新しい家
翌朝。
聡は見慣れない天井を見ていた。
宿じゃない。木の梁が走っていて、古い匂いがする。窓から朝の光が差し込んでいる。
「ここ、どこだ」
「空き家よ」
清子が台所から顔を出した。割烹着を着ていた。どこで手に入れたのか分からない。
「借りたの」
「いつの間に」
「三日前」
「なんで言わなかった」
「言う機会がなかったわ」
「あっただろ絶対」
聡は起き上がった。家の中を見回した。それなりに広い。台所、居間、部屋が三つ。古いが、手入れはされている。
田中が台所で鍋をかき混ぜていた。
「家賃はどうしたんだ」
「村長さんに頭を下げたら貸してくれました」
「金払ってないのか」
「代わりに村の雑用を引き受けました」吉田が縁側から言った。麦わら帽子を被っている。どこで手に入れたのか分からない。「もう二週間やってます」
「二週間!?」
新田が麦茶を持ってきた。
「村長からの差し入れです」
「なんで差し入れもらってるんだ」
「恩田さんは熱心な方だと評判です」新田が静かに言った。「村長がそう言っていました」
「何が熱心なんだ」
「毎朝村長の家に行って、この村に怪談を広めさせてくださいと頭を下げているそうです」
聡は少し黙った。
「村長、よく貸したな」
「断れなかったそうです」
「そりゃそうだ」
清子が台所から出てきた。朝食の皿を持っていた。パンと、野菜のスープ。
「村長さん、いい人よ」
「お前が押しかけてるだけだろ」
「熱意は伝わるものよ」
「怪談を広めさせてくださいって言って伝わる熱意があるか」
清子は気にした様子もなく席についた。全員が食卓を囲んだ。
聡はスープを一口飲んだ。
美味かった。
「……誰が作ったんだ」
「田中くんよ」
「錬金術か」
「普通に作りました」田中が言った。「錬金術は素材が必要なので。料理は料理です」
「普通に料理できるのか」
「できます」
聡は田中を見た。錬金術が使えて料理もできる。自称部長の右腕は意外と生活力があった。
「吉田は?」
「畑仕事手伝ってます」吉田が縁側から答えた。「村の人に教えてもらって」
「新田は」
「情報収集です」新田が静かに言った。「村の噂を把握しています」
「俺は」
「聡くんは今日から薪割り担当よ」
「え」
「村長さんにお願いされたの」
「なんで俺が」
「一番体力ありそうだから」
聡は返す言葉がなかった。
朝食が終わると、清子が紙を広げた。
作戦会議の始まりだった。
「次はメリーさんよ」
「メリーさん」聡は繰り返した。「電話をかけてくる人形の」
「そう。今どこにいるか教えながら近づいてきて、最終的に目の前に現れる」
「この世界に電話はない」
「だから作るのよ」
全員の視線が田中に集まった。
「作れます」
即答だった。もはや誰も驚かなかった。
「電波は?」
「テレビの時と同じで飛ばせません」田中が続けた。「ただ、有線なら繋げます」
「有線」
「糸電話の原理です。錬金術で極細の銅線を作れば、かなりの距離まで音声を届けられます」
聡は田中の説明を聞きながら、頭の中でイメージした。
「つまり、電話機を二台作って、銅線で繋ぐ」
「そうです。一台を村人の家に置いておく。もう一台をこちらが持つ。夜中に呼び出し音を鳴らして、繋がったら喋る」
「呼び出し音はどうする」
「作れます」
「そりゃそうか」
清子が続けた。
「問題はメリーさんの声よ。私が変身して喋る」
「変身で声も変えられるのか」
「変えられるわ。低くて、静かで、遠くから聞こえるような声」
清子がその場で声を変えた。
「今、どこにいると思う?」
聡は鳥肌が立った。
「やめろ」
「似合うでしょ」
「似合うとかじゃなくて普通に怖い」
清子は笑って元の声に戻った。
「吉田は足音と気配を担当して。メリーさんが本当に近づいてくる感じを出してほしいの」
「任せてください」吉田が頷いた。「段階的に音を近づけていきます。最初は遠く、だんだん近く」
「新田は?」
「電話を受けた人間から噂を広げます」新田が静かに言った。「夜中に知らない声から電話がかかってきた、という話を流します。それだけで十分です」
「十分なのか」
「夜中の怪電話は、それだけで怖い」
確かに、と聡は思った。内容より状況が怖い系の話だ。
「誰の家に電話を置くんだ」
「村長さんにお願いしたわ」清子が言った。
「また村長か」
「快く引き受けてくれたわよ」
「どうやって説得したんだ」
「この不思議な箱を試してみませんかって言ったら興味持ってくれて」
「怪電話が来ることは言ったのか」
「言ってない」
「言えよ!」
田中が電話機を作るのに半日かかった。
木と金属で作られた小さな箱に、受話器が付いている。呼び出しのベルも仕込んだ。二台作り、村長の家と、オカルトギフターズの家を銅線で繋いだ。
銅線は地面に埋めた。
田中と吉田が半日かけて掘った。
「お前ら体力あるな」
「錬金術でスコップ作ったので」田中が泥だらけの手を見ながら言った。「でも掘るのは手動です」
「ご苦労様」
「聡さんも手伝えばよかったのに」
「薪割りしてました」
「ああ」
二人は黙って頷いた。
夕方、試験通話をした。
清子が受話器を持つ。
田中が村長の家の電話のベルを鳴らす。
村長が受話器を取る。
「もしもし」
清子が声を変えて言った。
「今、あなたの家の近くにいます」
村長の悲鳴が銅線を伝わって聞こえた。
「部長、試験通話です」田中が言った。「本番じゃないので」
「分かってるわ」
「村長さんが泡吹いてます」
「後で謝っておくわ」
三日後の夜。
本番だった。
村長の家に電話を置いてから三日、新田が噂を流していた。夜中に知らない声から連絡が来ることがある、という話を。村人の間でその噂は広がっていた。
夜の十二時。
田中がベルを鳴らした。
村長の家で、ベルが鳴った。
しばらくして、恐る恐る受話器が取られた。
清子が静かに言った。
「今、村の外にいます」
悲鳴が聞こえた。
吉田が家の外で演出を始めた。遠くから近づいてくる足音。枝を踏む音。息遣い。段階的に、少しずつ近く。
田中がまたベルを鳴らした。
村長が震えながら取った。
「今、村の中にいます」
悲鳴が大きくなった。
吉田の足音が、家の周りを回り始めた。
田中が三度目のベルを鳴らした。
「今、あなたの家の前にいます」
受話器が落ちる音がした。
翌朝から噂が爆発した。
村長が全部喋っていた。
「昨夜、謎の声から三度連絡が来た」「声は少しずつ近づいてきた」「最後は家の前にいると言った」
新田は何もしなかった。
村長一人で十分だった。
「浸透率、九十一パーセントです」
「今回は早かったな」
「村長の発言力が高かったです」
聡は村長に少し申し訳ない気持ちになった。
ほんの少しだけ。
五日後。
夜中に、誰も鳴らしていない電話のベルが鳴った。
清子の家の電話だった。
全員が目を覚ました。
誰も動かなかった。
ベルは三回鳴って、止まった。
沈黙だった。
「……今、誰か鳴らしたか」
聡が言った。
田中が首を振った。吉田が首を振った。新田が首を振った。清子だけが、受話器をじっと見ていた。
「清子」
「出てみる?」
「出るな」
「でも」
「出るな」
清子は少し残念そうな顔をした。
聡は受話器を見た。
銅線の向こうに何がいるのか、考えないことにした。
翌朝、清子が言った。
「そろそろ仕上げましょう」
聡は覚悟を決めた。
三度目だったが、慣れなかった。




