大伴美有貴×鈴 『ぼくといっしょに』
遅刻。遅刻だ。
鈴の頭のなかにはその二文字が呪いのようにぐるぐると駆けめぐっている。エレベーターの階数表示は睨んでいても早まったりするはずがない。鈴は何度目かに腕時計を確認した。ギリギリ間に合うか間に合わないかといったところだ。
「あっ」
「わっ、とと! 鈴ちー! 危ないよ」
事務所に駆けこむと、白いワイシャツの背中に肩がぶつかってしまった。小柄な身体がよろめき、ふわふわのボブカットが揺れ、驚きに目を丸くした顔が振り向いた。
大伴美有貴だった。夏の学生服姿。半袖シャツの裾は紺のスラックスに入れずだらりと垂らしたままだ。
「美有貴くんっ! ごめんなさい」
「いーよ、いーよぉ。ぜんぜんヘーキ」
美有貴はアピールするようにファイティングポーズをした。そのまま、しゅっしゅっと左右交互に素早くパンチを繰り出して、鈴の肩に触れるか触れないかといったところでぴたりと止めた。
「ボクシングですか?」
「ぶぶー。違うよ。ちょっと前にやった格闘ゲームのキャラ『モンク』の通常攻撃」
「はあ、モンク……?」
「必殺技の『五月雨』ってのがあってね、これが面白いんだ。連続で殴打するんだけど、拳に取りつけたカターイ手甲で殴るんだ。相手の周りをこう、回りながらね、いろんな角度から殴りつけるの。途中に裏手拳みたいなのも途中に混ざってさあ、真似しても出来ないんだよねー。秦っちにやったらダメ出しくらったもん。いま練習中」
発動条件がどうとか、クールタイムがどうとか、鈴には理解できない用語が頻出する。鈴が分かったのは、ゲームの話であることだけだ。
美有貴は説明を続けながら、こんな感じで、と鈴の周りをゆっくりと旋回した。実際に見てみれば、ボクシングに似ていても明確に違いがあるのがわかる。まるでダンスのようだった。
鈴の正面に戻ってきた美有貴は、「あ」と声を上げてぱちんと手を叩いた。
「ねえ。これから時間ある? ぼくね、聞いてもらいたいことがあって……」
「――あ、時間っ!」
五月雨の話をしている場合ではない。すっかり頭の隅にやっていた遅刻という現実が鈴につきつけられた。さあっと血の気が引く。
「ごめんなさい。時間無いんです。また後で必ずお伺いします! すみませんっ、失礼します!」
「んー、わかった。じゃあ後でね! ぼくの練習終わってから、いっぱい話そうねー」
無邪気な声にふたつ返事で了承して、鈴は遅刻確定の会議へと急いだ。
「……え? えっと、すみません。どういうことですか?」
「どういうことって、理由? それとももう一度言えってこと?」
「えっと、理由です。美有貴くんの衣装だけ作ってはいけない、理由、が知りたいです」
言われたことをそのまま繰り返しただけで、鈴の声は震えてしまう。嘘であって欲しい、何かの冗談であって欲しいと思う。遅刻したから、からかっているんじゃないのか。あるはずもない馬鹿らしい考えが頭に浮かぶ。
「前回の衣装の反響がめちゃくちゃよかったんだよね」
「前回というと」
「みゆのソロデビューのPVとプロモーションに使った衣装だよ」
鈴の思いも虚しく、越智が軽い調子で答えた。岡部が多忙で欠席のため、越智が回答役なのだ。
美有貴のソロデビュー用の衣装は、美有貴自身がデザインを手掛けたということで大きな話題になったのだった。鈴もアドバイザーとして制作に携わったからよく知っている。
「だから、今度もみゆにデザインさせようってことになったんだ。石川はみゆが作るのを手伝う方に回ってほしいんだよ。いいよね」
会議に参加している全員が鈴に注目していた。彼らを納得させるにたる、単なる我がまま以上の理由なんてすぐに浮かんで来るわけはない。鈴に残された回答はたったひとつだった。
「は……、はい、わかりました」
美有貴の衣装を作ることができない。
このときの鈴の動揺を正しく理解できるものはいなかった。衣装担当の先輩である平良でさえ、会議終了後に勇気づけるように肩を叩いてこう言った。
「んー? どーした、石川ちゃん。美有貴くんのデザインに負けてプライド傷つけられた?」
「あ……、いえ、そうじゃないんですけど。なんていったらいいんでしょう、複雑というか」
「まあ、まあ、そうだよね。でも名指しで手伝えって、前回の仕事が認められてるってことだよ。いいことだよ。美有貴の服作るのだけが仕事じゃないんだし、一発当たったからって次当たるわけじゃないし、焦らず行こう」
まるで鋭利な刃が突き付けられたかのように、鈴ははっと息を飲んだ。身体じゅうに心臓が出来たみたいに、血管がどくりどくりと大音量のビートを刻み、周囲の音をかき消した。
『美有貴の服を作るのだけが仕事ではない』という平良の言葉が、鈴の中に深く突き刺さっていた。
鈴の仕事は、現在でこそ四人組アイドル『KISSME』――霧森孝司、鳴神シオン、秦宗佐、そして大伴美有貴――の専属衣装担当ということになっているが、かつてはそうではなかったし、ずっと専属のままでいられるという保障もないのだった。なぜか自分だけはそのままずっと彼らの衣装を作り続けられると理由もなく信じていた。
けれど今回のように、鈴の仕事内容は絶対ではないし、流動的なものなのだ。
もしも美有貴の衣装をこのまま作れなかったらどうしよう、と鈴は思った。
美有貴はデビューしてから声変わりをし、身長も身体つきもだんだんと大人に近付いている。彼の成長に合わせて衣装のデザインを変えたり、サイズが合わずに作り直したりと、彼の衣装ならではの手間と苦労があった。
彼とともに――彼の衣装と共に、作り手として鈴が成長したといっても過言ではないかもしれない。
だから、なのだろうか。美有貴の衣装を作れないというだけでこんなにもショックを受けているのは。
「鈴ちー、ねえ、鈴ちーったら。どうしたの」
ひらひらと視界を手のひらが往復した。鈴ははっと我に返り、手のひらの持ち主を見上げた。小柄な身体が鈴のデスクに手をついて、正面に回り込むようにしてじいっとこちらを見つめていた。朝に見た服装と違って、Tシャツに短パンといった軽装だ。
「美有貴くん。どうしたんですか」
「えーっ、練習終わったらお話しよーって、言ったじゃん。忘れたの」
「あ! そう、そうでしたね。朝にお約束しましたね」
「もー、今の今まで忘れてたんだ。ひどいなあ、鈴ちー」
「あはは……、すみません。考えごとをしていて」
「いーけどさーオシゴトだったんだしー」
美有貴は口では物分かりのいい風を装いながらも、ぷくっと口元が膨れているので不満そうなのがすぐにわかった。鈴は笑いをこらえながら、話を変えた。
「今日は何の練習だったんですか?」
「ん? んー。ぼくのソロのダンス復習をちょっとやってー、あとはみんなで今度秋に出す新シングルの振り付け。孝ちゃんが考えてくれたの。超絶厳しかったー。ミュージックビデオでも踊るし、冬にやる音楽特番とか全部そのシングルやるからって。冬には忘れちゃってるよ!」
冬の話を聞いて、ぎくりと鈴は身体を強張らせた。美有貴が新しく作る衣装もまた、冬の大型イベントでの話だったからだ。ちょうどいい機会だから話を進めなければと思うのだけれど、喉奥から言葉が出てこない。
「あのね。それでね、ぼく鈴ちーに話したいことがあってね……。えっと、二人で話したいっていうか。こ、ここじゃ話にくいかなあ。えーっと、カフェか何かに行ったほうがいーかな」
美有貴がそわそわと忙しなく身体を揺らし始めた。きょろきょろと周囲を伺う様子と、二人だけでという話を聞いて、やっぱり逃れられないみたいだなと鈴は思った。腹に力を入れて複雑な感情を押し殺す。
「もしかして、衣装のお話ですか?」
「へっ?」
「冬の衣装を美有貴くんと作るってお話です。それなら、会議でお話を聞いて、部署のみんなも知っていますからここでしても大丈夫ですよ」
「あ、そう! そうなんだよー。い、い、い、衣装の話がしたかったんだよね。そっかー。ここで話しても平気なんだ。よかった! あはは」
あははと声に出して笑ったあと、美有貴がはあーと盛大にため息をついた。笑い疲れてしまったのだろうか。
「ぼく、鈴ちーとまた一緒に衣装作れて嬉しいよ」
「そうですか? ありがとうございます」
実際に自分でデザインした衣装が出来あがって喜んでいたときの美有貴のことを思い出す。無邪気に、デザインしたそのままだと喜んでいた。実際に着てみたときは不安そうにしていたけれど、あの衣装は彼が作りあげたからこそ彼にしか着れないものになったのだ。鈴がデザインしていたらまったくの別ものになっただろう。
「鈴ちーは? ぼくといっしょに作るの、嬉しい?」
問いかけられて、鈴はすぐに答えることができなかった。ぐっと奥歯を噛みしめ、いろんなものを飲み込んで、それからやっとのことで口を開くことが出来た。
「……嬉しいですよ」
笑ってみせた顔が強張っていないか、鈴は心配だった。
嘘をついた。単純に嬉しいとだけ言えるような簡単な心境ではなかった。
「そっかあ、えへへ。頑張ろうね。ぼく、鈴ちーと一緒だと、いいもの絶対できると思うから」
一緒ならと言われて嬉しくないはずはない。だが、鈴はもっと違う形で求められたいのだった。これは誰にも分からない感情だ。
「ご期待に添えるよう、わたしも精一杯やりますね。……じゃあ、まずは思いついたものから自由に書きだしてみましょうか」




