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【海編】美有貴×鈴 『海中』

「鈴ちー、ぼくと一緒に泳ごうよ」


 美有貴に誘われて、鈴は二つ返事で了承した。すでに撮影は終了し、スタッフたちも含めて海水浴を楽しんでいる。大人たちが子どものようにはしゃいでいる姿を見て美有貴は、「うわ、超楽しそー」と羨ましそうに言った。語尾が弾んでいて、内心早く遊びたいと思っているのがよくわかる。鈴はこっそり笑った。


「む? 何笑ってるの?」

「あっ、ごめんなさい。なんでもないんですよ」

「もー、自分だけ笑ってるなんてずるいなあ」


 美有貴は拗ねたように唇を尖らせ、つーんっとそっぽを向いた。機嫌を損ねてしまったのかもしれない。


「美有貴くん、あの」

「――あっ! ここだ、ここ。鈴ちーこっち来て」


 言い繕おうとした鈴の台詞をかき消し、突然美有貴が声を張り上げた。


「えっ!?」


 美有貴が鈴の手を掴んだ。ぐいっと引っ張られ、足をもつれさせながら必死でついていく。


「あのね、こっち側に行くと深いとこがあるんだー」

「え、深いところ?」

「うん。潜ったら絶対楽しいよ」


 砂を踏むだけだった足がぴちゃっぴちゃっと水をはね上げた。足湯みたいに温かいなと思ったが、深くなるにつれだんだんと冷たさを感じるようになってきた。

 足にかかる抵抗が大きくなっていき、満足に動けなくなる。胸元までの深さになり、鈴の水着の胸元についたレースがぷかぷかと水面に浮いた。


「美有貴くん、まだ行くんですか? 足が着かないと不安です……」

「大丈夫だよ。ぼくに任して。手、離さないでね! ぼくが支えててあげる」

「は、はいっ」


 鈴を振り向いて確認しながら、美有貴が頼もしく胸を張った。繋いだ手が水の中ではすぐに離れてしまいそうな気がして、ぎゅうと強く握る。

 美有貴の手は小柄な体格に合わせて小さかったが、それでも鈴の手とはつくりから違う。ぷっくりと肉つきのいい子どもみたいな柔らかさの下に、ごつごつした骨格が繋いだ手からよくわかる。

 少年らしさと大人のちょうど境目を体現しているような気がした。それは何も手だけではなくて、鈴はこの三年間彼が成長していくのを間近に見てきた。身長が少しずつ伸び、顔つきがすっきりとして、子どもの愛らしさが抜けてきている。

 今日だってマドラスチェックの水着を選んでみたけれど、また違う水着を着せてみたいような、そんな気分にさせたのだ。彼は気づいているかどうかわからないが、彼の身体が作り出すものが変わっていっている。


「鈴ちー、見て見て。けっこう遠くまで来たよ。みんなあんなに小っちゃいもん」


 言われるままに振り向くと、浜辺にちらほらと見える人がまるで小玉ビーズみたいに色とりどりな影になって砂と海の境目を彩っていた。目を凝らしてみても、誰が誰なのか判別がつかない。


「わ、ホントに小さいですね。もう少し先まで行くと見えなくなっちゃいそう」

「えへへ、じゃーもちょっと先まで行こうか」

「もっと?」


 自然、不安に満ちた心のうちが言葉に滲んでしまう。


「ヘーキだって! 泳いでいくの」


 美有貴の身体が、ふわりと水に浮いた。砂を蹴り鈴の手を支点にすいーっと近付いたり、離れたりする。海中での生き生きとした動きがまるで魚みたいだと鈴は思った。

 一度手を離すとその動きは自由さがぐっと増した。少年の姿かたちをした魚は鈴のまわりをくるくると回り、ぴょこんと顔を出してはまた離れていって遠くで手を振ったりした。

 海中ももはや美有貴にかかっては広い遊び場に過ぎない。何者にも縛られず泳ぐ美有貴の姿は、ライブの本番でステージを所狭しと駆けまわる姿によく似ていて、鈴の心を躍らせた。


「鈴ちーも泳いでおいでよー。超きもちーよ!」


 おいでおいでとアピールする美有貴の足元には、おそらく今鈴が踏みしめているような砂の足場はないのだろう。ゆらゆらと揺らめく水の流れにふと身を任すだけで、すぐに身体の自由を奪われそうな海を、自分は泳げるだろうかと鈴は思う。

 美有貴が試してみせることで、鈴の好奇心は高まった。けれども一歩を踏み出す勇気はなかなか出てこない。


「美有貴くん、やっぱりわたしにはできないかも――」

「あ、わかった。約束だったね。こうやっていこー」

「わっ」


 美有貴はするすると流れるように鈴に身体を寄せた。向かい合わせになってもういちど手を繋いだ。右手は左手と、左手は右手。今度は両手を合わせてぎゅっと握る。


「手繋いで泳げばヘーキだよ。一緒に行こって言ってたもんね」


 美有貴のしなやかな足が、海中で砂を蹴ったのがわかった。ぐんと引かれるようにして、鈴の身体がゆっくりと水に浮いた。

 勇気はきっと誰かにほんのすこし助けてもらうだけでよかったのだ。今回は美有貴が手を繋いで、無理矢理に似た形で踏み出してしまったけれど。その後は支えてもらうだけで、牽引してゆく力は美有貴にはなかった。進むには自分が動くしかないのだ、と鈴は思った。

 沈んでいきそうな身体を浮かせるために必死でバタバタと足を動かすと、その度にぐんっと視界が前へと動いた。後頭部と背中に波を受けながら進む美有貴とは進むリズムが違っていて、動くたびに密着してしまいそうになった。


「えへへ、どきどきするね」

「ドキドキ、ですか?」

「だって、もう誰も見てない遠くまで来て、こんなに近くにキミがいるんだもん。どきどきしないわけないじゃんか」


 浮きまで到着して、美有貴はそんなふうに照れたように笑った。


「ぼく、またキミとこうやって、二人っきりで遊びたいな。きっとどきどきして、わくわくして、楽しいよ。また来ようね」


 海面に表れた自然な波の動きに、鈴と美有貴が作り出す揺らめきが混じり合った。昼下がりの太陽はキラキラと水に反射して七色に光って、美有貴を照らしだしていた。

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