【海編】宗佐×鈴 『浜辺』
撮影本番とその撤収作業が問題なく終了した。ビーチでは、波打ち際で波に揺られたり、砂浜で寝転がったり、マリンスポーツで白熱した戦いが繰り広げられている。
子どもたち――というには大きすぎる海の遊び人は、撮影に携わっていたスタッフたちだ。連日の仕事にストレスと疲労が溜まった者を癒そうとか、また部署や社が違っても交流を促しより連携を高めよう、などという表向きのそれらしい理由づけはあったが、遊びたいから遊んでいるというのが正解だろう。どれだけ年齢を重ねようが、彼らは大きい子どもなのである。
鈴もまた、大きな子どもたちの輪のなかに入ろうとしていた。持参したビーチボールを膨らまそうと四苦八苦していた。どれだけ膨らまそうと息を吹き込んでも、頬の中に溜まるだけで一向にボールのなかに入っていかないのだ。
「鈴」
ちょうど頬がぱんぱんに膨らんでいたときに声を掛けられて、びっくりしてむせてしまった。ごほごほと咳を繰り返していると、大きくて温かい手のひらが心配そうに鈴の背中をさすってくれる。
「だいじょうぶ?」
大きな男の足と、サイドにドットのラインが入った、シンプルだがポップな印象のある水着が見えた。鈴が今日の撮影で選んだもののひとつだ。
「す、すみません……、宗佐くん。もう大丈夫です」
「これ、膨らませたかったの」
宗佐はそう言って鈴の手からボールを取った。直径三十センチほどのトリコロールカラーのビニールボールは、まだ三分の一ほどしか膨らんでいない。
「はい。頑張ったんですが全然膨らまなくて。空気入れ持ってくればよかったです」
まさかこんなに空気を入れるのに時間がかかるとは思ってもみなかった。水着を買ったときに購入した新品のボールだったというのも原因かもしれない。
「家で試しに膨らましてみるべきでした。水着は一度着て洗っておいたんですが、ボールまでは考えてなくて――って、宗佐くん!?」
鈴は驚きに目を丸くした。じっとボールを見つめていた宗佐が、突然空気口をくわえたのだ。
「俺ならできる」
「で、できるって……あの」
自分が一度口をつけたところなのですが、とは指摘しづらくて黙り込む。恥ずかしいし申し訳ないと思ったが、起こってしまったことだから指摘しても仕方のないことだ。
あれだけ苦労した頑固なボールが、宗佐が一回吹きこむだけで見る間に膨らんでいく。あっというまにはち切れそうなほどになった。
「も、もう出来ちゃった。すごいですねえ」
空気口を留めて球体内に押しこんでいる宗佐にそれ以上の感想が出てこない。肺活量の差だろうか。傍からみてすぐに分かるほどの体格差があるとはいえ、こうも違うのだなと思い知らされる。
差し出されたボールを「ありがとうございます」と受け取ろうとしたのだが――
「へっ?」
まるでいじわるをするかのようにひょいっと頭上高く掲げられてしまった。鈴の口から間抜けな声が出た。
「もう少し、俺、あなたといたい」
「えーっと、それは」
つまりビーチボール渡したら遊びに行くだろうから渡さない、ということだろうか。
「俺、あなたと一緒にいたいんだ。だめ?」
甘えるように聞かれて、断ることのできる鈴ではない。
宗佐に連れられて人の多いロケ場所周辺から離れるように歩きだす。
「美有貴くんと遊ぶっておっしゃってませんでした?」
「やめた。スイカ割りに勝ったから」
スイカ割りに勝利することと予定変更の関係性はまったく分からなかったが、宗佐の中では論理が通っているのかもしれない。
「勝ち負けがあったんですね」
「うん。割れたら勝ち」
「宗佐くん本番前に素振り練習していらっしゃいましたもんね。あの勢いで振ったらスイカもすぐ割れてしまったでしょう」
「ううん。二回空振りして、三周目でやっと当たったんだ」
「あはは、そうか、目隠ししてたんですもんね、当てるの難し――きゃ」
ぱきりと、ビーチサンダルがなにか固いものを踏んだ。つんのめって前に倒れかけた鈴を宗佐の腕がさっと受け止める。
「すみません。ありがとうございます」
足の下にあったのは合わせ貝の一部だった。小さく、表面が派手な半輪状の模様をしていて、内側は光沢のあるベージュ色だ。名前は分からないが、砂に隠れて見えにくいところはどことなくアサリに似ている。
「貝だ」
「はい。撮影前に目立ったものは取り除いたはずなんですけど……ここまでは来なかったんでしょうか」
貝を拾って周りを見渡せば、ロケ場所からずいぶんと離れてしまっていた。海水浴を楽しんでいるスタッフたちの姿が遠くに見えた。波のさざめきの合間に、時折かすかな笑い声が聞こえてくる。
「小さいから、見つけられなかったのかもしれない。だって、鈴だって踏まなかったら、気づかなかった」
頭上高くある宗佐のうなじに汗が伝っている。
「シオンは海が嫌いだって言うけど、俺は、好きだな。大きいから。強くて、温かくて、優しい感じがする」
潮のにおいを絡めた風を受け、はたはたと鈴のパーカーが膨らむ。
鈴の手のなかの貝は不思議としっとりと濡れていた。二枚合わせが重なっているのが正しく、一枚の、それも破損した一片しかないこの貝は、もう生きてはいないはずなのだ。なのに、なぜかいままさに息づいているような、そんな錯覚に陥る。
貝殻はその存在が生きてきた時間をそのまま表すことができるという。だからそのひとかけらだけで、自分の存在した時間を語っているように感じるのだろうか。
そして貝が――また他の存在が生きてきたのは目の前に広がる海なのだ。
「そうですね。いろんな生物が海から生まれた、って言いますもんね。なんだか――」
「鈴みたいだ」
「えっ!? わ、わたしですか!?」
鈴としては『お母さんみたいだ』と言おうとしたところを、自分の名前を出されて驚いた。母親っぽいと言われてしまったような気がして複雑だ。あまり意識することはないが、宗佐は鈴よりも二歳年下だ。その年齢差はけして縮まることがない。
「だって、温かくて優しいから。俺を見てくれるから」
「見てくれるって?」
宗佐は鈴の手のなかの貝を見て、しばらく言葉を探すように黙り込んだ。ふっとなにかに気づいたみたいに、鈴の全身を見た。
「水着……」
「みずぎ?」
「スク水じゃない」
「あはは……はい。買ってきました」
どうやら話が変わってしまったらしい。あくまでもスクール水着に拘る宗佐に、鈴は苦笑いした。
鈴が選んだのはもちろんスク水でも、ニガテ意識のあるワンピースタイプでもなく、チューブトップタイプのビキニだ。今まで気づいていなかったのか、と鈴は思った。ボトムはスカートになっていて、太ももと足の付け根を隠せるのが嬉しい。その代わり上半身の露出が多いので、パーカーでカバーしている。
「どうなってるかわからない」
「う、だめです、そんなに見ちゃダメです」
好奇心の強い目にじーっと見つめられ、慌ててパーカーを掻き寄せ肌を隠す。「あ」と残念そうに宗佐がため息を漏らした。
「見ちゃダメだったのか……」
「あ、いえ、見ていただくために買った? というところもなくはないんですけど、ええと、その」
「じゃあ、見てもいいんだ」
「うう」
水着を購入したのは宗佐たちに言われたからだ。つまり、宗佐たちに見てもらうのを前提で水着を着ている、ということになる。見られるために着たくせに、見てはいけないというのは違う気がする。が、じっと見ていられるのははずかしいし……、ぐるぐると訳の分からない思考の迷路にはまりこんでしまう。
「あなたが、俺に、してくれているみたいに。俺も、あなたのことを、知りたいと思う。だから、あなたのぜんぶ……が、見たい」
ぼそり、と囁くような声がした。海面を抉るような強い風が吹いて、ばたばたばた、と鈴のパーカーがはためいた。鈴は答えることができなくて、ただじっと風に耐えた。




