【海編】シオン×鈴 『日陰』
本日予定していた撮影がすべて終了した。撤収作業はすぐさま行われ、三十分もかからずに解散となった。スタッフの一部はあわただしく帰ってゆき、残りは水着に着替えてビーチに戻った。海水浴を楽しむのだ。
思い思いに羽を伸ばす同業者たちの間をすり抜けるように、タオルの束を担いでビーチを駆ける女性の姿がある。
「鈴ちゃん。ちょっといいかな」
呼びとめられてその女性――鈴は足を止めた。
黒のパーカーと水着姿の男性が近付いてくる。パーカーを羽織っただけでざっくりと真っ白な肌があらわになっていた。ともすればだらしない印象になるけれど、彼のプロポーションと引き締まった白い肌がまるで計算されたような優美さで見る者を惹きつけている。
腰で穿くようにしたアダルティックなワインレッドの水着から、下に重ねて穿いているアンダーのデザインがチラリと覗いている。パーカーも水着も鈴が彼のために用意したものなのだ。こうして実際に彼が着ているのを見るとまるで違って見えるから不思議だ。もちろん想像よりも、彼が実際に身につけているほうがずっとよかった。
「シオンさん。何のご用でしょう?」
「ご用……ってわけじゃないんだけど」
シオンは乱れた髪を直しつつ、肩をすくめて笑った。ロングヘアをヘアバンドで留めているが、風にあおられてすぐに顔に掛かってしまうのだ。シオンはそのたび、うっとうしそうというよりは出来の悪い子どもを導くような優しいしぐさで、仕方なさそうに髪を掻きあげている。
「この後の時間をもらえないかなって思ったんだけど。……少し待った方がいい?」
「ええと。そうですね。そのほうが助かります。車までこれを持っていくので」
これ、というのは腕いっぱいに持った使用済のタオルだ。その多くが砂まみれで、海水に浸かっていたり、化粧パウダーがついているものもある。先の撮影で使ったものだ。
「オレも手伝うよ。半分ちょうだい」
「そんな、申し訳ないです……あっ」
謹んで辞退しようとした鈴の腕から、シオンがさっと奪い取ってしまう。
「こうしたら、きみと少しでも長く一緒に話できるでしょう」
「えっ?」
鈴はどう返していいかわからず目を白黒させた。なにか意味ありげな、心の中がざわつくような声色だった。
「あ……ありがとうございます?」
しばらく経って出てきた言葉は正しいかわからない。自信がなかったからか語尾が上がってしまった。
シオンはくすっと口元だけで笑い、鈴を促して同じ歩幅で歩きだした。しゃく、しゃく、と二人のビーチサンダルが交互に規則正しいペースで砂を踏む。
「さっきのスイカ割り対決は見てた?」
「スイカ割り対決?」
「見てなかった?」
「ちょうど休んでいたものですから」
「ああ、そうか。みーくんがきみにラリアットをかけたんだっけ」
「う……。そのとおりです。すみません」
「いいんだよ、話を聞く限りみーくんが悪いからね。孝が怒ってたよ。『ラリアットする意味が分かんねー』って」
シオンのフォローに、鈴は恥ずかしそうに身を縮めた。スイカ割りはちょうど撮影のラストに行ったのだが、その準備中、美有貴に後ろからラリアットをかけられ転倒してしまったのだ。ちなみに、美有貴によるとラリアットには挨拶程度の意味しかないらしい。
そんなわけで、鈴は大事を取って海の家で休んでいたから、スイカ割りの様子は声しか聞いていない。
「対決なんてしていたんですね。たしかに盛り上がっているなあって思っていました」
「賭けしてたからねえ。盛り上がった盛り上がった」
「へえ……。賭け、ですか」
「そ。対決で勝ったやつが、鈴ちゃんのこの時間をもらおうって賭け」
アスファルトに撒き散らされた砂がサンダルの底に擦られざりりと音を立てた。駐車場についたのだ。
鈴はどきりとして、隣を歩くシオンを見上げた。
「わたしの?」
「ちなみに勝ったのはオレね。――ああ、あれだよね。車」
「え? はい。あの軽自動車です」
どうして自分なのだろう、と鈴は思ったけれど、話題がすっかり変わってしまって聞くことができなかった。
「全部持ってるから、開けてもらえるかな?」
「はいっ!」
シオンの腕にタオルを任せ、鈴は鍵を開けて荷台のドアを開けた。海水を吸ったタオルは別にして、乾いたものだけ用意していたビニール袋に入れる。濡れたものは絞って車内に干しておくことにした。
アスファルトは砂浜のそれと違って、鉄板の上にいるような暑さだ。タオルから絞って落ちた水が湯のような熱さになって鈴の足に跳ねる。
「人がいなくてゆっくり話せるから、ずっといるのもいいかと思っていたんだけど。さすがに、ここにずっといるのは暑いかな」
「あはは、そうですねー。黒が日光を吸収しているというか。ビーチのほうがまだ耐えられますね」
シオンに「戻ろうか」と促され、鈴は来た時と同じように彼の隣に肩を並べる。
ビーチへ向かう途中、鈴がタオルハンカチで汗をぬぐっていると、シオンが何気ない口ぶりで「そういえば」と切り出した。
「水着は見せてもらえないのかな。女の子たちで新しく買ったんでしょう」
「みっ、水着ですか」
「オレ、実は楽しみにしていたんだよね。ほら、オレたちが着て欲しいって言って、着てくれているわけだから。見せてくれるんだろうなって思ってたんだけど。ずっとTシャツと短パン着ているから、焦らしてるのかなって思ったりして」
言い募ると同時に距離を詰められて、鈴はぎくぎくっと顔をこわばらせた。もちろん焦らしているわけではなく、『仕事中だ』という免罪符を使って水着姿を晒す時間を後に先延ばししているだけだった。久しぶりの水着は本当に恥ずかしいのだ。
「中に着ているんだよね。今脱いでみる?」
「えっ!? こ、ここでですか!?」
まさかシオンの目の前で公開ストリップをしろと言うのか、と鈴はあんぐりと口を開けた。
「してくれるならうれしいけどね。きみの水着姿を一番に見たいし、一人占めしたいし――って、そんなに警戒しないで。冗談だよ」
不穏な言葉が増えるたびに鈴が後ずさりして距離を取るので、シオンはおかしそうに声をあげて笑った。冗談だという言葉に鈴の身体から力が抜ける。
言われてみれば、シオンがそんなことをいうはずがない。普段孝司をイジって楽しんでいるように、からかっているだけなのだろう。
「……まあ、きみの水着を一番に見たいのは本当だよ。どうかな?」
海の家まで辿りついて、シオンは「せっかく買ったんだから、見せてよ」と軽い調子で言った。
「笑わないでもらえますか?」
「もちろん。可愛いに決まってるしね」
さっきのさっきでは、真面目なんだか冗談なんだかさっぱりわからない。鈴は観念して仕事着を脱ぎに一旦シオンと別れた。
彼を待たせてはいけないと分かってはいたが、更衣室に向かう足取りはずっしりと重い。シオンがバカにするなんて鈴は思っていなかった。彼の服へのこだわりを知っている鈴は、単なる好き嫌いを抜きにして着こなしのアドバイスさえしてくれるだろうという予想さえあった。
だが。シオンは女性に魅力的な存在になるために努力をしている人だ。彼のような人に自信のない姿を晒すのは、なんだか未熟さを露呈してしまうようで恥ずかしい。
それはデザイナーとスタイリストを兼業する自尊心からきている。――いや、それからもうひとつ。
「気に入ってもらえるかなあ……」
全身鏡に映した自分を見て、鈴の口からぽろりと本音が出る。
せっかく着たのだから、ほんとうに可愛いと思ってもらいたい。隠れていた乙女心がちらりと覗いて、鈴はふるふると頭を振った。
気に入ってもらうというより、期待を裏切らないだろうかと心配するほうが先のようなきがする。鈴はすっかりしょぼくれた気持ちで更衣室を出た。
「鈴ちゃん」
シオンを探してきょろきょろしていた鈴は、声を掛けられた方向に顔を向けた。海の家の奥、座敷席からシオンが近付いてくる。
上から下まで見られて、鈴は思わず胸元を隠すように手を組んだ。ちょうど日陰になっていて、シオンの表情が暗くてよく見えない。裁判の最終判決を聞くような気持ちになった。
「ああ、いいね」
シオンの口から出た言葉に、鈴は耳を疑った。
「ほ、本当ですか」
「うん。やっぱりかわいい」
「ありがとうございます」
「レース付きにしたんだ? ちょっと意外だったな。鈴ちゃんなら花柄にするかと思ったけれど、似合うね。……二枚重ね穿きだ。流行ってるから?」
ショーツタイプとTバックタイプの二種類を重ねている下半身をじっと見られて、鈴は慌てて手で隠した。
「あっ! あ、あの、これは。一緒に買いに行った後輩が、勧めたもので……。わたしはタンキニがいいかなと思っ――」
「それはないね。後輩ちゃんにお礼言っておかなくちゃいけないな」
シオンが真面目ぶってそう言った。自分のデザインがすべて却下された時の気分で、鈴は遠くに目をやった。
ビーチはきらきらと太陽に照らされている。波のさざめきと、同業者があげる楽しげな笑い声が聞こえてくる。
日差しに晒されていないだけ、まだ恥ずかしさはないな、と鈴は思った。シオンは日に焼けるのが嫌いだし、このまま屋根の下でおしゃべりしているのがいいだろう。
「じゃあ、泳ぎに行こうか」
「えええっ!?」
「え? なに、どうしたの?」
「およ、泳ぐんですか」
「もしかして泳げない?」
うろたえた鈴を心配するように、シオンが声のトーンをさげた。鈴はあわあわと首を振る。
「泳げますけど、でも。シオンさん日に焼けてしまいますよ」
「今さら何を言ってるの。ずっと太陽の下で撮影してたけど?」
「でも」
「日焼け止め塗ってるから大丈夫。それに、せっかくきみと泳げるんだ。チャンスは逃さない主義だよ。ほら、行こう」
するりと肩にシオンの腕が回って、ビーチへとエスコートされる。服を着ているときにもされたことのある、自然なしぐさだったけれど、今は肌と肌が直接触れ合うのだ。太陽に炙られたからではなく、頭がくらくらする。
「シオンさん。は、恥ずかしいです……」
「きみだけじゃないよ。オレだって、けっこうドキドキしてるんだ」
言っている言葉と、やっている仕草がまるでちぐはぐだ。もしかしたらまたからかってるのかもしれない。
けれど、背中に触れる彼の左胸の鼓動が少しだけ早い気がして、鈴は自分の顔が熱くなるのを感じた。




