霧森孝司×鈴 『誰でもいいわけじゃない』
鈴の今日のスケジュールは朝六時から夜の十一時までぎっちりと詰まっていた。
こんなに忙しいのは一年に一度あるかないか。
約一年ほど前、音楽イベントと撮影スタジオと広告会社と事務所を二往復した時以来だ。ただ、あの時は移動時間が掛かったから結果的にそうなってしまっただけで、今回の忙しさとは種類が違う。
今日は鈴が専属契約を結んでいるアイドルグループ『KISSME』のメンバー、霧森孝司の主演映画の衣装合わせ兼顔合わせの日だ。公式サイトや雑誌に掲載される写真撮影や、DVD・BD化した際の特典映像撮影も兼ねている。
都内某所の撮影スタジオ。様々な外注会社のスタッフが集結してざわついている。出演者はまだ誰も入っておらず、スタッフだけで顔合わせをした後に設営に入った。社名の入った腕章やTシャツ、ブルゾンなどで辛うじて会社名は分かるのだが、よほどの特徴が無ければ全員の名前と会社を覚えるのは難しい。
鈴は何度か顔を合わせたことのある同業者――衣装デザイナー、スタイリスト――のほか、交流のあるメイク担当者とカメラマン、打ち合わせで顔を合わせたプロデューサーが分かるくらいだ。
「石川さん、悪いんだけどこれ運ぶの手伝ってもらえないかな」
「わかりました。どこまで運びます? Bスタ?」
「そう。こっからここまで運ぶの。オッケ? お願いね。その機材は落とすと弁償だから気をつけて」
「う、う、わかりました。気をつけまーす……」
孝司の衣装だけを担当している鈴は、アシスタント一人を伴っているだけとはいえ、すぐに搬入が済んでしまった。忙しそうなスタジオのなかで暇を持て余しているわけにもいかない。人手の少なそうなところを手伝って、搬入口とスタジオを往復していた。
「鈴先輩、き、緊張してきました」
小柄な鈴よりも背の高い、すらっとスタイルのいい女性が、右隣で不安そうな顔を向けてきた。小顔で美人。キツネ目できつそうな印象を受けるが、今は力なく眉を寄せている。
内田美弥。今日の鈴のアシスタントをつとめてくれる女性。入社一ヶ月だ。
「えっ、どうしたの。ミヤちゃん」
「人がいっぱいで酔いそうですー」
「今?! 頑張ってー。大丈夫だよ。今日いっぱいいるのは、初日だからだよー、各社お偉いさんがついてきてるんだ」
鈴は肩にかけていた袋を担ぎなおし左腕で荷物を抱えると、美弥の背をさすった。
「慣れていこ? これからもっと増えるよ」
「うそぉー!? も、もっと増えるんですか。スタジオに全員入りきらないですよ」
「大げさな。全員入っても平気だよ」
荷物を抱きしめガタガタと身体を震わせる美弥に、鈴は苦笑した。キツめの美人なのに中身はまったく違うのだ。
「早く知っている方とお会いしたいです。……孝司さんは何時に入られる予定なんですか?」
鈴は美弥の質問にどきりとして一瞬言葉に詰まった。美弥の背に置いていた右手を彷徨わせて、片腕だけで支えていた荷物の補助に戻す。
「孝司くんは、えーっと、あと一時間後くらいかな? だと思う。越智さんと広報の方とカメラマンさんがついてくるって聞いたよ」
「そうなんですかあ。じゃあそれまでにちゃんと設営終わらせていないとですね! 私公開衣装合わせなんて初めてでっ、……すっごく緊張します~」
「あはは」
どうやら美弥は自分の想像で簡単に緊張してしまえるらしい。鈴も感覚が分かるだけに、なんとも言えない。
孝司さん、と美弥は簡単に呼んだ。
いや、一般的には「孝司」と下の名前で呼ぶほうが多いだろう。メンバーの呼び方は「孝司」や「孝」、「孝ちゃん」とすべて下の名前。彼は十八歳と若いから、バラエティ番組の共演者も気安く「孝司」と呼ぶ。
だが、珍しい苗字だから「霧森」は誤解を生まず彼のことを示すことができる。ビジネスの付き合いでは、苗字で呼ぶ者の方が多い。さすがに事務所内の近しい関係なら、名前で呼ぶ人間も多いが。
鈴はしばらく前まで孝司のことを「霧森さん」と苗字で呼んでいた。仕事上で出会ったのだから当然のことだったし、出会った当初は世間的な認知度も高くなかった。話すことだって仕事上のことばかりで、孝司の私生活や性格なんてまるで分からなかった。
いくら年下だからと言ったって、孝司に対して気安く「孝司くん」なんて呼びかける日がくるなんて思わなかった。
クールで。ムダな口を叩かず。公私の別をきっちりとつける。――それが孝司に対する第一印象だった。
今は違う。クール、なんて薄っぺらな言葉では言い表せない内面を鈴は知っている。
「出演者の方入られますー、友人役、福田崇文さん。兄役、小林良実さん。それから主演の霧森孝司さんです」
スタッフの声にはっとして、スタジオに響く拍手に混じる。
孝司は他の共演者と談笑しながらスタジオに入ってきた。時計を確認したが美弥に教えた時間よりもだいぶ早い。「大御所」と世間的に言われているような年嵩の俳優より早くスタジオ入りできるように時間を調整したのかもしれない。
「こ、孝司くん。お疲れ様です。こちらに用意しています」
「ああ。お疲れ」
共演者と話を終えたのを見計らい、声をかける。名前で呼びかけるのにはまだ慣れていない。声が上ずってしまったが、孝司はこちらをちらりと一瞥しただけでからかってはこなかった。
「孝司くん。こちらは今回わたしのアシスタントをしてくれる内田美弥です。何度かご挨拶していると思いますが一応――」
「あ? あー、……」
鈴が後方に控えていた美弥を紹介すると、孝司はむっとしかめ面になった。何かを思い出そうとしているかのように無言になって美弥の顔を見つめていたが、返ってきた言葉はそっけなかった。
「よろしく」
「はいっ。孝司さん、一日よろしくお願いしますっ!」
「ミヤちゃん。肩に力入りすぎだから。深呼吸してリラックスしてね」
鈴たちも孝司も一日じゅうかかるのは同じだが、孝司と一緒に作業をするのは実質三時間ほどだ。スタッフは会議、出演者は顔合わせと本読み、と仕事内容はまるで違う。いつから一日じゅう孝司と一緒にいることになったのだろうかと鈴は笑った。
「それで? どれおまえの作った服」
「あ、こっちです」
孝司の後ろについていたマネージャーの越智と、広報担当、カメラマンに挨拶を終えたあと、本題の衣装合わせに入る。
美弥が靴を用意している間に、鈴は主役の青年の私服、ジャズ・バーのアルバイトの制服、バイクを運転する時の服……、と十をゆうに超える量の服を並べていく。その中で鈴のデザインしたものは五点。実際に使用されるとは限らないが、今は全て袖を通してもらう必要があった。
「この間測定させていただいた値で作りました。孝司くん、体重増えたり減ったりしてないですよね」
「知らねー、成長期は終わったと思うけど」
「いやそうではなく」
「わぁってるよ。こないだっていつ? 記憶にねー」
「ええと、二週間前くらいでしょうか」
鈴はテーブルに『KISSME』全員のサイズを記したノートを開いた。鈴の隣でノートを覗きこみ、「ああ、やべ」と孝司は頭を掻いた。
「体重落ちてっかも。ほらツアー中だし」
「ああ! この時期、孝司くんサイズダウンするんでしたね。ツアー衣装も直してるのに……うう、専属としてありえないミスです」
「落ちこむなって。戻す努力はしてっから、撮影中にはちょうどよくなるんじゃね? おれのサイズなんてすぐ変わるんだから。ほら、仕事しろ」
孝司は鈴の頭をぽんぽんと叩いて励まし、「カメラを回していいか」と尋ねてくるカメラマンに了承した。
家庭用ほどの小さなビデオカメラでDVD・BD収録用VTRを、デジタルカメラは『KISSME』のファンクラブ会報や、パンフレットに使われる予定だ。もっとも、いい映像や写真が撮れなかったら使用されないから記録に近い。思い出を撮影する家庭用ビデオカメラの使用用途とほとんど変わらない。
鈴は画面に映らないように気をつけながら、孝司が着替える簡易更衣室のそばに衣装を並べていく。
「美弥ちゃん、ごめんね。これじゃないの。これはスラックス用に用意してたベルトだから。カジュアル用に用意した、黒のベルトが欲しかったの。ここに小さく飾りがあるやつだよ」
「はっ、はい、すみません!」
やんわりと注意すると、美弥はわたわたしながら走っていく。自分で用意した衣装ではないのだから、他人にすぐに分かれというほうが難しい。あまり指示が上手じゃなかったのだろう、反省である。
美弥が持って来たベルトに合う衣装を先に回すことにする。着やすい順序に並べていたのだが、大した違いはないのだ。美弥が探している間、孝司がフリーの時間をつくるよりはいいだろう。
ザッと背後のカーテンが開いた。
「鈴。来い」
「はいっ」
孝司に呼びかけられて、ぴんと背を伸ばす。
「おまえ」とか「おい」ではなく名前呼び。
鈴が「孝司くん」と呼ぶと決めたとき、鈴も名前で呼んで欲しいとお願いしたのだった。なにかためらいがあるのか、あまり前と変わらず呼びかけられる機会は多くない。
が、こうして呼びかけられるとどきりとしてしまう。
「どうかなさったんですか?」
「この衣装だけど――」
内心の動揺を見せないように注意しつつ、更衣室の枠に手を置いて立つ孝司のそばに駆け寄る。
孝司はカッターシャツにジーンズ姿だ。そのままぶらりとコンビニに買い物に行けそうなほどラフだが、これも用意した衣装のひとつだ。さすがに鈴がデザインしたものではないけれど、ひきしまった長い脚を邪魔しない、すっきりとしたシルエットを選んだのは鈴だ。惚れぼれしつつ、孝司の脚を眺めていた鈴の視界に大きな手が往復する。
「おい。聞いてるか」
「はい!?」
「何驚いてんだよ。この衣装ナシにするから、メモしとけっつーの」
鈴の口からへっと間抜けな声が漏れた。
「だから。この衣装ナシなっつってんの。おまえの趣味丸出しだろ。映画の衣装だってこと分かってんのかよ。おれが着るんじゃなくて、役が着るのを考えろよ」
孝司の指摘に、鈴は言い返せない。基本中の基本。プロとしてあるまじき失態だ。
鈴は今まで『KISSME』の専属として彼らのイメージをかたちづくる衣装を手がけてきた。失敗もしてきたけれど、今は自分でも最高の仕事ができていると思っている。
孝司が言っているのは、鈴の選んだ衣装は『霧森孝司として』着る衣装ならば正しい――ということなのだ。
だが、これは映画で使う衣装なのだ。『霧森孝司』を意識した衣装でいいはずはない。
「すみません。わたし、ちゃんと考えれていませんでした――申し訳ないです」
「いや、今まで着た他のやつは合ってっから。どうせチェックしてもらって変えたやつだろうけど。手抜くなよな」
「手を抜いたわけじゃっ……」
「ああ、うん。おまえが頑張ってんのは知ってる。でも、これは違うだろ。言い訳すんな」
「はい……すみません」
孝司の言うことは正しい。鈴はもう反論せずただただ頭を下げた。たった一着だが――、指摘されるまで自信たっぷりだった自分が情けないし、恥ずかしい。孝司に対しても、映画を作る他のスタッフにも失礼だ。
はあ、と頭上からため息が聞こえ、肩が震えた。失望されただろうか、と鈴は思った。
「いちいち落ちこむなって。こんなんよくあることだろ。それともおまえダメ出し受けたことねーの?」
「いえ、いっぱい、いっぱいあります……」
「だろ? 復活しろ。次のやつ持ってこいよ」
ぽんぽんとまた頭を叩かれた。孝司の手はじんわりと温かい。涙が出そうになってしまう。
「あ、え、えっと、私持っていきます」
「あー、おまえじゃない。――鈴、ほら仕事しろ」
気を利かせて美弥が声を掛けてきたが、孝司が言い終わる前に否定した。
顎をすくい上げられるようにして上を向かされた。視線が絡む。
「衣装を選んだのはおまえだろ。責任を持て」
「はい」
「誰でもいいわけじゃないんだ。鈴。おれの衣装に責任を持つのが、おまえの仕事だろ」
「はいっ」
強く頷いた鈴に、孝司が満足そうに笑った。




