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霧森孝司×鈴 『おまえでなければ』

 撮影は順調に進み、終了まであと二時間といったところでもう一度衣装替えがあった。次に孝司を対応したのは鈴ではなく、彼女の後輩の若い女だった。孝司は動揺もあって、とっさに名前が出てこなかった。スタッフに義務づけられているIDカードに目を走らせた。そこには内田美弥、と名前があった。


「次、私服D」

「えっ、でぃー? えっと、えっと」

「黒ジーンズ。上がアクセつきの英字のTシャツ。急がなくていい。セットになってるだろ、間違えずに持ってきて」


 内田が戸惑うのを見て、孝司はすぐに詳しい特徴を伝えて訂正した。鈴にしか通用しない略称だったのだ。後輩に任せていくなら引き継ぎをしておけ、と思う反面、鈴は孝司のストレスを軽減するために工夫していたのだろうかとうことに思い至った。撮影現場にいる時はシーンナンバーを控えてすぐに衣装を用意していたし、服を示す暗号を作ったのも、説明して正しいかどうか確認する時間を減らしたかったのかもしれない。

 心地よく仕事が出来るかどうかというのは周囲の環境に左右される。どんな仕事でもそうだろうが、孝司の仕事は自分の身体を使って表現することだから、その時の状態が如実に出るだろう。

 出会ってから三年弱ほどの時間は、嘘をつかない。彼女は孝司の性格も理解した上で仕事をしている。鈴の代わりはいない。


 孝司は着替えを済ませてから、内田に「鈴は?」と聞いた。


「鈴先……、じゃなくて、石川は、その、本社に戻りました。鳴神さんと秦さんの衣装の輸送中にトラブルがあって、詳しい状況を確認するために」

「……ああ」


 内田の説明はたどたどしかったが、突発的な事故だったのだろうということは孝司にも理解できた。後輩に全てを任せ、慌ただしく出ていく鈴の様子が想像できる。

 彼女が唯一無二であるというのは、孝司だけのことではなく、『KISSME』というグループ全体に対してもだ。彼女が行かなければ解決しないトラブルがあるのだから。

 今の彼女は自分だけのものではない。


「こちらの現場の終了予定時刻には、一度戻ると言ってました」


 鈴は孝司との約束を忘れたわけではないようだ。


「分かった。ならいい」


 思わず口元が緩みそうになるのを手で隠しながら、孝司は楽屋を後にした。

 鈴は約束を守ろうとしてくれているのだろうか。時間が無いなら後日に回す方法もあるだろう、と呆れるけれど、約束を守ってくれようとする気持ちは単純に嬉しかった。





■ ■ ■





 事務所に戻った鈴は、事務員から詳しく説明を受けた。輸送中、高速道路での交通事故に巻き込まれ配達遅延となったという。幸い死者はいなかったが軽傷者がいるほどの事故だ。衣装を載せたトラックは貨物に衝突を受けたらしく、輸送貨物の損失度合いの確認が取れないという。

 早急に代替物を用意しなければならないだろう。該当の衣装は明日使用する予定のものでまだ時間に猶予はあるが、確認を待って、もしも使用不可の状態であったなら待ち時間を無駄にすることになる。

 損失衣装についての補償の打ち合わせも並行してやるべきだが、明日の衣装の確保が優先度は高い。商品の取り違えであったり輸送中の人為的紛失であるならば取引先に過失があるが、事故は誰にも予測がつかないことであるから責任を問うのは大変そうだ。衣装の用意なら自信はあるが、取引は鈴には向いていない。


「石川ちゃんー。おつかれさま。悪かったね。忙しいとこだったでしょー」

「平良さんこそ、お疲れ様です。わがままを聞いてくださってありがとうございます」


 鈴は腰を折って、深く頭を下げた。平良は鈴が孝司に掛かりきりになって、他の現場を担当出来ない代わりをしてくれている。

 彼は鈴と同じ事務所専属の衣装担当部署に所属しているが、鈴が入社するずっと前から働いている大先輩だ。最近は現場ではなく、デザイナーとして、KISSME以外のアーティストを手掛けることが多くなっていた。

 だから、多忙なスケジュールの中、現場に出てくれるのはありがたい反面申し訳なくもある。


「いやいや、石川ちゃんのステップアップの為だからねえ。何ごとも勉強、経験だよ。やってみないと分からないことってあるでしょー?」

「はい。毎日が新鮮で、勉強になる現場です」

「うんうん。こっちは心配しなくていいからねぇ。シオンの機嫌が悪いとか、宗佐が寝てばっかりで起きないとか、美有貴が学校で補習を受けてるとか全然大したことは起きてないから」


 のんびりした口調で、穏やかに微笑みながら平良は言った。内容を聞く限り、大したことのような気もするのだが、現場にいない鈴に言えることは何もない。「はあ」と曖昧な相槌を打つことしかできなかった。


「もう終わった? これからご飯でもいかない?」

「あ、すみません。まだ輸送中の衣装の補償額が決まっていなくて」

「石川ちゃんそういうの苦手だよねー。俺に任せといて、あとで総務のやつとやっとくから」


 自分でも向いていないと思っていたからこの申し出はありがたい。なんでもかんでも甘えるのはいけないとは思うが、お願いすることにした。


「だから一緒行こうよ、ご飯」

「すみません。まだ映画撮影中なんです。こちらが終わってすぐに現場に戻ろうかなと思っていたんです。美弥ちゃんも残して来ちゃいましたし、はやく行ってあげないと」


 代わりに現場に出てくれたこと、後処理を代わってもらったことも合わせると、お断りせずに付き合わなければならないだろうが、まだ仕事の途中だ。

 日を改めてもらったえば、時間を気にしないで済む。慌ただしくなるより、ゆっくり仕事の話でもしながら食事をするほうが、平良とならいい気がした。


「そっか、内田ちゃんが残ってるんだ。じゃあはやく行ってあげないと心細いだろうね」

「後で必ず埋め合わせに、なにかごちそうさせてください」

「あはは、オッケー。期待してる」


 平良は気分を害した様子もなく、快く送り出してくれた。

 穏やかで後輩思いで、いい人だなと鈴は思う。デザイナーとして着実に名前が売れてきていて、事務所外のアーティストからも乞われたりすることがあるらしい。

 出来る先輩の成功を見ていると、身が引き締まる思いがする。


 鈴はKISSME以外のアーティストを手掛けたことはないし、これから手がける機会もないだろうけれど、自分に出せる最高のものを彼らに捧げようと思っている。変わらずにKISSMEを支える仕事が出来る。それだけで、鈴は充分だった。





■ ■ ■





「それってデートじゃないんですか?」


 美弥の一言に、鈴は首を傾げた。


「仕事終わりにご飯ご一緒しましょうねって、それだけだよ?」

「でも二人きりでってニュアンスじゃないですか。アフターファイブのデートの約束ですよ、それ」


 午後五時に終わるとは限らないこの業界でアフターファイブとは言わないのでは、と鈴は思ったけれど、美弥は本気の顔だ。きりっと意思の強そうな眉を吊り上げ、興奮したように目を見開いている。


「平良さんとわたしだよ? デートなんて、そんなそんな。ないよー。畏れ多い」

「全然ありますよ! 癒し系カップルだもんありますよ。同じ部署で付き合いが長くて、恋愛に発展。あると思いますっ」

「い、癒し系?」


 鈴は口の端を引きつらせた。穏やかな平良を癒し系と称するのは分かるが、カップルと言うからには自分も入っているのだろうか。やめて欲しい。

 反論したいが、一昔前の芸人のネタのような言い回しを使いつつ力説する美弥に口をはさめない。言いたいことを飲み込んで、深くため息をついた。


「仕事終わりに一緒になることが全部デートになるなら、仕事付き合いって言葉は生まれないよ」

「だってそれは、男同士の間での言い回しですもん。女性が働くのが当たり前になったって、ね。男ばっかりが働いてた時代は消えないし。男女二人きりじゃ、やっぱり色々誤解生みますよ。鈴先輩がそんなつもりなくても」


 鈴の独り言に、いくらかクールダウンした美弥が答えた。なるほど、当人同士がそのつもりがなくても、他人にはそう見えてしまうということなのだろう。

 ふと、孝司との約束を思い出した。この現場が終わってから、服を見に出かけようという話をしていた。それも、多分二人きりでだ。


 鈴にはそんなつもりはなかったし、孝司だってきっと空いた時間を有効活用しようというくらいの、暇つぶし的な意味合いでしかないはずだ。けれど、美弥が言うには、男女が二人きりでいるところを見て、誤解を生まないとは限らないらしい。

 しかも、一人は人気アイドルである『霧森孝司』だ。もし、万が一にでも誤解を生んだら。

 シオンがたまにお世話になるゴシップ誌が喜んで食いつくだろう。


 まさか自分が、彼の相手になると考える人間はそうそういない――と、鈴は思う。釣り合いがとれなさすぎるからだ。

 せいぜい、姉弟とか。従姉弟とか。業界に精通している人なら、鈴が衣装担当であることも知っているかもしれない。

 気を付けていれば、大丈夫だろうか。そんな考えが鈴の中に生まれた。


 服を選べず困っているという孝司にアドバイスがしたい。何か役に立ちたい。鈴の考えていることは、いつも通りだ。


 けれど、鈴のなかには、仕事モードではない孝司と二人きりで話がしたいと思う気持ちも隠れていた。

 そうでなけば、孝司の邪魔になるかもしれない危険を冒して、彼の役に立ちたいなんて矛盾が許されるはずがない。

 鈴は自分自身でも気づかぬうちに、矛盾を飲み込んで自分を正当化していたのだった。





「孝司くん、お待たせしました」


 撮影所からほんの少し離れた、全国チェーンのコーヒーショップの窓際で、孝司は待っていた。鈴がテーブルに手をついて声を掛けると、イヤホンを外しながら気だるげに顔を上げた。


「お疲れ。悪かったな、トラブルだったんだろ」

「いえいえ、大丈夫ですよ。今日もお疲れ様でした。邪魔しちゃいましたか? そのアンケートが終わるまで、待ってます」


 孝司の目の前、机の上には今週しめきりのバラエティ番組アンケートが載っていた。音楽を聞きながら書いて待っていたらしい。


「あー、いや。まあ、どうでもいいんだけど。そうだな、じゃあ、五分待ってろ」


 孝司は鈴の顔とアンケートを見比べ、うなじのあたりを擦りながらため息をついた。向かいの席に座れと目で示されたので、大人しく席に座って待つことにした。

 しばらくして、店に入ってきたのに何も注文していないのに気づいてブレンドコーヒーを頼んだ。飲み終えるまでには、孝司の仕事も終わるだろう。


 軽食しか出さない店で、夕食時だというのに店内はほとんど席が埋まっていた。孝司がいるのには誰も気づいていない様子だった。

 ホッとするが、不思議でもある。鈴が仕事で毎日会っているから鈍感になっているだけで、アイドルがすぐ傍にいるとは考えにくいのだろうか。

 テレビや、映画館や、雑誌で見る人間だから。


「結局、トラブルって何だったんだ?」


 アンケートを書きながら、孝司が尋ねた。鈴は落ち着きなく周囲を見ていた顔を慌てて正面に戻し、「ええと」と言葉を探す。


「衣装を積んだ車が交通事故に巻き込まれて大破したそうです。積荷の無事が確認できないので、代替品を用意することにしました」

「は!? 大事故じゃねえか」

「はい。幸い、死者はいなかったそうですけれど。その後の詳しいことはちょっと。事故のことより、衣装のことを考えてましたから」


 自分で話していても、人間としておかしい気がする。


「まあ、そういう仕事だろ。仕方ねーよ。まあ、帰ってこれたんならなんとかなったのか。よかったな」

「はい。あ、でも、平良さんに少し任せてきてしまったんです。他にも平良さんには色々ご迷惑を掛けてしまっていて……」

「この現場の仕事してるからだろ? 悪いな」


 アンケートから顔を上げて、孝司が申し訳なさそうに言った。切れ長の目の奥の、澄んだアンバーの瞳にじっと見つめられてうろたえた。手を振り、頭を振り、全身で謝らないで欲しいと訴える。


「え、そんなそんな。わたしが決めた事です。孝司くんがそんなふうに思うことじゃないです」

「いや。なんつーかさ。さっき、内田だっけ、お前の後輩だけになったろ。なんか違ぇなって、お前じゃなきゃこんな違うんだって思ったんだ」


 孝司はそっと目を逸らし、頬を掻いた。


「お前に助けられてんだって。すげえ思ったんだ。この仕事やってるから出来ない仕事ってのが出てきてて申し訳ないっつーか、それでもこの仕事をお前にやって欲しいから、申し訳なく思うっつーか。いや、でも謝んなって言うならこれは違うよな」


 綺麗に生えそろった長い睫毛が、忙しなく瞬いた。そっと目が伏せられ、しばらく沈黙が続く。

 鈴が何かを言おうか唇を震わせたとき、かっと孝司が目を見開いた。思い切ったように、正面から見据えられる。


「いつもありがとな」


 思いがけない一言に、鈴は頭が真っ白になった。なんて答えたか覚えていない。意味のある言葉にはなってなかっただろう。


「ほ、ほら、もういい。行くぞ」


 孝司も照れ隠しでか、乱暴な手つきでアンケートや筆記用具をしまうと、鈴を急かしてさっさと店を出ていってしまった。

 入り口で待つ孝司に置いて行かれないように、カップに残っていたコーヒーを慌てて飲むと、溶けきっていない砂糖の塊が底に残っていた。甘ったるくて飲めたものじゃない。鈴は飲み干すのを諦めて、甘いコーヒーをそのままに席を立った。

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