井戸
口裂け女が出てから三日が経った。
村人は今や夜道を一人で歩かない。子供は日が暮れる前に家に帰る。酒場では毎晩、マスクの女の目撃談で盛り上がっている。
オカルトが、根付いていた。
聡はそれを複雑な気持ちで眺めていた。自分たちがやったことだ。しかし自分の能力が関わっているとなると、複雑さの質が変わってくる。
窓の外を見ながらそんなことを考えていると、扉が勢いよく開いた。
「次行くわよ」
清子だった。
「早い」
「善は急げよ」
「善じゃないだろ」
作戦会議は宿の食堂で行われた。
清子がテーブルに紙を広げ、羽根ペンを持って立っている。いつもの光景だ。
「次は貞子よ」
「貞子」聡は繰り返した。「テレビから出てくるやつ」
「そう」
「この世界にテレビはない」
「だから作るのよ」
全員の視線が田中に集まった。
田中は既にメモを取り始めていた。
「作れます」
即答だった。
「テレビって、お前……構造分かるのか」
「錬金術は素材と完成形のイメージがあれば作れます。俺、テレビの構造は大体分かります」
「大体で大丈夫なのか」
「大体で大丈夫です」
聡は不安だったが、田中の目が本気だったので何も言えなかった。
「ただ」田中が続けた。「電波がないので映像は映せません。砂嵐だけになります」
清子が目を輝かせた。
「最高じゃない」
「最高か?」
「砂嵐だけ映るテレビよ?怖いじゃない」
確かに、と聡は思った。電気もない世界で突然砂嵐だけ映るテレビが現れたら、それは普通に怖い。
「で、そこから貞子が出てくる設定にするわけだ」
「そういうこと」清子が頷いた。「まずテレビを村人に見せる。砂嵐だけ映る不思議な箱として広める。そこに怪談を乗せる。井戸から這い出る女の話を」
「井戸は?」
「この村にあるじゃない」
確かにあった。村の中心に、古い井戸があった。
「吉田は?」
「井戸の周りの演出を担当します」吉田が答えた。「夜、井戸から音を出します。水音とか、引っ掻く音とか」
「新田は」
「テレビを見た人間から噂を広げます」新田が静かに言った。「砂嵐の中に顔が見えた、という話を最初に流します。そこから井戸の怪談へつなげます」
聡は全員の顔を見回した。
計画が、恐ろしいほど具体的だった。
「お前ら、手慣れてきてないか」
「二回目ですから」田中が笑った。
田中がテレビを作るのに丸一日かかった。
素材は村の市場で調達した。金属、ガラス、細い銅線。田中は一日中、宿の部屋に籠もって作業した。夜になって、完成した。
木枠に囲まれた、小さな箱。前面にガラスが嵌まっている。
田中が同時に作った太陽光バッテリーを繋ぐと、ガラスの中に砂嵐が映った。
ザーッという音と共に、白と黒の粒が激しく動いている。
全員が無言でそれを見た。
「……普通に怖いな」
聡が呟いた。
「でしょう」田中が胸を張った。「この世界の人間は映像というものを見たことがない。動く絵が箱の中に現れるだけで十分怖い。そこに砂嵐だけというのが余計に不気味です」
「音も怖い」
「ザーッていう音、なんか嫌ですよね」吉田が頷いた。「俺これだけで怖いです」
「お前が怖がってどうする」
翌日から田中はテレビを村の広場に持ち出した。
最初、村人は不思議そうに眺めるだけだった。動く絵が入った箱、という説明に首を傾げていた。しかし砂嵐が映った瞬間、空気が変わった。
「なんだこれは」
「箱の中で何かが動いている」
「音がする」
人が集まってきた。子供も、大人も、老人も。全員がテレビを囲んで、砂嵐を見つめた。
その様子を離れた場所から見ながら、新田が動いた。
人混みの端に立ち、隣の村人に静かに話しかけた。
「砂嵐の中に、顔が見えませんか」
村人が目を凝らした。
「……見える、気がする」
「井戸から這い出る女の話、聞いたことありますか」
村人が首を振った。
「夜、井戸の近くで音がするそうです。水を掻く音と、引っ掻く音が」
村人の顔が青ざめた。
新田は次の人間の隣へ移動した。
三日後。
村では二つの噂が同時に広がっていた。
砂嵐だけ映る不思議な箱の話。
そして、井戸から這い出る女の話。
吉田は毎晩、井戸の周りで音を出していた。水を掻く音。石を引っ掻く音。濡れた足音。演出として完璧だった。
夜、井戸に近づく村人はいなくなった。
「浸透率、八十七パーセントです」
新田が報告した。
「今回は感覚じゃないのか」
「感覚です」
「やっぱりか」
七日後。
村人の間で、砂嵐と井戸の話がひとつに繋がった。
誰が言い出したのかは分からない。
砂嵐の箱を見ていたら、井戸から這い出る女が映った。
そういう噂が立ち始めた。
「俺達、そこまでやってないぞ」
聡が新田に言うと、新田は静かに答えた。
「人は、繋がりたい話を自分で繋げます」
「お前がやったんじゃないのか」
「今回は何もしていません」
聡はしばらく黙った。
「……噂って、生き物みたいだな」
「そうですね」新田は少し間を置いてから言った。「だから面白い」
その夜。
田中が珍しく神妙な顔で聡のところへ来た。
「どうした」
「テレビなんですけど」
「なんだ」
「砂嵐の中に」田中が少し躊躇った。「顔、見えるんですよね。最近」
聡は田中の顔を見た。
「……お前が作ったんだろ」
「俺は作ってないです」
二人は黙って顔を見合わせた。
「清子に言うか」
「言ったら喜ぶだけです」
「……言わなくていいか」
「はい」
翌朝、清子が言った。
「そろそろ仕上げましょう」
聡は覚悟を決めた。




