第十六話 温室
「ヴィンセント、着いたぞ」
ゆっくりと歩き、目的地の温室に辿り着いた。俺は入り口前で足を止めると、弟に話しかける。
「こ、ここが……『おんしつ』ですか?」
弟は不思議そうに、目の前にある建物を見上げた。温室が見慣れない建造物だからか、弟は首を傾げている。或いは、硝子で作られた建物の実用性に疑問を持っているのかもしれない。
「嗚呼、そうだ。南の地方や気候の違う植物などを育てている。珍しい草花が沢山あるぞ」
俺は弟の疑問に答える。
序に、弟が興味のある草花についても説明しておく。温室を良く分からない建物という認識よりも、興味がある物が関係している建物であると覚えさせた方がいいと判断したのだ。これから弟は様々なことを見聞きし、覚えていく必要がある。その中には、城内の施設も含まれているのだ。
主要施設や部屋は勿論であるが、有事の際に使用する通路と罠の位置も覚える必要がある。非常用の通路は追手を撒く為にも、大変複雑な通路と大量の罠が設置されているのだ。その為にも記憶力は必須である。
弟に有事の際や非常事態が訪れることはないだろう。俺がそのような状況に陥らせないからだ。陥ったとしても俺が絶対に救い出す。
だが万が一に備えて、逃走手段を覚えさせておくことは大切である。俺の精神衛生上の安定を保つことが出来るのだ。
「めずらしい、おはな、いっぱい? ですか?」
「嗚呼。実際に観た方が早いだろう」
弟は俺の言葉を聞いて自分なりに、嚙み砕いて解釈したようだ。弟の言葉は正しい。だが、実際に見るのと、人から聞くのでは理解度は大きく異なる。俺は弟に頷きながらも、温室に足を踏み入れた。
「わぁ! え? すごい!」
ヴィンセントは温室の個性豊かな植物を目にすると、喜びの声を上げる。そして目を輝かせて、温室の中を眺めた。弟の様子に俺は頬が緩むのを感じる。矢張り、弟は植物への関心が高いようだ。植物に心を動かされているが、弟は俺の腕から身を乗り出すことはしない。 弟は忙しなく草花を目で追っているが、俺の服を握り締めている。万が一にでも、俺が大切な弟を落とすことはないが、興奮して暴れないでいてくれることは有り難い。
俺は温室内に設置されている、ソファーの下へとゆっくり歩く。
「気に入ったか? 此処には多種多様な植物があり、薬や食用にもなる。少しずつ覚えると良い」
「は、はい! たのしみです!」
この温室には単なる鑑賞用だけではなく、薬になる貴重な植物たちもある。その理由は有事の際に使用する為だ。その時が来ないことが一番であるが、王室は色々と面倒事がある。場合によっては、国内外から生命の危険が脅かされる場合があるのだ。
俺が居る限り、弟を危険に晒すつもりは毛頭ないが、知識は武器である。知っておいて損をすることはない。年相応にはしゃぐ弟の姿に、植物図鑑や薬学に関する書物も手配する準備を考える。必要ならば、専門家を呼ぶのも良いだろう。
「降ろすぞ、ヴィンセント。これから、人と会う」
「? ……はい」
ソファーに辿り着き、弟を柔らかいソファーの上に降ろした。弟は首を傾げながらも、少しの間をおいて俺の服から手を離す。すると、少し表情が暗くなる。
「案ずるな、何も心配いらない。これからお会いする方達は、我々の父上と母上だ」
「ちちうえ? ははうえ? ですか?」
弟はこれから会う人物たちに関して、緊張をしているのかもしれない。俺は弟を安心させる為に、これから誰に会うのか説明を口にした。
「嗚呼、ずっとお前と会うのを心待ちにしておられた」
不思議そうに両親の呼び名を口にする弟。戸惑いと慣れない口調だが仕方がない。弟が悪いのではない。弟を誘拐した輩が悪いのだ。呼称に関しては、これから慣れればいい。
「……ぼくに……あいたかった?」
「勿論だ。ヴィンセントが生まれる前に此処で、父上と母上とでお前について語らった。ヴィンセントの誕生を待ちわびていた」
戸惑い気味に、弟は自身の誕生に関して尋ねる。それに俺は力強く頷く。弟の誕生を一番待ち侘びていたのは、間違いなく俺だ。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。弟の小さな頭をゆっくりと撫でた。
「……えっと……ありがとうございます?」
首を傾げながら、弟はお礼を告げる。疑問形なのは、これで合っているのか分からないからだろう。自身の存在を肯定する言葉に関して、お礼を告げることが出来たのは良い進歩だ。
「……いらしたようだ」
「あ……えっと……」
温室に人が入って来ることを魔法で感知する。待ち人たちが来たようだ。そのことを告げると、弟は視線を泳がせ始めた。緊張しているのだろう。俺の服を小さな手が掴む。
「アレク? そこに居るのかい?」
足音が響き、植物の間から両親が姿を現した。




