秦宗佐×鈴 『あなたはやさしいから』
スターライト事務所の会議室Aでは、アイドルグループ『KISSME』担当のスタッフを集めたランチ会議が行われていた。コの字型に会議机が並んでいて収容可能人数は三十から三十五名。事務所内では一番大きな会議室だ。
会議は終盤で、冬のクリスマスイベントについての議題に移っている。
「衣装は――新作衣装にするの? 平良さん、石川さん、内田さん」
「いえ、今夏の衣装にアレンジを加える形でもいいかなと思ってます。『a bright smile』の揃いの水玉か、『君に贈る夏』の白のヒラヒラ」
「あの魚みたいなやつね」
「あはは……魚っていうか波ですねー」
霧森孝司と鳴神シオンの担当マネージャー・越智にボケられ、鈴は苦笑した。場が白けたところに、「賛成ー」と声があがった。のんびりな口調に似合う優しい顔つきの男性で、鈴の先輩、平良だ。
「石川ちゃんの案でいーと思いますよー。冬に着たら雪みたいで可愛くないですか? 俺の推しは白ヒラかな」
「え? 白ヒラメ?」
「やめてください、魚から離れて下さい」
平良の意見にのっかって、ちょっぴり間の抜けた漫才をしているのはマネージャーの越智と園山だ。わざとらしくボケたのが、越智。汚らわしいものを見るような目でスッパリ一刀両断したのが、秦宗佐と大伴美有貴を担当する園山だ。
二人とも仕事が出来る理想的なマネージャーなのだが、仕事のストレスからかたまに謎のテンションで話すときがある。ついていけるのは同じマネージャー同士の二人だけ。
「鈴先輩、越智さんと園山さん……どうしちゃったんですか?」
「だ、大丈夫だよ。えっと、二人流のコミュニケーションなんじゃないかな? いつもはもっと普通だよ」
入社して初めてまともに彼らに遭遇する内田美弥が怯えて耳打ちをしてきた。他の会議出席者は苦笑いをする程度で、深くかかわり合いにならないようにしている。ストレス解消の矛先にされても困るからだ。
「あ、いけねー。そろそろ時間だな。コバさん、締めてくれ」
時計を見るともう十四時目前だった。十五時から、『KISSME』が九月に放映予定の二時間番組を収録することになっている。また後日会議を行うこと、日程と議題はメールで通達することが確認され、この場は解散になった。
「鈴」
後で聞いたことだが、一度目に声を掛けられた時、鈴は気づけなかったらしい。
その時鈴は例の二時間番組収録の控室にいて、アイディアノートを広げて思いつくままの図案を考えていた。集中していると周りが見えなくなってしまうのはよくあることだ。声をかけた人物はまた無視される未来が見えて、彼女の注意を引くことを諦めて隣に腰を下ろした。そして鈴はそれすらも気づかなかった。
鈴は先の会議で話題になった『白ヒラメ』の衣装を冬用にアレンジするならどうするかを考えていた。
夏のライブは鈴ひとりだけがデザインした衣装ばかりではなかったけれど、冬は着る衣装が少ない。なぜなら事務所所属のアイドルやアーティストが他にも大勢出演するため、『KISSME』の出演時間には限りがあるのだ。
鈴はぜひとも自分がデザインした衣装を着てもらいたい、と思っていた。それはライブだから特別にそう思うわけではなく、自分が選ぶものがもっともふさわしいというプライドがあったからだ。
「クリスマスだから、やっぱり緑と赤も捨てがたい、かなあ。白だけだとインパクトに欠けるよね。舞台演出に負けちゃう。ラインを入れてみようかな? それともコートを着せてみる? 霧森さんにはジャケットに薔薇、シオンさんにはファーをつけて華やかに、宗佐くんはピーコート、美有貴くんにはダッフルコートで。……うーん、ヒラヒラが見えなくなっちゃうな」
舞台衣装と言うよりは、雑誌撮影やテレビロケの衣装になってしまった。それに、舞台の上であまり暑い格好をさせるのは演者にとって苦行になってしまう。
ノートの端にボツ理由をメモして、大きくバツを書いておく。
一度頭をリセットしよう、と顔を上げた鈴は、すぐ近くにあった大きな手のひらにギクリと肩を震わせた。
「鈴」
「なっ!? えっ、そ、宗佐くん」
宗佐は今の今までずっとノートを覗いていたらしかった。鈴が慌てて姿勢を正しノートを閉じても、宗佐の視線はじっとノートの表紙に落ちている。
「いつから見ていたんですか」
「ん……けっこう前?」
「え、声を掛けて下さったらよかったのに」
「……」
宗佐がふふ、と吐息を漏らして笑った。何がおかしいことを言っただろうかと鈴は首を傾げたが、宗佐からの追加の説明はなかった。
「もう番組収録は終わったんですか?」
「セット交換と、機材の調整で休憩」
「なるほど、そうだったんですか」
収録が中断しているなら、再開前に衣装を再びチェックしなくちゃいけないなと鈴は思った。シオンなら身だしなみのチェックは忘れないだろうが、見えなければいいと思っていそうな孝司のほか、宗佐や美有貴のような自然体で動く演者にはこちらが細部まで気を配っておく必要がある。
鈴は自然、宗佐の衣装をチェックした。収録前に調整したときよりもひとつボタンを寛げて、アンダーシャツがざっくりと見えてしまっている。たしかに見せたり色を足すためのシャツなのだが、あまり見え過ぎるのもよくない。
「スタジオ、暑かったですか?」
「……今日はどこも暑い」
「そうですか。……うーん。衣装選び失敗してしまいましたね。ごめんなさい。申し訳ないです」
言われてみれば、宗佐の頬がなんだか赤らんでいるような気がした。のぼせてしまったのだろうか。薄いドーランを塗ってもなお見えてしまうのだから相当だ。
体感温度は宗佐自身にしかわからないから、鈴にはなんとも言えない。もっと会話をして衣装を決めるべきだった。反省してもきりがない。
「うーん、なにかあったかな」
鈴はキャンバスバッグを広げて使えそうなものを取り出した。扇子とうちわ。たまに演者のスタンバイ時にADやメイクと一緒に使うのだ。演者の汗で困るのはメイク崩れだけではなくて、衣装の汗染みでの色の変化だったり、襟口の糊が取れてしまって形が崩れてしまうところにある。
宗佐の髪のセットを崩さないように気をつけながらうちわを扇ぐ。自然と身についたテクニックだ。
「汗は大丈夫ですか? そのままにしてしまうと風邪引いちゃいます」
扇がれながら、宗佐がふるふると首を振った。何も対策を取っていないのだ。予想していた答えだったので、鈴はすぐに自分の荷物の中からスカイブルーのタオルを取って手渡した。
「よかったらこのタオル使って下さい。あ、もちろん洗ってあって、今日まだ未使用です」
「……うん」
本当ならば演者用に用意したものを使うべきなのだろうが、生憎今すぐに取り出せるのは自分用のタオルくらいだった。KISSMEのグッズで発売されたタオルで、去年のツアーロゴが入っている。
宗佐は文句も言わずに、自分で衣装をめくって汗をぬぐった。ぺらりと露わになる腹筋は、家でゲームだけをやっている人間だとは思えないくらい引き締まっている。この夏はライブ活動に、映画撮影に、舞台稽古にと家にいる時間も少なかったらしいけれど。
そうだ。先の会議でマネージャー二人もなんだか余裕がないみたいだった。マネージャーたちが忙しいということは、演者もまた同程度に忙しいのだ。鈴が一緒にできる仕事の種類なんて限られている。鈴が想像できないくらいに彼らは忙しいに違いないのだ。
宗佐は平気なんだろうか。
「鈴……。ごめん。手伝って」
「あ。は、はいっ」
背中を拭くのを手伝ってほしいとのことらしい。鈴はタオルを受け取ると宗佐の後ろに回った。
「失礼します」
今日、宗佐の衣装はフェイクジーンズ地のシャツだ。下に着た白のアンダーシャツと合わせて爽やかでスポーティな印象になる。薄い二枚をめくると、腹筋と同じようにきれいに筋肉のついた背中が現れる。
近くで見ると、うっすらと汗をかいているのがよくわかった。肌を傷つけないように、叩くように汗を拭きとる。
「後半、同じ衣装で大丈夫ですか? 別でTシャツを持ってきてますから、Tシャツ一枚になっても構いませんけれど」
「……ん、ダメ。差し込みになるらしいから」
「あ……、それじゃ画が繋がらなくなってしまうからだめですね。着替えるのが一番いいと思ったんですが」
つまり、番組の前半と後半を既に収録済で、これから収録するコーナーは中盤に入るということらしい。前半と後半で衣装が違うくらいならば許されるが、中盤で一人だけというのは違和感の原因になる。
「申し訳ないです。いい方法が見つからないです」
「ううん、ありがとう。大丈夫」
「我慢させてしまってすみません」
ちょうど鈴の見えないところで、ふっと宗佐が笑ったような気配がした。座っているままの彼の顔を見るべく、上からちらりと覗きこんだがよくわからなかった。
役に入り込んでいるときはもちろん、カメラの前に出ている時の宗佐はずっと喜怒哀楽が見えるのに、今はさっぱり分からない。なぜだか鈴の前ではいつも宗佐は感情を見せてくれない。素でいてくれるのだろうか、とも思うけれど、美有貴や孝司、シオンたちに見せる顔ともまた違うのだ。
鈴の仕事は彼の魅力をぞんぶんに引きだす衣装を作ったりチョイスしたりすることだ。話もたくさんしてきたし、彼の仕事ぶりもチェックしている。一緒に仕事をするたび、話をするたび、分からないことが増え、比例して彼のことをもっと知りたいという欲求が膨れあがってきている。
他の三人のメンバーに大して持ったことのない何か特別な好奇心の芽が鈴のこころに生えてきている。
「宗佐くん、終わりました」
最後に首筋をぬぐい、襟を確認してからさっと手を引いた。タオルはすっかり濡れてしまったが、裏を返せばそれだけ彼が汗をかいているということだ。用意したときに体感温度まで思い至らなかった自分が悔しい。
「ありがとう。たすかった」
「次も暑いでしょうが、よろしくお願いします。水分、しっかり取ってくださいね。次はわたしもスタジオに入っておきますので、何かあったら言ってください」
「うん、わかった」
「最近お忙しかったでしょう? 体調にくれぐれも気をつけてくださいね」
不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせる宗佐に対し、先ほどの会議で越智マネージャーと園山マネージャーのテンションがおかしかったと話す。
「……鈴もだ」
「わたし?」
「さっき、調子悪そうだった」
「えっと」
調子が悪い、と言われて首をひねる。今日の宗佐の服選びは失敗したが、そのことだろうか。鈴が尋ねると、宗佐はふるふると首を振って、彼が一度呼びかけたときに気づかなかったのだ、と教えてくれた。
「それと、絵」
「絵って、デザイン画のことでしょうか」
「そう。鈴の絵が、いつもと違う――気が、する」
一度きっぱりと断言し、後付けで自信なさげな仮定の言葉が続く。なるほど、宗佐は何度か鈴のデザイン画を見たことがあるから、比べることはできるだろう。だが、一目見ただけで分かるほど、劇的に変わっているものだろうか。
鈴は宗佐に見えるように先ほどまで描いていたページを開く。大きくバツをつけたボツの構想画だ。鈴本人には幾度となく描いてきた自分の絵と変わりないように見える。
「これ、どこか変ですか? もともと考えながら描いていたので確かに人に見せるクオリティじゃないですけれど」
「うまく、説明できない。あなたが、わからないなら、……あなたのせいじゃない、のかもしれない。俺が悪いのかもしれない」
「宗佐くんのせい?」
「俺の目が、勝手にそう見てる、だけ、なのかもしれない……でも」
宗佐の大きな指が、鈴の絵の中央をなぞった。ちょうど、宗佐のデザイン画がある部分だ。鈴はそっと宗佐の表情を伺った。ほんの少しだけ、寂しそうな瞳とかちあって、ずきりと胸が痛む。
「あなたはやさしいから」
急に宗佐の腕が伸びてきて、鈴の身体をすっぽりと包んだ。
「っ……! そ、そ……うすけく――」
ぎゅっと胸に押し付けられるくらい強く抱きしめられて、文句を言うことも暴れることも、息をすることさえ叶わない。鼻腔いっぱいに宗佐のにおいに包まれて、心臓が飛び出そうなくらい狂ったように鼓動している。
「鈴は、俺のことを誤解してる、たぶん、ぜったい」
鈴の額にそっと口づけてから、宗佐はゆっくりと離れていった。
ようやく見えた宗佐の顔は、やっぱりよくわからない表情をしていた。
どういうつもりだったのか、どういう意味があるのか、どこが変だったのか、何を誤解していると思うのか。鈴の頭のなかはどうしてと疑問符で吹き荒れている。また、宗佐のことで分からないことが増えてしまった。
「宗佐くん……あの」
「時間だから。行かないといけない」
まるで時間でなかったらずっと抱きしめていたと言わんばかりの口調で淡々と告げ、宗佐はさっさとスタジオに戻っていってしまった。
遠くからバラバラな人の足音が複数聞こえてきた。本番が近いのは本当らしい。次こそは行くと言ったけれど、どうにもすぐに行く気にはなれない。
鈴はぼんやりと、『いつもと違う』らしい、宗佐用のデザイン画を見つめた。




