼント?」
亮太「ああ。昨日渡す予定だったんだが、それどころじゃなかったからな」
知子「かなり面白いものよ」
父さんと母さんが意味ありげに顔を見合わせる。
俺はまだ知らなかった。
この二人が何を企んでいるのか。
そして、その誕生日プレゼントによって。
魔王を倒して剣を置いたばかりの俺が――再び剣と魔法の世界へ足を踏み入れることになるとは。
このときは、まだ想像すらしていなかった。




