【海編】孝司×鈴 『岩場』
本日の撮影予定が終了した。撮影クルーはテキパキと撤収作業を進め、終わった者から社内に仕事を残してきた者は恨めしそうに帰ってゆき、その他の者は水着姿でビーチに散っていく。
鈴は急ぎTシャツと短パンを脱ぎ、先日購入したビキニ姿になった。二渡たちがビーチバレーをしながら彼女の合流を待っているためだ。
久しぶりの水着はすこし心もとなくて、命綱のようにタオルを握りしめつつ、こっそりと海の家を出た。
「おい」
こそこそと身を隠していたところに、不機嫌そうな低い声に呼びとめられてぎくりと硬直した。
「こ、孝司くん」
「少し付き合ってもらいてえんだけど」
「えっと……?」
「もしかして仕事、忙しいのか? それなら悪かった」
孝司が気まずそうに頭を掻き視線を逸らしたので、鈴は慌てて首を振った。
「あ、いえっ。すみません。仕事は終わってます。まさか孝司くんから誘っていただけるとは思ってなくて。驚いたというか」
孝司どころか、誰に誘われてもびっくりしただろう。鈴は二渡たちと遊ぶつもりだったのだから。
「嬉しいです。誘ってくださってありがとうございます」
思わずにやけて答えてしまった鈴に、孝司の反応は「あ、そう」と冷ややかだ。さっさと歩きだしてしまったが、鈴がついてこれるようゆっくり歩いてくれた。
先をゆく孝司の背中に汗の粒がふつふつと浮き出てきている。ムダのない引き締まった肌を一筋、肩甲骨をなぞるように流れ落ちている。
孝司は撮影で使った水着姿だ。鈴が選んだタウンユースもできるハーフパンツタイプのもので、マリンブルーが下から上にグラデーションになっている。波間に夏の日差しがきらきらと輝くのをイメージしているのだ。
「どちらに行かれるんですか?」
ざくざくと砂を踏む孝司の足には、底の厚いビーチサンダルが嵌っている。撮影ではほとんど使っていなかったものだ。孝司は「いや、どこってことはないけど」と言葉を濁して黙り込んでしまう。
ビーチから少し歩いた先には岩場があった。ひとつひとつの大きさはまちまちで、鈴の腰ほどのものもあれば小さな子どもでも跨げそうなほど小さなものもある。多くは不揃いな階段状になっていて、頂点は三メートルほどはありそうだ。
岩肌はごつごつしていて触れただけで傷ついてしまいそうだ。おっかなびっくり触ってみると、太陽光でじりじり焼かれていたせいか火傷しそうなくらい熱かった。
孝司は不安定な足場をひょいひょいと登っていく。鈴は続こうにも手ごろな足場が見つからなくておろおろとうろたえる。
「ほら。手ぇ貸せ」
見かねたのか、孝司がすぐ上までやってきて手を差し伸べてくれた。
「え? あ、ありがとうございま――あ、わっ!?」
鈴としては手のひらを重ねたつもりだったが、受けてくれるはずだった孝司の手がするりと抜けて先へ行ってしまう。いや、すり抜けたのは鈴の手のほうだった。手はそのまま空を切り、岩へ叩きつけられそうになった。
すんでのところで二の腕を力強い手に掴まれた。ぐんと一点で身体を支えられたせいか肩に衝撃が走り、痛みに思わず目を瞑った。背中に熱をもった何かかたいものがあたる。
身体が一瞬、ふわっと宙に浮いた。
「マジ危ね……。こんなとこでコケて流血沙汰とか勘弁してくれ」
はあ、と脱力したため息が鈴の耳を掠めて首筋をくすぐった。
瞬きして状況を確認してみれば、孝司に正面から抱きしめられていた。視界は孝司の胸の肌色で埋まっていて、密着した肌から孝司の体温がじかに伝わってくる。
「すすす! すみません! わたしコケちゃったんですね」
「ああ、バカ。危ないから急に動くな」
慌てて孝司から離れようとしたのだが、がっちりと腕を掴まれて叶わなかった。自然な仕草で脇腹を撫でられたような気がして硬直する。
鈴がガチッと固まったのを見て、孝司は楽しそうにふはっと笑った。
「ほら行くぞ。今度は気をつけろ」
「は、はいっ」
腕をとられ、腰を支えられて慎重に歩く。さっき脇腹を撫でられたと思ったのはもしかしたら支える位置を探っていただけだったのかもしれない。
「あの、孝司くん。こっちになにかあるんですか?」
「別にねーけど」
「えっ? ない?」
「こっちにあるんじゃなくて、ビーチに問題があるっていうか。シオンだの美有貴だの、うぜえのがいっぱいいるからな」
「はあ……」
「邪魔入ったら勝負の意味がなくなるんだ」
「勝負?」
勝負って何だろうと鈴は思った。撮影中、美有貴と水鉄砲で遊んでいたり、美有貴に水着を奪われていたりした孝司のことを思い出す。勝負なんかしていただろうか? むむむ、と唸ってみたがそれらしき記憶はない。スイカ割りの最中だけはちょうど見ていなかったから、そこかもしれない。
「ふは。おまえには関係ねーよ。……ここらへんでいいか。どっか好きなとこ座れよ」
「はい」
解放してもらった鈴は、ずっと握りしめていたタオルを手近な岩に掛けて腰を下ろした。孝司は鈴のように座らず、小さな波がぴしゃりぴしゃりと耐えずしぶきを上げる下段までおりていってしまった。
さっきまで肌どうし触れ合う位置にいた相手がそばから離れていってしまうと急に心細い気持ちになった。鈴は膝を抱えて、孝司の動きを目で追った。
孝司の長い足が軽やかに岩場を降りていく様子や、しぶきが掛かって目を細める仕草が、まるで映画の一シーンを切り取ってみているかのようだ。
若い体躯を彩る衣装は鈴の選んだ海の色をした水着のみだ。海と空と一体化するような色を選んだのは失敗だったかなと鈴は思った。孝司を波間にさらわれてしまうような気がしたからだ。
「――そういえば、おまえさ」
夢想にふける鈴に、ふと孝司から声がかかった。孝司が海を向いたままだったので、聞き逃してしまうところだった。
「はい、なんでしょう」
「み……」
「み?」
「その、水着。あー、園山とか、メイクの、二渡とか、えーとおまえの後輩の」
「はい。園山さんと二渡とミヤちゃんとで買いに行ってきました」
「わざわざ買いに行くの、面倒だっただろ。無理言って悪かったな」
「いえ! みんなで選ぶのは楽しかったですし、海に入るチャンスがあるのに入れないなんて寂しいですから、買いに行ってよかったなって思いましたよ。……あの、孝司くん」
鈴は転ばないように注意しながら、孝司に見えやすいようにタオルの上に膝立ちになった。
振り返った孝司は、ぎょっとしたように後ずさる。
「は? 何してんだ」
「あの、ど、どうでしょうか」
「どうって何が」
「水着です。ミヤちゃんがどうしてもビキニがいいって言うので、ビキニにしたんですけど。個人的には恥ずかしいかなあって……変じゃないですか?」
「いやっ、おれに聞くなよ。分かんねーって、女の水着なんて。おれは宗佐とかシオンとかと違って水着にそんな詳しくねーんだから」
「あ、いえ、そうじゃなくて、孝司くんの感想が聞きたかっただけなんですが」
なんだかいけないことを頼んでいるのだろうか、と鈴は心配になった。いくら鈴が自分の姿を客観的に見るのが苦手でも、衣装担当の意地でそれなりに見るに耐えるものを選んだつもりだったのだが。
「似合ってないですか?」
「……んなことねーよ。マジで似合ってねえとかそういうことはねえから」
孝司は面倒くさそうにため息をついて、目線を逸らした。
「苦手なんだよ。女の服褒めんの……」
「あ。……すみません」
孝司がためらうのはそういうことだったのか、と鈴は思った。服に関する感想を言うのは鈴にとっては当たり前すぎて麻痺していた。
「いーけど。つか、水着褒めるってなると、また、なんかエロイ意味に聞こえるしよ。そんなんシオンだけで充分だろ」
「エロイ意味になるんですか」
「うっせえ。バカ。もう終わりなこの話」
孝司は首を振って、強引に話を切った。照れくさそうな様子に、思わず笑ってしまう。
「なんで笑うんだよ」
だって――と鈴は思う。『褒めるのが苦手』だと孝司は言った。それはつまり、鈴の水着を褒めようとしてくれたということではないだろうか。孝司は呆れた様子だったけれど、鈴を置いて帰ってしまうことはなかった。
いつしか機嫌のいい孝司の鼻歌が、波音の合間に途切れ途切れに聞こえてきた。




