絹のハンカチ
ここまで走って来たのか、頭から湯気が出ている小平は濡れ布巾で熱を冷ました。
まだ焦りが残ったまま貴美江に言った。
「警視庁の奴から聴いたよ。君は一体、何をしたのだ?」
全裸の貴美江は冷めた目でぽつりと応えた。
「あたし・・なにもやってない」
鞄から例のモンタージュを取出し、彼女の目の前に突きだした。
「連続殺人犯の顔だそうだ。寸分違わず君じゃないか!」
「他人の空似じゃないの?この髪形の女なんてたくさんいるわよ」
よそ見する彼女に詰め寄った。
「本当のことが知りたいんだ・・お願いだ教えてくれ」
「だから何なの!」
しつこい彼に貴美江は苛立った。
「私はもう長くはない」
鞄から薬を取り出した。
「まさか・・」
「そうだ、末期のガンだ。今でも体中に痛みが走っておる。ついにこの間、医者に見放されてな」
脇腹を押さえながら寂しそうに笑った。
「じゃああたしからひとつ。あたしが撒いたあのお金って誰のものだったの?」
「あの金は国会議員の給料から取ったものだ。あんな椅子にふんぞり返っている奴らに使われるくらいなら一生懸命生きている国民に分けたくてな。君は私の願いを叶えてくれた感謝している」
「そう、じゃあ貴方の問いに答えるわ。たぶん信じてはくれないだろうけど」
貴美江は小平にすべてを話した。
彼は始めこそ驚いていたがやがて納得した。
「君が話したことは現実離れはしているが信じるよ。今まで辛かったな」
貴美江は手を握られ涙を零した。
「もう時間だ。また会おう」
小平は絹のハンカチを渡し、部屋の扉を開けた。
涙を拭きながら貴美江はもう二度と会えない予感がしたが、声にならなかった。
重たいドアが閉まり、一人になった貴美江は壁に凭れ、大きく溜息をついた。
天井を見つめ、ぼんやりと少女だった頃のことを思い出していた。
「やだやだ、一人じゃロクなこと考えないわね」
所変わってここは新宿の洒落たバー。
落ち着いたこの空間を裂くように、周りにグラスを囲んで虎になっている男がいた。
「こらこらお客さん、飲みすぎですよ」
「ばかやろう!のまないとやってられないんだよ。明日は休みなんだのませろ」
例の殺人事件のことを思い出してしまいやりきれなくなった新堂はひとりヤケ酒をして酔い潰れていた。呂律のまわらない独り言を一通り叫んで背中を丸めカウンターで伏せた。
そのとき貴美江が店に入り、彼の有様を見てしまい着ていた夏物のカーディガンを彼の大きな背にかけた。
「また会えたわね、新堂さん」
意識が朦朧としている彼は隣にいる女があの富子であると認識する余裕もなかった。
鼻を真っ赤にしてバーボンを片手に薄ら嗤った。
「まったく覚えてないね、君は誰だい?」
「覚えてないならいいわ」
貴美江はふと目にしたグラスに自分の顔が写ったので目を逸らした。
「さっきから思うのだけど、なんで自分の姿から避けているんだ?」
さりげない彼の言葉にどきっとし、冷静を装おうとした。
「・・自分の姿は嫌いなの」
「こんな美人なのに?」
「あたしには醜く見えるの。それだけ」
「変な女だな。これだけおかしなことを聴いたらもう二度と忘れないだろうな」
貴美江は微笑んだ。
「もう忘れないでよね」
「変な女だな、恋人でもないのに」
「そうね、変ね」
二人は互いの顔を見合わせて笑った。
それから朝日が薄ら昇る頃に別れた。




