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鳴神シオン×鈴 『残酷なきみ』

 鈴の携帯電話が鳴るのはけして仕事関係のものばかりではなく、プライべートな食事会兼懇親会、お茶会と言う名の情報共有会のお誘いが来る。過去には、仕事で知り合った業界関係者の誕生日会やファッション関連会社社長の結婚式の招待なんかも受けたことがある。

 声を掛けてくれる人間というのは、狭い交友関係ではほとんど固定化していた。広げる暇もないし、つもりもないから満足していた。


 が。最近は何やら様子が変わっていた。あまり誘われたことのない人間から誘われているのだ。しかも数人。その全員に共通しているのが、女性であることと、一人または少数でのお茶会を指定してくること。

 指定された日がちょうど多忙だったので断っていたのだが――


「え? 今日ですか? ええと――一時間程度なら、大丈夫です」


 今日、電話を掛けてきたのは、スターライト事務所に所属している新人女優だった。これから一緒に昼食をどうか、というお誘いで、場所の指定は任せるとのことだった。

 鈴と彼女はお互い顔と名前しか知らないはずの関係だ。電話番号を知られているというのは業界にはよくあることで――鈴はスターライト事務所に雇われている身だから、マネージャーか鈴の同僚経由で知られているならおかしくはないのだ。

 だが、やはりこれまで受けてこなかったいくつかの『お誘い』のこともある。

 「仕事関係のことで相談がある」とのことだったけれど、それこそ不自然だった。鈴は男性アイドル『KISSME』の専属衣装デザイナー兼スタイリストだからだ。女優に関わる機会など皆無だ。


 鈴は不審に思った。けれど、スケジュール的には空白であったし、何から仕事に繋がるかわからない業界のことだから、簡単にお断りすることはどうしてもできなかった。


「お待たせしてしまってすみません。石川鈴です」

「いえいえ、お疲れ様です。お仕事だったんですよね、急にお誘いしてしまい失礼しました。どうぞどうぞ、座って下さい」


 初対面ならではの緊張混じりの挨拶を済ませて席につく。彼女の言うとおり、鈴は『KISSME』のレギュラー番組収録の仕事が入っている。空き時間があるとは言っても遠く離れるわけにはいかないので、テレビ局の近くのカフェレストランを指定させてもらった。


 鈴は勧められるままメニューを開くが、二ヶ国語で書いてある料理名は目が滑ってしまって頭に入ってこない。向かいに座る女性が気になって仕方なかった。

 十九になったばかりだという彼女は、長い足ときゅっと締まった腰つきが大人びていて、目を引く華やかさを持っている。

 爽やかなスカイブルーのシャツをまるでワンピースのようにゆったりと着て、白の細身のレギンスを合わせている。清純派というイメージだ。


 注文を取りに来た店員のことや、天気のことを話して時間が過ぎる。何か言いたそうにちらちらと鈴を見るのだが、すぐに話が途切れてしまうのだ。

 やがて、新人女優のアイスティーのおかわりと合わせて注文したアイスコーヒーとベーグルサンドが届く。

 鈴に残された時間は三十分もなかった。そう伝えると、向かい側の彼女は「あのう」とやっと本題を切りだした。


「私、本当は仕事のことで石川さんをお呼びしたんじゃないんです」


 彼女の言葉に頷きで答える。予想済みのことだから、鈴は驚かないし、わざわざ驚いてみせるという小芝居もいらないだろう。

 鈴の反応に彼女こそがうろたえたようだった。せわしなく目を動かし、アイスティーのストローをグラスの中でぐるぐると回す。


「あ、ええと、その……それで」

「どうしたんですか? お仕事のことじゃないなら、個人的なことでのご相談でしょうか。わたしに何かお手伝いすることがあるでしょうか」


 鈴が優しく言葉を掛けると、彼女はハッと顔をあげて瞬きをした。


「あ、も、もうご存知かと思っていましたけれど、そこはご存知じゃないんですね」

「ええと、ごめんなさい。なんのことでしょうか? はっきり言っていただかないと、何のことだか、わたしには――」

「……鳴神シオンさんのことです」


 喉奥から絞り出したように、女優の声には到底思えない枯れた声がした。苦しそうに眉を寄せて吐き出した名前は、鈴にとっては馴染みのある名前だった。当然だ、鳴神シオンは鈴が専属で衣装を担当する『KISSME』のメンバー一人だ。

 ただ、まさかここで、彼女から、この文脈で、聞くことになるとは思ってもみなかった。


「シオンさんがどうか?」

「と、とぼけないでください。私たちは知っているんです。あなたが鳴神さんを、た、たぶらかしてるって」

「えっ? たぶらかしてる?」


 鈴は手に持っていたベーグルをバスケットの中に取り落とし、思わず口元を押さえた。笑ってしまいそうになったからだ。

 シオンは女性関係が華やかなタイプのアイドルだ。今まで噂のあった女性の数は鈴の知っている限りでも両手で足りないほどいる。

 その噂がどこまで真実かは、鈴は知らない。彼が自分から否定したもの以外、シオンに尋ねたことがない――尋ねてみようと思ったこともないからだ。


 彼は女性全般にモテる。

 美しくて女性に優しく、経済的に余裕があり、センスもいいし向上心があって、話す事柄だけでなくその姿形にまで訴求力がある。これからも芸能界で仕事が出来る人間。女性に囲まれているのが似合う男。

 それなのに、なぜ自分と関係があると――しかも自分が悪女設定で――噂になっているのか?

 あり得ない。


 いや、実際にはそう思われても仕方のないこともあったかもしれない。


「わたし、たぶらかしてなんかいないです」

「見た人がいるんです。鳴神さんとあなたが二人きりで楽屋や車の中に長時間いるところや、鳴神さんの車に乗ってホテルのランチに出たところ、他にもたくさん」

「それは――」


 彼女に指摘されて、鈴は言葉に詰まった。

 違う。そんな関係じゃない。否定したところで、シオンと会話したり食事に出かけたりした過去は変わらない。気持ちがどうだったかというのは、彼女たちには関係がないのだ。鈴がシオンの時間を独占したという事実があれば充分だ。


 シオンがすぐ傍で笑い掛けてくれるたび、鈴は仕事に誇りを持ったし、彼に会うことも楽しいと感じていた。それが恋にもならない心のときめきであったのかどうか、鈴にははっきり分からない。ただ、否定はできない。

 鈴の仕事はシオンの魅力を視覚的に、感覚的に視聴者あるいは読者、受け手に分かりやすく伝えることだ。彼がどんな相手にどれほど魅力的であるかは充分理解していた。

 シオンのファンは主に、20代から30代の女性層。そこには鈴も含まれている。彼に惹かれることは自然のこと。

 ――ぐるぐると混乱する鈴のなかで結論が出てしまう。

 彼女の言い分を強く否定できないのは、惹かれているのが事実だから。そうとしか言えない。


「あの、石川さん。私、べ、別に石川さんが嫌いだからこういうこと言ってるんじゃないんです。鳴神さんは素敵な人だし、彼のことを好きな人は、私のほかにもたくさんいると思うんです。ていうか、石川さんが彼のこと好きなら、私たち仲間ですよね。でも、ちょっと、石川さんって、鳴神さんだけじゃなくて、他のメンバーとも仲良さそうじゃないですか。たぶらかしてるっていうのは、そういうことで。お昼時に言うのもアレなんですけど、とっかえひっかえしてるっていうか――印象悪いんじゃないかなあって、思うんですけど」

「なっ、そんなことしてないです。お仕事のパートナーなんですから、コミュニケーションを取ったり、分かりあおうとするのは当然じゃないですか」

「そうですか? 私にはそう見えないんですけど」


 かっと頭に血がのぼるのを感じ、鈴は唇を噛みしめ俯いた。

 シオンや他の『KISSME』のメンバーと、鈴はあくまで仕事上の付き合いで、男女の関係はない。

 仕事の流れで一緒に食事を取ったり、飲み会の席で一緒になることはあっても、プライベートで二人きりになったことなどなかった。最近は仕事が増えて毎日顔を合わせるようになったけれど、昔はオフィスに籠りきりで彼らに会わない日もあったのだ。

 変わってしまったのは、いつからだったのだろう。


「鈴ちゃん? どうしたのこんなところで」


 渦中の人間の声がして、鈴ははっと顔をあげた。向かい側の彼女も小さく悲鳴をあげて立ちあがり、深く礼をした。


「シオンさん……」

「ランチ? もう時間が無いけれど――大丈夫?」


 まっすぐ鈴たちのテーブルにやってきた彼は、席を用意しようとする店員に向かって「顔を見せに来ただけだから」と断った。


「な、鳴神さん。お久しぶりです。あの、以前仕事でご一緒させていただいた――」

「うん。覚えているよ。久しぶりだね。最近見ないけれど、どんな仕事してるの?」


 シオンの優しい言葉に、新人女優の顔が輝いた。


「まだ小さい仕事しかしてないんです。女性誌のゲストモデルだとか、週刊誌の表紙とか、連続ドラマのゲストを何本か、そんなのばかりで」

「へえ? 小さいかな。頑張ってると思うよ。その調子でね。また仕事出来たらいいね」

「はいっ、それで、あの、わ、私」

「ゆっくり話したいところだけど、ごめんね。時間がないんだ。彼女――鈴ちゃん返してもらっていいかな?」


 言葉を遮るようにして、会話を中断されて彼女の笑顔が固くなった。彼女から答えが返ってくる前にシオンの手が鈴の腕を掴み、席から立ちあがらせた。


「じゃあ、オレたち行くね。ごめんね」

「あ、ええと……待ってください。シオンさん。彼女と最後に二人きりでお話させてください」


 腕を掴む手をやんわりと外し、鈴はシオンの誘いを断る。シオンは意外そうに目を瞬かせたが、「外で待っているね」と言って店から出ていった。

 去っていく後ろ姿を彼女が目で追っているのを見て、鈴は新人女優がほんとうにシオンのことが好きなのだろう、と思った。ひたむきな恋を追う少女のような瞳は、それまで鈴に向けていた敵意に満ちた瞳と同じものだとは思えないほど純粋で美しい。

 唐突に、鈴の胸はなにかに押しつぶされたかのように息苦しさを感じた。

 女性に恋焦がれ求められることは。シオンが求めているアイドル像だ。手段はどうあれ、シオンには自分を選んでもらえるように努力する女性がいる。

 なんて心が強いのだろうと鈴は思う。


「あの……時間に気づかなくて、最後までお話を聞けなくてすみません。でもわたし、ちゃんと、責任を持って、お仕事をしているんです。恥ずかしいようなことは何一つしていません」

「……鳴神さんにここにいるって知らせたのはあなたですか?」

「いいえ。そんなことしていません。あなたに何の話をされるかも知らなかったし、わたしは――シオンさんとは何の関係もないですし」


 鈴は自分の口元が歪みそうになるのを必死で耐えた。


「きっと近くでお食事していたんじゃないでしょうか」


 彼女は鈴の言い分に納得したそぶりを見せた。「では時間もないようなので今日はここで」と言い、二人ぶんの代金三千円を鈴に突き出す。


「ひとつ、いいですか? あなたは鳴神さんのことをなんとも思っていないんですか? それとも」

「わたしは」


 鈴はその後に続く言葉を持ち合わせてはいなかった。

 彼女の思いの強さを知ってしまっては心に灯る可能性に対して恋だと言うには早すぎるような気がしていた。そしてそれが育ったところで、鈴には誰でもなく自分を選んで欲しいなどと言えるだろうか。


 彼女に宣言することは、鈴には出来なかった。






「……鈴ちゃん? ねえ、どうしたの」


 シオンの心配そうな声に「どうしたんですか?」と鈴は笑ってみせた。鈴としてはシオンに安心させようとしたのだが、出来ものひとつない美しい肌の眉間に怪訝そうな皺が刻まれてしまった。

 鈴とシオンはテレビ局のエレベーターで向き合った。


「あの子と何かあったの?」

「ええと――、何もなかったと言ったら嘘になりますけれど――」


 シオンに経緯を話そうかどうしようか、鈴は迷った。彼女に言われたことはシオンにも関係のあることだったからだ。

 『噂』や『イメージ』がアイドルとしてのシオンの商品価値であることは否めないし、新人女優である彼女が――そしてこれまで電話を掛けてきた数人の女性たちが知り得ることのできる『噂』だったとしたなら、いつ世間的に事実として流布されるかわからない。

 もっともその噂でダメージを受けるのはシオンよりも鈴のほうかもしれない。シオンは女性ありきのイメージが既に定着しているし、事実とは異なるとはいえ、芸能人でもない鈴と関係があると言われたところでプラスにもマイナスにもならない。

 鈴は違う。職を失う可能性があったし、今後芸能界に関わるような仕事に就くことも困難になるかもしれなかった。商品価値を落とす可能性のある女を雇い入れる職場があるだろうか。


 鈴はその可能性に気づき、愕然とした。

 アイドルグループ専属で衣装を担当するという、現在の仕事内容は鈴にとって望みうる最高のものだった。重大な責任を負わされるとともに、成功したときの喜びは計り知れない。職場にも、これまで大きなトラブルもなく良好な関係を築けていた。

 この仕事がずっと自分のものであると疑わずにいたけれど――、そうではないのかもしれない。


「鈴ちゃん?」


 彼女――新人女優にはシオンに言うなとも言われなかった。鈴の心は揺らぎ、唇が自然に震えてしまう。


「……ああ、もう。わかった。こっちに来て」


 シオンはエレベーターを降りると鈴の腕を引いて自分に割り当てられた楽屋に入った。

 鈴は入り口脇の壁に背中を押し付けられた。見た目の細さに反して力強く男性的な腕が鈴の頭の上すぐに位置取って鈴の動きを封じる。

 瞬きをする度にシオンの顔が近付いてきて、鼻と鼻を触れ合わせて止まった。


「ねえ。何があったのか、教えてくれるかな? ここまで来るのにぼうっとして、何を考えていたの?」

「あ――あの」

「そんなに震えないで。きみの望まないことはしないから」


 「暴走しなければね」と物騒なことをつけたしてシオンが目を細めた。彼がふっと笑うたびに鈴の唇に息が吹きかけられて、キスをしているような錯覚に陥る。まともに息継ぎもできない。窒息死してしまいそうだ。


 シオンの息遣いと甘い声、体温に、鈴の心臓が狂ったように激しく脈打つ。

 もしも世界に二人きりだけなら、鈴は先を望んでしまっていたかもしれない。


「わたし、――わたし、このままじゃダメだと思うんです」

「え?」

「シオンさんとお仕事がしたいから」


 鈴はシオンの鼻先をかすめるのも構わず、追及の視線から顔を背けた。

 具体的にどんな言葉を掛けられたのかということには触れないようにして、『噂』が流れているらしいとシオンに伝える。


「わたし、シオンさんの衣装を作りたい。わたしにはそれしかないから。この仕事を続けたい。自信を持てるものがそれしかないから。わたし以外の誰かが、シオンさんの衣装を作るなんて嫌です」


 それは鈴の偽りない本心で、力強く宣言できることだった。それは独占欲や嫉妬心にも似て、誰にも負けたくないと鈴が思える唯一のことだ。

 恋かどうか、と言われると違うだろう。鈴を呼び出した新人女優の彼女や、他の女性たちよりも何よりも女として自分を選んで欲しいと考えられない。

 だが。これだけは。


 シオンがアイドルでなかったとしても、鈴は必ず彼の服が作りたいと思うだろう。彼自身の体躯は鈴にとってそれほどまでに魅力的だった。彼がアイドルだから生来の恵まれた体格を磨きあげることができたのか、彼の性格がそうさせてアイドルになりえたのかは鈴にはわからなかったけれど。

 彼は、何を着ても何をしても彼だ。その圧倒的な存在感は、世の女性たちの目を惹きつけてやまないように、服飾デザイナーとしての鈴の感性を掴んで離さない。


「こういうふうに、あまり二人きりにならないほうがいいと思います。勘違いされてしまいますから」

「それがきみの望んでいること?」


 耳に囁きかける声がいつもの艶やかさを失い、硬質的な響きを持っているように感じたのは、彼の心が鈴から離れていってしまったからだろうか。


「……はい」


 鈴は顔を背けたまま、目を伏せた。シオンの体温がゆっくりと遠のいていく。


「鈴ちゃん、それって、オレの――」

「え?」

「オレの気持ちを知ってて言っているの?」

「どういうことですか?」


 鈴が視線を戻すと、シオンは楽屋に備え付けられたソファに深く腰をおろしていた。


「残酷だね。……さすがにキツイな」


 シオンはちらりと鈴を一瞥し、すぐに首を振った。首をぐっと後ろに逸らし、ソファの背に凭れて天井を仰ぐ。

 鈴にはシオンの言葉の意味が分からず、うろたえた。シオンの苦痛に満ちた表情から、傷つけてしまったということだけ分かる。

 楽屋の中に沈黙が訪れた。

 疑問をそのまま投げかけるほど鈴は無神経ではなかったが、気のきいた話題転換をするほど話上手でもなかった。

 何がいいたいのか、どういうことなのか、鈴には想像することしかできない。


 そして、先ほどの申し入れがどれだけ思いあがったことだったか気づいた。

 鈴は彼女でもないし、「好きだ」と告白されたわけでもないのに一方的にシオンを拒絶したのだ。シオンにとって、鈴は仕事で会うだけの衣装担当者にしか過ぎないだろう。たまたま女性だったというだけで、戯れに付き合っていただけのこと。笑止千万だろう。

 自分勝手ぶりに絶望してしまう。


 何かフォローするべきだろうか、と鈴が迷っているうち、ぽつり、シオンが呟くのが聞こえた。


「そうか、きみにとってオレはそういう……存在だったから……」


 消え入りそうな語尾に重なるようにして扉がノックされ、番組スタッフが開始予定時間を告げに来た。

 忙しいアイドルの仕事が再開したのだ。私的な話合いを続ける雰囲気ではなくなってしまい、気づいた時には一日が終わっていた。

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