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霧森孝司×鈴  『言うほど悪くない』

 早朝、品川駅はサラリーマンとOLで埋まっていて、誰もが忙しなく歩いている。

 霧森孝司は柱に寄りかかり、マスクのなかでこっそりとあくびをした。通常なら自宅のベッドか移動車のなかで寝ている時間だ。

 孝司は現在、鳴神シオン以外のメンバー二人と合流するために駅の駐車場で待機していた。今日は『KISSME』の全国ツアー初日であり、始発の新幹線で大阪に向かうことになっているのだ。シオンは地方ローカル番組に出演のため、前日に大阪入りしている。


「孝司。宗佐が寝過ごしたらしい、迎えに行ってくるわ」


 ベリーショートの髪の男が孝司の肩を叩いた。孝司とシオンのマネージャーである越智だ。まばらに伸びた顎ヒゲを触りながら口を顔をしかめている。

 越智は通話相手に待機するように言い、スマフォの通話口から口元を遠ざけた。画面には通話先を示す薔薇のアイコンがくるくると回りながら光っている。通話状態のままなのだ。


「はぁ? 越智さんが行く必要あんの」

「園山とみゆちゃんじゃあいつ運べねぇからな。オカさんはシオンのとこ行ってるし」

「あー。熟睡か」

「そそ、宗とみゆと一時間遅れで行くから、よろしくな」

「うぃ」

「――ってことで、今から行く。園山、そっちは待機で。平気平気」


 越智は孝司に乗車券を手渡すと、通話を再開し、足早に去っていった。

 彼が人ごみのなかに消えるのを見届けてから、孝司はチケットを確認した。袋のなかにはグリーン車の指定席が二人分あった。越智の分だろう。彼にしては珍しいミスだ。

 孝司はため息をつき、尻ポケットからスマフォを取りだした。


「おはようございます。霧森さん」

「あ?」


 電話を掛けようとしていた手を止め振り返ると、小柄な女性が孝司を見上げていた。『KISSME』の衣装デザイナーの石川鈴だ。見慣れないメガネを掛け、前髪を下ろしている。


「ああ……はよ」


 眉を上げ、不機嫌そうに目を細めると、孝司は鈴から目を逸らした。マスクのせいで声がくぐもっていて、低い声がより低く聞こえる。


「……前乗りしてなかったのか。シオンについてんのかと思ってた」


 孝司の言うように、シオンにはチーフマネージャーを含む、四人ほどのスタッフを連れて行った。

 鈴はシオンに頼まれたけれど、抜けられない用事があって断ったのだ。代わりに、鈴の直接の先輩である平良がついた。


「シオンがうぜーだろうな」


 関西ローカルの数分のゲスト出演とはいえ、自分の衣装を専属スタイリストにチェックしてもらえない、というのはシオンには耐えられないことだろう。彼女が傍にいないことも不満のひとつになるだろう。孝司にはどちらの気持ちもよくわかる。


「そうですか? 岡部チーフがついているんですよね。大丈夫だと思いますけど」


 怒れば怖いが、細かく柔軟な要領がいいチーフマネージャーの顔を思い浮かべ、首をひねった。続いて越智の顔も思い出す。


「そういえば、さっき越智さん見かけましたよ」

「ああ。さっきまで一緒にいたからな」

「急いでいるみたいで、ご挨拶できなかったんですよ。なにかあったんですか?」

「宗佐熟睡事件再び」


 あまりにもサラッと告げられて、鈴はすぐに理解出来ず、一瞬呆けてしまった。


「え!? 大丈夫なんですか?」

「越智さんが運び出しに行ったんだから、大丈夫だろ。寝ながら来るよ」

「ね、寝ながら……。二年前の北海道事件を思い出しますね」


 『二年前の北海道事件』は、寝過ごした宗佐が帰りの飛行機に乗り遅れ、雑誌の取材が飛んだときの話だ。当時まだチーフではなかった岡部マネージャーが声を掛けても、身体を揺すったり叩いたりしても起きなかったので、寝たままホテルから運び出された。

 多大な迷惑を掛けたものの、結果的に取材は無事行われ、他の仕事には影響を与えなかったので、笑い話になっているが、問題であることには違いない。


「あー、そんな大きい寝坊じゃねーよ」

「あはは、寝坊に大小あるんですか?」

「あるよ。五分とか十分とか、ちっちぇーだろ。まあ、大きかろうが小さかろうが、遅刻は遅刻なんだけどな」

「そうですねえ。影響が出ないといいですけど」

「防げるトラブルだからな、寝坊って」


 『二年前の北海道事件』は、『KISSME』自身というより、『KISSME』のスタッフにとって重要なターニングポイントになった。マネージャー陣の連絡網がより強化され、モーニングコールや出迎え時間が見直され、いつ何が起きてもいいように対策が取られた。園山マネージャーが、すぐ越智に連絡を入れることができたのはそのためだ。


「霧森さんは、早起き得意なんですか? 大変だーって思いませんか?」

「まー、大変っちゃ大変かな。起きる時間が一定じゃねーから。つか、おれってか、越智さんが大変かも」

「あはは。結構頼っちゃってるんですか? 今日はどうでした? ドラマ撮影中ですよね」

「フツーに起きれたけど」

「え、じゃあ得意なんじゃ」

「スマフォのアラームと、それ以外に目ざまし時計三個は掛けてっから」

「なるほど、そういう工夫が必要なんですかね。わたし、今朝寝坊するところでした。寝たのが朝の三時だったからなんですけど」

「自業自得じゃねーか」

「あはは、ですね」


 鈴は笑って同意すると、一度会話を切って左手首につけた腕時計を確認した。つられて、孝司もスマフォの時計表示を見た。そろそろ移動したほうがいい頃合いだろう。

 孝司は手のなかのグリーン車のチケット2枚をひらひらさせた。完全に連絡を入れるタイミングを逃してしまった。


「霧森さん、移動しましょう」

「あー」


 鈴の後を追い、孝司は改札を抜けた。改札に通したチケットと、使わなかったチケットを合わせてポケットに入れ、エスカレーターに乗った。


「霧森さん、こないだ映画の話来ませんでした?」


 鈴がちらりと振りむき、孝司を見上げてそうたずねてきた。前後を挟むようにして乗っている客に気遣ってか、かなり声が小さい。孝司は彼女の声を聞き取ろうと、その口のあたりに耳がくるようにかがんだ。


「あ? きたけど。いきなり何だよ」

「その、霧森さんが着る衣装のデザイン、わたしが担当することになったんです」


 メガネの奥の目が、いたずらっぽく輝いていた。孝司はそれに目を奪われて、反応が遅れてしまう。


「一ヶ月前くらいですかね。話が回って来た時に、ぜひやらせて下さいってお願いして。正式に決まって。昨日ずーっと、その衣装のサンプルを作ってたんですよ」


 昨日、というと、シオンが大阪に行くと決まっていた日である。シオンとの仕事ではなく、自分に関係する作業を選んだということなのだ。孝司は驚き、そして喜んだ。


「そしたら寝坊しちゃいそうになっちゃったんですけど」

「ダメだろ、それは」

「あはは、ですねー。ダメだと思います、わたしも」


 エスカレーターから降りてしばらく歩くと、新幹線のホームに辿りついた。やはり多くの乗客でざわついているが、東京駅から乗りこむ乗客もいるのだろう、肩が触れ合うほどの混雑ではない。

 話の区切りがつかなかった鈴は、孝司の隣で車両を待つことにした。グリーン車であろう孝司と違って、鈴は一般指定席で、座席に近い乗車場所がほんとうは違うのだ。


「でも、頑張ったんですよ。力作です。ダメ出し食らってもいいもの出します」

「そう?」

「今から楽しみです、霧森さんが着てくださるの。よろしくお願いします」

「まあ……、楽しみかな、おれも」


 孝司は、少しだけ屈み、小声でそう言った。自分の仕事を楽しみにしてもらえるのは、純粋に嬉しい。仕事に真面目な孝司が、というのも、重要だ。

 孝司は恥ずかしそうに目線を泳がせていたが、それは同時に裏がないことの証でもある。


「えへへ」

「何? 何笑ってんの、きめぇ」

「楽しみって言っていただけて、嬉しいんです。わたし、がんばりますねっ」


 ふんっとファイティングポーズをして言った顔がいつもと違って見えて、孝司はまじまじと鈴を見つめた。メガネをして、前髪を下ろしているという、ただそれだけの違いではないような気がする。


「おまえさ……」

「な、なんですか」


 息が掛かるほど近くに顔を寄せられ、鈴はうっと後退した。手で口元を隠すように覆ってしまったのは防御本能である。

 孝司は右手を伸ばし、鈴の前髪を掻きあげた。


「お前、メイクしてねーだろ」

「ぎゃあ! やめてください」


 鈴は悲鳴を上げ、ふるふると首を振った。だが、孝司の手は前髪を押さえたまま離れない。むしろ髪型が崩れ、メガネがズレるありさまである。


「ふはは、前髪とメガネで誤魔化してもムダなんだけど。マジやべーじゃん、よく見りゃ髪もテキトーだし。なにこれおもしれえ」

「わーん。見ないでー! 見ないでくださいーっ」


 鈴は追究から逃れようと、手に持っていた鞄を自分と孝司の間に掲げた。孝司はすっかりツボにハマったのか、ふははははと声を上げて笑っている。


「今隠しても意味ねー。もうしっかり見たっつーの」

「うう……忘れて下さい」

「いや、忘れねーから。心のシャッター切ったから」

「そのフィルムを焼かせてください」

「ふはは、無理無理。デジカメだし」

「は! なるほど……じゃなくて。デジカメだったら、消すの簡単なはずですよね、ボタンひとつで消せます。消してください。残してても価値ないです」

「価値あるかどうかはおれが決めるから。つか充分レアだし」

「レアって……珍獣ですか、わたし」

「んなこと言ってねーよ。普段見てねぇって話じゃん」

「ひどい顔で仕事行く勇気ないですよーっ」

「おい、これは仕事じゃねーのかよ」


 新幹線の中で化粧するつもりだったんです、と鈴は観念したように項垂れた。涙声である。

 孝司は額に置いたままの自分の手を引き抜き、しょんぼりして悲壮感を漂わせる頭を軽く叩いた。先ほど鈴が頭を振ったせいで、髪が少し乱れていて、少しだけ撫でて直してやる。


「泣くなよ」

「泣いてないです……」

「つか、言うほど悪くないだろ」

「へ?」

「あー、なんつーの。か」


 かわいい、と言いそうになって、孝司はぴたりと動きを止めた。

 言葉に詰まったのを不思議に思ったらしく、「か?」と鈴が聞き返してくる。


「そんな変わんねーよ」


 言うのと同時に、はあと孝司はため息をついた。「かわいい」は、孝司にとってはハードルが高すぎた。

 シオンなら口に出しているのかもしれないが、彼がそうでも、孝司自身は違う。もしももっと深い関係になったところで、そうそう口に出せない言葉だろうと確信めいたものを抱くくらいに。


「メイクしなくても変わらない……? それ、どういう意味でしょう……。メイク頑張れってことですか」


 「か」で詰まったことに気づかないばかりか、さらに頓珍漢な言葉を言ってくる鈴に、孝司は笑った。


「がんばってもがんばんなくても、一緒だっつーの」

「そんなことないですよっ。二渡に習っておきますっ! キレイになります!」


 メイクをするのは、キレイな自分を見てもらいたいからだ。言外に努力はムダだと言われているようで、鈴はむっとした。

 『KISSME』のメイク担当である二渡は、鈴の友人だ。この状況と、孝司を見かえしたいと言ったら、喜んで手伝ってくれるだろう。


「いや、そうじゃねー。もういーや、面倒くせえ」


 ズレたメガネを直さないまま、二渡に連絡を取り始める鈴に、孝司は説明するのを諦めた。

 鈴が電話をかけ始めた直後に、新幹線がホームに滑り込んでくる。


「お前、この席座れよ」


 孝司は通話している鈴の腕を引き、車両に乗せた。

 突然グリーン車の座席に座らされ、チケットを押しつけられた鈴は、ぱちぱちと瞬きをしている。


「お前の顔見ててやるから」


 見て覚えないと比較出来ねえだろ、と孝司は言う。まったくもって甘くない言葉なのに、鈴は照れて何も言い返せなかった。

 移動中にするはずのメイクは、さっぱり出来なかった。

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