百合子
捜査に当てもなく東奔西走し、十日ぶりに家に帰った新堂は服を脱ぎ散らかし気絶したように寝た。
「またその場で寝て・・疲れているのね」
百合子が彼の紺色の背広を持ち上げると、いつもの酒の匂いとつんと鼻を刺す慣れない臭いがした。
「あら?香水臭い・・まさかね」
頭を横に振りながら一抹の不安が過った。
「亮太さん、あの時のことはまだ覚えているかしら」
百合子が新堂と出会ったのは三年前。
大学生だった彼女は学生運動に参加していた。
その頃、大学では誰も彼もがヘルメットを被りゲバ棒片手に平和のため未来のためと昼夜糾弾していた。
ある日、百合子の大学で数百人もの機動隊が押し寄せる大規模な紛争が起こった。
学生は椅子や机のバリゲードをつくり、機動隊に火炎瓶を投げつけたり投石をしたり必死に抵抗していた。
その中で投げた火炎瓶が機動隊の一人に当たり、文字通り火だるまになったのがきっかけで機動隊が突撃し、もみくちゃになった。
廃墟同然になった大学の講堂の前で機動隊の応援で派遣された新堂は血塗れになって倒れていた。
ゲバ棒を持った百合子は息絶え絶えになっている彼に気づき、誰もいなくなった隙を見計らって近づいた。
看護学生の彼女はすぐさま彼の意識を確認して脈をとった。
「脈は問題ないみたい・・ここは危険です。こっちに隠れましょう」
朧げな意識の彼の腕を肩にかけ、講堂の控室まで運んで行った。
彼女は知らないが、新堂はその真剣な横顔を未だに忘れてはいない。
そして机の脚に凭れ掛けさせて水を飲ませた。
「・・ありがとう、君は?」
次第に意識がはっきりしてきた彼に百合子は明るくなった。
「百合子です。看護学科二年の野中 百合子」
「百合子君、大丈夫なのか?仲間に怒られはしないか」
扉の向こうでは学生と機動隊が揉める声がした。
雀斑だらけの鼻についた煤を掃いながら百合子は応えた。
「私は学生である前にナイチンゲールの道を歩む者ですよ。ここの大学が紛争が起こったのは初めてですが目の前に傷ついた人を見たらこんな争い、どうでもよくなりました」
彼女の立派な物言いに新堂は笑った。
「そうかそうか。君がナイチンゲールでよかったよ。平和のために誰かを傷つけるなんてナンセンスなのにな」
「はい。いつかこの争いも過去の古傷になるでしょうね」
それから百合子は大学を卒業し看護婦になり、晴れて新堂と同棲することとなった。
だが哀しいかな、身の丈に合わぬ幸せを手に入れた以上誰にでも纏わりつくであろう心理だが、百合子には不細工な自分は新堂にいつか捨てられるのではないかという不安が未だに心の中にこびりついているのだ。
彼が自分に優しくしてくれる分だけよりその思いが強くなっていく。
背広をハンガーにかけ、深くため息をついた。




